カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

すべてをあなたに

■■■オープンハウス開催■■■

2月26日(日)午前10時~午後4時 ご希望の方はこちらまで

 バタバタと2月は逃げて行き、後半に入りました。

 先週のことですが、長女はバレンタイン・デー生まれなのです。実家で誕生日会を開いてくれました。

 ケーキのロウソクを、男連中は吹く気満々です。

 吹くのは構わないのですが、甥っ子は一緒にツバも飛ばします。

 それも笑って許せるのは血が繋がっている証拠でしょう。望んではいませんが。

 4歳になった娘は、先日お遊戯会を終えました。

 2歳の姪っ子に踊りを教えたらしく、一緒に踊ってくれました。

 観に行けなかった私としては嬉しい限りです。

 女性から愛を伝えるのがバレンタイン・デーなら 「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」より相応しい曲は無いかもしれません。

 2月11日(土)ホイットニー・ヒューストンが、ホテルの浴室で亡くなったと報道がありました。薬物などの話もあります。

 18日の葬儀は、ケビン・コスナーが弔辞を読み、ゆかりのスティービー・ワンダーが歌ったようです。

 1985年1stアルバム「Whitney Houston」が出た時、私は中学3年生。CDジャケットはトップモデルでもあった、彼女の真っ白な水着姿でした。

 ゴスベルがベースにあるその歌をきっかけに、チャカ・カーン、アレサ・フランクリンと、女性ブラックミュージックを遡っていきました。

 一流のアーティストが鎮魂の歌を歌うとき、音楽の本質を見る思いがします。心の叫びなのだと。

 小説家が鉛筆だけで人の心を動かせる職業なら、シンガーは自らの声だけで、人の心を動かせる、最も自由でプリミティブな仕事かもしれません。

 それだけに、栄光も失敗も、よりダイレクトに自身の体に響くでしょう。

 全てのミュージシャンが、健全であって欲しいとは思いませんが、刹那的、破滅的な人生の終え方は何とか避けて欲しいと思うのです。

 多くの要因は、対人ではないかと思います。誰もが羨む、賞賛と栄光に満ちた人生が、失敗と没落の人生に変わってしまった……本当はそうでないのに。

 スポーツ選手と同じく、若い時に栄光を極めた後、どんな人生を送るか、どのような枯れ方をみせるかは、大切な事です。

 枯れる時には枯れ、朽ちる時には朽ちる。

 それが生き物の礼儀である。

 人間は有限の生命体でしかも、消滅するのではなく衰弱するように出来ている。

 2005年 11月5日 産経新聞朝刊 ”阿久悠 書く言う”より
 
 おそらく彼も同じような事を感じたからこそ、この考えに至ったのだと思います。
 
 最大のヒットは「ボディーガード」の「I Will Always Love You」ですが、耳に蘇るのは、1stアルバムの「You Give Good Love(そよ風の贈りもの)」とジャーメイン・ジャクソンとのデュエット「Take Good Care Of My Heart」です。

 逝ってよい年齢などありませんが、48歳を天寿とは言い難いのです。

柳宗理

 今日から明日にかけて、20年に一度の寒気団が日本列島に流れ込むそうです。

 私の人生で、未だ2度目しか経験のない寒さ。解るような、解らないような……本日の最高気温も3℃の予想。スキー場並みの寒さです。

 近所の庭にあるサザンカが、花を咲かせていました。

 日本海側では記録的な大雪になっています。

 例えばそこで暮らす老夫婦は、雪下しも思うようにならず、不安な日々を送っていると思います。

 人は植物と違い、関係しあって生きるもの。

 自分も必ず歳をとります。情けは人のためならず。元気な若者はこんな時こそ、奮起して欲しいと思います。

 昨年の12月25日にプロダクトデザイナー柳宗理さんが96歳で亡くなりました。本当に長寿ですが、作品を見るとそれが納得できるから不思議です。

 ティースプーンとヒメフォークのセットは、結婚式の引き出物にしました。

 手の感覚を大切にし、ただ純粋に機能と美しさを追求していく。

 個性重視という風潮とは一線を画しています。

 父は民藝の提唱者、柳宗悦。

 無名の職人による、郷土、生活に密着した工芸品の美しさを見出しました。

 その反発もあり、まずは純粋芸術のピカソうやクレーに夢中になります。東京芸大に入ると、バウハウスで学んだ水谷武彦の講義に非常に感銘をうけました。

 1つは、これからは機会・科学の時代だという事。もう1つは、美術、デザインは社会のため、用途のためにあるべきで、社会との関係性の中で生きていくという事。

 彼は代表作、バタフライスツールから、レコードプレーヤー、橋、ゴミ箱にいたるまでをデザインしました。プロダクトデザイナー柳宗理が追求したのはアノニマス(無名性)と用即美
の精神だったのです。

 用途にあった完璧なモノというのは、非常に健全である。

 在りし日の穏やかに見えるその容姿を見れば、柳宗理自身にもあてはまると言えるのです。

Let it snow

昨日はクリスマス。

天気予報も、大阪以外には雪マーク。ホワイトクリスマスになった街も多かったのでは。賢い子どもに、プレゼントは届いたでしょうか。

25日(日)は夕方から、実家でクリスマスパーティーを開催してくれることになっていました。

予約してあったケーキを取りに行くことに。

これくらいは手伝わないとバチが当たりそう。

甥っ子も1人連れて行くと、昼間からテンションは上がりきっています。

夕食は母が準備してくれます。

サラダもツリー仕立てに。

星はパブリカでしょうか。

それぞれの皿にもツリーと、サンタクロースが居ます。

全て力作ですが、オリガミで星を作るのが意外と苦労したと言っていました。

その甲斐あって、子供達もよく食べ、最後のクリスマスケーキへ。

長男はどこで貰ったのかクラッカーを鳴らしていました。

先日、1年点検での訪れた「イタウバハウス」でも、いつまでサンタクロースを信じているのかという話になりました。

我が家の長男も今年は小学生。

学校でも「サンタクロースなんて居ない」という子供も居るでしょう。

しかし
「サンタクロースは、故郷のラップランドで、小さな妖精たちに手伝ってもらいながら、大きな袋いっぱいにプレゼントを詰め込みました」

なんてと言うニュースを見かけると、やっぱり良いもんだと思えます。

もしクリスマスソングが無かったら、ここまでクリスマスは広がらなかったと言えば言い過ぎでしょうか。

それくらい名曲が沢山あります。

『Let It Snow』 作詞:Sammy Cahn 作曲:Jule Styne

Let it snow, let it snow, let it snow
雪よふれ 雪よふれ 雪よふれ 

この曲、クリスマスという言葉はでてきませんが、温かく、少し切ない感じが何ともこの時期にマッチします。

何より題名の音の響きが素晴らしいのです。

クラプトン

 先週末、録画していたエリック・クラプトンの番組を観ました。

 現在66歳。世界を代表するギタリスト、アーティストと言って良いでしょう。日本で公演があるようです。
 
 1945年生れのクラプトンは、祖父母に育てられます。もの静かで、シャイな少年は、8歳まで祖父母を生みの親だと思っていたそうです。

 13歳の時、祖父母はそんな彼にギターをプレゼントします。また、友人に勧められて聴いたブルースにすっかり魅せられ、それをお手本に腕を磨いていきます。

 20歳の頃、すでにギターの腕に絶対の自信を持っており、ビートルズのジョージ・ハリスンとも親交がありました。それをきっかけに、ビートルズのアルバムにギタリスととして参加。ギターソロも彼が担当するのです。

 ヤードバーズ、クリーム、デレク・アンド・ザ・ドミノスと歴史に名を残すバンドと関わってきましたが、いずれも短い周期で、入脱退、解散を繰り返します。

 麻薬中毒、アルコール依存症、そして親友ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドに恋いし、後に結婚という、波乱の人生を歩みます。大ヒットした「愛しのレイラ」はパティ・ボイドへの気持ちを歌った曲でした。

 その後パティ・ボイドと離婚。イタリア人女性と再婚。男の子が生まれます。その子が4歳の時、マンションから転落死するという悲劇に見舞われるのです。

 その時に書いた曲が「ティアーズ・イン・ヘブン」。1992年の作品です。

 この曲はアルバム「アンプラグド」にも収録され、アルバムと合わせて、グラミー賞6部門を獲得します。

 学生時代、車のCDチェンジャーに、絶えず入れていたアルバムでした。大学3、4年のことです。

 その頃、ここに書いたクラプトンの人生を、熱心に、繰り返し話してくれた後輩がいました。後に彼は家業に入り、門戸厄神駅前の「Spoon Cafe」チーフとなります。

 そして、1996年のリニューアルオープンの際、設計を私に任せてくれたのです。

 今考えれば、本当に申し訳ないのですが、その時は半分くらいしか話を聞いていませんでした。と言うより、彼の思い入れを受け止める許容量を、私が持っていなかったような気がします。

 全てをiPodに移行している最中ですが、久し振りに「アンプラグド」のCDを出してきて、ライナーノーツを読みました。

 アンプラグドは、コードを抜いたという意味で、電気楽器をなるべく使わない演奏です。MTVの人気プログラムですが、単純で、プリミティブである程、その人自体が伝わって来るのは、一流ミュージシャンも同じです。

 先日なくなった、スティーブ・ジョブズとエリック・クラプトンは、目が似ていると感じます。

 訳あって、生みの親と別れた2人。辛いことも、傷ついた事もあったでしょうが、それらを自分の人生の、仕事の糧にしています。その憂いを秘めた目が、私は嫌いではありません。

 今幸せならそれも幸せ。そうでなければ自分で掴みとるしかないはずです。

ポテイト

 先週の土曜日、クライアントが来所した際にジャガイモを持ってきてくれました。

 自家製なのです。

 本業ではありまませんが、代々農業を営んでいる家系。

 クライアントである若夫婦も田植えと稲刈りの時期は手伝うのです。

 今年も、6月の初旬に無事田植えが終わりました。

 翌週の打合せの時に持ってきてくれたのがこのジャガイモ。前週まで、田んぼに植わっていたのかもしれません。

 細長いのが、メークイン、丸いのが男爵です。

 女性スタッフに聞くと、細長いメークインは煮崩れしにくく、ねっとりとして、カレーやシチュー向き、男爵はホクホクしているが煮崩れしやすく、コロッケやマッシュポテトに向いているそうです。

 ジャガイモの起源はアンデス山脈。16世紀にスペインがヨーロッパに持ち帰ります。コルテスやピサロの時代ですが、寒さに強く、肥料も少なくて済むので、ヨーロッパでの栽培は爆発的に広がりました。

 ジャガイモやトマトなどを南米から持ち帰ったのは大航海時代です。長い航海の間、どうしても新鮮な野菜が足りず、ビタミンCが不足します。その結果、壊血病という病気になり、多くの人が命を落としていました。

 その救世主がジャガイモでした。ジャガイモやサツマイモは加熱しても多くのビタミンCが残るという性質を持っていたのです。

 16世紀のヨーロッパの人口爆発に一役かっていたのもジャガイモ。日本には17世紀初頭に持ち込まれたようですが、江戸時代に起こった度々の飢饉の際にも、重宝されたようです。

 そう考えると、麦、米に加えて、ジャガイモこそが近代人の胃袋を、最も満たしてきた野菜だったと言えるかもしれません。

 こちらのクライアント「農業はあまり好きではないんですが……」と言っていました。

 しかし、奥さんが横から「歳がいったら、絶対するんじゃない?」とも。

 子供達が独立したら、庭先で小さな菜園。その光景は幸せな景色と言えますし、そんな街はとても住みやすいと思うのです。

アンリ・マティス

 昨日は『SUMAInoSEKKEI』の取材でした。

 「イタウバハウス」だったのですがずっと雨の予報。昼過ぎまでなんとかもって、無事撮影が終わりました。今日は「Shbby House」の撮影です。詳しくはまた現場日記で。

 先月末、カンディンスキーの展覧会へ行きました。

 それもあって、クライアントから新聞の切り抜きがfaxされてきました。「抽象画の創始者に迫る」という題で、その中に抽象画が生まれた瞬間というエピソードがありました。

 ある夕暮れ、カンディンスキーは自分のアトリエで、信じられないほど美しい絵画に惹きつけられます。誰が描いた絵画だろうと思い見ると、自身が描いた絵を横向きに立てていただけだった、という話です。

 カンディンスキーが画家を志したのはモネの「積みわら」を見てでした。強い感銘を受けたが、何を描いてあるのかは分からなかったともありました。

 この絵は、事務所に飾っているアンリ・マティス。

 1995年の夏、初めて設計の依頼を貰いました。「羽衣の家」のクライアントは大学時代の先輩のお父さん。

 その時社会に出て2年目だったので、勤め先の担当者として仕事をさせて貰うことになっていました。
 
 しかし所長と微妙な行き違いが生まれ、独立することになります。

 事情を話すと、先輩のお父さんは、にこやかに僕に任せると言ってくれたのです。大変温厚な精神科医でした。

 1996年の年末あたりに、食事に誘って貰いました。行き着けのミナミの串カツ屋さんでしたが、プレゼントも貰ったのです。それがマティス。

 マティスはカンディンスキーとほぼ同時代を生きています。1869年フランスに生まれ、当初の写実的な絵から、荒々しい筆遣いと大胆な色彩のフォビズム(野獣派)と言われる絵に変化していきます。更に、単純な線、単純な色を求め最後には切り絵に行きつきました。

 調べていると、この絵の題名が分かりました。『Christmas Eve』

 美しいと感じることを「美しい」と言う、自分が良いと思うものをプレゼントするのは勇気のいることです。
 
 この絵が届いたのはクリスマス前だったかもしれません。14年経ち記憶が定かではありませんが、そんなことを思いながらこの絵を見ています。

青騎士

 今年はなんと5月下旬から梅雨入り。例年より12日も早いようです。

 昨日は台風2号の影響もあり、一日中雨風が止む時ありませんでした。

 雨なら雨なりの楽しみを、ということで神戸の兵庫県立美術館へ。

 地下駐車場は展覧会等があれば2時間400円。

 スペースも大きく、これも助かります。

螺旋階段を上がってエントランスへアプローチします。

 現在は「カンディンスキーと青騎士展」が開催されているのです。
 
 ヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944年)は、20世紀の初頭に活躍した画家です。

 彼は1910年に初めて抽象画を描いたと言われます。

 その初期にあった芸術グループが青騎士とありました。
 
 はじめはミレーの「晩鐘」のような絵画が好きでした。そこから、シャガールやムンクのように、構図や色使いがダイナミックなものへ興味が移って行きます。

 そして、モンドリアン、クレー、ミロ、マレービッチ等の抽象画が最も気になりだしたのが、大学生の頃。カンディンスキーは現代まで続く抽象絵画の源泉にあると言えるのです。

 今回、一番良かったのは『印象Ⅲ(コンサート)』(1911年)でした。子供も連れて行ったので、慌ただしくはありましたが、それでも本物を見るのは価値があります。

 長男は何となく興味を示していました。

 カンディンスキーは、20世紀初頭から第二次世界大戦がはじまるまで、バウハウスの教官も務めています。バウハウスはドイツにあった、建築と芸術の総合学校です。

 同時期に活躍していた、モンドリアンと共にデ・ステイルという運動に参加していたのが、シュレーダー邸を設計したリートフェルト。彼も教官を務めています。建築の世界へも影響を与えていると言えるのです。

 しかし「青騎士」とは、何とも美しい響きです。

 この美術館の設計は安藤忠雄。

 長く、広く、薄く海へ向かって突き出した庇は、挑発的です。

 完成から9年。

 緑が鉄筋コンクリートの躯体を覆います。

 能の世界では、鬼の舞は優しい心をもって舞い、女の舞は鬼のように強い心をもって舞へといいます。

 無機質なコンクリートに緑と愛情を込めて、というところでしょうか。

 9年経って、一層感じが出てきました。

勝山

 4月の中旬に開催される、icetee CUPというスキー試合があります。

 子供も出場できるので、 家族でエントリーしていました。

 しかし今回の震災で試合は中止に。協賛で集まった賞品などは全て被災地に寄付すると発表されました。また、エントリー費も義援金として送って貰える選択もあったので、僅かながら応援しようと思います。

 先週末は、その練習にと思いジャム勝山のホテルをとっていたのです。少し考えましたが、行ってきました。

 もうすぐ4月とは思えないほど、雪もしっかりありました。

 久しぶりのスキーで、長男も気合十分。

 ボーゲンですがどこでも滑るようになりました。

 下の娘も雪の上にいるだけで、結構楽しんでいます。

 来年は何とか滑ってもらい、4人で山頂へ行きたいと思っています。

 この時期としては本当に寒く、頂上付近には樹氷も見れました。

 日差しだけは春のもので、野鳥がゲレンデに降りてきました。

 ヒヨドリでしょうか。

 1匹が小気味よいリズムで鳴きだすと、皆鳴き出すのです。

 行き帰りの高速道路でも、多くの災害復旧車両を見ました。

 この寒さを超えれば、本格的な春がやってきそうです。
  
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住人十色

 日を追うにつれ、被害が明らかになる東日本大震災。

 天災の恐ろしさに、ただ向かい合う他ありません。土曜日に、メッセージをUPさせて頂きました。

 横浜のエピック・ゲーム・ジャパンへ連絡すると、品川で被災し15km歩いて帰社したとのこと。

 「現状を見るとこれくらいで文句言ってはいけませんよね」とも。

 事務所の照明を半分にしました。どれ程の効果があるか分かりませんが、何か行動したいという気持ちです。

 昨日は、朝から快晴で「頑張れる家」の写真撮影に行っていました。こちらのほうはまた現場日記でお届けしたいと思います。

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 この時期なので、もしかすると延期かなと思っていたのですが「光庭の家」

の前に、撮影クルーの荷物が。

 日曜、月曜と『住人十色』という番組の撮影だったのです。

 昼過ぎにつくと、街中でのロケが終わり、現場はちょっと休憩という感じでした。

 ナビゲーターは『世界ふしぎ発見』でミステリーハンターを務める宮地眞理子さん。

 とても感じの良い人でした。

 テレビの撮影は、やはりカメラが回るとピリッとします。

 この人出の多さこそ、テレビが娯楽の王様たるゆえんかもしれません。

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 少しの間見学していたのですが、宮地さんの声を聞くと、さすがはタレントさん、という感じになります。

 聞き取りやすく、心地よく耳に残るというか。これは少しでも見習わなくてはなりません。

 普段講師を務める奥さんが、インテリアコーディネーターとしての知識と経験に裏付けされた、収納レクチャーを、という感じで撮影は進んで行きます。

 現場の雰囲気は、とても和やかな感じ。

 ただ下のボクは、沢山の大人が居るのでちょっと退屈気味です。

 多くの方の協力で番組は出来上がって行きます。放送は4月23日(土)夕方5時からの予定。

 このような状況なので、変更の可能性も高いのですが、確定したらまたお知らせします。

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ライブ イーグルス

3月1日(火)大阪ドーム。7:00pmからイーグルスのコンサートが始まりました。

前にライブへ行ったのはいつだろうと考えてみると……高校生の頃行った、ハウンド・ドッグでしょうか。本当に久しぶりです。

一昨年のマイケル・ジャクソンの件もあり、見たいアーチストがいたら、すぐ行動しようと思っていました。

そんな時、テレビでイーグルスの日本公演を知ったのです。

遅ればせながら予約すると、スタンドの真ん中あたり。ステージから左斜め45度、およそ70m程。メンバーは小指大でした。ちなみにチケットは¥12,000-。

コンサートが終わり、まず来て良かったと思いました。

60代半ばにさしかかったメンバーはもう初老と言って良い風貌でした。1985年、最高にかっこ良いと思っていたドン・ヘンリーは若干お腹が出ていました。

しかし、彼のやや鼻にかかった、高めのハスキーな声は、今まで何回聴いたか分からない、歌声そのものでした。

コンサート後半の中頃、ドラムがハイハットを刻むイントロが流れてきた時、今まで何度聞いたか分からないその曲に感激しました。

私が一番好きな曲「ボーイズ・オブ・サマー」。イーグルス解散の後、ドン・ヘンリーがソロで発表した曲です。

その後バンドは復活し今回の公演に繋がっていますが、ソロ曲は演奏されないんだろうと、思っていたのです。

若干残念だったこともありました……それは隣席のこと。

30歳代くらいの女性2人組は、開演後2曲目くらいに席に着きました。「7時に来るのが大変な人も多いだろうな」とか思っていたのです。

彼女は席に着くと、すぐさまテイクアウトの牛丼を食べ始めました。「まあ腹が減っては、聴けないかもな」と考えていると、3曲目に「ホテル・カルフォルニア」が始まったのです。

物悲しい、ツインネックのギターの音色に、甘く切ない歌声。まぎれもなくあの名曲だったのですが、それは牛丼の匂いの中で……これが一生で一回の生「ホテル・カルフォルニア」体験です。

ちょっと笑い話です。

もしまた機会があればできれば、アリーナで聴きたいと思います。遠くスタンドから見ていると、どうせなら、あの熱気中で聴きたいと思ったです。

最後は平井堅もカバーしていた「ディスペラード」でコンサートは終了しました。

良くライブは皆で造り上げるもの、と言いますが、良いも悪いも、身をもって体験しました。

久々のライブ。とっても良かったです

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