カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

神戸いっき見‐1141‐ 

 昨日は、神戸と北摂へ敷地を見に行ってきました。

 と言っても、家族を連れて行ったので、小旅行みたいなものですが。

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 神戸は住所だけ控えて向かいました。

 行ってみると異人館街のど真ん中。こちらのほうは、気の長い付き合いになりそうです。

 異人館街をしっかり見るのは初めてで、まずはラインの館へ。ここは無料です。

 下見張りの木のラインが美しいのでラインの館と呼ばれます。募集で決めたそう。

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 うろこの家は、北野の最上部にあり、想像以上に坂が急。狭い道を抜け、汗をかきながら到着しました。

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 すぐ裏まで山が迫っています。

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 うろこ状に張られている外壁材は、堆積岩のスライスでしょうか。

 技術、手間、コスト、安全性など。なかなか現代建築では真似のできないところです。

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 2階からの眺めは、統治者の眺め。ポートタワーも見えています。

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 昼は元町で中華を食べようと、海へと坂を下ります。

 途中にあるジャイナ教の寺院。

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 神戸ムリスムモスクは1935年に建った、日本初のモスクだそうです。
 
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 お腹がすいたと言う子供をなだめ「順徳」で少し並びました。

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 妻のリサーチでしたが、その情報に偽りなしでした。

 チャーハン×2、ラーメン、イカの天ぷら、焼きそばで4800円。特に、堅焼きそばといえば良いのか、中華の焼きそばは本当に美味しい。

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 そのまま、旧正月でごった返す南京町を抜け、神戸市立美術館へ。

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 南京町の神戸コロッケは7坪の店舗で、安藤忠雄最小の作品です。

 間違いなくマッチはしていませんが、それを差し引いても、もう一つといったところでしょうか。

 モスク近くの北野アレイも見てきましたが、安藤の建築は、店舗にはあまり向いていないと思っています。

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 チューリッヒ美術館展は「巨匠いっき見!!」のコピーの通り、短時間でおなか一杯という内容でした。

 アンリ・ルソーの「X氏の肖像」の書き割りがあり、記念撮影できます。展覧会も変わりました。

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 兄妹とも、会場のアンケートに「とても面白かった」と書いていました。

 昔は拒絶反応を起こしていたのですが、「お父さんの説明で面白かった」と言わせれば私の勝ちです。

 ミロ、モンドリアン、ピカソ、ジャコメッティー等、子供が喜びそうなものを、それこそ短時間、いっき見ですが。

 帰りは十三で別れ、北摂へ向かったのです。

 かなり欲張った、神戸いっき見ですが、子供が付いて来てくれるうちが華。

 将来、来てくれなくなったら。一人で行くのか、妻は付いてきてくれるのか。
 

日本一の観光スポット‐1140‐ 

 昨日は雨予報が、晴れに変わり昼から京都へ。

 今日に比べると温かい一日でした。

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 東福寺の南、光明院の波心庭を見るためですが、現在設計中のクライアントに「とても良かったですよ」と教えて貰ったのです。

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  縁側を進むと、一気に景色が開けます。床板が一枚板に変わり、ここからが、特別な空間だと分かります。


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 波心庭は造園家・重森三玲設計の枯山水です。「枯れ」の通り、水を白砂や小石で表現されています。

 龍安寺の石庭などは、草木さえなく、限りなく抽象化されていった庭です。

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 抽象化されているがゆえ、その景色の解釈は、訪れる側に委ねられます。

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 一つだけあった、白い三角錐の石。これが一体なにを意味するのか

 この日は、私達家族のほかは一組の夫婦だけでした。秋は混雑するでしょうが、紅葉の季節に是非訪れたいものです。

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 2014年、外国人に人気の観光スポット第一位は、伏見稲荷大社だそうです。

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 光明院から15分くらいなので、こちらにも行ってきました。日本一にもかかわらず、私達は初めてです。

 人気日本一だけあり、2~3割くらいは外国人でしょうか。

 先日「本気で観光立国を目指すなら」と物言いをつけたばかりです、京都は完全に例外です。凄い熱気でした。

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 鳥居は奉納されたものと知りました。千本鳥居を娘が数えたのですが、393本だったそうです。

 行きと帰りの参道にあるのでおそよ800本。概ね千本でした。

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 寂びた美を追求する波心庭。古のエンターテイメントと言って良い伏見稲荷大社。対極とも言える美を求め、八百万の神を許容するのが日本人です。

 観光がビジネスの側面だけでなく、その精神を輸出する機会、国、民族、思想を越えた文化の交流と考えたなら。

 観光という言葉が、どうも表面的で、安っぽい感じがするのです。

家康と富士‐1130‐

 前回は、大晦日に草津温泉へ到着したところまで書きました。

 元旦の朝、雪道を富岡製糸場へ移動です。

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 昨年、世界遺産に登録されたばかり。木骨レンガ造の建物は明治初期のままです。

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 明治維新の後、日本が近代化をたどる、その先駆けとなったのがこの富岡製糸場。

 操糸場では大空間を確保するため、和小屋ではなく、トラス構造で屋根が支えられています。

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 ただ、観光地としての整備はこれからというところでしょうか。

 飲食店が開いておらず、名物ホルモン揚げで子供の機嫌をなんとか。元旦なので文句は言えませんが。

 富岡を後にして、上信越道、関越道、北関東道、東北道と乗り継ぎ、日光へ向かいます。

 関東平野の北部をぐるっと回る感じ。あらためてその広さを実感します。参拝時間にたどり着けず、翌2日(土)の朝の参拝になりました。

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 東照宮は初めて来ましたが、その名の通り、朝日が金細工を照らす様は圧巻でした。

 しかし写真ではもう一つその美しさが……

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 長い戦乱の世を終らせた家康への尊敬の念が、家康信仰の源になっています。関東に住まない私は、もう一つピンと来ていませんでした。

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 それに加え、それぞれの建築に施された彫刻は、見所のオンパレードといった感じ。

 「みざる、いわざる、きかざる」は、子供への教訓を形にしたものだそうです。つい分かり易い写真を選んでしまいます。

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 五重の塔も、まったく赴きが違います。

 五層目の垂木のみが扇状に配置されている中国式。完璧からは崩壊が始まるという考えから、リズムを乱しています。

 天下人とは、かくも用心深いのです。

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 家康信仰と自然崇拝の両方があって、日光東照宮成り立っているのだと、その場に行きよく分かりました。

 見ていなければ「猿軍団の町」くらいに思っていたかもしれません。

 日光を後にし、茨城の古河へ。目当ての店が休みで、そのまま東へ向かいます。3日目の宿、富士山へ向かいます。

 当初は、沼津泊の予定でした。渋滞を避けるため寸前に変更したのですが、圏央道、中央道とも渋滞なし。

 夕方には河口湖を通過。夕食はほうとう鍋でした。

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 3日(土)は早起きして、精進湖へ。

 子供は起きず私だけでした、これは後悔しました、叩き起こしてでも連れていくべきだったと。

 氷点下10度以下まで下がり、氷の張った湖面に映る逆さ富士。

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 仕方なく、朝食のあと子供を連れて同じ湖畔へ。氷は乗れるくらい厚みで、はしゃぎまわっていましたが。

 昼は信玄のお膝元、甲府へ移動。

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 富士を望む、何と美しい盆地か。駅前で蕎麦と鳥モツを食べ、最後の目的地、長坂の清春芸術村へ。

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 藤森照信設計の「茶室徹」は2006年。

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 2011年完成「光の美術館」は安藤忠雄の設計。

 内部に照明器具はなく、自然光のみでアントニ・クラーベの作品を鑑賞します。

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 隣にあるのはジョルジュ・ルオーを記念して創られてた「ルオー礼拝堂」は1886年の完成。

 昨秋、京都国立博物館の平成知新館を設計した、谷口吉生の初期の作品です。これで全工程終了。

 3泊4日、草津、富岡、日光、古河、上九一色村、甲府、長坂を巡る旅。家族で全県制覇は、残すところ10県になりました。

 1500kmくらいは走ったでしょうか。我ながら馬鹿なことをやってるなと思いつつ。

 一番心に残ったのは富士でした。これは子供も同じよう。関東、信越のどこに居ても、常に富士山を探してしまいます。

 家康信仰と同じく、関東平野をぐるっと周り、改めてのその美しさと、存在感を知りました。

 反対に、住んでみなければ、 本当の価値は分からないのが、家康と富士なのではと感じたのです。

 今日が、当事務所も仕事初め。

 一富士、二鷹、三茄子。縁起のよい写真でスタートします。

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<目指せ、家族で47都道府県制覇>
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草津よいとこ‐1129‐

 新年明けましておめでとうございます。

 小雪が舞うも、初日の出を見ることができました。

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 ♪ 草津よいとこ、一度はおいで~

 昨晩から、草津節で知られる、草津温泉に来ています。

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 源頼朝が、狩りに出たとき偶然へ見つけたのが始まりだそう。温泉街の中心にある湯畑fは圧倒的な規模でした。

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 高温の源泉を、水で薄めずに冷ますために考えられたのが湯もみ。草津節を唄いながらするのが伝統です。

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 最も上にあるのは、8代将軍吉宗に献上する湯を汲んだ場所。

 温泉以前に「湯」がふんだんに使える温泉は、現在とはくらべものにならないくらい特別な存在だったでしょう。

 それが、豊富に、絶えることなく湧き続けるのですから、人が集まるのは自然。

 普段「お湯がもったいない」「水は大切にしなさい」と言いますが、ここではそのストッパーは外せそう。
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 加水、加熱なしの良質な源泉を、桶になみなみと満たし、頭から豪快に何度もかぶります。ああ何という贅沢。

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 温泉卵120円。安いものですが、つい財布の紐が緩むのが旅の心情。草津は唄に恥じない、良いとこでした。

 日記を始めた動機の1つに、旅行記が好きだった、というのがあります。

 今年も、色々な街、もの、人を書いて行きたいと思います。1年間よろしくお願い致します。

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思うようになるもの、ならないもの‐1124‐

 寒い日が続きますが、庭のサザンカが満開です。

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 淡いピンクは桜と梅の中間くらい。色ならつぼみの方が美しいのは桜と同じです。

 昨日は、天六の住まい情報センターで、相談員をしていました。今月末まで「遠里小野の家」のパネルも展示しています。

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 天神橋筋商店街は、日本一長い商店街。館はその北端にあります。

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 4階からはアーケードを見下ろせます。都市の裏と表と言えば、皮肉すぎるでしょうか。

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 「バカの壁」の著者、養老孟司がこう書いていました。戦後日本は「都市化」したと考えると理解しやすくなる。

 ジャングルで毒蛇にかまれてたとしても、これは仕方がないこと。しかし、都心部でマムシに噛まれたら、だれがこんなところに放したのだとなります。

 車が走れない、虫がでる等の理由で都市部の地面は、アスファルトに変わっていきました。そして買い物がし難いから屋根をかける。

 コントロールできないものを、現代人は排除してきました。安全で快適に暮らす為、良かれと思いしてきたことですし、事実、文明は進歩したのです。

 その弊害として、最も大きな変化は、何事も人のせいにする人が増えてきた、と彼は言っています。

 ニューヨークで、道路の穴ぼこで足をくじいたら、市が訴えられるという話は良く聞きます。これは日本だけの話では勿論ありません。

 随分昔、上岡龍太郎というタレントがゴルフを始めました。「今までで一番思うようにならないから楽しい」と言っていました。

 その時、思うようにならないものなら一杯あるだろうと思っていました。子供、部下、予定、内部留保、妻……

 コントロールできないのが自然。コントロールできる都市。その中間にあるのが里山文化です。

 仕事も、仕事以外も、目指すのは里山でしょうか。

奈良には冬が良く似合う‐1122‐

 先週は、法隆寺の宮大工、西岡常一から、弟子となる小川三夫への手紙について書きました。

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 実物を見たくなり、奈良県斑鳩町へ。家から西名阪で30分程です。

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 607年、聖徳太子が建立した現存する世界最古の木造建築。日本初の世界遺産でもあります。

 柳のようなしなやかさで揺れをやり過ごす考えは、日本初の超高層ビル、霞ヶ関ビルにも応用されました。

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 五重の塔の高さは約32m。中央を貫く芯柱は他の構造体と触れていない事で知られます。

 揺れの周期が違うことで、運動エネルギーを打ち消しあっているのです。

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 1400年もの昔、構造解析など無い時代に、どのような経緯でこの構造体は生まれたのか……

 子供達の名前も記載できるとの事で、瓦を1枚寄進してきました。

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 その後、明日香村まで移動。子供はマイ自転車で、大人はレンタルで、大和路を走ってきました。

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 石舞台、亀石、高松塚古墳。

 何故か奈良へ出掛けるのは決まって寒い季節。奈良は冬が良く似合うのです。

 「鬼」と言われた宮大工、西岡。その話を子供にしていると、長男からこう聞かれました。

 「お父さんは仕事の鬼?」

 ここでひるんでいては。「もちろん」と答えました。

 広辞苑には、天つ神に対して、地上などの悪神、邪神とあります。その恐ろしい形相から転じて、何かに精魂を傾ける人を指すようになったのでしょう。

 楽しんで働くのも正なら、鬼の形相になるのもまた真。

 古い考えかもしれませんが、仕事人にとって「鬼」は最高の褒め言葉でしょう。

生きた建築ミュージアム<ミナミ>‐1110‐

 昨日は、梅田で現地調査をしたあと、地下鉄で長堀橋駅へ移動。

 来月初め、11月1日(土)、2日(日)と、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」というイベントが開かれます。通称、イケフェスだそう。

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 ガイドブック片手に「生きた建築」に触れ、本当の大阪を知って貰おうというイベントです。

 このガイドブックは、大阪、東京の7ヶ所で無料配布されていますが、これがなかなか素晴らしい。

 私もそれを片手に、ミナミエリアを回ってきした。


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 長堀橋から南へ5分。1964年完成、村野藤吾設計の「浪速組本社ビル」があります。

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 浪速組は老舗左官業の会社。

 スタイルには拘らない、巨匠・村野の真骨頂は「お金の取れる図面」です。この言葉に、プライドと、バイタリティーを感じます。

 広角レンズを持ってくれば良かったと後悔しましたが後の祭り。

 更に南下すると、焼肉ブーム火付け役、食道園宗右衛門町本店ビル。

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 1968年、生山高資の設計です。

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 外壁は石を打ち込んだプレキャストコンクリート(工場生産コンクリート版)でしょうか。

 内部はオリジナルデザインが残るようですが、食事はまたの機会に。

 丁度、ドンキホーテの東斜め向かいにあるのですが、より目を引いたのが、宗右衛門町モータープール。

 廃墟ビルの1階を駐車場として貸しているのです。

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ミナミの真ん中に、こんなビルが残っていたとは。若い頃はウロウロしていましたが、全く目に入りませんでした。

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 そのモータープール一角にあるのが花屋さん。廃墟感を逆手にとって、格好良くデザインされていました。

 「生きた建築」と比べるなら、これは半死の建築でしょうか。

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 ドンキホーテを西に見ながら、相合橋をわたると、たこ焼き激戦区。

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裁判沙汰になっていましたが、結果はどうなったのか。

グランフロント完成以降、キタに目が行っていましたが、道頓堀界隈の賑わいには驚きました。

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 店舗も大きく変わり、知っている店があるとホッとするくらい。

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 そのまま、商店街に入ると、ガイドブックに載る「純喫茶アメリカン」。

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 1963年、富士工務店の設計で、エントランスすぐの螺旋階段が、時代を感じさせます。

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 はす向かいにある「美津の」はお好み焼きの名店で、かなりの行列ででした。

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 最後は、日本橋に近い「美園ユニバースビル」。

 無くなる前に、一度くらいはキャバレーも体験してみたいような気になります。

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ちょっと見ない間に、歓楽街は大きく様変わりします。

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 しかし変わらない裏路地もあり。

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 知れた店もあり。
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 大学時代、高いアルバイト代にひかれたこともあり。

 旅にでれば、街を歩き回るのが最高の楽しみ。しかし、ミナミを半日歩いたのは始めてかもしれません。

 大阪生れの大阪育ち。やはりキタよりミナミのほうがしっくり来るかもしれません。

 このガイドブック、とてもお勧めなので是非貰ってみてください。

師をめぐる、巡礼の旅‐1089‐

 今年の夏休み旅。14日(木)福岡市に入ったところまで書きました。

 ホテルにチェックインして、夜の天神エリアへ。

 名物の屋台で、焼きラーメンを汗だくで炒める店主。

 南国とは言わずとも、開放的な雰囲気があります。

 屋台がよかったのですが、子供がいるので断念。今度の楽しみにします。

 翌朝、早起きして中心部を歩きました。

 中洲エリアにある、アルド・ロッシ設計のイル・パラッツォ(1989年)。

 単純ですが、ひときわ目を惹きます。

 巨匠・吉村順三の河庄(1959年)。

 コンクリート打放しのルーバーを楽しみにしていました。

 しかし、グレーとピンクで塗装がなされており……

 これは正直かなり残念。

 ホテル近くの福岡銀行本店(1975年)。

 黒川紀章、初期の仕事です。

 屋内というにはあまりにも高い天井。

 特別な存在感を放っています。

 朝食のあと福岡を発ち、北九州市立美術館へ。車で1時間程でした。

 こちらも、磯崎新の初期の作品です。

 学生の頃、白黒写真で見て以来、ずっと訪れたいと思っていました。

 磯崎の建築は、単純な造形を用い、一度に建物を印象付ける力があります。そんなところに憧れていたのです。

 一方、より限られた素材で、対比という思想を持ち込めば、より美しい建築が出来るのではとも思っていました。私の作品「加美の家」のモチーフになっているのです。

 訪れるより先に、創ってしまったのですが。

 麗しの磯崎を訪ね、今回の建築巡礼、目的は果たしました。

 しかし、建築めぐりだけでは家族は退屈します。

 午後には日本最大級の鍾乳洞、秋芳洞に到着。

 子供達は探検気分で楽しんでいました。15日(金)は山口泊。

 最終日、16日(土)は朝から萩へ移動。

 市内では、維新の志士、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)の生家を回りました。

 そして、最後の目的地、松下村塾に到着。

 1856年、吉田松陰は叔父からこの私塾を引き継ぎました。

 そして、多くの幕末の志士を育てるのです。

 倒幕を強く訴える松陰が、維新を見届けることはありませんでした。

 大老・井伊直弼による安政の大獄によって斬首されるのです。1859年のこと。

 日本の近代化は、薩長土肥という地方の力によって成し遂げられています。

 それを差し引いても、この本州西端の小さな私塾から、育った人物の数は目を見張ります。

 先の2人を初め、久坂玄瑞、伊藤博文も松下村塾出身。

 松陰は、相当にクレイジーな部分もあったようです。

 しかし、少々狂気のようなものが無ければ、人の心に火をつけることは出来ないのでは。8畳の小さな講堂を見ながら、そんな事を思っていました。

 当の本人はこんな言葉を残しています。

 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず」

 師を持っていない私にとって、世界に残る名建築、そして珠玉の名言が、師そのもの。勿論みだりではないつもりです。

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フェリーで行く福岡‐1088‐

 今年の夏休みもフェリーの旅になりました。

 13日(水)の夕方、南港を出港。

 6時ころ、明石大橋を通過しました。


 今回は個室がとれました。

 乗船時間は12時間。

 子供たちにとっても、私にとっても、この時間が一番ゆっくり出きる時間かも知れません。

 船室の窓から景色が見えるこの幸せ。


 早朝に新門司に到着。

 その足で門司に寄りました。

 レトロの町、門司にはアルド・ロッシのホテルと黒川紀章のタワーマンション。


 子供たちが勉強を好きになってくれますように。

 まずは太宰府天満宮へ。賽銭も普段よりやや多めにしておきました。

 参道にあるスターバックスものぞいてきまいした。隈研吾設計の設計です。

 杉の角材を組み合わせた装飾が圧巻でした。

 帰りがけには菊竹清訓設計の、九州国立博物館。

 以前、出雲大社横でみた菊竹の狂気とは、まったく異次元の奔放さでした。

 博多へ移動して昼食。

 博多ラーメンはるるぶ情報のみ。博多一幸舎大名本家へ。少し並びましたが、すぐに入店。

 初めて替え玉を経験しました。つけ麺も初体験でしたが、これがなかなか。

 郊外にある、アイランドシティへも足を伸ばしました。「ぐりんぐりん」は伊東豊雄の2005年の仕事。

 うねるコンクリートスラブの下にある温室。上部も緑に覆われています。

 スラブには大きな開口があります。

 外と中の区別があいまいになって行くのです。

 自由、アグレッシブ、先進的。

 隈研吾、伊東豊雄は、時代の一番前を走る建築家です。

 それに、ロッシ、黒川紀章、菊竹ともうフルコース。

 福岡は建築がいいと聞いていましたが、これほどとは。刺激的でした。

 知らない辻を曲がる時のこのときめき。今からは夜の博多を歩いてきます。

うどんと建築、讃岐詣で & 讃岐うどんの名店Ⅵ‐1085‐

 母方の祖母が亡くなったのが今年の1月5日。

 初盆には少し早いのですが、岡山、香川へ墓参りに。


 父母、弟家族をあわせて11人の団体旅行です。

 宿は小豆島に取っていました。

 日曜日の朝食前、皆で釣りに出ました。バタバタしているうちに、カメラがボトリと水中へ。

 情けないことに定期的に水没させています。今回は1年半でした。


 よって、写真は弟からの貰ったデータです。

 しかしこの写真だけはwebサイトから拝借しました。

 道中の高松にある、香川県立体育館です。

 1964年、国立代々木競技場と同時期に完成した丹下健三の代表作。

 耐震補強の応札がなく、この9月で使用停止が決まりました。

 この日の四国は記録的な大雨。右端に突き出た鼻のような部分から、滝のように雨水が落ちていました。

 高度成長期の日本。丹下が一番前を走っていた時代がビリビリと伝わってきます。圧巻でした。

 保存か解体か、という論議になっています。これほどの建築が簡単に出来ることはありません。天井が低いなら、保存というよりは、用途を変更しリユーズするのが良いのではと思います。


 小豆島は安価なフェリー料金を設定し、観光客を誘致しています。

 四国への橋ができ、何とか立ち寄って欲しいという事です。

 まずは壺井栄の「二十四の瞳」の舞台、岬の分教所へ。


 1日2回、干潮時に現れるエンジェルロード。


 150年は続く醤油蔵ヤマロク醤油

 醤油蔵内まで見せて貰えます。

 醤油は勿論、醤油アイスも美味しかったのです。


 小豆島を4:00pm頃でて、7:00pm神戸港に到着。

 天気はあいにくでしたが、その分スケジュールはゆっくりでした。


 今回の名店めぐりは、山越えうどん。噂に違わぬ繁盛振りでした。

 かまたま(釜揚げ卵いり)1玉250円。

 建築を学ぶ学生の間に「讃岐詣で」という表現があります。

 詣でるべき建築が沢山あるのですが、うどん名店巡りと共に、私の楽しみです。