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「城陽の家」のクライアント

 「城陽の家」はちょうど奈良と京都の真ん中あたりにあります。街を少し離れると、周りはのどかな田園風景の広がる、なんとものんびりしたところです。

 

 

 

 

 こちらのお宅は、竣工してから大分経つのですが、まだ写真撮影をしていませんでした。理由はダイニングテーブルが無かったからです。

 竣工写真や、クライアントの人柄は後日アトリエmのサイトにUPする予定ですが、何事においても、こだわりが半端ではありません。テーブルが決定するまで、実に10ヶ月!の時間が経っていました。

 

 

 

 

 ご主人は、アンティークショップをサイト上に開いていて、イギリス、フランス、アメリカへ自分で買い付けに行って、そのショップで販売しています。
家には商品でもある、愛すべきアンティーク雑貨が溢れていて、自分の気に入ったモノに囲まれて暮しているのです。

 ダイニングのチェアーも以前から所有している、ミッドセンチュリーの傑作「イームズ」で、かつレアカラーだそうです。


 

 

 

 

 趣味は、レーコード、自転車、スノーボードそしてアンティーク雑貨、等などで、いつも熱っぽく話してくれます。私も話すのは大好きなので、打合せの時は4時間くらいは当たり前でした。

 そんな訳で、テーブルも入ったので、写真撮影の下見に行って来たわけです。やはり、こだわりにこだわっただけあって、テーブルはこの家にピタッと合っていました。

 その時も、ご主人と、建築のこと、音楽のこと、最近の日本のこと等、またまた2時間半も話し込んでしまいました。城陽に住むクライアントは、そんな、とっても愛すべき人物なのです。

 

 

 

 

 伺った際に、ちらかっている事を気にしていたので、「今日撮った写真は、サイトにはUPしませんから」と伝えていたのですが、写真を見ていると 何か書きたくなったので、少しだけ日記にUPしていましました。

 Tさん、すいません!

国宝 -待庵-

 

 

 

 

 

 

 先週末に、京都の大山崎にある妙喜庵というお寺の茶室-待庵-に行って来ました。傷みが激しいとの事で、残念ながら、内部は撮影できませんでした。

 待庵は、侘茶の祖、「千利休」の唯一の遺構と言われています。創建については諸説あるようですが、1582年、明智光秀との天王山の合戦に挑む豊臣秀吉が利休を陣中に招き、二畳の茶室を作らせたものを、1610年に現在地に移築したというのが、一般的なようです。

 待庵はわずか二畳の茶室ですが、広めの「躙口(にじりぐち)」の正面には「室床」が見えます。

 利休は、無駄を排除した茶室が、二畳になっても、亭主が客人をもてなす心を伝える「床」は必要と考えていました。豪華な名品を飾るのではなく、心を込めて、野花を一輪生ければ良いとしたのは、もてなす心を追求して行った「侘茶」の精神をよく表しています。

 壁は、わらすさを見せた荒壁仕上げで、所々で「すさ」が白く光ったように見えます。壁や天井の隅は、土壁を塗り回して、この小空間に出来る限りの広がりを与え、さながら「二畳の小宇宙」と言ったところでしょうか。
こうして、利休は、茶道を極めることによって、多くの大名に愛されました。ところが、それが強い影響力を持ちすぎる事になり、危機感を感じた秀吉は、最終的には、切腹を言い渡します。

 非情なまでに、「茶」を追求した、求道者の悲しい最期になってしまいました。
梅雨空のもとに佇む-待庵-は、400年の時が経っても、そんな求道者の悲しみを併せ持った、悲しくも大変美しい建築でした。

ヒントを探すはずが

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 設計で悩んでいる時は、朝早くにウロウロと散歩へでかけます。

 建築は生活の産物なので「ヒントは必ず実生活にある」との考えからです。なので、必ずしも名建築を見るだけが、勉強とは思っていません。それは、海外の街でも同じことなので、名建築と下町の路地、寺院と市場の両方を見て廻ります。個人的には、知らない街の怪しい市場が一番面白いのですが。

 その日の朝も、行き詰まっていた計画のことを「アーでもない、コーでもない」と頭をグルグルさせながら歩いていると、家から少し離れた、昨年9月に完成した「つるみ歯科クリニック」の近くまで来ていました。久しぶりに寄ってみると、「キソケイ」の小振りな黄色い花が咲いていました。

 自分が設計した建築ですから、かなり贔屓目は入っていますが、「ウン!美しい、とっても合っている。やっぱり、キソケイで良かった」などと早朝から、ひとり納得して、ブツブツと・・・・・・

お風呂と便利

 現在、ゴールデンウィークの真っ只中。しかし、幸せにも、残念にも、私は仕事であります。

 この間、母に「風呂場で、子供にオシッコを掛けられた」という話をしていると、「そう言えば小さい頃、銭湯の湯船の中でウンコをしてしまって、プカプカと浮かんで来た時は、慌ててタオルで隠したワ」と笑っていました。私の小さい頃の話です。

 ん。という事は、風呂が無かったということ?

 父は今も、ガラス屋を営んでいますが、私が1歳になるころ、現在の場所に引っ越して来ました。それまでは、四畳半と三畳、二間きりの長屋を借りて、四畳半の部屋を仕事場に改造し、三畳間で父、母、父の従兄弟の3人で生活をしながら、ガラス屋を始めました。考えてみれば風呂などあるはずも無かったのです。

 1970年、昭和45年の話です。大阪万博が開催され、高度成長期の真っ只中で、仕事も本当に忙しく、大阪には活気が漲っていたそうです。

 当時の色あせた写真を見ると、大阪の下町の風景が見て取れます。舗装されていない道路、所々に残る田んぼ、角ばった無骨な車、そして華奢な家々。家同士は密集しており、道が広いわけでも無いのに、何故か街はゆったりとしていて、開放感があるのは、家が軒並み2階建てだからでしょうか。

 建築の設計をしていると、いつも繰り返し考えます。「街も家もどんどん便利になっていく。しかし、良くなったんだろうか」ということです。

 私の家も含めてですが、多くの事が家の中で完結できるようになると、地域との関係は自然と粗になって行きます。ご近所に頼らなくても、何とか暮らせるからです。お風呂屋さんに行かなくても良いし、映画館に行かずとも、テレビでも結構な画質と音でDVDを観ることができます。便利で快適ですが、本当に良い事だけなのかな、とも思います。

 懐古的な発想だけでは、前には進めませんし、クライアントの要求に応えるのが、職業建築家の仕事です。しかし、便利さによって失なうものがあるかもしれない、という気持ちは常に持っていないと、もっと大きなものを失うかもしれません。明快な答えと方法が有るのかと言われれば、口ごもってしまう部分もありますが、建築を通して、自分なりの提案はして行きたい、と。

 親が風呂の無かった昔を思い出し、大変だった事を、嬉しそうに話すのを見て、そんな事を考えました。

やっと出ました

 ホームページにも載せましたが、年始から「出る、出る」と言っていた本がやっと出版されました。

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 昨年の11月頃に 「平野西の家」-イロツキの家-を掲載するという話があった時には、「年始には出版する予定です」という事だったので、知人に言って回っていたら、遅れに遅れて、今年の4月1日になってしまいました。
 出版社側にも、遅れる理由はいろいろあったのですがそんな事は、こちらには一切関係なく、誰かに「本、どうなったの?」と聞かれると、「実はまた遅れてるみたいで」と頭を掻きながら答えるばかりで・・・・・・。

 3月の末には、現物が手元に届いていましたが、まだ信用出来なかったので、インターネット上の本屋さんセブンアンドワイamazon.comで確認すると、やっと売っていました。

 多くの建築家の中の1人としての掲載ですが、嬉しい事には代わりなく、今は、事務所の打合せ用テーブルの一番目立つところに置いています。

何人が?

 先週の11月23日にテレビで『平野西の家』を紹介されたのですが、どのくらいの人が見てくれたのだろうと少し調べてみました。
 2004年7月現在の日本の人口は1億2767万人で、およそ4700万世帯が暮しています。
近畿の2府4県にはそのうち19%の約786万世帯が集中しています。
 視聴者数はサンプル調査なので、正確には分らないようですが、統計的には、およそ90万世帯の方が番組を見ていたことになるようです。付けていただけの人も多いでしょうから、一概に見てくれたとは言えませんが、どんな人が見てくれたんだろう、とか、どんな感想を持ったのだろう、とか、空想は膨らみます。
 ですが、それを私がするすべはありません。テレ=遠くの ヴィジョン=見る がテレビの語源だったと思います。身近にあって、遠いもの、それがテレビなのかな等と、考えていました。

感謝

 11/23(火・祝)に、テレビ番組で『平野西の家』が無事紹介されました。

 多くの方々から、電話やメールで感想を頂きありがとうございました。今までのクライアント(施主)からも多くの連絡を頂きました。小さな通過点ですが、みなさんが私にチャンスを与え続けて下さったので、こんな機会にも恵まれたと思います。

 私達の世界では「初めて仕事を頂いたクライアントに、とにかく感謝しなさい」という言葉があります。当時、熱意には満ちあふれていましたが、大学を出て2年半、実績の全く無い、25歳の私に大事な家の設計を任せて下さった事に感謝の気持ちを忘れることはありません。

 能楽の大成者、世阿弥の秘伝書『花鏡』にある言葉があります。

是非の初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
命に終わりあり 能に果てあるべからず

テレビ放映は、たけし&きよし頼み

 いよいよ来週、11月23日(火・祝)私の作品『平野西の家』
19:56pm~20:00pm ABCテレビ(6ch)『きらっと』
で紹介されます。

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 ひとりでドキドキしているのですが、番組の制作会社の方に聞いたところ、6分と短い番組なので、視聴率は前後の番組にかなり左右されるとのこと。1週間ほどで、視聴率を教えてくれるそうなので、日記やホームページにUPしたいと思っています。

 参考までに、前の番組は『旅の香り、時の遊び』-「氷川きよしSP!!

 市田ひろみとともに京都を堪能!」-出演:中井美穂、野際陽子で後ろの番組は『最終警告!たけしの本等は怖い家庭の医学』です。

 小学生からずっと一番好きだった、ビートたけしさんと、彼が芸名をつけた、演歌の大スター氷川きよしさんに頑張って頂いて、少しでも多くの方に見てもらえれば、と他力本願で祈っております。

RED-Lab オープン

 大阪の天神橋筋商店街のすぐ西にある、印刷会社の1階に店舗を設計していましたが、先日無事オープンを迎えることが出来ました。

<RED-Lab>はこの印刷会社さんがプロデュースしています。情報は後日ホームページにUPするとして、この会社の常務がすごいんです。

 普段はフットワークの非常に軽い、仕事の出来るビジネスマンですが、飲んだら只の酔っ払いオヤジという2つの顔をもっています。加えて、学生時代から続けているヨットは、今でも現役で海の上にでると、人が変わったように精悍な顔つきになり、機敏な動作で大きなヨットを自在に操ります。

 大きなヨットは一人では取廻せないのでヨットオーナーから自然と声がかかります。その動きが、ヨットオーナーの心を魅了するようで、自然とお付き合いが始まり、その人柄もあって、遊びに、仕事にと、どんどん人の輪が広がっていくのです。

 私もそうですが、面識のない方と話をするときは、まず共通点をお互いに探します。出身地、出身校、趣味・・・などと順に探して行き共通点を見つけると一気に会話が弾むことは良くあります。

そんな時に、無駄なことって意外に無いなアと思うのです。但しどんなことでも、一生懸命するようにはしないと・・・