先週末、友人家族と京都府の日本海側にある宇川温泉という所へ行ってきました。
カニで有名な「間人(たいざ)」のすぐ近くで、このあたりは日本三景の宮城県松島に似ていることから「丹後松島」と呼ばれています。
海岸線には大小の小島や奇岩が続く風光明媚なところです。
秋の花、コスモスも満開でした。
宿泊は友人が予約してくれた、温泉のすぐ横にあるコテージです。
友人家族にも、長男の2週間前に生まれた男の子がいるので、なんとも賑やかな旅行になりました。
特に外出する機会の少ないお母さん同士は、互いの気持ちが良く分かるので、育児の話を「そうそう!」とか「分かる、分かる!!」と盛り上がっていました。
子供同士も初めは不思議そうに見ていましたが、そのうち相手を触ってみたり、おもちゃを取り合ったり・・・・・と2人で遊ぶようになります。
海を臨む温泉にはいり、ゆっくりご飯を食べて、のんびりと過ごす。
なんとも幸せなひと時でした。
翌日の帰り道、小さな漁港に寄って少しだけ釣りをしました。釣果はガシラとベラが1尾づつでしたが、秋晴れの下、潮風を受けながら波間の船を見ているだけでも十分満たされます。
海沿いの国道を走りながら「やっぱり海はいいなア」と感嘆しつつ、帰路へとついたのでした。
週末は命の洗濯に限ります。
今日は8月1日。世界最大といわれる、PLの花火大会です。
見に行ければいいんですが・・・・・・。
久しぶりに阿倍野から、チンチン電車に乗りました。路面電車は広いホームが作れないので、巾はわずか50cmほど。
電車が近づいて来ました。「結構、迫力あるんあア」と写真を撮っていたのですが、そばまで来ると迫力を通り過ぎて、怖ささえ感じました。ホームの後ろには車がブンブン走っていて、背中にはその風圧も感じます。
ここでは、体はいつもホームに平行にしておかないと、ちょっと危ない感じです。
この駅に、ラッシュアワーはあるのでしょうか?
今日は七夕。今年も夏祭りの季節がやってきました。
妻は高槻市の高台にある住宅街の出身で、地元のお祭りに行ったことが無いと言うので、今年は、近所の楯原神社の夏祭りから行くことにしました。
7月5日の火曜日はあいにくの雨でしたが、狭い境内はたくさんの子供で賑わっていました。
お祭りと言えばやっぱり、金魚すくい。水槽の中の金魚を、小学生くらいの女の子が懸命に追い回していました。見るだけでも涼しげです。
その他にも、焼きとうもろこし、ミルクせんべい、たこ焼き、くじ引き、スーパーボールすくい、そしてお面の屋台が出ていて、見ているだけでも楽しめます。何故お祭りの時には、みんなお面を買うのでしょうか?そして手にはりんご飴。
やっぱり、大阪ならお好み焼き、と値段を見ると、なんと200円。お好み焼きで一杯やろうと、ビールを探したのですが、ビールが売っていません。小学生以来、二十数年ぶりに訪れたのですが、そういえば昔からお酒を飲んでいる大人は居なかったような・・・・・・
子供の為の縁日だったわけです。
結局お好み焼きを5枚を千円で買って、家に帰ってから晩酌することにしました。
悪名高い?大阪の第3セクターの経営する巨大UFO、大阪ドームです。近くにある水道局に行ったついでに、撮ってきました。
普通はこんなアングルかな。
実は周りは普通の下町です。
こんな所からも見えたりも。
現在、大阪の天王寺に設計中の現場があります。帰り道を歩いていると、美しい夕焼けでした。
25歳の時に、成り行きで、勢いあまって、建築設計事務所「アトリエm」を立ち上げました。親などの「まずは、自分の部屋で始めたら?」という声に反発して、JR天王寺駅のすぐ北に4畳一室の部屋を借りました。
天王寺だった理由は「梅田や本町では家賃が高いから」と言っていましたが、正直に言えば実家から近いというのが何よりの理由でした。
天王寺には、5年ほど事務所を構えていたので、街には愛着があります。聖徳太子によって建立された四天王寺などの、お寺が有るかと思えば、終戦直後、ドヤ街が増殖していった際の、薄暗い路地が残っていたり、動物園、美術館、百貨店があったり、チンチン電車が走っていたりと「ごった煮」のような街です。
その路地をウロウロしていると、突如として2000円で「羊の脳みそ」を食べさせる、洋食屋が現れたり、350円で刺身を食べさせる居酒屋があったりと、なんとも楽しいのです。
当時、仕事を始めたばかりの私は、当然仕事のスピードも遅く、毎日深夜までドロドロになった頭で、必死に図面を描き、あがいていました。兎に角、部屋が狭かったので、行き詰まると深夜の天王寺を徘徊したものでした。
夕焼けを見ていると、少しセンチメンタルな気分になって、生ぬるい夜風を思い出しました。
大阪では最高気温が20℃を超えるようになりました。この時期になると、毎年思い出すことがあります。
中学生になった頃、友達同士でスキーに行くようになりました。パック旅行なら、3月の末から4月の初めの期間は、びっくりするくらい料金が安いので、決まってその時期を選んでいました。
信州で存分にスキーを楽しんだ後、帰りのバスは、大阪駅や新大阪駅に、朝早く到着します。中学生の私は、通勤する大人もまばらな梅田で電車を乗り継ぐ為、スキー板と大きな旅行カバンを引きずって歩いていました。
信州と比べると、急に高くなった気温も手伝ってか、「スキーシーズンが終わる」「春休みが終わる」「新しい学年になる」など、いろんな感情が入り混じり、なんだか寂しい気持ちになっていました。
大阪に帰って来るという事は、楽しい春休みが終わり、いつもの生活に戻るということです。体感する気温が、急激に現実を感じさせたのかもしれません。
20年も前の、生暖かくて、少し気だるい感覚と、ビジネスマンがまばらに歩いている光景を、気温と共に、何故か今でも鮮明に思い出します。
テレビ番組を見ていて、以前から持っていた疑問が1つ解決しました。
江戸時代、「お伊勢参り」「熊野詣」「金毘羅参り」などの言葉が残るように、多くの人々が遠路はるばる、神社へ参拝したようです。庶民の信仰が何故そこまで篤かったのだろう、という疑問を持っていました。
当時は幕府によって、神奈川県の箱根の関や、滋賀県の逢坂の関などで、人の移動や、物の出入りは厳しく監理されていました。
しかし一方、信仰を建前とした旅には、通行手形が出易かったそうです。本当に「お伊勢参り」が主目的の人もいたでしょうが、それは建前として、京都や大阪(大坂)へ、という人が多かったようです。
「お伊勢参り」には半年で500万人が訪れたこともあるそうで、「旅行用心集」というガイドブックまで出版されており、庶民にとって大変なイベントだったと想像できます。
弥次さんと喜多さんが登場する十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が大きな人気を呼んだのは、多くの人がそんな旅を経験しており、自分の思い出と重ね合わせたという背景があったようです。
東海道五十三次。東京-日本橋から京都-三条大橋まで、宿場町を伝いながら、歩いて旅すると何日を要したのでしょうか。現在よりずっと美しい太平洋を眺めながらの旅は、なんとも楽しく刺激的だっただろうな、と旅情をかき立てられるのです。
商業の街、大阪の中心と言ってもいい淀屋橋の南西に、かなり古い木造建築があります。
最も有名なのは、江戸時代の蘭学者で、医師でもあった緒方洪庵が開いた「適塾」で、江戸末期の建築は国の重要文化財にも指定されています。
そのすぐ南側にも重厚な木造建築があり、その堂々たる構えは「適塾」も凌ぐほどで前から気になっていました。
それが先日、新聞で幼稚園だと知り驚きました。しかも現役なのだそうです。
オフィスビル街にあるその姿はなんとも勇ましく、この中で子供達が遊んでいる姿を想像すると微笑ましくもあります。
1月21日は、「初お大師さん」です。
四天王寺は593年に聖徳太子によって建立されたお寺ですが、弘法大師空海はこのお寺で修行したと伝えられ、江戸時代から弘法大師信仰がさかんだったそうです。
毎月21日は命日にちなんで、「お大師さん」として縁日がたちます。
四天王寺への参道にある店舗の改修計画をしていることもあり、調査がてら、辺りをウロウロして来ました。
この日の熱気も凄いものでした。但しお年寄り限定で。参道や境内の露店は軒並み行列が出来ていたのですが、中でも売れ筋ベスト3は、昆布、漬物、高野マキ(仏壇のお供え用)でした。
他にも、肌着、骨董品、100円お好み焼き、白蛇占い(本物の白蛇がいます)、に中古パソコンまで露店で売っているのには驚きましたが、ダントツに景気が悪そうなのは「ベビーカステラ」を売る恐めのお兄さんでした。
同じ縁日でも、人が変われば露店も変わるモンです。
良き京都の風情を色濃く残す「石塀小路」に行ってきました。
高台寺の西側にある、300mくらいの短い小路で、その入り口は普通の道路を歩いていると突然現れます。
注意していないと見逃してしまうくらい小さなものです。
家をくり抜いてあるような真っ暗なトンネルを抜けると、ハッと明るくなり、石畳だったことに気付きます。
辺りの喧騒とは、全くの別世界が広がっています。
この日は雨で、濡れた石畳が、なんとも美しく、両側には品のある、料亭や茶屋、旅館などが建ち並びます。
ん~、京都の街並みはまさに芸術品!と今更ながら、驚嘆しました。
石塀小路に来たその足で、もう少し東にある、幕末の志士、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓にも参って来ました。
お墓は東山の高台にあり、京都の町を一望できます。
私も司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み志を大きくもちたいと思った一人です。
龍馬はここから、今の日本を見てどう思っているんだろう、とか、自分には何が出来るんだろうとか・・・・・。
百数十年前には確かに実在した、英雄のお墓の前で、ゆらゆらと得意の夢想にふけっていました。
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