昨日、ゲンバ日記を更新しました。
1ヶ月前に撮影があった「没頭できる家」のことを書きました。
テントが張れるキャンプ場があったり、音楽室があったりと、遊ぶには事欠かないお家です。
私も少しだけドラムを叩かせてもらいました。
高校生の時以来で、バスドラがかなりもたついていますがご容赦下さい。
先月、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)」のヴォーカル、チバユウスケさんが55歳で亡くなったというニュースを見ました。
その数日後、奥田民生さんが自身のYoutubeチャンネルで、彼らの曲をUPしたと知り、観てみました。
コード進行だけをギターでかき鳴らす手元だけを撮った動画が、とても良かったのです。
それまで、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」というバンド名くらいは知っていましたが、曲は聴いたことがありませんでした。
NHKが2003年の『トップランナー』をアンコール放送するというので、それを録画して観ました。
これが本当に素晴らしかった。
4人編成のバンドらしくシンプルな音ですが、ギターのリフがとにかく恰好いい!
20年前なので、チバさんは35歳頃になります。
骨太のロックに、しゃがれた声が最高です。
脂が乗りきっている時期でしょう。
普段から殆どMCは無いそうです。
「しゃべんなくても、音を出せば分かるから」
痺れる~!
これは本物のロックだ!
なんて思いながら食い入るように観ていました。
高校時代はバンドをしていたと書きましたが、日本のロックといえば、「ラウドネス」「アースシェイカー」「レッドウォリアーズ」くらいで止まったままだったことを後悔したのです。
中学3年までは野球一筋でした。
それなりに自信もありましたが、坊主頭に抵抗があり、高校は続けませんでした。
テニス部に入ったりもしましたがあまり馴染めず。
野球部だった同級生がバンドをするというので、ドラムで入れて貰いました。
楽器ができる訳ではないので、なり手が無かったドラムを始めたのだったと思います。
そこまでドラムを好きという訳でもなく……当然、上手い方ではありませんでした。
それでもバンドは楽しく、何回かライブにでています。最後の方はヴォーカルをさせて貰い、これは本当に楽しかった。
久しぶりにドラムを触ると、音楽はやっぱり楽しいと感じたのと、今ならもっと楽しめるかも、と思ったのです。
高校時代の思い出は、本当にそれくらいしかありません。
大好きだったスポーツもせず、進学校に居たにもかかわらず勉強もいまいち。なかなか人生の目標も定まらず……
黒歴史という言葉がぴたりときます。
写真も数年前に友達に貰ったこの1枚の他、数枚だけしか残っていません。何となく斜に構えている感じが、自分でも分かります。
ロックにはそんなやるせなさや、切なさを代弁してくれるという側面があります。
その代表格が、当時は尾崎豊だったでしょうか。
私は、日本人アーティストで言えば、「サザン」「レベッカ」「ハウンド・ドッグ」あたりを聴いていました。
徐々にもう少し落ち着いた音楽が好きになり、「マービン・ゲイ」「ドナルド・フェイゲン」「アース・ウィンド&ファイヤー」「ザ・ポリス」等へ好みが変わっていきました。
「ディープ・パープル」「エアロ・スミス」「ナイト・レンジャー」等のロックも聴いていましたが、比率で言えば少なくなっていったと思います。
そんな53歳の私が、20年前の「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」をライブを観て、心震えたのです。
奥田民生さんが、悲しみを込めて弾いた彼らの代表曲は「世界の終わり」でした。
これがデビュー曲だったとはさらに驚きましたが。
この日記を書くまで、ギターのアベフトシさんも亡くなっていることも知りませんでした。
長身で細身。タイトなスーツがザ・ギタリストといった感じが最高だったのに……
亡くなってから知るもどかしさばかりですが、これから聴いていきたいと思います。
早速iTunes Storeで曲を購入しました。
心から哀悼の意を込めて。
ロック、最高!
■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン
■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■10月11日『homify』の特集記事に
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載
■ 『ESSE-online』にコラム連載