これは本物のロックだ!‐2071‐

昨日、ゲンバ日記を更新しました。

1ヶ月前に撮影があった「没頭できる家」のことを書きました。

テントが張れるキャンプ場があったり、音楽室があったりと、遊ぶには事欠かないお家です。

私も少しだけドラムを叩かせてもらいました。

高校生の時以来で、バスドラがかなりもたついていますがご容赦下さい。

先月、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)」のヴォーカル、チバユウスケさんが55歳で亡くなったというニュースを見ました。

その数日後、奥田民生さんが自身のYoutubeチャンネルで、彼らの曲をUPしたと知り、観てみました。

コード進行だけをギターでかき鳴らす手元だけを撮った動画が、とても良かったのです。

それまで、「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」というバンド名くらいは知っていましたが、曲は聴いたことがありませんでした。

NHKが2003年の『トップランナー』をアンコール放送するというので、それを録画して観ました。

これが本当に素晴らしかった。

4人編成のバンドらしくシンプルな音ですが、ギターのリフがとにかく恰好いい!

20年前なので、チバさんは35歳頃になります。

骨太のロックに、しゃがれた声が最高です。

脂が乗りきっている時期でしょう。

普段から殆どMCは無いそうです。

「しゃべんなくても、音を出せば分かるから」

痺れる~!

これは本物のロックだ!

なんて思いながら食い入るように観ていました。

高校時代はバンドをしていたと書きましたが、日本のロックといえば、「ラウドネス」「アースシェイカー」「レッドウォリアーズ」くらいで止まったままだったことを後悔したのです。

中学3年までは野球一筋でした。

それなりに自信もありましたが、坊主頭に抵抗があり、高校は続けませんでした。

テニス部に入ったりもしましたがあまり馴染めず。

野球部だった同級生がバンドをするというので、ドラムで入れて貰いました。

楽器ができる訳ではないので、なり手が無かったドラムを始めたのだったと思います。

そこまでドラムを好きという訳でもなく……当然、上手い方ではありませんでした。

それでもバンドは楽しく、何回かライブにでています。最後の方はヴォーカルをさせて貰い、これは本当に楽しかった。

久しぶりにドラムを触ると、音楽はやっぱり楽しいと感じたのと、今ならもっと楽しめるかも、と思ったのです。

高校時代の思い出は、本当にそれくらいしかありません。

大好きだったスポーツもせず、進学校に居たにもかかわらず勉強もいまいち。なかなか人生の目標も定まらず……

黒歴史という言葉がぴたりときます。

写真も数年前に友達に貰ったこの1枚の他、数枚だけしか残っていません。何となく斜に構えている感じが、自分でも分かります。

ロックにはそんなやるせなさや、切なさを代弁してくれるという側面があります。

その代表格が、当時は尾崎豊だったでしょうか。

私は、日本人アーティストで言えば、「サザン」「レベッカ」「ハウンド・ドッグ」あたりを聴いていました。

徐々にもう少し落ち着いた音楽が好きになり、「マービン・ゲイ」「ドナルド・フェイゲン」「アース・ウィンド&ファイヤー」「ザ・ポリス」等へ好みが変わっていきました。

「ディープ・パープル」「エアロ・スミス」「ナイト・レンジャー」等のロックも聴いていましたが、比率で言えば少なくなっていったと思います。

そんな53歳の私が、20年前の「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」をライブを観て、心震えたのです。

奥田民生さんが、悲しみを込めて弾いた彼らの代表曲は「世界の終わり」でした。

これがデビュー曲だったとはさらに驚きましたが。

この日記を書くまで、ギターのアベフトシさんも亡くなっていることも知りませんでした。

長身で細身。タイトなスーツがザ・ギタリストといった感じが最高だったのに……

亡くなってから知るもどかしさばかりですが、これから聴いていきたいと思います。

早速iTunes Storeで曲を購入しました。

心から哀悼の意を込めて。

ロック、最高!

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