一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

チケットレスって

 今日は横浜へ出張でした。

 今戻ったところですが、再度横浜に行けたという事は、無事計画が進んでいるということです。

 以前、JR西日本のエクスプレスカードについて、書いたことがあります。

 これは本当に分かりにくかったのですが、現在JRが進めているチケットレスサービス「EX-IC」は感激する位便利です。

 webなどの説明を読むと理解し難いのですが、一度使うと多分辞められません。

 「金額が安くなる」「時間の変更が、寸前まで携帯で出来る」などのメリットもありますが、一番凄いのは改札機に「EX-IC」のカードをかざすと、パソコンや携帯で予約したチケットが出てくる事です。

 改札機が発券するという方法で、時間のかかる手順が全て省略されたのです。チケットレスとうたっているので、発券というイメージが、全く掴めませんでした。

 「チケットレス化はいいけど、車掌さんが回ってきたら何を見せるのだろう」とか、他のお客さんが「その席私の席じゃありません?」とか言われたらどうするんだろう、とか考えていたのです。「EX-IC」の説明です。

 合わせてICOCAを持っていると、例えば「新大阪」から在来線に乗り換え「大阪」へ向かう時でも、チケットを買わずに出られるのです。勿論ICOCAには、お金をチャージしないといけませんが。

 出張の多いクライアントと話していると、「EX-IC」で3日前までにチケットを買えば、「ひかり」のグリーン車と、「のぞみ」の一般料金がほぼ同じで、非常に快適という話になりました。

 新大阪-新横浜なら30分程しか変わらないので、これも試してみる価値ありです。

 計画地のオフィスからは、日本一高いビル、ランドマークタワーが見えます。

 今日の目的は、競争見積りに参加する施工会社への「現場説明」でした。

 現場監理はあと数回行く予定になっていますが、ここから先は見積りが合わないと前へ進んで行きません。

 期待しつつ、準備をして待っているところです。

間違いに気付いた時

 今週の月曜日、サッカー日本代表は第一戦目に勝利しました。

 練習は駄目で、本番は上手く行くというケースは本当に稀です。だとすれば、準備が出来ていたにも係わらず、結果だけが出ていなかった、という事になります。代表選手は周りの声に惑わされず、やるべき事をやり続けたということでしょうか。素晴らしい勝利でした。

 前代表監督、イビチャ・オシムの言葉はいつも紙面をにぎわします。

 「この勝利は日本にサッカーがあることを示した」

 「もし明日の一面がすべて本田ということになれば、日本の未来は危ない」

 相変わらずの論客振り。次戦のオランダ戦も楽しみです。キックオフは土曜日の8:30pm。

 話は変わりますが、現在工事中の計画にクリニックがあります。

 娘の傘は、元々建っていた母屋解体の際に頂いたものです。子供は何故か傘が好きです。

 そのクライアントからメールが届きました。

 海外での生活がすでに10年。アフリカ、東欧と渡り、間もなく帰国予定ですが、現在は南米在住です。

 先週、網戸の事を書いたのですが「海外に虫が少ない、ということはありませんよ」と教えてくれたのです。

 現在暮らすリマも、夏の夜は蒸し暑く、エアコンがないので窓を開けたいそうです。大半は虫が入ってくるから我慢していますが、日本人が大家に網戸をつけて欲しいと頼んでも、そのような家は少ないとのこと。

 それで、ホームセンターで網を買い、押しピンで付けているそうです。日本以外で、なかなか網戸がない理由は、取り付くレールがないからとありました。

 知ったようなことを書いて、恥ずかしい限りです。しかし、教えて貰わなければ、ずっと間違い続けるところでした。

 例えば、急に人前に出る事になった時、あわててスーツの上着を羽織ったとします。

 一仕事終えトイレに行った時、ふと鏡を見ると上着のエリが立っている。誰か教えてくれれば良かったのに!ということはありませんか。

 自分が悪いのです。悪いのですが、教えてくれればいいのに、とも思います。言える人でいたいと思うのです。

本田

大阪は昨日からずっと雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。

近所の庭先に、アジサイが多い事に驚きます。

控え目な樹形が、普段はあまり気にさせないのか、私が見ていないだけなのか。

何れにしてもこの季節の主役です。

6月11日にサッカーのワールドカップ、南アフリカ大会が開幕しました。今日は日本代表の初戦です。

直前の迷走感もありますが、わが国の代表です。今日はテレビの前で応援したいと思います。カメルーン戦のキックオフは11:00pm。
大会前の特集番組を2つ見ました。1つはメッシ。1つは本田です。初戦を勝利で飾ったメッシは別の機会に譲るとして、今日は本田選手の話。

若き日の中田英寿を彷彿させる本田圭佑。二人の対談番組でした。初対面の2人からは、リスペクトする空気が伝ってきます。まず一番驚いたのは中田の発言です。

「練習の日本代表は本当に上手い。技術、スピード、戦術、何れも世界のトップレベル。僕は代表では下手な方だった」「僕もですよ」と本田。

「しかし試合で使えるかは全く別」再び本田がうなずきます。

当然、技術や体力で劣るから、負けているのだと思っていました。そうではないのです。では何が足りないか。

 「僕は一生懸命やろう、と発言するようなタイプじゃない。本当に日本に欠けているのは練習にしろ、試合にしろ根底にある姿勢」と言いました。

2006年の代表には、勝てる可能性があった。にもかかわらず、それが出来なかったことがもどかしかった、と言ったのです。

精神論を否定される日本のスポーツ界ですが、一生懸命さと真剣に勝ちたいという気持ちが足りないというのです。続いて本田の発言です。

「僕は守備的なポジションで、ビッグクラブでプレーしたいんじゃない。自分の好きな真ん中のポジションでプレーしたい。自分、もしくはストラーカーに決めさせる、相手にとって一番危険な選手でありたい」

 「リスクを背負わないと言うけど、僕はリスクを背負わないほうが怖い。そもそもリスクって何?という話ですよね」

想像していたイメージと全く異なる、聡明で真っすぐな選手でした。最後に中田が彼に託したメッセージです。

「サッカー人生で一番の後悔は、自分を貫き通せなかったこと。やりきって結果が出なければそれは仕方がない。日本代表の中でも徐々に年上になり、バランスをとること、周りを活かすことを求められだす。その為に、自分のやりたいことを我慢し、更に結果がでない。これが一番良くない。どれだけわがままにやれるか。そこに期待してます」

でした。これは以前の発言からも全くブレがありません。

2006年、ドイツ大会のブラジル戦が終わったあと、ピッチで流した涙の一端が垣間見えました。中田英寿33歳、本田圭佑24歳。その意思は受け継がれるのか、それとも……

今日の初戦が注目です。

都会の音楽

松本隆、60歳、作詞家。

シングル総売り上げは5000万枚。ヒットチャートNo.1が52曲。阿久悠に次いで2番目です。その半生を番組が紹介していました。

「はっぴーえんど」は1969年、大瀧詠一、細野晴臣らによって結成されます。日本語ロックの草分け的存在でした。

ドラマーだった松本は、文学青年だったこともあり、細野の勧めで作詞を始めます。

当時、ロックは不良の音楽として見られていました。

東京、青山生まれの彼は「知的なロックがあってもいい、都会の音楽がつくりたかった」と言います。

1971年に「はっぴーえんど」は解散。家族があった事もあり、職業作詞家の道を歩むことになるのです。「ですます調」も彼が作り出したものでした。

かっこたる地位を築いたのが『木綿のハンカチーフ』です。

-テクニックがあるに越したことはないが、無くてもいい。時代はポリエステルが登場していた。時代に何が足りないか、何が表現したいか、何に病んでいるかを考えた-

『木綿のハンカチーフ』 歌:太田裕美 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 1975年12月
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

以下は詩の一部です。時代順に8曲あります。

-危うい思春期の少年を描いた、原田真二に始まる、少年シリーズの集大成は近藤真彦-

『スニーカーぶる~す』 歌:近藤真彦 作詞:松本隆 作曲:筒美京平 1980年12月
ペアでそれたスニーカー
春夏秋と駆け抜け
別れ離れの冬が来る

-危うくて、つっぱってて、純粋で、美しくて。痛々しい青春群像を描きたかった-

『ハイティーンブギ』 歌:近藤真彦 作詞:松本隆 作曲:山下達郎 1982年6月
俺はこわいもの知らず
ケンカなら負けないけど
この愛を失すことだけ
こわいのさ

数々のヒット曲をかくことになる、松田聖子への初めて提供した曲が『白いパラソル』です。

『白いパラソル』 歌:松田聖子 作詞:松本隆 作曲:財津和夫 1981年7月
渚に白いパラソル
答えは風の中ね
あなを知りたい
恋の予感

松本は更なるチャレンジの為、松田聖子の曲を松任谷由美に依頼します。しぶるユーミンは「呉田軽穂」のペンネームを使う事を条件に了承。コンビ第一作目が『赤いスイトピー』です。

-女性は奔放のなったとメディアは伝えるが、本当だろうか。クラスの大半の女の子は言いたいことをなかなか言えない。本当はそんな子のほうが多いんじゃないかと思った-

『赤いスイトピー』 歌:松田聖子 作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 1982年1月

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの
I will follow you
翼の生えたブーツで
I will follow you
あなたと同じ青春 走ってゆきたいの

 B面は『制服』です。

『制服』 歌:松田聖子 作詞:松本隆  作曲:呉田軽穂 1982年1月
四月からは都会へ
行ってしまうあなたに
打ち明けたい気持ちが……
でもこのままでいいの
ただのクラスメイトだから

その後もニューミュージック界の仲間を、歌謡曲の世界に引っ張りだします。

『探偵物語』 歌:薬師丸ひろ子 作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一 1983年5月
波の頁をめくる
時の見えない指先
自信はないけれど
好きよ…でもね…
多分…きっと…

最前線を走り続けた松本は、からっぽになり10年間休養。そして華麗な復活を遂げます

-青春は大事にしすぎても、捨ててしまっても面白くない-

『ガラスの少年』 歌:KinKi Kids 作詞:松本隆 作曲:山下達郎 1997年7月
僕の心はひび割れたビー玉さ
のぞくき込めば君が
逆さまに映る

都会の音楽にこだわった彼のキーワードは、あのヒット曲にも登場します。

『ルビーの指環』  歌:寺尾聰  作詞:松本隆 作曲:寺尾聰 1981年2月
くもり硝子の向うは 風の街
問わず語りの 心が切ないね
枯葉ひとつの 重さもない命
あなたを失ってから

キーワードは「風と街」だったのです。

窓から

 6月も2週目に入り、梅雨入りの声も聞こえてきました。

 初夏の僅かな期間は、一年で最も窓が開けたくなる時です。

 四季のおかげで、多様な景色、豊かな食文化が日本には有りますが、居心地が良いのは人だけではありません。「虫」にとっても同じ。

 蚊を好きな人などいませんが、概ね女性は虫が嫌いなものです。反対に子供は、前庭のダンゴ虫で延々と遊んでいたりします。建築に係わるものとして、これは大きな課題です。

 ヨーロッパの住宅には、網戸はほぼありません。各国調べた訳ではありませんが、それだけ虫が少ないのです。

 ちなみに、日本語の「まど」は、「ま(目)と(門)」や「ま(間)と(門)」が語源とされ、のぞき穴のようなものを指しました。英語の「window」は、風(wind)を入れる目(穴)から成っています。

 住宅の第一回目の打合せの時のこと。

 「バルコニーに面する窓は、全部開けれるようにして、一体の空間にしたいんです」

 「それ気持ち良さそうですね!」という感じで計画は進んで行きました。

 大きな開口は気持ち良い。しかし、蚊を防ぐとなると大変です。

 「雑誌に載っているような住宅で、大開口に網戸って付いてるんですか?」

 「付いていない……ところも結構あると思います」

 以前は、網戸と言えば引違いが主流でした。

 現在は、開戸タイプ、折戸タイプ、ロール状に収納出来るタイプ。様々な種類があります。プリーツ網戸と呼ばれるものは、最大2mまで対応出来るものもありました。

 今回はこれらの組み合わせで、チャンレンジです。

 夢を実現するためにチャレンジ。新しいことを達成するには、、この構図以外にありません。

真っ赤に流れる

 5月31日の新聞に、アンパンマンの作者、やなせたかしさんの記事が載っていました。

 1919年(大正8年)東京生まれ。4歳から両親の郷里、高知で暮らします。現千葉大学工学部を卒業、兵役を経て三越の宣伝部にデザイナーとして入社しました。

 1953年(昭和28年)に退社。その後、漫画、舞台美術、作詞など多くの仕事を経験します。昭和48年に「詩とメルヘン」を創刊。30年間編集長を務めました。

 「正義はすぐにひっくり返るが、パンをあげる行いはいつも正しい」

 1973年(昭和48年)、54歳の時に初めてアンパンマンを発表。63年にアニメ化され、人気漫画家になったのです。現在91歳で現役。引退しようかなと思った頃に受けたのがアンパンマンの仕事です。今はこれが天職だと思うとありました。

 「なんのために生まれて、なーにをして生きるのか」

 テーマソングもやなせさんの作詞ですが、テーマは非常に重いものです。

 そこに至るまでの道のりは平坦でなかったようです。退社後は漫画の仕事がなく、何でも引き受けたとありました。その中の一つが「手のひらを太陽に」の作詞。

 「あれは漫画の仕事がほとんどなくて辛い時代に、夜、懐中電灯で手のひらを透かしてみたら血管が浮き上がって見えたことからできたんです。自分は元気がなくても血は赤いんだなあって。懐中電灯ではさまにならいから、太陽にしたんですが、まさかあんなに売れるなんて思ってもみなかったですよ」

 気分に関係なく、いつも真っ赤な血が流れているのです。

ドーナツ

 今日は朝から現場へ。暑いくらいの日差しでしたが、良い季節になってきました。

 昨日はクライントと、本町にあるキッチンのショールームへ。

 本町は御堂筋を難波から心斎橋へ向かい更に北にあります。

 ご夫妻が見えたので軽く会釈すると、手に大きな袋が。

 「荷物になるかもしれませんが、もし良ければ……」と。

 袋の中身はドーナツでした。聞くと朝の6時から、1時間並んだとのこと。

 頭中にハテナマークがいくつも浮かびました。朝の6時?並ぶ?ドーナツ?

 クリスピー・クリーム・ドーナツはアメリカのドーナツチェーンで、今年の4月終わり、関西に初出店されました。

 揚げたての時には看板が点灯し、街行く人に知らせるそうです。その名もホットライト。

 関東圏以外では、名古屋に1店舗あるだけです。箱を開けるだけで、幸せ感が漂うのです。

 帰りに心斎橋店の近くを通ると、御堂筋にまで伸びた行列が30~40人は続いていたでしょうか。凄い人気なのです。

 帰りに実家へ持って行きました。

 弟家族もいたので、皆の前に出すと、歓声があがりました。

 誰かの為に、早朝から並ぶ。最近そんなことあったかな、と考えました。

 今日、webサイトに池を望む家をUPしました。全てはクライアントが許容してくれたから。

 本気のクライアントに教えられ、鍛えられ、少しずつ積み上げてきたと実感できるのです。

その話を聞いた女の子は

 妻が電車に乗っていると、女子高生2人の、こんな会話が聞こえてきたそうです。

 「このあいだテレビで、北島康介がスランプを脱出して、世界記録を出す為に、目標設定をのし方を教えた脳科学者の話がやってて……」と話していたそうです。

  この話は、私も以前書いてみました

  最後に女の子は「大学受験で成功するには、ゴールの先に目標を持たないといけないの。ゴールが見えると脳は急激ブレーキをかけるから。合格してどんな学生生活を送りたいかとか、どんな職業につきたいかとかをイメージしておかないと、ダメみたい」と。

  妻に「で、その話を聞いていた相手の子の反応はどうやった」と聞くと、「そうなんや~、っていう感じやった」と。

  そうなんです。大体はそうなんです。話していた女の子は、かなり感激して伝えていたはずです。私が読んだ時もそうでしたから。

  感動したことは、その日のうちに、5人に伝えなさいと聞いたことがあります。3人目位になってやっと、話の順序が整いだすくらいなので、名言だと思います。

  この女の子は一人目とみました。初めが一番共感を得れないのですが、めげずに続ければもう少し違う反応があると思います。ちょっと上からの言い方ですが。

  しかし、もしこの話を北島康介から直接聞いたとしたら、どんな反応になるのでしょう。一緒なのか、違うのか。

身近な建築家

 本日、モダンリビンングの別冊『身近な建築家70』という本が発売されました。

 5月24日発売となっていますが、先週末からアマゾンではすでに発売されていました。

 アマゾンの紹介文は以下の通りです。
  
内容紹介
「ML+VIEW」は、モダンリビングの別冊。その第1弾「身近な建築家70」では、雑誌未掲載分を含め、全国70人の建築家が手がけた住宅を一挙に公開します。テイスト別にカテゴライズし、地域別インデックス、70人全員の詳細建築家プロフィール、さらに家づくりのノウハウを解説した「初めての家づくりBOOK」付きで、webだけではわからない、建築家情報が得られる、保存版!の一冊です。

 70人の建築家が取り上げられているので、その中の一人です。文字通り、One of them です。

 大勢の中の一人で居たい事はありませんが、他の建築家と比べて貰うのは、とても嬉しいことです。

 現在事務所の体制では、コンペには挑戦できていません。今後の課題です。しかし、家を建てたい人が何人か建築家と合い、それぞれにプランを出して貰うことになったら、これこそ本当のコンペだと思っているのです。真剣勝負。

 「相談料を」とか「企画の提案料を」とは言いません。コンペですから。

 実現することだけをイメージしています。その案が支持されなかったら、こちらの力量不足、情熱不足だと思っていますから。

 「初めから負けるつもりで勝負するヤツがいるか!バチン(ビンタ)」アントニオ猪木

 例えはもうひとつですが、そんな気分です。ちょっとカッコ付けすぎですか?

ダーウィン

 随分前に録っていた番組を見ました。

 ダーウィンの「進化論」発表までを、ドラマ仕立てにしたものです。

 チャールズ・ダーウィンは1809年生まれ。地質学者だった彼は、大陸から隔離された環境のガラパゴス諸島を訪れ、進化論の着想を得ます。

 生物は同じ種であっても、性質には個体に差が有り、一部は親から伝えられる。生物は絶えず変異し、存続するための努力を繰り返す。しかし、実際に生き残れる自然界のキャパシティーは、繁殖力よりも常に小さい。よって、生存に有利な形態をもったものがより多くの子を残す。

 解釈が大丈夫か、若干不安は残りますがこれが概容です。

 生物の進化を、全くの無から解き明かした天才学者だと思っていたのですが(そうでもあるのですが)、彼が他の学者と決定的に違ったのは、その部分ではありませんでした。

 19世紀のイギリスは、キリスト教の信仰が篤く、彼の進化論は、創造主である神を冒涜するものと捉えられかねないものでした。

 神は、自分の姿に似せて人を創造したとなっていますが、進化論によると、人も一生物に過ぎません。今では当然のことですが、信仰を根底から覆しかねない説だったのです。

 また進化論はダーウィンだけが考えていたものではありませんでした。

 同時代の生物学者、アルフレッド・ウォレスからの手紙に、同じような考えが書かれていたのです。彼らは共同で、自然選択による進化理論を発表します。その後ダーウィンが出版した本が「種の起源」です。

 先んじて自身の説を発表したい。また、世間からバッシングを受けるのでは、家族を不幸にするのでは等など、葛藤の中で生まれたものなのです。

 彼が突出していたのは、真理を追求したいという情熱と行動力だったように思います。

 ドラマ仕立ての番組だったので、作り手の解釈が入っていると思いますが、髭面の天才から、随分イメージが変わりました。