一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

2010年 夏休み

 今年の夏休みは、金曜日から今日までの4日間。ずっと紀伊田辺にいました。

 ずっとにしたのには訳があります。いつも泊まるホテル近くの港から船が降ろせることがわかり、海に出ることを楽しみにしていたのです。

 ところが、気を利かせて準備をしてくれていた父が、途中でボートを落としてしまったのです。舳先は大破。私の夢は海の藻屑となったのです。

 結局、延々と子供達と泳いで泳いで過ごすことに。結果的にそれで良かったのですが。

 初日は大阪を早朝に出て、白浜あたりで釣り。

 その後はホテルのプールで3時間泳ぎました。

 2日は、ちょっと遠出をということになり、熊野古道を東へ向かい川湯温泉へ。

 冬の仙人風呂が有名ですが、子供連れの川遊びには最適です。ちょっと体が冷えれば、川底を掘れば温泉が出てくるので、すぐに温まれるのです。

 ただ温泉が良く出る場所はあり、自然とそんな場所は混雑してきます。

 各々の掘った温泉はさながら都会のテラス付きマンションのような状況になるのです。

 子供達には十分のサイズですが。

 3日目は、白浜にある京大水族館へ。

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 その後は混雑覚悟で白良浜へ。

 ピークが過ぎたとは言え、駐車場は満車ばかり。

 道端で、1000円のウチワを振るおじいちゃんが。自転車について来いという仕草。どんどん住宅街の中へ。

 ついていくと、確かに駐車場がありました。

 とっても良い感じのおじいちゃんで、一瞬でも疑ったことを恥じるのです。

 流石に凄い人でしたが、人気スポットにはそれなりの理由があると思えました。

 子供と泳ぐにはシャワーあり、温泉あり、飲食店有りでとても良いのです。

 混雑も見ておかないと、夏休み気分を味わえない、と言えば変わっているでしょうか。

 最終日は、白浜エネルギーランドへ。

 3Dシアター、ジュラ紀探検などが面白かったのですが、その他にも目の錯覚を利用した、アトラクションが多くありました。

 レストランが白浜を見下ろす場所にあり、眺めが抜群でした。

 昼過ぎに大阪へ向かい、3時頃帰って来たのです。

 こうして、私の夏休みは終わりました。

 成果は、長男は浮輪をつけずにシュノーケリングが出来るようになったこと。ボートが壊れたお陰かもしれません。

 小学校になれば、皆携帯ゲームを持って出かけると聞きました。

 ゲームより泳ぎに行きたい、といつまで言ってくれるか。こちらも真剣勝負です。

ブラックボックス

 昨日の新聞に、日航機墜落事故から25年が経ち、残された家族の談話が載っていました。何とも言いようのない、非常に厳しい現実が綴られていました。

 25年前の今日はとても暑い日で、私は中学3年生。帰省先の岡山で一報を聞いたと思います。そんな事を思っていると、ふと先月読んだ記事を思い出しました。

 『2010年7月19日 航空機のフライトデータレコーダー発明者、85歳で死去』

 内容は「1956年に初のフライトデータレコーダー(いわゆるブラックボックス)を発明した、オーストラリア人のデビッド・ウォーレン博士が亡くなった」というものです。続きを読み、なんとも言えない気持ちになりました。
 
 同氏は9歳のときに父親を航空機事故で亡くしている。父親から最後にもらったプレゼントは鉱石ラジオセットで、それが電子工学に関心を持つきっかけになったという。現在フライトデータレコーダーは世界中の旅客機に採用されており、「ウォーレン博士のフライトデータレコーダーは世界の航空安全に計り知れない貢献をした」とオーストラリア国防省は述べている。
 
 「怒りや憎しみを、行動の動機にしてはいけない」と考えます。

 しかし、ウォーレン少年は、父親を奪った航空機事故、もしくはその航空会社を憎まなかったとは考え難いと思うのです。その少年が、フライトデータレコーダーの発明に至るまで、どのような心の変遷があったのでしょうか。

 憎しみつくし、悲しみつくし、最後は今生きていることに感謝し、いつしか「人類の安全の為に、何か出来ないか」そんな動機に変わり、研究へ……全てはあくまで想像ですが。

 お盆は、故人が戻ってくる期間。今の生に感謝し、祖父、祖母を含めた全ての故人へ、の冥福を祈ります。彼らがいてこそ、今の私達があるのですから。

友ヶ島

 日曜日は、父、弟家族と友ヶ島へ行きました。

 早朝に岸和田を出港です。
 
 子供達は眠そうですが、船酔い対策は食べるのが一番なのです。

 朝方は釣りをして、日が高くなれば海水浴の予定。

 快晴にも係わらず、この日は釣りも好調でした。サバもなかなかのサイズ。 

 マダイの子供はチャリコ。

 このサイズは、勿論リリースです。

 タコはテンヤという、伝統的な疑似餌で釣ります。

 皆で15匹は釣ったでしょうか。子供達はタコに一番はしゃいでいました。

 まずは海と遊ぶのが目的。

 父親手製のボートは、長男同士の頭文字をとって「悠仁丸」というのです。

 ひとしきり泳いだ後は、友ヶ島に上陸しました。

 砲台跡を一度見たかったのです。

 海岸線にあるのは第二砲台跡。

 かなり崩れており、内部は立ち入り禁止でした。

 すぐ近くの山肌には、コンクリートの建造物が。

 探索していた人が、上陸してくる敵を狙い撃つための銃眼では、と言っていました。

 第一砲台は山を登り、灯台の足元にありました。全て明治時代に建造されたもののようです。

 この大阪湾に敵艦が入ってくることなど想像したくありませんが、気分は一気に幕末へ。

 友ヶ島は無人島ですが、加太港から渡船が出ています。散策している人も結構いました。

 砲台もさらに5つほどあるようなので、夏休みの探検なら友ヶ島へ。

思考の整理学

 昨日は横浜へ行っていました。

 車窓からは、街あり、海あり、田圃あり。日本の景色は変化に富んでいて、飽きることがありません。

 帯に「東大・京大で一番読まれた本(2008年大学生協調べ)」とあるのが「思考の整理学」。

 順番を少し後ろにしていましたが、読み出すと、エッセイとしても面白いのです。

 しかし、出だしの章から強烈です。「グライダー」を要約してみます。

 人間には、受動的に知恵を得る『グライダー能力』と、自分でものごとを発明する『飛行能力』がある。

 前者を欠いていては知識を習得できないので、独力で飛ぼうとするとどんな事故になるか分からない。

 現実的にはグライダー能力が圧倒的で、飛行能力はまるでなし、という「優秀な」人間がたくさんいる。

 そういう人も「翔べる」という評価を受けている。

 学校はグライダー人間をつくることには適しているが、飛行機人間を育てる努力は少ししかしていない。教育が整備され、ますますグライダー人間を増やす結果になった。

 また、

 プロの棋士には、中学までの義務教育がじゃまになっていると言う人もいる。

 一番頭の発達する時期に、学校でグライダーの訓練なんかさせられては、ものにならないという。

 著者の外山滋比古さんは大学の教授で、教授の書いたこの本を、東大生と京大生が最も読んでいる。

 この現実をどう考えれば良いのか。ちょっと悩みます。

 しかし、これを物語る場面は実際に起こります。例えば、新卒の学生が当事務所に入って来た時。概ねこんな感じです。

 どんなことにも、正解がある。それを一つずつ、教えて貰おう。

 仕事に正解なんかありません。自分が正しいと思う所へ向かうだけです。その葛藤こそが人生で、その軌跡が仕事の結果なのです。
 
 でも心配いりません。全ては現場が教えてくれます。あとこの本が。

花火は近くで

 昨日から8月。

 葉月の通り、木々は暑ければ暑い程、活き活きとしてみえます。

 昨日は夕方までに所用を済ませ、PLの花火でも見に行こうとなりました。

 ただ、動き出しが遅かったので、自転車にしました。自宅は大阪市の南端。富田林を目指し、どこまで近づけるか挑戦です。

 大和川を超え、309号線を下るつもりでしたが、子供2人の自転車の重さに、大和川上流を目指す方針に変更。

 石川との合流点あたりで、丘のある公園を見つけたので、そこから観ることに。

 寝苦しい夜に一服の清涼剤。

 つい写真を撮りたくなるものです。

 距離にして、8kmくらいでしょうか。

 最後は花火というより、爆発に近い感じでした。しかし見事なものです。

 人は少なめでよかったのですが、出来ればもっと近くで見たいものです。

 来年は穴場探しに終始せず、あの大渋滞の中へ入って行きたいと思うのです。

40歳

 なるものはなる、準備は出来ている、と一応は思っていました。

 昨日の7月28日。40歳になりました。

 スタッフの女性が、チーズケーキを焼いて、プレゼントしてくれました。

 仕事で時間の無い中、本当に嬉しい限りです。とても美味しかったです。

 自分自身としては、前日と目に見えて違うくらい、成長していれば嬉しいのですが、当然の事ながらほぼ同じ。

 しかし、この歳を迎えるにあたり、意識していた言葉もあります。

 一つは、孔子の言う不惑。

 われ、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず。

 論語を習うのは、中学校の古文でしょうか。しかし実際に「不惑」を意識したのは1988年、私が18歳の時です。

 門田博光は、ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスのスラッガーでした。当時、門田は40歳。数年前、アキレス腱断絶の大怪我を克服しカムバックしていました。南海ホークスが無くなるこの年、ホームラン王、そしてMVPに輝くのです。

 当時は、今ほど息の長い選手は少なく、全打席ホームランしか狙わないずんぐりむっくりのおじさんが、44本のホームランを打ちに打ちまくる姿に、感激というか、驚きました。彼をを見に大阪球場へ足を運んだのです。

 その頃、紙面に踊っていた文字が「不惑の大砲」。あんな歳で、一番になれるなんて……と思っていたのです。

 もう一つは「男は40歳になったら、自分の顔に責任を持て」

 奴隷解放宣言で有名な第16代アメリカ大統領リンカーンの言葉です。

 もし、惑わず、自分の顔に責任を持てるようになったか、と問われれば、はい、と答えます。今から別の人生を歩むこともありませんし、アンパンのように顔は付け替えられませんから。

 事務所を設立した25歳から、昨日までの15年間を修行の期間と位置付けます。

 これからの15年間は成長の期間とし、55歳からの15年間は収穫の期間としたいと思います。

 更にその先があるなら、社会への恩返しの期間にしたいと思っているのです。

 いつまで生かされるかは、神様が決めること。人生の折り返し点を通過する今、1日を過ごすでのでなく、生きたいと思うのです。

ナンダーランド

 もうすぐ南港のATCで開催されるイベント「ナンダーランド」。

 その名の通り、子供の好奇心をくすぐるイベントです。

 スーパーのマンダイが協賛しており、プレオープンのイベント入場券が当ったらしいのです。

 上から落ちてくる王冠を触るとはじけて消えます。

 目の錯覚で、大きさが分からなくなる部屋。

 仮面ライダーショーも。

 5歳の長男は、相当に喜んでいるのだと思ったら「あの悪モンは人が入ってるデ」と。

 「何故そう思う?」と聞くと「悪モンは、マイクは使わへんデ」と。
 
 その通りです。

 直後に「でも、仮面ライダーは本物やで」とも。何とも複雑な年頃です。

 そのまま、関空近くのアウトレットまで移動。

 あまりの暑さか、店員の人も「今年で一番人が少ない」と言っていました。

 今日は横浜に行っていたのですが、新幹線には子供連れの乗客が目立ちました。

 春にも、冬にも休みはあるのに、「夏の思い出」となるのは何故でしょう。

 大人にとっても子供にとっても、夏は特別なもの、なのです。

 勿論私にとっても。

住まいの設計 2010年9月・10月号

 ゴールデンウィーク明けの5月9日。雑誌の取材がありました。

 「サロンのある家」だったのですが、昨日発売の『住まいの設計 2010年9月・10月号』に掲載されました。

-そう、欲しかったのはこんな暮らし 家にいるだけで幸せになれる家 CASE:1 料理を楽しむ、お気に入りのキッチンがある家-

 これが「サロンのある家」の副題です。

 こちらのクライアントはタレントさん。紙面には料理をする姿も映っていますので、是非ご覧下さい。

 家を建てる時、どんな方法で、誰をパートナーに計画を進めるのか。一番悩むところだと思います。出来るだけ多くの情報を公開し、比べて貰い、その上で「相談してみたい」建築家でありたいと思います。

 しっかり時間をかけ、対話し、家創りの過程を、存分に楽しんで貰いたいと思うのです。

 この雑誌も、多くの方に見て欲しいと思います。そして、また同じ目標に向かって、全力で仕事が出来るクライアイントと出会えることを楽しみにしています。

P.S. webサイト版『SUMAInoSEKKEI PLUS』では、公認コラムニストに認定してもらいました。良ければ一番上を見てみて下さい。

この海が……

 ゴールデンウィーク以来の、南紀田辺にやって来ました。

 長かった今年の梅雨も、ようやく終わり。

 青い空、青い海、照りつける太陽。いよいよ夏です。

 昨日、今日は磯遊びとプールを交互に。子供は疲れ果てて寝ています。

 現在、帰りの高速は25キロの渋滞。

 御坊で高速を降り、42号線をのんびり走ります。携帯で日記を書けるという事は、妻の運転。

 エアコンの効いた車内から、流れる車窓をぼんやり眺めながら。

 次の連休はお盆。また田辺に来る予定です。

 今度は船を持って来るつもり。昇降サービスを見つけたのです。

 海賊が取り合った、この豊かな海がまるで自分のものになったような……

 今から楽しみにしています。

線香花火

 先週末から月曜日にかけて、平野区にある杭全神社の夏祭りでした。

 だんじりは、大阪府内で岸和田につぐ規模を誇ります。

 先々週にも近所の夏祭りに行ったのですが「もう一回スーパーボールすくいを!」とか「お面が欲しかった!」とかぐずっていました。

 文句ばかりなら、もう来ない!!……と言いたいのですが、普段はあまり面倒を見ていない引け目もあり、日曜日の夜、再度杭全神社へ。 

 楽しみにしていただんじりまでは結構な時間があり、今年は諦めました。

 夜は保育園の友達と、公園で花火。

 友達の彼は、5歳にして線香花火が一番のお気に入りと言います。

 見ていると、火の玉を落さず、小さな松葉の火花がでるまで、辛抱強く待っています。

 天気予報を見ると、長かった梅雨も今週末まででしょうか。

 連休は夏空が広がるのを期待して。