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大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

身近な建築家

 本日、モダンリビンングの別冊『身近な建築家70』という本が発売されました。

 5月24日発売となっていますが、先週末からアマゾンではすでに発売されていました。

 アマゾンの紹介文は以下の通りです。
  
内容紹介
「ML+VIEW」は、モダンリビングの別冊。その第1弾「身近な建築家70」では、雑誌未掲載分を含め、全国70人の建築家が手がけた住宅を一挙に公開します。テイスト別にカテゴライズし、地域別インデックス、70人全員の詳細建築家プロフィール、さらに家づくりのノウハウを解説した「初めての家づくりBOOK」付きで、webだけではわからない、建築家情報が得られる、保存版!の一冊です。

 70人の建築家が取り上げられているので、その中の一人です。文字通り、One of them です。

 大勢の中の一人で居たい事はありませんが、他の建築家と比べて貰うのは、とても嬉しいことです。

 現在事務所の体制では、コンペには挑戦できていません。今後の課題です。しかし、家を建てたい人が何人か建築家と合い、それぞれにプランを出して貰うことになったら、これこそ本当のコンペだと思っているのです。真剣勝負。

 「相談料を」とか「企画の提案料を」とは言いません。コンペですから。

 実現することだけをイメージしています。その案が支持されなかったら、こちらの力量不足、情熱不足だと思っていますから。

 「初めから負けるつもりで勝負するヤツがいるか!バチン(ビンタ)」アントニオ猪木

 例えはもうひとつですが、そんな気分です。ちょっとカッコ付けすぎですか?

ダーウィン

 随分前に録っていた番組を見ました。

 ダーウィンの「進化論」発表までを、ドラマ仕立てにしたものです。

 チャールズ・ダーウィンは1809年生まれ。地質学者だった彼は、大陸から隔離された環境のガラパゴス諸島を訪れ、進化論の着想を得ます。

 生物は同じ種であっても、性質には個体に差が有り、一部は親から伝えられる。生物は絶えず変異し、存続するための努力を繰り返す。しかし、実際に生き残れる自然界のキャパシティーは、繁殖力よりも常に小さい。よって、生存に有利な形態をもったものがより多くの子を残す。

 解釈が大丈夫か、若干不安は残りますがこれが概容です。

 生物の進化を、全くの無から解き明かした天才学者だと思っていたのですが(そうでもあるのですが)、彼が他の学者と決定的に違ったのは、その部分ではありませんでした。

 19世紀のイギリスは、キリスト教の信仰が篤く、彼の進化論は、創造主である神を冒涜するものと捉えられかねないものでした。

 神は、自分の姿に似せて人を創造したとなっていますが、進化論によると、人も一生物に過ぎません。今では当然のことですが、信仰を根底から覆しかねない説だったのです。

 また進化論はダーウィンだけが考えていたものではありませんでした。

 同時代の生物学者、アルフレッド・ウォレスからの手紙に、同じような考えが書かれていたのです。彼らは共同で、自然選択による進化理論を発表します。その後ダーウィンが出版した本が「種の起源」です。

 先んじて自身の説を発表したい。また、世間からバッシングを受けるのでは、家族を不幸にするのでは等など、葛藤の中で生まれたものなのです。

 彼が突出していたのは、真理を追求したいという情熱と行動力だったように思います。

 ドラマ仕立ての番組だったので、作り手の解釈が入っていると思いますが、髭面の天才から、随分イメージが変わりました。

活気

 昨日は、朝から生駒山のフィールドアスレチックへ行っていました。

 森の中は変化に富んでいます。

 以外に明るかったり、うっそうとしていたり。風が通っていたり、通らなかったり。

 原始の暮らしでは、自分が心地よいところへ、思うように移動すれば良かったのだな、とか思っていました。

 沢の方から、せせらぎが聞こえてきました。

 下りてみると、山頂付近にしては結構な水量。どこかの源流でしょうか。

 昼前になったのでどこかで食べようとなりました。

 長男に聞くと、餃子!いつも即答です。

 帰り道で餃子が食べられるところ……王将となりました。長男は初体験だと思います。

 餃子は一人前が210円。ラーメンとご飯のセットにして860円。2人で分けて食べました。

 この不況の中、売り上げ好調のようです。この東大阪の長田店も、12時前で待ち客が10人ほど。

 好調の原因は、バラエティー番組に取り上げられたからとも、熱血カリスマ社長のおかげとも。

 チェーン店ですが、店によってメニューも味も違うそうです。この店は、明るい店内に若い女の子のアルバイトも多くいました。学生時代に入っていたのとは随分違う印象です。

 新人なのか、責任者らしき人に「何故、勝手に順番入れ替えたんや。絶対、順番優先だろ!」と怒られていました。

 席割りを考え、機転をきかせたのを、叱責されていたのです。可愛そうな気もしますが、店長の意見に賛同します。どんな理由があるにせよ、お腹の減っている人は、理性で制御できないものですから。

 しかし最近は、こういう姿をあまり見ないだけに、ストレートで好感が持てました。

 社長の哲学は「炎のないところに活気は生まれない」です。その哲学は、社員にも届いているとみました。

 こってりラーメンの天下一品もそうだと思いますが、ともに京都発。中華料理チェーン店が多いのは何故でしょうか。

雨、横浜

 一昨日は、横浜へ行っていました。

 企業のオフィス拡大に伴う内装計画の相談で、JRの桜木町へ。10:00amから2時間ほど打合せです。

 その後、付近を歩いてみました。

 生憎の雨でしたが、知らない街を歩くなら全く苦になりません。

 知らないと書きましたが、横浜はここ数年で3回目。多いとは言えませんが、何か縁でもあるのかな等と思いながら。

 まずは赤レンガ倉庫。

 後ろに見えるのは、ランドマークタワーとインターコンチネンタルホテルです。

 そこから海沿いを、東へ歩きます。

 カフェでしょうか、ライブハウスでしょうか。思い切った色使いです。

 

 

 

 

 山下公園までは約1km。海には、日本郵船の氷川丸が見えます。

 雨でなければ、多くの恋人たちが愛を語っていたのでしょうか。
ちょっと残念な気もします。

 そこから街のほうに戻りました。先に見える、Yの文字の照明は横浜スタジアムです。

みなとみらい線の日本大通駅から大阪へ戻りました。

古くからの港町は、平地が狭く、街がコンパクトです。神戸、函館などがその例。

 埋め立てが出来るようになってから、港は人為的に作れますが、本来は急深が理想。

 自ずと急峻な山が近く、平地が狭くなります。見る山があってこそ、夜景も見れるのです。

 その中で、長崎や横浜は広いほうですが、観光地として巡るには丁度よいスケール感です。

 企画の提案はこれから。近いうちにまた来れるかは、それ次第です。

雑誌取材 「サロンのある家」

 昨日は「サロンのある家」へ行っていました。竣工写真の撮影から、丁度1年ぶりです。

 雑誌の取材があったのですが、編集長、ライター、写真家の3人は東京からの来阪です。

 竣工が2006年で、4年の時間が経ちまた。その間に、ご家族も増え、植物も育ち、いっそう「らしい」家になっていました。
 
 とは言え、竣工から、これだけ時間が空いて撮影をしたのは始めてで、片付けが大変だったと思います。

 更に、小さなお子さんを見ながら、料理をしていただいたり。

 朝からの撮影が終わったのは夕方4時。

 最後に撮影があった屋上で、ビールまで頂きました。もう感謝以外ありません。

 クライアントのご夫妻からは、色々なことを学びました。

 ホスピタリティー、駆け引きしない、問題が起こった時には段階を踏んで論理的に等など。設計当時を思い出します。

 撮影ですが、今はデジカメなので、その場で見せて貰いました。とても良い感じです。

 発売は7月21日の予定。楽しみです。近付いたら、またここで紹介します。

熊野古道

 5月3日から5日まで、南紀へ出掛けました。まずは中辺路(なかへち)町へ。

 中辺路は、2004年に世界遺産へ登録された熊野古道のひとつです。

 平安時代に、皇族、貴族が、極楽浄土へ憧れ、熊野三山へ参拝したのが始まりとされます。

 江戸時代には庶民もこぞって訪れ、「蟻の熊野詣」として知られました。

 熊野大社と繋がる参道は、伊勢路、高野山からの小辺路、吉野への大峰奥駆道、海岸線を通る大辺路などがあります。

 京都、大阪、紀伊田辺へ抜け、険しい山間部を抜ける、中辺路は最も好まれたと言います。

 道中が厳しいほど、ご利益が大きいと考えたからで、非常に日本らしいものと感じました。

 道中には王子(おうじ)と呼ばれる、小さな分社が多く点在します。

 近露(ちかつゆ)王子のすぐ手前にあるのが箸折峠。花山法皇が御経を埋めたと伝えられます。

 花山法皇が食事の為、箸に使おうと附近のカヤを折りました。

 軸の赤い部分に露が伝うのを見て「これは血か露か」と言ったのが、地名の由来と言います。

 その地に残る牛馬童子像は、本人の姿とも。

 峠を下りると、近露王子。そこから「なかへち美術館」は100mほどです。

 美術館の案内に小さな宝石箱とありました。

 展示スペースは小さく、回廊で囲まれています。

 一部がパブリックスペースになっていました。

 緩やかな曲線とガラスに囲まれ、洗練された空間でした。

 小さな窓からは、日置川を望む景色が切り取られていました。

 旅行の前半は私の為、後半は子供中心のスケジュールにしました。

 公園、磯遊び、動物園へ。

 1歳くらいの子供を連れて遊ぶ、若い夫婦がいました。

 我が家に置き換えても、つい数年前のことです。しかし随分前のようにも感じます。

 子供の成長は早く、家族で旅行に行く機会など、僅かな期間かもしれません。

 時間が許す限り、一緒に出掛けようと思うのです。

なかへち

 今朝は5時に大阪を出発し、紀伊半島の中ほど、中辺地まで来ました。

 熊野古道を少し歩くと「なかへち美術館」が。先頃、プリッカー賞を受賞した、妹島和世・西沢立衛の共同設計です。

 同賞を主宰する米ハイアット財団は授賞の理由を「デリケートさと力強さ、正確さとしなやかさを兼ね備え、巧妙ながら賢過ぎない」とコメントしました。

 賢すぎないというところが、響きます。

 こぶりで里山に美しい美術館でした。

コラム

 今日は昭和の日で祝日。ゴールデンウィークの初日です。快晴で最高の出だしになりました。

 花の主役は桜からハナミズキへ。

 紅が新緑に映えます。

 3日、4日、5日は三連休にして、出かけるつもりですが、未だホテルはキャンセル待ち。どこに行くかは決まっていません。

 仕事上、住宅雑誌は良く見ます。様々なタイプが発刊されていますが、これからはwebとの両立を目指すようです。

 創刊50年を迎える老舗雑誌「住まいの設計」も、webサイトを3月23日にリニューアルしました。

 2、3の「ゲツモク日記」と「現場日記」をUPして数日経った頃、編集部から連絡がありました。「公認コラムニストとして記事を書いてみないか」というものでした。

 コラムとしては「現場日記」の「伊東内科クリニック編」のみですが、始めに声を掛けて貰ったのは単純に嬉しいことです。現在はトップページにも告知が出ています。

 コラムとは元々建築の用語で円柱のこと。それが縦に囲まれた記事を意味するものに転じ、決まった型をもつ記事となったようです。

 条件はいくつかあるのですが、内容が相応しく無い場合は打ち切りもあるとのこと。しかし、あまり考え過ぎず、感じた事を脚色せずに書きたいと思います。

 プロフィールには「公認コラムニスト」の文字も。気恥ずかしくも、誇らしくもあります。 

上野と本郷

 日曜日は、東京で打合せがありました。

 行きの新幹線からは、富士山のが完全な姿が。

 2世帯住宅の設計は、最終段階に入りました。昼からの打合せを終え、その日の夜はホテル泊。

 今日は朝から所轄の官庁廻り。それが終わると、街を見て廻ります。

 最後が上野付近だったので、今回は西郷隆盛像からスタートです。

 小さい頃、パンダを見に来て以来だと思います。

 西郷さんは以外に小さいんだな、という印象でした。

 夕方にさしかかっていたので、前川國男の東京文化会館はフォルムのみ。

 それでも前川らしいと分かります。

 月曜日だったので、安藤忠雄が保存、再生した国際子供図書館は休館日でした。

 その他、コルビュジエの西洋美術館も休館。

 一番楽しみにしていた、谷口吉生の国立博物館の法隆寺宝物館にも入れず。

 入れないとなると余計に見たくるもので、塀によじ登って1枚だけ。

 しかし残念です。

 本郷は東京大学のある街。中に入って来ました。

 一番感激したのが、安田講堂。内田祥三の設計でした。

 学生運動によってよって占拠され、機動隊が強制排除している場面は、何度も映像で見ました。

 すぐそばには、槇文彦の法学系教育棟、安藤忠雄の福武ホールがありました。

 2人の作品が並んでいるのは、東大構内だからこそでしょう。

 2つの建物を行き過ぎると、赤門がありました。

 東大と言えば赤門です。門の前で高1くらいの女の子が、自分を入れて一人で写真を撮っていました。

 高校生の頃、先生が「自分の行きたい大学を実際に見に行って来なさい」と言っていました。

 明確な目標がなかった私は「なぜわざわざ」と思っていましたが、今なら理解できます。

 本当にそこに行きたいなら、その姿を明確にイメージできるほうが、圧倒的に良いからです。彼女は数年先、ここに来るのでしょうか。

 人事ではありません。受験勉強では大した結果が残せなかった私ですかから、今は明確な夢を持って、日々精進です。

大阪城とOBP

 時間などの制約がなければ、車での移動は楽しみです。

 城東区の現場からの移動する時は、大阪城の北側を西へ抜けて行きます。この辺り、戦時中は広大な砲兵工場がありました。

 それらの大部分は空襲で破壊され、戦後はいち早くバラックが建ち並びます。アパッチ族なるものが出没した、非常に治安の悪い所だったそうです。

 現在は再開発によってOBP(大阪ビジネスパーク)と呼ばれ、大阪で最も整備されたオフィス街と言えます。

 その中でも、ひときわ目を引くのがクリスタルタワー。竹中工務店の設計施工です。

 最も美しいオフィスビルだと思います。

 研ぎ澄まされたディティールは、手が切れそうなほど。

 クリスタルタワーに向かって西進。右折すると土佐堀通りに出ます。左折して西へ向かうと大阪城が見えてきます。

 この辺りは、全てのスケールが一変し、景色もダイナミックに変化して行くのです。

 400年以上前、この石垣を人力で作り上げました。

 気の遠くなる作業だったと思いますが、美しい曲線はそれ自体がアートです。

 現在の天守閣は、徳川デザインと言われます。

 大阪夏の陣で消失したものを徳川幕府が再建したのですが、秀吉のオリジナルデザインも見てみたいものです。

 土佐堀通りを西に向かう時、大手門の前を通る脇道があります。車から天守閣と石垣が一番美しく見えるルート。

 石垣の美しさや重量感は、なかなか写真では伝わりません。必見は石垣です。