サッカーの日

 土曜日は朝一番の新幹線で東京へ。
 
 「四丁目の家」の現場監理ですが、現地へ向かうのも11回目になりました。

 御堂筋線で淀川を超える時、うっすらと日が上がって来ました。

 晴れそうだと、やはり気分も違います。

 しかし関ヶ原あたりは大雪。

 徐行運転で、遅延する予定とアナウンスがありました。

 しかしこのエリアを通過すると、雲一つない快晴。

 雪を頂いた富士山は完全無欠。心洗われる美しさです。

 東海道新幹線は富士山の南を走っているので、こんな日は北側の2人掛けのE列がベストシートです。

 早朝の東京行きは空いています。進行方向右の3人掛け席なら、中央の席が空いている可能性も大。広く使えるという利点もあり、A列にするかE列にするかは悩ましいところ。

 ちなみに富士山のベストアングルはトンネルから出てすぐの富士川上です。トンネルから出たらすぐ。東へ走ると富士宮市越しになるので、どうしても絵になりません。

 現地へ着き、午前中は設計検査、昼からは施主検査。

 丸一日掛けての検査を終えました。

 詳しくは現場日記に。

 アメリカ行き以来、ずっと家族をほったらかしにしていました。

 日曜日は長男が入るサッカーチームの練習を見に行きました。

 この日は親子サッカーで、子供と対戦します。

 小学校からずっと野球だったので、サッカーはお世辞にも上手いとは言えません。

 それでも体は元気な方です。

 群がって来る子供を引き離すように、前線へ大きく蹴り出します。

 広いグラウンドで、思い切りボールを蹴るのは中々気持ちが良いのです。

 最後には親子PK対決。

 キーパーは妻です。

 左利きの長男が蹴ったボールは、ゴール右隅へ。

 突き刺さるという程ではありませんでしたが、しっかり決めました。

 校区内で集まっているチームのコーチは、ボランティアのお父さんお母さんです。

 安い保険代だけで、月2、3回サッカーを教えて貰っているのですが、本当に有難い事です。

 これに報いるには、プロサッカー選手になって……とまでは言えませんが、せめて元気に、礼儀正しいスポーツ選手になって欲しいと思います。しかし、低学年とは言え、上手い子は本当に上手い。

 夜は家族で、クラブワールドカップを観ました。まさにサッカーの日。

 世界のトップレベルの選手が集まる中でも、特別な存在感を放ったメッシ。スピードが異次元のものでした。

 2010年のワールドカップでは、力を出し切れなかった姿が嘘のような光景です。

 その際にも少し書いたのですが、メッシとアルゼンチンの関係、またはバルセロナというクラブの関係が微妙に影響しているようにも感じます。

 テレビ観戦であれくらい凄いなら、ライブで見ればもっとだろうな、などと思っていました。

 しかし、サントスのネイマールも、スター性抜群。ここでの一度くらい苦杯を味わっておいた方が、彼の将来の為になると思います。

 2014年のブラジル大会が本当に楽しみになってきました。

♪冬が来る前に~

 ♪冬が来る前に~ もう一度あの人と~ めぐり会いたい~

 紙風船の「冬が来る前に」という曲です。良く知らないにも関わらず、この季節になると何故かフレーズが蘇ってきます。

 12月15日はまぎれもない冬ですが、紅葉が12月にずれ込む今、冬直前と言えなくもありません。月曜日は恒例の勉強会があり、京都に行っていました。

 会場は京都国際会館。

 日本で最初の国際会議場は、戦後初の本格的な設計コンペで選ばれました。

 採用されたのは大谷幸夫の設計案。

 1966年にこのデザインが選ばれた時、賛否両論でした。

 まるでガンダムのようと言えば、表現が安いでしょうか。

 こちらが会場だったのですが、私は間違って、すぐそばのグランドプリンスホテルへ行ってしまいました。例年はここで行われていたのです。

 こちらは1986年、村野藤吾設計の名作です。

 引き寄せられるように間違ってしまいました。

 よって、ホテルのエントランスにあるモミジは毎年見ているのです。

 しかし、紅葉は本当に遅くなってきました。 

 冬が来る前にタイヤ交換も済ませました。

 今年は春先に車を変えたので、全て一からです。

 なかなか無いサイズらしく、妻に色々探して貰い、ようやく在庫を見つけました。購入した店舗は山形県の会社でした。

 初めてスタッドレスタイヤを付け、北海道へ行ったのが1991年。

 運転席から降りると、立っていられない程ツルツルの路面にも関わらず、何とかタイヤはグリップしていました。

 その性能には本当に驚かされた事を覚えています。過信は駄目ですが。

 冬の準備は終わりました。後は本格的な冬を待つだけ。

犬の起源

 犬は人にとって最も身近なペットです。

 電車に乗っていると、盲導犬がいました。

 背中には「お仕事中」という張り紙も。そこに周りの人は話しかけないで下さいと書いてありました。

 仕事に集中させてあげて下さいという意味ですが、つい「偉いねえ」と言いたくなります。

 犬の進化についての番組を見たのですが、これがなかなか興味深いものでした。

 犬の起源は、未だにはっきりと解明されていません。従来の説では、オオカミを人が飼いならしたと言うものが有力でした。

 しかし、オオカミを人が飼いならした例は、生後13日以降では存在しないそうです。最近の研究では、違う説が重要視されているのです。
 
 DNAの研究から、オオカミから犬が分かれたのが1万5千年前の東アジアと分かりました。これは人が定住を始めた時期と一致します。

 人が定住を始めると、多くのゴミが出るようになります。人にとってはゴミでも、動物にとってはそうではありません。多くのオオカミが集まって来たのです。

 どのくらい人が近づくと逃げ出すか。この距離感には個体差があります。これを「逃走距離」と言い、この距離が短いものだけが、食事にありつけたのです。これらの個体は人の近くで暮らし始めます。

 過去にロシアで、狐の毛皮を取るのにある実験が行われました。狐のオリに手袋を突っ込み、噛みつかなかった種だけを交配して行きました。それは、育てやすい種を作るための実験でした。

 この交配を10年間続けると、臆病で神経質な狐が人と戯れて遊ぶ、より温和な種へと変化して行ったのです。

 自然界の中で、オオカミが最も安定的に食糧を得る場所が、ゴミ捨て場だったとは驚きです。しかし、納得もできます。

 また、そのオオカミから犬への変化は、先の狐の実験が示す通り、相当に短い期間で起こったと考えられているのです。犬は1万5千前の東アジアで、歴史の中で言えば一瞬にして生まれた種と言えるのです。

 犬は優れた嗅覚、聴覚を持っています。それらを頼りに、イヌイットは北極圏で暮らすことを可能にしました。その従順さと、オオカミの狩猟本能を活かし、人は牧羊犬を育てました。

 ドーベルマンは19世紀に徴税請負人だったドイツ人のドーベルマン氏が、身の安全を確保するために作りだした種なのです。

 狩り、牧畜、階級社会の形成など、犬が人の社会に多くの影響がを与えているのは紛れもない事実なのです。

 オオカミは遠吠えをしますが、犬は短く鋭くは鳴きます。番犬として、そういう種を人が望んだからです。小さい、毛が長いなど何か特徴がある個体を生み出したければ、それらの近い種を交配することになります。番組はその行き過ぎに、警鐘を鳴らす事で結ばれていました。

 あくまで一説ですが、犬を生み出したのが定住とゴミ捨て場だったとは……

 何と表現して良いのか、これ程までに人と犬が密接な関係だったとは、想像さえしていませんでした。

この土地を買う、買わない

 この日曜日、奈良へ行っていました。

 以前、建築相談に来所した夫妻から、メールがあったのです。

 「近くに手頃な土地が見つかったので、一度見て貰いたい」という内容で、相談の際もリフォームにするか、新しい敷地で新築するか迷っているとの事でした。
 
 詳細は控えますが、金額的には納得できるが、幹線道路と線路が近いというので迷っていたのです。まずは自宅を見せて貰い、その後敷地へ向かいました。

 農地を開発し、8区画が売りにでる予定です。土地購入の相談があった場合、伝えるチェックポイントは以下のようなものです。

1. 都市計画上の用途地域の確認。→当然ですが、法的に建築行為が可能な場所かどうか。
2. 接道の長さ、種類、巾員の確認。→基本的に4m以上の道路に接していないと建築行為は出来ません。
3. 上下水道、ガス、電気など、ライフラインの確認→特に上水道の引込管が無い、または細い場 合、結構な費用が掛かる場合があるので要注意。
4. 敷地の地盤強度→軟弱な地盤は改良が必要。その場合は、金額を把握しておく。(農地転用は軟弱な可能性が高い) 
5. 敷地環境の確認→時間帯や曜日を変えて見に来る。出来れば近所の人の話を聞いてみる。住人だからこそ分かる情報が聞ける。

 土地に抵当権が設定されていない等は勿論の事として、ざっとまとめるとこのような感じでしょうか。

 もう一点、実際の金額交渉になった時、焦らない事も重要だと思っています。一般の相場より、高く買うのは問題ですが、凄く得をしようという考えを捨てれば、冷静な判断が出来ると思います。

6. 急かされた場合は断る→急かしたり、焦らさて、というのは物を売るときの常套手段。悪意はなくともよく起こる状況という事を頭に入れておく。

 ここで始めの話に戻ります。

 線路が近くにある敷地は、過去に設計した経験があります。

 よって、20mから30mくらい離れれば大丈夫という仮説を立てました。

 区画によってはクリア出来そうです。

 もう一つは、すぐ横の幹線道路。この距離感は経験がありません。

 経験で言うと、やはり30m以上離れていれば、概ね大丈夫だと思います。しかしすぐ横となると……まずは敷地に目印をつけました。

 その場所に立ちながら、昼間の音の大きさがどの位のものなのか、真剣に聴いてみます。候補の区画では、丁度高架になっており、それ程でも……という気もします。

 小一時間、辺りをウロウロし、ご自宅に戻りました。「で、どうでしたか」と勿論問われます。

 もう一度過去の経験を思い起こしてみると、国道に面した家を思い出しました。母の実家です。

 香川県にある金毘羅さんへ向かう国道沿いにあり、電気屋を営んでいます。今でもその店舗兼住宅はあります。盆、正月に帰った時、私達は2階に寝ていたのですが、大型トラックが通ると、揺れを感じました。

 寝れなかったという程の事はありませんが、他の選択肢があるなら、買いではないと判断。その考えをもう一度整理し、夫妻に伝えたのです。
 
 明けて火曜日、お礼の言葉と共に「今回の土地は、見送ることにしました」とメールがありました。

 新築を楽しみにしていると聞いていたので、複雑な気持ちもあります。どの答えが一番正しかったかは分かりません。

 しかし、現実を公平に見て、最も強い動機に従う、が私の哲学です。悔いはありません。

エスコートキッズ

 週末は長居公園へ行っていました。

 ここにはセレッソ大阪のホームグラウンドがあります。

 長男が町会のサッカーチームに入った関係で、エスコートキッズをすることになったのです。

 長居公園は自転車で行ける距離にも関わらず、ゲームを見るのは初めて。

 それどころか、サッカーの試合自体が初めてなのですが。

 Jリーグはこの日が今季最終節。

 普段の観客数がどのくらいなのか。

 この日の会場ははキンチョースタジアムで8割方は埋まっていました。正確には1万1千人の観客でした。

 チームを支えるのは熱心なサポーターなのだなと、目の当たりにします。

 ピンクのタオルは持っていませんが、楽しみにしている選手は、はやり清武。

 U-22サッカー日本代表、A代表、共に召集されており、結果を出しています。

 一昨年までは、現在ドイツで活躍する香川がセレッソの中心選手でした。

 イチローの時もそうでしたが、海外に行ってから近くで本物を観る機会があったのにと後悔するのです。

 清武もそんな選手になってくれるのでは、と応援しているのです。

 長男が選手と入場してきました。

 どの選手と手を繋ぐかはくじ引きらしく、対戦相手アビスパ福岡のキーパーと入場してきました。

 本物の芝のピッチに立つだけでも、良い経験だと思いますし、あの大きなキーパーを真近に見ることも、そうはない事です。

 ひと仕事終えた長男はスタンドに戻り、共に初めてのJリーグ観戦です。

 ほぼ飽きる事なく、応援していました。

 将来はバルサかと、一瞬想像するのはどの親も同じはず。

 テレビ観戦と一番違う点は、やはり音でしょうか。

 人と人のぶつかり合う音がだったり、全力でボールを蹴った時の音は、何と表現して良いか、ライブ以外では感じにくいものだと思います。

 注目の清武は、やはり動きの次元が違うう時間がありました。

 ゴール前の決定機で、緩急で相手をかわし、個人技でシュートを決めてくれました。

 その瞬間、総立ちになる客席。これが醍醐味なのだと分かります。

 ミドルシュートあり、PKありでセレッソは7得点。

 アビスパはJ2の降格が決定してういたのかもしれません。お祭りのような一方的なゲームでした。

 ただ、福岡の選手は最後まで手を抜いている感じは全くありませんでした。非常に好感がもてました。

 子供と手を繋いでくれたキーパーにとって、災難の日になってしまいましたが……

 帰りに小遣いでギョウザを買うと駄々をこねる長男。

 500円は高いだろうと思いながらも、これも含めて試合かと思ったり。

 サッカーの試合は時間が決まっているのがいいとは妻の弁です。なるほどと思いました。

 今季セレッソは下位に低迷しました。来季は香川が居た時のように優勝争いをして欲しいと思います。

 また応援に行ってみたいと思っているのです。

カメラレンズ

今日から12月がスタート。今年も1ヶ月を残すのみとなりました。

慌ただしいのが年末ですが、いらぬ用事が増えていました。先月のアメリカ行の際、カメラのレンズを1つ壊してしまったのです。

普段はコンパクトデジカメ、ペンタックスのOptio P70を持ち歩いています。

このサイズにしては27.5mmの広角レンズである事、黄や緑の発色が自然な所が気に入っています。

広角とは簡単に言えば広い範囲が映るという事です。

建築写真では、更に広い範囲が映る超広角というレンズが必要になってきます。迂闊にもそれを道路に落としてしまったのです。

落としてしまったレンズは、シグマの14mm。これで撮ったタイムズ・スクエアです。

この時はすでに落とした後で制御がきかず、若干ピンボケですが、画角が広く、奥行き感がでます。

同じようなアングルから、レンズを変えて撮りました。

タムロンの 28-300mm は様々なアングルをカバーできる便利なレンズ。全く画角が違うのが良く分かります。

ニューヨークについて2日目。

シーグラムとレバーハウスを撮った後、完全に浮かれていました。

そこから、グッゲンハイム美術館へ移動する途中に落としてしまいました。

レバーハウスと、グッゲンハイムの外観を比べると、急に迫力がなくなっているのは、その為なのです。

新たに買った超広角は、キャノンのTS-E 17mm。あおり補正のついた優れものです。

今週初めにようやく届きました。

キャノンの5D MarkⅡに付けるとこんな感じ。横にあるのがタムロンです。

これをペンタックスで撮ったのがこの写真で、 反対に、1枚目のペンタックスはキャノンTS-E 17mmで撮りました。

レンズ、メーカー、機種で写真は全く違うものになるのが良く分かります。

当事務所のwebサイトで、撮影者のクレジットが無いカットは私が撮影したもの。良ければ見比べて下さい。

道具だけでなく、撮影者によっても写真は全く違ったものになります。

カメラは本当に奥が深いのです。

それは自らの手で

 昨日は、子供達が妻の実家へ行っていました。

 それもあって、朝一番から3つ現場を回ってきました。

「東田辺の家」は掘方が始まりました。

 日曜の朝は道も空いており、車で移動。

 街路樹も色づいてきました。

 「あちこちでお茶できる家」は、屋根、金物関係の中間検査を間もなく迎えます。

 「サンルームと吹抜のある家」は引越しが済んだにも関わらず、少し工事が残っています。

 クライアントには迷惑を掛けていますが、これには良い結果で報いる他ありません。

 現場には発破をかけてきました。

 夕方には投票へも行ってきました。

 昨日の大阪はW選挙と言われ、市長選は60%を超える高い投票率。結果は市長が橋下徹氏、府知事が松井一郎氏でした。

 誰に投票したかは差し控えますが、2人には身を粉にして頑張って頂きたいと思います。はっきり言えば、政治家というのは、市民、府民の下僕だと思える人の事だと思っています。

 以前作家の五木寛之氏の話に、大変共感できたので、政治に対するスタンスを書いてみます。

 5年程前だったでしょうか、イタリアを題材に多くの作品を多く書いている、塩野七生さんと対談がテレビで流れていたました。

 五木氏が「塩野さん、新聞って読んでます?」と。「読んでますよ」と塩野氏。

 「僕は読むのをやめたんでよ。ニュースを読んでも暗くなる話ばかりだし。で、どう出来る訳でもないでしょう。読む必要ってあるんですかね」
 と言うような会話でした。

 新聞を読んでいる私が言うのも何ですが、この意見を聞いたとき「そうだな」と思ったのです。

 社会の流れや、風潮を知るのは大切な事です。例えば、株価の上昇、下降などが分かっていなかったりすると、経営者の集まりの中で、トンチンカンな事を言ってしまったりします。

 海外からの輸入や輸出に関わる人や、株を持っている人にとっては、最重要事項だと思います。

 しかし私にとって、知ったところで、円高を止める事も出来ないし、それらによる損失を補う事もできない。目を背けたくなるような悲しいニュースを、真正面から読んでみても、私には何も出来ないのです。

 それらが他人事と思っている訳ではありません。全ての情報において、ネガティブな想像をする事に、全く意味がないのではと思ったのです。

 建築家ル・コルビュジエは、ヒューマンスケールを提唱しました。身長を基準とし、黄金比で割って行く、普遍的な尺度「モジュロール」という考えを発表したのです。

 また、宮崎駿は「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」というメッセージを発しています。 

 政治に期待をし、興味を持つことは重要な事です。しかし、それぞれが目の前にある事に精一杯打ち込む事のほうが、何十倍も大切に決まっています。

 大阪を、日本を、世界を良くするのは、自らの手に掛かっているのです。

勤労と安楽と充実

 11月も下旬に入り、徐々に寒さも増して来ました。

 しかし今日は気持ち良い秋晴れです。

 築37年を迎える我が家には、縁側があり雪見障子で仕切られています。

 ここにいつの間にか小さな穴が開き、知らぬ間にのぞけるようになっているのです。

 経緯を聞いても、遊んでいたらなっていたとか、誰々が当たってしまったとか。真相は闇の中。

 すぐに貼り替えようか、とはならない理由もあり、そのままにしていると、妻が補修していました。

 寒さがちょっとはましになるだろうと。貼り替えへ至らない理由は、またの機会に書こうと思います。

 すっかり忘れていましたが、11月は文化祭の季節。

 長男が帽子を作ってきました。この感覚を大人になって持っていたら、ピカソかガウディーだな等と思うのです。

 昨日は勤労感謝の日。この時期になったのは、農業の収穫期というものもあるようです。

 「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」為の祝日とあります。

 依然全国的に失業率も高く、生活保護受給者は過去最高とも。特に大阪市は深刻です。今この理念を、眺めるだけの額にしてはならないと感じます。

 教育、勤労、納税は国民の義務ですが、勤労を義務と考えると、人生は一気に息苦しいものになってしまいます。

 今までで、一番充実していた時間はと問われると、多くの人は、最も苦しかった時期を上げるそうです。安楽は充実を生まないのです。

 そもそも仕事と言うのは大変なものです。だからこそ、仕事となりえ、それをやり遂げた人には感謝と報酬が与えられるのですから。

 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。
 -ジャン=ジャック・ルソー- 哲学者

 人生は恐れを知らぬ冒険か、無のどちらかである。
 -ヘレン・ケラー -

 それをやりにおれが生まれてきた。 そのことだけを考えればよい。
 -アーネスト・ヘミングウェー- 作家

 行動あるのみです。

 勤労という言葉には、労働+真面目さを感じます。さらに、その先の成果は問わないというニュアンスも含まれていると言えば言い過ぎでしょうか。

 勤労を尊ぶ。この考えは、もっと声高らかに謳われるべきだと思うのです。

和の心

 先週の土曜日は、見学会に行っていました。
 
 あいにくの雨だったのですが、個人ではなかなか見れない住宅を見学させて貰ったのです。

 私は社団法人日本建築家協会(JIA)という団体に所属しています。

 その中に、住宅部会という会があり11月勉強会の世話人となっていました。

 何を企画しようか考えた結果、普段はアプローチするのが難しい作品を見てみたいと思ったです。

 お願いしたのが、木原千利先生。

 関西に事務所を構えられて約40年。コンテストの審査員等も務められる建築家で、和の心を追求する作風は、唯一無二の存在なのです。

 快くOK頂いたのは、双葉の家。1992年に竣工した作品です。

 住宅につき、見学の募集人数を30人と限定。部会員の皆さんへ案内を送ると、2日で定員に達しました。

 雨ではありましたが、しっとりとした趣もまた良く、内部も大変良い状態が保たれています。住まい手の愛情も伝わってくる、素晴らしい住宅でした。

 木原先生には、この建物の設計意図、ディティールから建築家としての心構え、また現場の職人との関係まで、2時間以上の時間をかけて丁寧に説明して頂きました。

 参加者は設計を生業とするものばかり。皆が輪になって、その一言一言を聞き漏らすまいと、尊敬の念を持って聞き入る姿は、非常に清々情景でした。
 高台寺の傘亭から、双葉の家の屋根を浮かせるというモチーフのインスピレーションを受けた話。
 
 細く、軽やかに見せたいというのは設計者として永遠のテーマだが、それを実現するには、良い材料で、良い仕事をしないといけない。

 また、何とか一緒に実現したいという職人の仲間をつくらないといけない等々、内容は多岐に渡りました。

 初めて電話した時、非常に柔和な話しにホッとしました。その際に「勉強熱心だね」と言われ「なかなか、本物の和の建築を見る機会がないので、是非お願いしたいです」と応えました。

 すると「私の建築は、和ではないけどね」と少し笑いながら言われたのです。

 伝統的な和の建築を再現するのではなく、自然を慈しむ心、招く心、もてなしの心を具現化しているのだというのが、よくわかりました。

 形式ではなく、追求するのは和の心。とて刺激になり、背筋がピンと伸びた感じです。

日記を書こう

 もう10年程前でしょうか。信州へスキーに行っていました。

 確か白馬乗鞍だったと思います。

 次の日はレースに出る予定で、早く寝るつもりでした。

 ロッジの風呂に入りロビー脇を通ると、住み込みバイトが置いていったのか、沢山の漫画が置いてありました。

 何の気なしに見ていると「パチスロひとり旅」というタイトルに目が止まりました。

 パチンコは学生時代にした事がある程度ですが、何故か気になったのです。手に取って見ると、これが面白い。置いてあった2巻をすぐに読み終えました。

 大阪に帰って調べてみると、ブログのような物があると分かったのです。当時、ブログという言葉があったのかも分かりませんが。

 借金を背負ってしまった原作者はパチスロ(パチンコ店にあるスロット)で稼ぎ、これを返済しようと考えました。しかも旅をしながら。全国のパチンコ店を渡り歩くのです。

 勝った日はホテル、負けた日は車中泊。国取り物語風に、全ての都道府県でプラスにするという副題も掲げられていました。

 勝ち負けの内容と、旅先の風景等をそのサイトで発表していったのです。

 これに目を付けたパチンコ雑誌が、連載を始たのが事の始まりだと思います。

 その頃とサイトを久し振りに見てみました。 

 約600万円あった借金が完済したのかは知りません。

 今でも「何代目○○○」と名乗り、企画は続いているようです。こうなってくると、ビジネスの匂いが強すぎます。

 初期の手作り感のあるページには、何か惹きつけられるものがありました。

 半ばもうどうにでもなれという刹那的な感じと、その自由な生き方にちょっとした憧れがあったのだと思います。

 話の内容はギャンブルメインの旅日記ですが、何かとても身近で正直な感じがしました。いつUPされるか分からないのですが、とても楽しみにしていたのです。

 このサイトが、自分も日記を書いてみたいと思う、直接のきっかけになりました。

 自分の考えを正直に書くのはとても難しいことです。良く思われたくない人など居ないからです。

 さて今日は正直に書けたのか。まあ、自分の考えを書くところが少しだったので大丈夫と思っていますが。

建築家がゲツモクに綴るブログ、動画。人、建築、街、自然・・・・・・ぜひご覧ください