カテゴリー別アーカイブ: 10 釣り

人間なんだからナ‐1180‐

 食、自然、ルアーフィッシングをこよなく愛した作家、開高健。

 1930年生まれで、1989年59歳で亡くなりました。今年で生誕85年。幼少期は大阪市東住吉区で過ごしています。

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 現在、西長堀の中央図書館で、生誕85年を記念して「オーパ!世界の旅人 開高健」展が開催されています。

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 「オーパ!」シリーズは、世界の巨大魚を釣り歩く旅行記です。

 雄大な風景を写す為にプロの写真家を、最高美味しく獲物を食する為に、プロの料理人を伴っての旅で、釣りファン以外にも人気のシリーズとなりました。

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 友人で辻調理師専門学校の創設者、辻静雄に料理人を求めたところ、選ばれたのが谷口博之教授。

 展示のほとんどは、「オーパ、オーパ!!」の取材に同行した、谷口教授の物です。

 アラスカで吊り上げたオヒョウの姿造りを、ドアに乗せて食している写真は圧巻です。

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 氏は、開口から釣りの指南も受けました。

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 多くの道具をプレゼントして貰ったそうです。

 開口がこよなく愛した、スウェーデンの釣具メーカー、アブ・ガルシア。

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 ルアーは、ラパラのスウィッシャーでしょうか。

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彼の釣り冒険記は、ブラジル、アラスカ、コスタリカ、カナダと各地にわたります。

 モンゴルで吊り上げた「淡水の女王」イトウの剥製もありました。

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 ヒットルアー、メップスのスピナーが口に付けられています。

 モンゴル釣行は、1986、87年とあったので、亡くなる3年前です。

 この回は、テレビ放送もありました。後にビデオが発売、すぐに購入しましたものです。

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 サントリーの宣伝に使われたこのカットは本当にかっこよかった。いつも憧れの人でした。

 自由な後半生を送る前、1958年、27歳の時に「裸の大様」で芥川賞をとっています。

 この時点では壽屋(現・サントリー)でコピーライターをしていたのです。

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  「人間」らしく
  やりたいナ

 トリスを飲んで
  「人間」らしく
  やりたいナ

 「人間」なんだからナ

 柳原良平の描く「アンクル・トリス」と共に、開口健のコピーは新聞広告飾ります。その広告活動が、1958年毎日産業デザイン賞を受賞。

 広告を、文化にまで高めたと評価されたのです。

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 「オーパ!」シリーズでは、谷口博之教授へ、旅ごとにエプロンへサインをしました。

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 心に通ずる道は 胃を通る

 1986年6月、下北山村大字上池原とありますが、私も愛する池原ダムです。

 「オーパ、オーパ!!」番外編でここを訪れたのです。

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 アメリカ等の、大物ブラックバスで有名な湖を釣り歩いたもの、釣りあげることが出来ず。

 50cmオーバーを求めて、国内の「聖地」にやってきました。その際に、カヌーで案内したのが、ロコアングラー浜松光さんです。

 この方は、1996年私が大物を釣り上げた時、釣り新聞、釣り雑誌に紹介してくれた人です。

1996_08basser3のコピー

 後で知ったのですが、私と開口を繋ぐ唯一の糸で、もっと話を聞いておけば良かったと、歯噛みしたのです。

 開口は、数こそかなり釣り上げましたが、20cmクラスの小物ばかり。落ち込んで帰って行きました。

 20cmクラスなら、うちの娘でも釣り上げます。

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 あの大きな体を丸め、しょぼりと帰る姿を想像すると、ちょっと笑っていまいます。

 幾ら文豪といえ、何でも上手くいく訳ではありません。

 人間なんだからナ。

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 しかしこんな笑顔の50代、そうはいません。

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 人前で、豪快に食うことをためらわない人もそういません。

 木のように立ったままで私は頭から腐っていく。部屋の壁が倒れかかってくるように感じられる瞬間がある。

 白い紙が鋼鉄の罠に思えてくる。空白と沈殿で指一本持あげることもできなくなる。指紋で意識が混濁し、萎えきってしまう。そんなときである。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

 -開高健- 『オーパ、オーパ!! 国境の南』より

 今回の展示で、中学まで住んでいたのが駒川1丁目と知りました。事務所から自転車で10分くらいの所です。

 早朝から釣りをして、早目の昼休憩。

 車のバックシートを倒し、蚊帳を吊るして昼寝。

 全ての喧騒を忘れて眠りに落ちる。これより、幸せな時間を私は知らない。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

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生きる伝説‐1176‐ 

 昨日は、長男と一緒に奈良県の池原ダムへ。

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 大阪は良い天気だったそうですが、流石に日本一の降水量を誇る大台ケ原山系。

 予報は一日雨でした。

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 しかしこの季節の雨は、基本的によく釣れます。

 嬉しいとまでは言いませんが、嫌ではありません。

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 初心者でも釣りやすい仕掛けにはしていますが、長男も午前中5匹、昼から3匹。

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 全て自力で釣り上げました。

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 ダム湖がある下北山村はブラックバスを村の観光資源として輸入しており、公式webサイトにも紹介しています。

 そのサイトにあるトボトスロープという施設で、お金を払ってボートを降ろし、入漁料を払って釣りをします。

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 主要産業が林業しか思い浮かばないこの地域。

 自然を楽しみ、お礼としてのお金を払うことで、この環境が守られるなら、むしろ有り難い事だと思っているのです。

 バスフッシングの本場アメリカでは、ルアーで、誰が一番多くのバスを釣るかを競う競技が生れました。

 その試合をトーナメントと言うのですが、優勝すれば賞金が1億円という試合もあります。それらの試合に出る人たちをパスプロと呼ぶのです。

 日本にもトーナメント組織がいくつかあり、最もメジャーなのが、JB・NBC

 バスフィッシングに限れば、JBのTOP50というカテゴリーが、最高レベルの舞台です。

 簡単に言えば、連れた魚5匹の総重量を、3日間で競うというルールです。

 昨年の総合順位15位は山岡計文という選手。彼はこの下北山村の出身です。 

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 ボートを上げて貰い、船の片づけを始めると、山岡計文プロが(こういう呼び方をするのです)居ました。

 この日はガイドだったそうですが、今、日本で15番目にバスフィッシィングが上手い人と言えます。

 声を掛けると、とても礼儀正しく、気さくな人で、聡明な印象も受けました。34歳だそうです。 

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 彼はメーカーとタイアップして、ルアーをプロデュースしています。新発売したルアーを子供にプレゼントしてくれたのです。

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 バスフィッシングを始めて30数年。池原ダム、七色ダムに通うようになって20年以上。彼の名前はトッププロになる前から知っています。

 10年位前は、頻繁にこの湖に通っていたのですが、その頃は2月、3月から釣りに来ていました。

 他の施設でしたがボートを上げると、概ねがボーズの中(1匹も連れない事)、良いサイズを10本も上げた人が居ると聞きます。

 私は全く手も足も出なかった中、どんな釣り方なら、そこまでの魚が釣れるのか、と思ったものです。

 そんな事が何回かありました。その人が彼だったのです。

 トップカテゴリーへ行くまでは、下位の地域カテゴリーで勝ち抜いて行く必要があります。

 池原ダム、七色ダムで、彼は絶対王者という存在でした。自然環境が大きく影響するバスフィッシィングの中では稀有な存在と言えるのです。

 付いたニックネームが「リビングレジェンド(生きる伝説)」。あれよあれよと言う間に、TOP50にまで上り詰めて行ったのです。

 調べてみると2009年から参戦し、2012年の第1戦、早明浦ダムでは優勝していました。早明浦ダムも同じような山上湖で、条件が似ているのです。

山岡計文(やまおかかずふみ)

2015年 TOP50 年間成績 15位
2014年 TOP50第1戦 七色ダム 4位
2012年 TOP50 第1戦 早明浦ダム 優勝
2009年 TOP50 参戦

 釣りが上手く、かつ一般の人にも釣らせる技術を公開できる人が、トッププロへの階段を上がって行きます。

 この日の私も、山岡プロが世に広めた釣り方がメイン。彼がプロデュースしたルアーでも釣りました。

 「どんどん技術を公開していくと、メーカーの人も“影響力のあるプロ”と認めてくれ、プロデュースの話なんかもくるんです」と言っていました。

 私は謙虚でない人を信用しません。たとえ、現在結果を出していたとしても、傲慢ならそこで成長は止まると思うからです。

 事実、素晴らしいなと思う人は一様に穏やかで、皆「柔らかい」という印象を受けました。

 今後は一層彼を応援したいと思います。しかしリビングレジェエンドになんて呼ばれてみたいものです。

 船上の写真で、5匹を水槽に生かしていたのが見えたでしょうか。

 プロを目指すつもりはありませんが、トーナメントに出て、自分の技術を試してみたいという気持ちは、以前から持っています。

 しかし、仕事中に心を奪われるような趣味を持っているようでは成功しないとも教えて貰いました。

 勿論そこまでではないのですが、彼を見て、出てみたい気持ちが少しグラリと……
 

ビッグママ‐1061‐

 昨日は、1年振りに奈良の池原ダムへ。

 このダム湖での釣りが好きな事、一時、狂ったように通っていた話を昨年書きました

 大阪から車で運んだボートを、施設で降ろして貰います。

 小さなボートですが、バス釣り専用の装備を備えています。

 船上はフラットで動きやすく。

 足で操作できるエレキモーターが船首にあるのが一番の特徴です。

 ロッド、リール、ライン、ルアーと、無限の選択肢があります。

 季節感、水温、水質などから判断し、今日使う道具を選ぶのです。

 池原ダムは広大なダム湖です。

 どの場所で釣りをするかが、成果を大きく分けます。
 
 特にこの時期、バスは産卵を意識し、浅場にあがってくるのです。

 警戒心の強い大型の固体を、狙って釣れる可能性があるのです。

 水温は17.5℃。近くに新鮮な水を供給する滝のあるエリアを選択しました。

 透明度は5m位で、何とか産卵にからむバスを目視できそうです。居ました。

 ボートの陰を見るとすぐ逃げますが、また戻ってきます。明らかに、自分の気に入った産卵場所を意識しての行動です。

 60cmはあろうかという彼女と、一騎打ちする事に決めました。

 自分の知識と想像力をフルに働かせて、何度もアプローチします。

 15分程かけて、何とかフックアップ。

 強烈な締め込みを繰り返しますが、やり過ごしやり過ごしネットイン。もう、最高の瞬間です。

 3匹目の60cmオバーかと思いましたが、やや足らずの55cm、2kg。計測だけすませ、リリースしました。

 ここ池原ダムでは、日本記録を更新出来る可能性が、誰にも残されています。

 いい歳をした大人が、心ときめかせる、釣りの聖地なのです。

 夕方まで釣りをし計10匹の釣果。満足して池原を後にしました。

 バス釣りの是非は、昨年の記事に譲ります。

 作家・開高健はこう言いました。

 「釣った魚は、逃がしてあげなさい。そうすればあなたの心を泳ぎ続ける」

 この時期、もっとも大きいのはメスの固体です。これを、バス釣りの本場アメリカでは、ビッグママと呼びます。

 ビッグママとの真剣勝負に勝った、いや付き合って貰った帰り道。何度ももその光景を思い浮かべます。

 ラジオから「今日は母の日特集」と流れてきました。すっかり忘れていたので、吉野の葛餅だけ買って帰ったのです。

 ビッグママ。母はいつも偉大です。

2タコ

 富士山が世界遺産に登録されました。

 今日は滋賀へ行っていましたが、関西なら近江富士です。

 讃岐富士の飯野山、蝦夷富士の羊蹄山、そして近江富士は三上山。

 各地域に富士があるのも、自然信仰の表れか。

 安定感と秩序のあるその姿を見て、不快に思う人はいないでしょう。

 一度、山頂から朝日を拝んでみたいものです。

 今日は良い天気で、アジサイも鮮やかでした。

 反対に昨日の日曜日は、曇りのち雨。

 それでも久しぶりに、父の船で釣りに行ってきました。

 長男、甥っ子、義妹で明石へ。

 この日のターゲットはタコです。

 タコはテンヤという仕掛けに、エサのアジを括り付けて釣ります。

 何とか2匹釣れましたが、釣ったのは何れも義妹。

 長男が酷い船酔いになり、そこでアイムアップになりました。

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 子供にとっては、イケスも、水族館も全く変わらないのでしょう。

 大きなタコは、やや気持ち悪い感もあります。

 ヨーロッパで「悪魔の魚」と言われるだけはあります。

 目が不気味なのが、その要因ではないかと想像しているのですが。

 しかし、ゆでてしまえばこっちのモノ。

 何と言っても明石のタコ。味は抜群でした。

 1富士2タコ3ナスビ。

 今週は縁起のいいものを2つも見ました。

 良い週になりそうです。

 勿論本当は2タカですが。

梅雨の明石の船上から

 昨日は、父、長男と釣りへ。

 梅雨の只中ですが、何とか曇り。甥っ子2人と義妹もいっしょです。

 朝一番岸和田港をでて、1時間ほどで到着。

 明石だけにまずはタコ狙いでスタートしました。

 今回は、子供達3人に一本竿を与えました。

 しかしタコは完全に不発で、船上は水遊び場に化していましたが。

 これではという事で、ポイントを岸よりに少し移動して、根魚狙いに変更。

 明石の住宅と言えばあの家です。いつかこのロケーションで仕事を……などと思いながら。

 しかしそれからは、ポツポツと釣れだし、長男は自力で2匹釣り上げました。

 1匹目は良型のガシラ。

 もう1匹はチャリコ。

 マダイの子供です。

 他には、ベラとキスが数匹。

 帰りにも淡路島西岸沖で数匹を追加。丁度、淡路島夢舞台の沖あたりで、百段苑が見えます。これも安藤忠雄の設計。

 いつかこの規模の仕事を……などと思いながら港に戻ったのです。

 好釣果という事はありませんでしたが、弟家も全員実家に集まり、皆で夕食でした。

 長男は小学2年生、週末は日記の宿題があります。

 甥っ子は小学1年生ですが、365日、絵日記を書く宿題があるそうです。

 日曜日に宿題があるのはどうかと思いますが、日記は最も良い宿題だと思います。

 感じた事を表現する時、体験は本当の意味ので自分のものとなり、自分以外への良い影響になり得るからです。

 父の船で釣りに来たのも、昨年の8月以来です。

 一時間、幸せになりたければ、酒を飲みなさい。
 三日間、幸せになりたければ、結婚しなさい。
 八日間、幸せになりたければ、豚を殺して食べなさい。
 永遠に幸せになりたければ、釣りを覚えなさい。

 開口健が好んだ、中国のことわざを書いてみたくなります。

 釣りの本質は、その時間の長さにあると思うのです。

ジョーズ

 今日から8月。
 
 子供の頃なら、この日は「まだ1ヶ月も休みがある!」と思っていた気がします。

 これだけの休暇が欲しいとは思いませんが(とれても仕事的には寂しいですが)、小学生と大学生には伝えておきたいと思います。

 こんな期間は、もう一生ありません。「あの夏休みは!」と思い出せるような期間にして欲しいと思うのです。

 昨日は知人と海に行くことになっていたのですが、急きょ中止になりました。

 それで子供を連れて、父と釣りへ。

 岸和田を出て加太の南にある田倉崎沖へ。

 狙いはアジ。多くの船が集まっていました。

 長男は気分次第ですが、自分でリールを巻き上げるようになってきました。

 自力で釣り上げた1匹目。

 ベラですが。

 普段、船は揺れるから嫌いという娘も、何故かこの日は一緒に行くことに。

 半分くらいは寝ていましたが、父に作ってもらった専用シートで潮風に吹かれてご機嫌でした。

 釣果もそこそこで2時頃港へ向かいます。

 途中の海水浴所湯は勿論どこも大賑わいです。

 その後にこんなことを書くのも何ですが、目撃しました。

 田倉崎沖であの背びれが……

 ジョーズです。

 70年生れの私は完全にリアルタイムではありませんが、どうしてもあのメロディーが頭に浮かぶのです。

 背びれから見ると体調1.5m位でしょう。まさかジョーズのホオジロサメではないでしょう。

 しかし、人を襲うシュモクザメの可能性はあります。ハンマーヘッドのサメです。船の近くを悠々と泳いで行きました。

 私達もどここかで泳ごうと思っていたのですが、気分的に勿論泳ぐのは中止。海水浴の人は是非気をつけて下さい。

 何を気を付けつけるのか分かりませんが、以前漁師の人はこんな事を言っていました。

 素潜り漁師は真っ赤なフンドシで潜る。もしサメに遭遇したらこれをヒラヒラと伸ばし、すごく大きな生き物とアピールするんだと。

 サメの生息エリアが変わってきているという話もありますし、これからはフンドシでしょうか。

 夏の海は最高に気分の良いところです。でも相手は大自然。引き波、離岸流、竜巻、サメ等、どこかで、恐れのようなものを抱いていた方が良いと思います。

 人と自然の関係は、そのくらいで丁度良いと思うのです。 

桜鯛

 昨日は、久しぶりに釣りに行っていました。

 子供を連れて父と岸和田から出船です。

 大阪と和歌山の境、紀淡海峡まで小一時間。

 加太のすぐ南、田倉崎沖で釣り始めました。

 初めはアタリが無かったものの、食いが立ちだすとバタバタと真鯛が上がりだしました。

 桜の時期に釣れるので桜鯛。

 何とも風情のある呼び名です。

 この辺りは潮流も早く、オモリが重め。

 長男には重すぎて、自分で釣り上げることは出来ませんでした。

 アメリカではバスフィッシンング(ブラックバス)が盛んで、プロのトーナメンターが多く存在します。

 トーナメントがテレビで中継されるほど、人気があるのです。

 日本の釣り具メーカーに「イマカツ」というブランドがあります。創業者で、同じく日本のプロトーナメンターである今江克隆氏のブログに、ラリー・ニクソンからのメッセージが掲載されていました。

 ラリー・ニクソンはアメリカではカリスマ的存在のプロトーナメンターです。

 時として釣りは心を癒してくれる最良の方法になる事があります。今後の皆さんの幸運を願うと共に、心からお見舞い申し上げます。ラリー・ニクソン(一部抜粋)

 一瞬で全てを奪い去るのも自然、この穏やかな海も自然。私達人間も自然。

 ただ全てを受け入れるしかないのだなと思うのです。

友ヶ島

 日曜日は、父、弟家族と友ヶ島へ行きました。

 早朝に岸和田を出港です。
 
 子供達は眠そうですが、船酔い対策は食べるのが一番なのです。

 朝方は釣りをして、日が高くなれば海水浴の予定。

 快晴にも係わらず、この日は釣りも好調でした。サバもなかなかのサイズ。 

 マダイの子供はチャリコ。

 このサイズは、勿論リリースです。

 タコはテンヤという、伝統的な疑似餌で釣ります。

 皆で15匹は釣ったでしょうか。子供達はタコに一番はしゃいでいました。

 まずは海と遊ぶのが目的。

 父親手製のボートは、長男同士の頭文字をとって「悠仁丸」というのです。

 ひとしきり泳いだ後は、友ヶ島に上陸しました。

 砲台跡を一度見たかったのです。

 海岸線にあるのは第二砲台跡。

 かなり崩れており、内部は立ち入り禁止でした。

 すぐ近くの山肌には、コンクリートの建造物が。

 探索していた人が、上陸してくる敵を狙い撃つための銃眼では、と言っていました。

 第一砲台は山を登り、灯台の足元にありました。全て明治時代に建造されたもののようです。

 この大阪湾に敵艦が入ってくることなど想像したくありませんが、気分は一気に幕末へ。

 友ヶ島は無人島ですが、加太港から渡船が出ています。散策している人も結構いました。

 砲台もさらに5つほどあるようなので、夏休みの探検なら友ヶ島へ。

過去最高水揚げ

 昨日は、父、私、長男の3人で釣りに行っていました。

 急遽決めたので、土曜日の晩にバタバタと用意をしましたが、日曜の朝はあいにくの雨。

 出船する6時半頃には何とか上がっていました。

 岸和田から、本州と淡路島が最も近づく紀淡海峡まではおよそ1時間。

 釣りは一般的に、雨や曇りのほうが好条件です。この日は曇り空のうちは全く駄目。晴れだしてから急にアタリだしました。しかも過去最高の勢いで……。

 まずはアジ。

 その後も、チャリコ、キス、ガシラと釣れ続きます。

 変わったところではオニカサゴ。

 ガシラにそっくりですが、トゲに毒があります。しかし味は抜群。料亭でも出す高級魚です。 

 極めつけはこのタイ。40㎝を超えていました。

 仕立て舟で出れば別ですが、立派なサイズです。

 この日の父は、孫の相手をしながらも、釣りに釣っていました。

 帰ってから、実家でカラ揚げにしました。

 タイ、ガシラ、キスは間違いの無いところ。

 オニカサゴは淡白な白身にも係わらず、流石の味でした。

 アジは二匹を造りに。

 特に青物の造りは、〆て血抜きしておくとおかないでは、味に雲泥の差がでます。

 自分で釣ったことが一番大きいのですが、これも抜群の味でした。

 5月10日も釣りに行きましたが、カメラを落としてしまいました。

 その後すぐに新しいものを購入したのが、現在使っているペンタックス。3枚を繋げる機能が付いていたので、使ってみました。

 左に少し霞んでいるのがが淡路島。中央が友ヶ島で右が本州の和歌山県加太あたり。

 実際ここまでは見えませんが、この写真、船上の気分を良く表していると思います。大きくなるので、良ければクリックしてみて下さい。

二人で釣り

 およそ2年振りに奈良県と三重県にまたがる七色ダムへ行って来ました。

 何ともロマンティックな名前ですが、その名に負けない美しさです。

 大阪からは、南阪和道、国道169号線を使って2時間程。

 もう少し南下すれば熊野灘です。169号線は元々熊野大社へ向かう熊野街道だったのです。

 トンネル開通、道路の整備などで、15年前から比べると、一時間は短縮されました。
 
 今回は初めて長男と2人での釣行です。

 ボートのセッティング中など、じっとしていられるか気掛かりでしたが、なんとか無事湖上へ。

 まずは子供へのサービスも兼ねて、クルージング。

 湖底に沈んだ小学校を見に。

 湖の場合はルアーで釣ります。しかし今回は禁を破りました。子供の針にはミミズ。
 
 その甲斐あって、連続ヒット。なかなかに楽しんでいました。

 釣りに飽きたら、スピードを出して湖を大きく移動。風を切るのが楽しいようです。

 このパターンで朝の8時から昼頃まで、何とか一緒に釣りが出来ました。

 まずは、第一段階突破です。何と言っても釣りは私の趣味。徐々に段階を上げていくつもりです。

 午前中は何とか持った天気も、帰る頃には大雨。なんと言っても日本一雨の多い地域です。

 帰りの車で聞くと、やはり恐竜博物館のほうが良かったと言っていました。まあそのうち……