カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

ビッグスター‐1012‐

 嘘は絶対駄目です。

 嘘をつくと、それを覚えておく必要があります。ある時、これはかなり面倒だと気付きました。言ってみれば、頭がドライブの重いパソコンになったようなもの。

 全てにおいてマイナスしかありません。という事は、勿論嘘をついた経験があるということですが。

 先週末、出雲ので建築家展が終わったあと。

 電車まで少し時間がありました。

 一緒にイベントに出ていた建築家と「ちょっとラーメンでも」という話になりました。

 駅前を4人で歩いていると、いい感じの屋台を発見。

 中に入ると更にいい感じ。

 ベニヤにマジックで書かれたメニューには、ラーメンが500円、おでんが100円とあります。

 おばちゃんがおしゃべりとくれば、もう完璧。

 ささやかな打ち上げになりました。

 おばちゃんもエンジンがかかり、いろいろな話しをしてくれます。

 前日、タレントの博多華丸・大吉が来ていたそうです。屋台が大好きだそうで、ベニヤにサインもありました。本当に感じが良かったそうです。

 ひとしきり盛り上がったあと「そろそろ時間なので」と立ち上がると、ひとりに向かって「あれ、あんたもタレントさん?」と言い始めました。

 その方はとてもおしゃれで、かなり恰好がいいのです。全員が、大きな荷物を持っていたこともあってか「ああ、絶対そうや」と。

 冗談で言ってる感じではなかったので、その方が「ええまあ。韓国の方ではちょこちょこと」のような事を言ったのです。

 「ああそうや、やっぱりビッグスターなんや」と言いだしたのです。店を出ると、背中にむかって「まて来てや~」と。

 覚えておかなくて良い嘘は、ジョークと言う。

 お後がよろしいようで。

ズルズルとうどん県‐1003‐

母の郷里、香川へ帰っていました。

生憎の雨でしたが、祖父の13回忌だったのです。

7回忌から、あっと言う間に6年が経ちました。

最近の自治体は、自らの売り出しに熱心です。しかし、うどん県は想像以上にうどん県。

法事の前、住職、来訪者にまずうどんを出すのです。

皆でズルズルとやって、初めて法事が始まります。全くお茶を出す感覚。

長い読経のあと、線路沿いの墓地まで歩きました。とても真面目な祖父で、87歳まで生きました。

時々うどんを打ってくれたものです。

今月初め、鞆の浦へ行きました。その際、デイサービスからお年寄りが「ふるさと」を合唱するのが聞こえてきました。

生まれも育ちも大阪の私にとって、故郷とは。毎夏休みを過ごした、香川と岡山でしょうか。

志を果たして帰らん。水は清き故郷。

間もなく90歳になる祖母も、ズルズルと。うどん県はうどん県なのです。

潮待ちの街 ‐999‐

 10月4日(金)は、広島県の鞆の浦(とものうら)へ。

 瀬戸内海中央に位置し、潮の干満の分岐線にあたるそうです。

 よって、この港で「潮待ち」し、潮に乗って航海していました。街が繁栄して行ったのは、自然条件によるものとは面白いものです。

 また、2005年に宮崎駿が滞在し、「崖の上のポニョ」の構想を練った場所としても知られます。

 主人公宅のモチーフになったのが、写真中央の家。防波堤付け根にある、小高い丘の上にあります。

 非常に眺めが良い場所にあるのです。その光景が、テレビでも映っていましたが、一度そんな所で構想を練ってみたいものです。

 坂本龍馬が滞在した場所としても知られます。

 海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が岡山沖で衝突しました。龍馬が紀州藩と直談判をしたのがここ。

  現在は御舟宿「いろは」として営業しています。

その間、龍馬が滞在していた家も残っています。幕府からも狙われていた為、屋根裏のような空間でした。

3時間程の散策を楽しみ、昼過ぎに福山へ戻ったのです。

 そもそもの目的は講演でした。

 アストモスガス株式会社は、エネルギーメーカーとして、エネオスより大きな会社だそうです。その関連会社、中国アストモスガスが、建築会社向けにオープンセミナーを開催する事になりました。

 その講師としてオファーを貰ったのです。広島市、岩国市と、講演は何故か中国地方づいています。

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 約60名程の参加。持ち時間の1時間半を熱心に聞いて貰いました。

 初めは音声が出ず、少しバタバタしましたが、それも復旧。無事講演を終えました。

 初めて講師をしたのが2011年。その時なら、半泣きだったかもしれません。

 夕方福山駅まで送って貰うと、見事な夕焼けでした。福山城は駅のすぐ北にあるのです。

 「経験がものを言う」という言葉があります。しかし、いくら経験を積んでも、それだけでは同じ場面にしか応対出来ません。

 経験を通し、その原理原則を知る事が本来の目的なのでしょう。講演は時間が決まっています。時間が来ても機械が不調なら、フリーで話をするしかありません。

 私のフリートークを1時間半聞きたい人が居るかは別ですが、報酬を貰い、話をするという事は、そういう事だと思うようになりました。

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3月19日(火)■大阪の住まい力アップ:第1回 リフォーム・リノベーションコンクール ■で「住之江の元長屋」が戸建部門、最優秀賞を受賞しました

【News】
■1月6日(日)放送<「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012>で
「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました
■4月9日(火)リフォーム産業新聞に「住之江の元長屋」掲載

◆メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

銀座 ‐997‐

 今日で9月も終わり。

 1年でも最も気持ちの良い季節になりました。

 昨日は天気も良く、グランフロントのイベントには、多くの来場がありました。

 こういったイベントの1回目は、人出が少ないのが普通です。通りがかりの人を含めてなので、さすが大阪の中心というところでしょうか。

 今から新幹線で東京へ向かいます。あくまで計画段階ですが、ある店舗のプロジェクトに声を掛けてもらいました。

 その計画地が銀座です。

 銀座と言えば、商業の中心地。中でも4丁目界隈は日本で最も土地の高いところです。

 2013年の公示地価で1㎡が2700万円。1坪(3.3㎡)なら約9000万円です。

 武道家が、こう行っていました。

 極意とは、非常時における平常心、平常時における非常心である

 土地が高いからと言って、急に建築構造が変わる訳ではありません。ただ家賃もかなりの金額。土地、空間の大切さを見つめ直す機会にはしたいと思います。

 どんなジャンルにおいても、やはり1番には特別な意味があります。

 銀座という響きに、昂揚感と緊張感をもちながら、構想を練っているのです。

法力で投入れる

 この夏、山陰に来たのは、2つの目的があります。

 1つは投入堂を見ること。

 鳥取の山中にある投入堂は、三徳山三佛寺というお寺の奥院です。平安時代後期、706年の建造とされています。

 役行者が法力で岩窟に投げ入れたので「投入堂」。そんな伝説がある建物を、一度見てみたいと思っていまいた。

 途中の道路に鳥居があります。山や自然自体を信仰の対象とする、山岳寺院と言ってよいでしょう。

 登山参拝の受付には、以下のような看板があります。

 投入堂参拝は、厳しい試練の道

 観光気分、観光装備での入山はご遠慮願います

 この看板に偽りなし。

 最低限の準備はして行ったほうが良いと思います。前半から、かずら坂、くさり坂と難所が続きます。

 途中で引き返している人高齢者もいました。実際に、年に何人かは亡くなるという話しです。

 前半の山場を越えると、まずは文殊堂。

 大きな岩に直接柱をたて、大きく空へ張り出す回廊に、手すりはありません。

 落ちれば命さえも危うい高さ。

 安全確保一辺倒で、反対に生を感じる機会は減っているのかもしれません。

 登り始めて1時間程。突然目の前に現れました。

 少しその場に居たのですが、目の前に現れた瞬間、誰もが驚嘆の声を上げていました。

 期待して見に行った上で、それに応えてくれる建物が、日本にいくつあるのだろう、とも思います。写真家、土門拳が「もっとも美しい建築」と称えた投入堂。

 垂直に切り立った岩盤のくぼみに、貼りつくように建つこの寺。どのようにして建築されたのか、未だ解明されていないそうです。

 確かに「法力で投入れた」と言いたくなります。
 
 建築とは、その建物だけを指すのではない事が良くわかります。簡素で、力強く、美しいその姿は、この圧倒的なロケーションが、それらを限界値にまで高めているのです。

 非常に満足して山を下りました。出来ればあの縁側にも座ってみたかったのですが。

 もう1つの目的はアリジゴク。

 大阪では見つけるのにあれほど苦労しましたが、ありました。

 北条砂丘の松並木の中で、いくつも見つけることができました。

 アリジゴクは、ウスバカゲロウの幼体です。

 スリバチ状の罠にアリが落ちると、下から砂をかけて、更に下へと導くのです。その名の通り、アリにとっては地獄。しかしその様を見て軽く感動を覚えました。

 スコップで掘り起こしましたが、意外に小さいものです。大きいもので体長7mmくらい。

 前には進めず、すぐにお尻から砂地に潜っていく様には、哀愁すら感じます。結局、持ち帰ることに。

 子供達は、何か気に入らない事が起こると、文句ばかり言い出だします。しかし、子供と私の好奇心を満たす旅が、いつまで続けられるのか、とも。

 山陰の旅も今日までです。

ゲゲゲ

 今年の夏季休暇は、山陰へ来ました。

 早朝に大阪を出て、8時頃に境港に到着。まずは水木しげるロードを歩きました。水木しげると言えば、勿論ゲゲゲの鬼太郎。

 駅からの目抜通りに、ブロンズで出来た妖怪が、数メートルおきに並びます。スタンプラリーもあり、子供連れにはもってこい。

 街を上げての取り組みにも、好感がもてます。

 遊び疲れて皆が寝ている間に、植田正治写真美術館も訪れました。高松伸の設計ですが、彼も山陰の出身だったはずです。

 大山へ開かれた、眺望が見事でした。

 夕食は、皆生(かいけ)温泉で。

 水木しげるは、幼少期に父の故郷、境港へ移り住みます。

 家に出入りするまかない婦のおばさんが、聞かせてくれた妖怪話に、強い影響を受けたのです。記念館には以下のような言葉がありました。

 どうでもいいようなことを真剣に考えて、居ると信じる。それが妖怪なんだ。 

 まさに「一隅を照らす」です。

 画家志望だった水木は、戦争で左手を失います。なかなか売れず、何とかなったのが40歳を過ぎた頃でした。

 知らない街へ行き、誰かの人生を知る。心の隙間に何かが染み込むよう……

 3泊4日、山陰の旅は続きます。

それはポーカー詐欺だ

先月、若い頃の旅体験を書きました。と言っても31歳の時ですが。

この春入所したスタッフ田坂は、大学を休学。7ヵ月を掛け、25か国を回ってきた筋金入りのバックパッカーです。旅の前半、ホーチミンでの事。

中央市場あたりで、歳の頃は50歳、人の好さそうなおばさんと仲良くなりました。そのおばさんは東京に引っ越したいそうで、日本の情報を教えて欲しいと言って来たのです。

また「ちょうど今日、ホームパーティーがあるから、遊びに来ないか」と誘われたのです。彼は助けてあげたいという気持ちもあり、その家に行ったそうです。普通はついて行かないものですが。

家は、中心街からタクシーで15分程。密集した住宅街にありました。

パーティーと聞いていたにも関わらず、客は居らず。いきなり100kgを越すような大男がでてきました。テーブルの上に並んだチキンは、今までみたことのない貧相さ。それを指し「さあ食べろ」と言ったのです。

巨漢は「俺はカジノのディーラーをしているので、その技術を見せてやる」と言い出し、トランプのある個室に移されました。

「いまからポーカーをするんだ。インド人のカモがやってくるので、俺たちででグルになって、金を巻き上げてやろうじゃないか」と言い出したのです。するとヨボヨボのおじいちゃんが
入ってきました。どう見てもインド人ではない。

ここまでくると流石に彼も「これはヤバイ」と思い始めました。カモは自分だと。

さあ始めようとなります。何度拒んでも受け入れてて貰えず、1回するはめになったのです。結果はスタッフ田坂の大勝。巨漢が目配せをしてきました。「さあふんだくってやろうじゃないか」的な。全く嘘ですが。

何とかこの場から逃げ出さないとと「少し煙草を吸わせてくれ」と外に出ました。

巨漢が追いかけてきて「早く戻らないと、カモの(ニセ!)インド人に怪しまれるじゃないか」と、しつこく再開を即してきたのです。

「旅は始まったばかりなのに、ここで俺の人生は終わるのか……」スタッフ田坂は、遠い地で死をも覚悟したのです。

結果的には何度も懇願し、何とか開放して貰ったそうです。

彼に「深夜特急は読んだことある?」と聞くと「ありません」と。「だから詐欺にあうんだよ」と思わず言ってしまいました。バックパッカーは皆この本を読んでいると思っていましたから。

もう「地球の歩き方」の出てくるダメな日本人例でした。人の良い、小金もちの日本人は、どこに行っても世界最高のカモなのです。

長男は現在小学3年。勉強はそれほどではないようですが、本は目覚めと共に読み始めるくらい好きなのです。

「どんな本が面白かったか」と聞くので沢木耕太郎の深夜特急と答えました。一度読んでみるそうです。さて、小学3年生が文庫本全6巻を読み切れるのか。

いつか一人で旅にでればいいと思っています。少々の冒険はいいけれど、ポーカー詐欺にだけは引っ掛らないように。

「深夜特急」著者、沢木耕太郎は26歳の時、香港からロンドンまでを乗り合いバスのみで繋ぐ旅にでる。一年に及ぶその体験を元に書いたノンフィクションのようなフィクション。

日本人バックパッカーのバイブルとも言える?

バックパックに詰めて行くもの、置いていくもの

 週始めは雨予報だったのが、全て晴れ予報に。

 江戸時代なら間違いなく飢饉になっているでしょう。これは雨乞いが必要かもしれません。日本の自然崇拝の一端を見た気がします。

 この季節、蒸し暑い中を楽しく過ごす工夫が必要です。伊勢志摩のキャンプ場へ行った際、ハンモックがありました。

 南米の原住民が使っていた寝床ですから、この時期にはうってつけです。

 ハンモックに揺られると、いつも記憶は2002年2月のベトナムへ……

 2001年の4月、30歳だった私は事務所を閉め、無期限の休暇に入りました。

 周囲には「海外を見て回りたいから」と説明していました。事務所を立ち上げて5年が過ぎ、正直に言えば心身ともボロボロでした

 しかし、バックパックだけを背負い世界を旅してみたいという夢も持っていました。

 この年は911のテロがあり、出発はやや遅れたもの、2001年の暮れ、ようやくバンコクに飛び立ったのです。

 帰りのフライトチケットを持たない、宿をもない初めての旅。

 新しい街に着けば、まずはゲストハウスと呼ばれる安宿探しです。
 
 心細かったのは数日で、値交渉も楽しみの1つになりました。

 東南アジアの街々を放浪し、2002年の2月、ベトナムに入りました。

 現在、ホーチミンは経済で注目の的ですが、十数年前も人の多い、埃っぽい、熱を帯びた街でした。

 カンボジアからは飛行機での移動。

 空港に降り立つと、まずその人の数に圧倒されます。

 何故か両替が外にあり、多くの視線の前で、ベトナムの通貨のドンに換金しなければなりません。

 タクシーを捕まえ、ゲストハウス街の住所を告げ、降ろされた時に撮ったのがこの写真。

 見渡す限り、人人人。全員が私の財布を狙っているんじゃないかと、内心気が気ではありませんでした。

 あてにしていたゲストハウスが見つかり、ほっとしたのです。

 ホーチミンはフランスに支配されていた歴史もあります。

 よって、安宿でも練乳入りのコーヒーとパンが美味しいのです。もちろん、パクチーがちりばめられたフォーは最高でした。

 バラック街の中にある、ゲストハウスには屋上がありました。

 そこにハンモックが吊られていたのです。

 ある夜、市街地の中心から花火が上がり始めました。華僑が旧正月を祝う為に上げているとのこと。

 ハンモックに揺られながらそれらを眺め、そろそろ日本に帰って仕事がしたい、と思ったのです。事務所を閉めて、10ヵ月後のことでした。

 人生には色々な事があります。もう仕事を辞めたいと思っている若者が居るとしたら。

 どんな仕事でも同じですが、簡単に辞めてはいけません。しかし、もうこれ以上は無理、なら辞めざる得ません。

 そんな時はバックパックだけの旅を勧めます。

 本当に必要なものは、その小さなバックパックに全て入っているのです。

午睡をむさぼるなら

 昨日は、京都の伏見へ行っていました。

 所用を終え、近くの宇治川まで歩くと、夏のような日差し。

 川沿いに、なかなか立派な建物がありました。

 月見館は、登録有形文化財に登録されている温泉旅館でした。

 敷地内に古い船が置いてあり、webサイトで見ると説明がありました。

 淀川三十石船は、江戸時代の市民の足として大阪と伏見を結んでいた。

 三十石の荷が積めるところからこの名が付く。約45kmの行程を、上りは12時間、下りは6時間程で行き来する。

 概ねこのような内容でしたが、上りは綱を引いていたようです。

 竜馬もこの船に乗り、幕末の世を駆け回っていたのでしょう。その船が綱で引かれていたとは。

 大阪の船着き場、八軒家は現在の天満橋です。その間、京阪に乗れば40分弱です。

 実に20倍のスピードですが、その位かと言う数字でもあります。

 ただ、京阪特急の乗り心地は抜群です。新幹線の2時間半より、京阪の40分。適度に時間も掛かり、昼寝をするのにもってこい。

 午睡をむさぼるならおけいはん、なのです。

神宮式年遷宮、お伊勢参り

 友人がエクシブをとってくれました。

 宣伝の写真みたいになっていますが。

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 朝、海沿いをジョギングしていると、あちこちから煙が上がっていました。

 流石漁師の街ですが、煙をみるのも久しぶりです。煙が上がらないの見て、民の貧困を嘆いた詩がありました。

 火が生きる証なのだと、理解できます。

 昨日はまず、みえ子供の城へ。

 私としては、海の博物館へ行きたい気持ちもありますが、子供の要望にも応えなければと。

 丁度イベントがあったようで、屋台も出ていました。

 わたがしが100円。

 一応満足してくれたので、伊勢神宮へ。鎮座2000年、日本最高位の神社です。

 この秋には、20年に一度の神宮式年遷宮を迎えることもあり、凄い人出でした。

 急がば回れの法則で、2km地点までたどり着きました。しかしここまで。車を妻に託し、子供と徒歩で目指すことに。

 秋に備え、着々と準備が進んでいるのが解ります。

 木造建築の粋を集めた美しさは、巨匠ブルーノ・タウトも絶賛しました。

 彼は、桂離宮、飛騨高山の建築も称賛しており、日本人以上に日本の建築を愛した建築家です。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

 社殿は撮影不可で、現在もその神秘性は保たれています。

 木々の隙間から見える屋根が光を受け、黄金のように輝いていました。刺激の多すぎる時代が果たして幸せなのかどうか。