一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

飼う

 関東甲信越地方は火曜日に梅雨明け宣言がでました。近畿地方も、もう間もなくでしょう。

 各地の夏祭りも佳境に入ってきました。明日は祇園祭の山鉾巡行。一昨日は京都に居ましたが、流石に暑い。やっぱり京都の暑さは別格な気がします。

 近所の夏祭りで捕った金魚を、真剣に飼い始めました。しかし、注文した水槽が届いた時には、5匹のうち4匹が駄目。1匹ではちょっとかわいそうと、ペットショップ行ったのです。大人になってからは初めてです。

 水槽一つにつき飼える魚種は一種。10リットルの水槽で飼える金魚は2~3匹。1匹で飼うと縄張り意識が強くなり、新しいのを入れると喧嘩する。金魚1匹は40円。

 店のスタッフに色々教えてもらい、新たに2匹買いました。

 家の水槽に入れると、数日は喧嘩していましたが、そのうちしなくなりました。

 同じ時期に義妹からオオクワガタも貰いました。

 最近はスイカの食べ残しは上げないそうです。何でも居お腹を壊すとか。

 それで、専用のゼリーを上げるのですが、それにまで好き嫌いがあるのです。

 しかし、夜遅く帰っても玄関先で水の流れる音がし、金魚は泳ぎまわっています。クワダタも何かとゴソゴソしています。

 生き物は自由に生きるべきだと思いますが、ペットを飼う気持ちも少し分かりました。

 妻は犬を飼っていたこともあり「犬は飼われる事に幸せを感じる」と言っていました。石器時代には、すでに飼われていたという話しもあるので、そうなのかもしれません。

 いつかは犬を、という気配があります。ひとまず今は、触れないようにしているのです。

新世界

 昨日の日曜日は、晴れ予報に変わりました。長男の希望で動物園へ行くことに。

 天王寺動物園については何度か書きましたが、サバンナゾーンにキリンが立つ姿は、なかなかのものです。

 人の少ない時間帯に、木陰のベンチから眺めていると、ひととき喧噪を忘れます。

 朝一番が絶対的にお勧めです。

 本当に暑かったので、動物園はそこそこにして、早めの昼食をとることに。

 園のメインゲートを出て東へ信号を渡るとすぐ新世界です。

 南に曲がれば、以前は三味線を鳴らし客引きをしたというジャンジャン横丁。

 ふぐのちょうちんで有名なずぼらやを北に曲がれば通天閣。

 観光地化されたとは言え、雰囲気のある店がまだまだ残ります。

 妻は初めてだったので、串カツを食べたいと。

 店は色々考えましたが、ベビーカーでも入れる「朝日」へ。 

 「ソースの二度漬けお断り」は、当たり前でしょう、という感じの貼り方でした。

 これも、新世界のアトラクションの一つかもしれません。

 金額は、串カツ100円、ホルモン120円、山芋120円といった感じ。

 ソースが美味しいので、大体のものはいけますが、やはり外せないのはホルモンでしょうか。

 私の中でも一番でした。

 1歳の長女はいつも良く食べますが、ホルモン串をガツガツ食べていました。

 昼食の後は、ついでに通天閣へ。大人600円。

 ビリケン様も、商店街にいくつも大きなのがあるので、ちょっと有り難味が……

 目立てば勝ち、という感じで、全ての店が総チンドン屋化していました。

 それはそれで、街の雰囲気を作っています。

 ただ、元は南にある飛田の遊郭街や、釜ヶ崎の日雇い労働者と、切っても切れない関係にあります。

 治安が良いところでは無いことは間違いありません。

 動物園に行く前もジャンジャン横丁を通りましたが、立ち飲みスタンドでは、朝からビールをあおるオッチャンの混み具合が、普通ではありませんでしたし。

 久し振りに行ったのですが、それでも面白い街には違いありません。

繁栄と衰退を分けた違い

 先月、写真スタジオのクライアントから面白い話を聞きました。

 約3万年前にネアンデルタール人は絶滅し、私達の祖先、ホモ・サピエンスは生き残りました。その決定的な差は、声だったそうです。

 前者の声帯はチンパンジーと同じように、口に近い位置にありました。後者の声帯は深い位置にあるので、声を共鳴させる事が出来き、言葉という複雑な音を操れるようになったのです。

 深い位置にあると、食べたものが、気管に入るリスクはあります。それでも生存競争に勝ったのは、後天的に多くの情報を共有し、受け継いでいったからなのです。

 
 太陽があの辺りから出てくると、段々寒くなるから、しっかり食料を貯めておかないといけない……

 この時期は、あの方角に半日歩けば水場がある……

 そんな事を子孫に伝えたいという思いが言葉を生んだ、と言えばちょっとロマンティックすぎますか。

 初めに言葉ありき

 は、新約聖書の一節。やはり言葉なのです。

的屋

 明日は七夕。夏祭りがあちこちで、始まり出しました。日曜日は近所の神社でも夏祭り。

 日が暮れる前に行くと、準備中の店もいくつかありました。

 夜店というくらいなので、仕方ありませんが。

 長男は、金魚すくいを。300円です。

 何とか一匹とりました。

 何故か長女は上機嫌。

 近所評は私に「そっくり」です。果たして喜んでよいのか、そうではないのか……。 

 まあどちらでも良いのですが。

 カニすくい?なるものが登場していました。

 いたいけな子供の財布を開ける為、的屋もあの手この手を考えてきます。

 これが結構な人気でした。

 これは定番、輪投げ。

 見ると「十手、刀に入ればすきな商品あげる」とあります。

 これは簡単だなと思い、見ていると「あ~っ、惜しいダメ~」と、店のお兄ちゃん。

 更によく見ると、横にイラストが。

 台座の下までスッポリ入らないとダメなのです。

 そこ抜けに明るく、楽しいのを求めるなら、ディズニーランド。

 何せリピート率が80%です。

 しかし、薄暗い裸電球と、アンフェアな感じこそが、夜店の全て。こうばしい感じのお兄ちゃんも必須です。

 ここ5年くらいは続けて来ています。考えてみると、リピート率も結構な数字になるのかもしれません。

自由と正義の国の平等

 昨日から7月。今年の後半戦がスタートしました。

 7月4日はアメリカの独立記念日。1776年の事です。合衆国憲法の前文には正義(Justice)と自由(Liberty)が謳われています。そのアメリカで、法的な人種差別がなくなったのは公民権法が成立した1964年。僅かと言って良いのか45年前のことです。

 法案の成立に大きく貢献したのが、マーティン・ルーサー・キング・Jr牧師です。その生い立ちをテレビで観ました。

 人種によっては集会さえも規制されていた当時、集まって話を出来るのは教会だけでした。彼は皆に平等を伝える為、牧師になります。そして、ガンジーが提唱した「非暴力、非服従」の精神に共感し、民衆にもそれを貫くよう訴えかけ続けます。

 その集大成となったのが、教科書にも出てくる、「I Have a Dream 」という演説で、法案成立の一年前、1963年ワシントでのものでした。

 公民権法が成立した後、キング牧師はベトナム反戦運動にも力を注ぎます。しかし1968年、凶弾に倒れ39年の生涯を終えるのです。

 亡くなる少し前のスピーチが紹介されていました。

We shall overcome(私達は打ち勝つ)
私達は打ち勝つ
たとえ遠回りをしていたとしても
行き着く先に「正義」があるかぎり
私達は打ち勝つ
なぜなら「偽り」が
永遠に生き続けることはないから
私達は打ち勝つ
私はそれを
心の深いところで信じている

 アメリカの独立から、世界の時流は民主主義に大きく傾き、1789年にはのフランス革命が起こります。自由、平等、博愛の精神です。ここでは平等が謳われています。

 18世紀末から200年もの間、アメリカでは、自由と平等は違うものでした。その事に実感として、初めて気付かされました。

イターリアより 2009

 土曜日の朝、昨年に続いてはるばる遊びに来くれました。

 妻の友人は、イタリア人のご主人と結婚して、ミラノで暮らしています。今年は夏休みの1ヵ月を、奈良の実家で過ごしています。昨年はご主人も一緒だったのですが、全員での来宅はまた今度です。

 今年は引っ越したので、プール遊びからスタート。

 我が家の長女は、意外に人見知りでした。

 イタリア、長男7歳、長女6歳、次女4歳。日本、長男4歳、長女1歳6ヶ月。当たり前ですが、去年より1歳大きくなりました。

 日曜日は朝から、扇町のキッズプラザ大阪ヘ。

 家からは地下鉄で30分くらい。中には、子供が喜ぶ、ありとあらゆるアトラクションがあります。

 2層吹抜けになった子供の街というエリアは、有機的な立体迷路で、皆汗だくで走り回っています。

 いつも無駄使いの槍玉に上げられる、大阪市環境局舞洲工場(2001年)で知られる、フンデルト・ヴァッサーの設計。

 用途が問題なのであって、ここはとても楽しいところです。

 職業体験も色々出来ます。

 イタリア次女4歳と、ニュースキャスターに。撮影の後、モニターで流してくれました。

 誰も見ていませんが、気恥ずかしいものです。なら、しなければ良いのですが。

 毎年この行事を楽しみにしています。

 我が家の長男に、英語とイタリア語の違いは分かりません。

 どれでも、飛行機で12時間もかかる、遠い国があると知るだけでも凄く幸せだと思います。

 外出の時、6歳のお兄ちゃんでも必ずお母さんと手を繋いでいました。「偉いねえ」と言うと、それは治安の違いという答。

 日本と違う国があると知るだけで、私にとっても凄くいいのです。

サングラス

 中学生の頃、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの写真を教科書で見ました。

 飛行機のタラップを降りる姿は、コーンパイプにサングラス。白黒写真でしたが、子供ながら「カッコイイ」と思いました。特にサングラス。大人になったら絶対あれだな、と思っていたのです。

 大学生になり、それがパイロット用に開発された、レイバンのティアドロップと知りました。車を運転する時に愛用していましたが、そのフォルムに、何というか潔い美しさを感じたのです。似合っていたかは全く別問題ですが……

 それが壊れたのが、25歳の頃。その頃、サングラスはレンズの小さい、フォルムの鋭いものが流行っていました。私は、2代目をそのタイプに変えたのです。

 それはそれで気に入っていました。しかし数年後。あのファションにうるさい中田英寿が帰国した映像を見かけました。首には、床に擦る程長いマフラーを巻き、足元はサンダル。サングラスはレンズの大きなティアドロップ。レイバンかどうかは知りません。

 何となく時流に流された自分が……。流行の問題でなく、本心からそれが良いと思っていなかったのです。

 先週の日曜日。レイバンのコックピット(RB3362)を買いました。マッカーサー愛用のティアドロップとは少し違いますが、凄く気に入っています。
 
 物を選ぶ時、一生に一緒に居られるかを基準にするようにしました。今はサングラスを掛ける時、ちょっと気分がいいのです。

神戸元町

 先週の木曜日、神戸の元町へ行っていました。

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 2002年から2003年にかけて、すぐ駅前にある商業ビルの改修をしていたので、よく来ていました。

 久し振りでしたが、テナントも入っており安心しました。

 駅前の道路を南に渡り、ビルの脇を抜けると神戸元町商店街です。

 更に南に行けば中華街。インフルエンザ禍も過ぎ、湯気の上がる屋台の点心にも、行列が出来ていました。

 中華街を抜け、更に南へ下るとメリケンパーク。ここまで駅から10分弱です。

 反対に駅から北に向かへば、10分歩くと山の手の雰囲気に変わります。

 山と海の近さが、神戸独特の変化ある風景を作っているのです。

 海沿いにはポートタワーもありますが、私としては、フランク・O・ゲーリーのフィシュ・ダンス。

 抽象でもなく、具象でもないのに、チープではないこの感じ。

 巨匠と呼ばれるに相応しい仕事です。

 金属のメッシュで構成されたウロコが、やや錆びており、さらに良い感じです。

 製作は、安藤忠雄の監修だったとは知りませんでした。

 会合を終えると10:00pmでした。

 山手には、神戸の市章と錨のイルミネーション。

 小さい頃、夏休みは母方の里、香川で過ごしました。橋の無い当時は、カーフェリーで帰ってきます。

 夏休みは凄い混雑で、よく甲板に寝たものです。到着港は少し東の青木。このイルミネーションが見えてくと、夏休みが終わるサインでした。

 仕事の時は、用事が終わればバタバタと帰るだけ。今度ゆっくり中華街へでも来ようか……と思います。

大男たちの挽歌

今回は特定の人へ向けた番外編です。

今週日曜日の早朝、用があって実家に寄りました。ポストから新聞を取り出し、食卓の上に置くと、スポーツ新聞の一面に「三沢死す」の文字。

プロレス団体、ノアの社長で、トップレスラーでもある三沢光晴が試合中に亡くなったのです。

小学生の頃からプロレス好きで、金曜8時と土曜7時が待ち遠しかったものです。中学生から25、6歳の頃までは、ずっとプロレス雑誌も買っていました。

プロレスというジャンルは、アラを探せばいくらでも出てきます。ルールもあって無いようなもの。その分、解釈も自由で、楽しもうと思えばいくらでも楽しめるのです。

プロレスファンへ良くある質問に「どうせ八百長なんやろ?」があります。それにはこう応えていました。「プロレスは対戦相手との真剣勝負ではなく、観客との真剣勝負なんだ」と。自分、相手の体を痛めつけ、観客に喜んで貰う究極のサービス業(行?)なのです。

昨今の格闘技ブームもあって、プロレス人気は急落しています。三沢率いるノアもテレビ番組が打ち切られたばかり。いま一時の三沢への評価は別にして、集客力の落ちたプロレスに対するメディアの評価は冷たいものです。

そういう私も、随分前からほぼ見なくなりました。私が好きだった昭和のプロレスは、雑誌から得る限られた情報で、あれこれ想像する楽しみがありました。

猪木、藤波、長州、タイガーマスク、ハンセン、ホーガン、前田、高田、船木、天龍、川田、ベイダー、ゴッチ、テーズ、レイス、フレーアー、へニング、スヌーカー……

それぞれの選手に、それぞれのストーリーがあったのです。仮にそれが虚像であったとしても。

誰も望んでいませんが、三沢は命を掛けていた事を証明してしまいました。思えば、大好きだったレスラーの多くが、若くしてこの世を去りました。

ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、テリー・ゴーディー、C・バンバンビガロ、ホーク・ウォリアー、ジャンボ鶴田、冬木弘道、橋本真也、そして三沢光晴。

これ程の高度情報化社会はいったい何を残したのでしょう。イマジネーションを膨らませる、余白の部分を大きく取り上げてしまったのではないのでしょうか。これからプロレスを見ることは、ほぼ無いかもしれません。

リング上でしか自分を表現できない、不器用な大男達。その歓喜と悲哀を見るのが好きでした。安らかに……

アゲハチョウ

 朝起きて窓を開けると、庭木にアゲハチョウが止まっていました。

 長男が盛り上がっているのを制し、もう一枚アップで撮ろうした瞬間、フワと飛んで行きました。

 長男はむくれていましたが、まじまじと見ると美しい生き物です。

 子供の頃、何故あんなに生き物を捕り、飼いたかったがったのでしょう。小さい頃、斜め向かいに住む友達もそうでした。

 小学2年生だったか、彼は飼っていたザリガニのお腹に、卵を見つけたのです。そして「産卵には沢山酸素が要る。ストローでブクブクしたらなアカン」と言うのです。

 それで、交代々々に日暮れまでブクブクしていました。夕飯時になると、その辺は子供のなので「じゃあ」とそれぞれの家に帰ったのです。

 次の日も、学校に行く前にブクブクし、帰ってからもブクブクしていると、小さなザリガニが沸くように孵化し始めたのです。酸素を送ったのか、二酸化炭素を送ったのか分かりませんが、小2にはちょっと感動的な光景でした。

 彼は小学3年になる春休みに、閑静な住宅街に引越して行きました。その後も中学くらいまでは、行き来していたのですが、その後疎遠になって行きます。

 「亡くなった」と聞いたのが、8年前の今頃。朝起きると眠っているように……だったそうです。「どうしてるんやろうなア」と思いながら、中学を出てから一度も会わずでした。
 
 もう一人、若くして亡くなった友人がいます。あれも7年前の蒸し暑い夜でした。

 日本には、チョウを魂の化身とみる風習があります。音も無く飛ぶ様が、儚げで神秘的に感じられたからでしょうか。ほんのたまにです。彼らに「元気にやってる」と言いたくなる時があります。