雪・晴れ・つぼみ

 

 

 

 

 3月14日(火)は朝起きると大雪。大阪でも雪が積もり、真冬のような一日となりました。

 翌3月15日(水)は一転して快晴。気持ちの良い天気なので、近所の公園へ散歩に出掛けました。桜のつぼみも膨らみを帯びてきました。大阪の開花予想日が3月25日に早まりました。

 

 

 

 

 気がつけば、木々も青々とした葉を付けていました。その中には鳥の巣が。

 「このあいだ年が明けたと思ったら、もう三月半ば?」などと言っている間に、木も鳥も春を迎える準備を進めていました。

 私も釣りシーズンに向けて道具の手入れでも始めます。

 一年ぶりの桜まで、あと一週間と少し。世間の気分は、「桜まえ」と「桜あと」では大きく違うように思います。待っている「まえ」も悪くはありませんが、皆がポジティブになるのは勿論

 「あと」。春の象徴「桜」を待ち望む時、日本人は一致団結するのです。

四国のおばあちゃん & 讃岐うどんの名店Ⅱ

昨日、母方の祖母に会いに行って来ました。

香川県にある石段で有名な金毘羅さんの麓に住んでいるのですが、転んで頭を切ってしまい丸亀市にある病院に入院しているのです。

今年で82歳。当たり前ですが、年を取りました。小学生の頃は、長期休暇になると弟と2人で、祖父母のもとで過ごしたものです。

以前の祖母は、とにかく元気な人でした。今考えると、子供の世話をするのが、なのよりの生きがいだったようです。親戚の夫婦がドイツに留学に行くといっては娘を預かり、夏休みになると私たち兄弟がやってき、一緒に住む母の弟夫婦にも子供が3人生まれ・・・・・・

イタズラ盛りなので、よく叱られましたが、よく笑い、よく働く、大好きな「四国のおばあちゃん」でした。

今では曾孫が4人。しかし、もう昔のような元気はありません。子供の面倒を見る自信が無くなるのと同時に、以前のような覇気がなくなったのです。入院して体調も上向きなので、またうちの子供と遊び、叱ってて欲しいと願っています。

帰りに、讃岐うどん名店めぐりの第2段に行ってきました。

2004年10月11日 に紹介した山あいの名店「山内」に続いて、今回はぶっかけうどん発祥の店と言われる善通寺市にある「山下」です。

11:30am頃に入ったのですが、すでに席は一杯です。高知ナンバー、新潟ナンバーの車までありました。

ぶっかけうどんの大盛りを頼みました。海老、サツマイモ、ちくわの天麩羅をのせて480円。生姜はおろし金で自分ですります。

納得の値段に満足のお味でした。さすがに香川屈指の繁盛店だけのことはあります。コシの強い麺に、薄めの出汁、少し塩味の効いた天麩羅がよくあっていました。

帰り道、元気な頃の祖母の姿を思い出します。

時の流れとは言え、やはりなんとも寂しい気持ちになるのです。

トラブル トラブル トラベル

 最近知って妙に納得したことがあります。

-旅-トラベルの語源はトラブル

 「トラベル」の語源である「トラベイユ」は「苦労」という意味があるそうです。トラブルとほとんど同じことば。元々旅は苦労することばかりだったのでしょう。もっともっと遡ると拷問と言う意味まであるようです。

 近頃、家族で旅行に出かけるといえば、インターネットで下調べをし、宿を予約し、見所をリサーチし、移動はスムーズに・・・・・・

 旅の醍醐味は、思いもよらぬハプニングにこそあるのかもしれません。バックパックひとつ背負って、知らない国の、知らない街へ、旅へ出たいという野望がムクムクと・・・・・・

 そう、トラブルを求めて。

 私にとって「旅は俗悪に限る」のです。

大阪城 クリスタルタワー 梅

 日曜日の朝は雲ひとつない快晴。

 これは春の一日目?と、大阪城公園の梅林へと出掛けることにしました。

 

 

 

 

 情報では、五分咲きとのこと。

 実際は七分咲きちょい手前というところでしょうか。

 しかし人出のほうは結構なものでした。

 

 

 

 

 それでも、行ったかいがありました。

 大阪ビジネスパークをバックに見る景色は、なかなかのもの。

 

 

 

 

 この天気が続けば、今週末あたりが最盛期でしょうか。

 梅林をでると、春本番を前にして、つぼみを付けた木々もちらほら・・・・・・。

 次は桜です。

大阪城公園のWEBサイト

1歳の考えること

 昨日は長男、仁(じん)の誕生日でした。

 あたふたしたり、戸惑ったりしながらも、ようやく一年がすぎました。

 ありきたりですが、長かったような、短かったような・・・・・・兎にも角にも、仁は元気に育っています。

 

 

 

 

 

 昨日の夕食は誕生日の特別メニュー。何が特別かと言うと「全て手づかみで食べれる」事だそうです。

 

 

 

 

 

 夕食は先に妻と食べているので、カメラで撮っておいてくれました。特別メニューは一瞬にしてこうなったそうです。

 私が帰宅してから、3人で誕生日ケーキを食べました。彼は上のイチゴだけ。

 

 

 

 

 食後は最近覚えた歯磨きの”マネ”。実際磨いているはけではありませんが、何故かご機嫌なのです。

 最近はいろんな遊びが出来るようになりました。中でも、大のお気に入りは”かくれんぼ”。

 未だハイハイしか出来ないので、探しているマネを始めると、”高速ハイハイ”で飛ぶように逃げていきます。しかし、狭い我家の中ではすぐ見つかってしまう。

 考えた彼は、顔を布団などに押しつけると、じっとしているのです。自分からオニ(私)が見えないので、相手からも見えないと思っているのか、隠れているつもりのようです。

 布団に顔をおしつけ、ちょこんとお尻を突き出している姿を見ると「純粋なことは、なんて素晴らしいことよ」とチチは微笑んでしまうのです。

フィギアスケートと皆川選手のコメント

 今日でトリノオリンピックが閉幕しました。

 日本で唯一のメダルは、荒川静香選手の金メダル。

 日本フィギア初、アジア初等など、いろんな形容詞がついていますが、運動能力と美しさを競うフィギアスケートで、体格に劣る日本人が世界一になるということは、偉業だと思います。

 フィギアスケートは開会前から期待が大きかったので、メダル争いをする選手の情報が自然と伝わってきます。

 日本からは4回転ジャンプの安藤美姫と表現力の増した村主章枝。

 アメリカからは、過去のオリンピックで、あと一歩金メダルに届かず

 ”シルバーコレクター”とも呼ばれるサーシャ・コーエン。日本の最大のライバルと目されているロシアのイリーナ・スルツカヤ。そして世界選手権王者でありながら、新採点法に悩む荒川静香・・・・・・

 前半のショートプログラムでは、アメリカのコーエンがトップ。

 2位が、ロシアのスルツカヤで、荒川は3位につけます。

 3人が僅差で並ぶという展開。村主は続いての4位。

 後半フリー演技での荒川選手の逆転劇を改めて伝える必要もないと思いますが、”シルバーコレクター”を実践してしまったコーエン、ジャンプで転倒してしまったスルツカヤを横目に、冷静に
自分を表現しきった荒川選手は神々しくさえありました。

 その後、メディアからは様々な情報が伝えられましたが、心に残った話があります。念願の金メダルを目指すスルツカヤはフリー演技の際に今シーズンの試合で初めて転倒したのだそうです。

 世界のトップにいる選手が万全の準備をし、最高の舞台だからこそ、起こりえる失敗。

 史上最大のスポーツの祭典オリンピック。4年という時間とその空間はそれほどまでに、重たいものなのでしょう。しかし私たちは、その舞台で懸命に戦う選手たちの、超人的なパフォーマンスと、同じ人としてのサイドストーリーに惹きつけられ、感動するのです。

 他の競技では、昨日のアルペンスキー回転は大躍進でした。

 大学時代にアルペンスキーに打ち込んだ私は、手に汗握って応援しました。

 期待の佐々木明選手は残念ながらコースアウトしましたが、メダルまで0.07秒差の4位にはいった、皆川賢太郎選手と39番スタートから7位に入った湯浅直樹選手には、拍手を送りたい気持ちです。入賞に限っても50年振りという快挙。深夜3時頃まで「もしや、メダル!?」とドキドキさせてもらいました。

 以下は皆川選手の試合後のコメントです。

 メダルを取って一番したかったことは、僕らの競技を知ってもらいたいということです。今回のフィギュアスケートのように、みんながルールを理解して、見方を勉強して、そして楽しんでもらう。そういう競技に僕らもなれるようにしたいなと思いますね。

 今回のオリンピックで「メダルが少なかった」という意見をきくと、なんとなく違和感を感じます。

 もし「メダルが少なかった」のなら、私たちは、それぞれの競技について、普段から「競技の楽しさ」と「選手のパーソナリティー」を知ろうとするる努力をする必要があると思うのです。

 選手を知れば、サイドストーリーを知り、思い入れもでき、応援したくなります。応援する人が多ければメディアへの露出も増え、しいては競技人口の底辺を増やし、強い選手を輩出します。

 競技を主催する側も、楽しさを知ってもらうために、今以上に尽力する必要があると思います。

 普段は知らぬ存ぜぬで、オリンピックのときだけ「金メダル1個かア」では、虫が良すぎると思いません?フィギアスケートの盛り上がりと、皆川選手のコメントを聞いてそんなことを思いました。

 オリンピックが終われば次は6月のサッカーのワールドカップ、ドイツ大会です。変わり身が早すぎますが、一流の選手の最高のパフォーマンスはそれほどまでに美しく、見るものを魅了します。そういえば今晩はボクシング、徳山選手の防衛線があったはず。

「城陽の家」→「Tさんのお宅」

一昨日、2月21日発売の『月刊ニューハウス 4月号』(ニューハウス出版)「城陽の家」が「Tさんのお宅」として紹介されました。(P34~38)

 

 

 

 

 

 

 「月刊ニューハウス」は毎月テーマが決まっています。4月号は次の通り。

「家がほしいんです!1000万円台でなんとかなりませんか?」

 テーマがテーマなので、建築工事費用、設計料、ローンのことなども全て公開されています。

 快く承諾してくれたTさんご夫妻には感謝しています。ちょっと大げさですが、希望の家を実現するための「私たちの闘い」を振返ることが出来ました。

 今回は自分で書いた文章はありません。取材を元にライターが書いているので、今までと違い、私も気楽に楽しめました。

 「設計者の全身写真も載せる」と編集部から言われていたので、取材の前日に「飲みすぎて顔がむくまないようにしないとナ」などと妻に言っていたことを思い出します。「誰も気にしてないヨ」と言われましたが。

 本屋さんで見かけたら是非ご覧下さい。ちなみに表紙の写真は、真ん中が「城陽の家」で、人影は左から4番目が私です。

司馬遼太郎を訪ねて

 昨日、東大阪市にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。

 司馬作品は中学生の頃からよく読んでいました。確か一番初めに読んだのは「国盗り物語」だったと思います。またあんな小説に出会ってみたいと願うのです。

 司馬遼太郎氏は1996年に72歳で逝去されました。記念館は生前暮らした自宅に隣接して建っており、自宅の玄関が記念館の入口を兼ねています。表札は直筆だそうです。

 書斎は亡くなった当時のままにされています。庭に面しており、これ言った趣味の無い司馬さんは執筆以外の時も、庭を眺めながらここで読書をしていたそうです。


 
 書斎の前を通りすぎ記念館へ。安藤忠雄氏の設計ですが、内部は撮影禁止でした。

 司馬遼太郎、本名、福田定一少年は幼少期を奈良県の當麻町で過ごします。ここには大阪と奈良を結ぶため古くから残る、竹内街道が通っていました。

 庭からは、石器時代の矢尻がごろごろと出てくるような所で、収集するのが楽しみだったそうです。そういった体験が福田少年に自然や歴史にたいする憧憬を抱かせるのです。

 青年期には第二次世界大戦が勃発します。18歳で学徒動員されますが、終戦を栃木県の地で迎えます。この戦争での経験が作家としての人生を決定付けるのです。

 召集を受け、一旦は死さえ覚悟した福田青年は、戦争が劣勢になってくると理不尽な場面に出くわします。本土決戦を前にした日本の軍部は、命をかけて国民を守るどころか、最終的に自らの保身を優先するような命令を下すのです。

 その時に彼は「日本人というのは、こんな国民だったのか。いやそうではかったはずだ。戦国時代は、江戸時代は、せめて明治時代以前はそうではなかった・・・・・・」と憤ります。

 それから日本が少しでも良くなればと、戦国時代、江戸、幕末の志士を描くことになるのです。坂本竜馬に思いを込めて・・・・・・

 映像資料の中で、亡くなる9日前のインタビューが流れました。そこでも彼は、日本の未来を憂いています。「このままでは、日本という国はなくなってしまう」と。

 風貌から穏やかな好々爺を想像していましたが、映像の中の姿は全く違いました。日本を代表する叡智は、日本をなんとかしたいと・・・・・・という気持ちで創作を続けていたのです。

 書斎から眺めた雑木林のような庭では、氏の愛した菜の花が満開でした。

目撃してしまいました

 生まれて初めて犯罪の現場に遭遇しました。今週の月曜日、お昼の2時頃、大阪市内での出来事です。

 外出していた私は仕事を終え、地下鉄の駅へと向かいました。出入口の階段を降りようとした瞬間「ドスッ!」という、人と人がぶつかる、独特の鈍く大きな音が。すぐに「誰か~!捕まえて~!」という年配の女性の声。振返ると、スモークを貼ったヘルメットに紺色の作業服の男が、ナンバーの無い原付で、蛇行しながら走りさって行きます。

 倒れていたので「当て逃げかな?」と思い女性に近づくと「ひったくりヤ!!」と。

 すぐに110番をしましたが、出来ることはそれだけ。動転していた当事者は止めてあった車で、すぐ追いかけていきましたが、捕まえられるはずもなく・・・・・・。
 現場は、幹線道路の交差点にある銀行の前です。その女性は目の前に外車を路上駐車し、お金を下ろしました。車に乗ろうと歩道から車道へ出た瞬間、犯人は後ろから原付ごとぶつかり、バックをひったくったのです。

 私は今まで「ひったくり」というと、注意の足りない人の合う、自分で防げる犯罪だと思っていました。もう少し言うと、体に危害を受けるとは想像していませんでした。しかし現実は違いました。

 相手は犯罪者ですから、被害者の体のことなど心配するはずも無く(当り前!)、猛スピードで、原付ごとぶつかり、跳ね飛ばして盗むのです。「ひったくり」などと言う生やさしい表現は違っていると思います。私の見たそれは、「ひき逃げ強盗」でした。

 その日は気分の晴れない一日になりました。

 働かずして、人を傷つけてでも、お金を得ようとする、野蛮で稚拙な犯罪者に何を言っても無駄でしょうが、犯罪を犯す限り、あなたはこの世にいる価値は無い。捕まるのか分かりませんが、罪を償い改心してほしいものです。

 誰にも起こりえる事なので、対処策を考えてみました。

 おそらく犯人は、銀行を遠巻きに眺め、標的を物色していたはずです。大きなお金を下ろした後は、コソコソッと出て行き、サッサと帰りたいところですが、そんな時こそ、顔を上げて前後左右を確認している事をアピールすべきです。相手は犯罪者ですから、顔を見られるのが一番怖いはずです。コソコソしているはずなのです。あとはどこでも聞く言葉ですが「バックは-必ず-車道の反対側に!」でしょうか。

 折りしも、原付の祖とも言える「本田宗一郎」開発の「スーパーカブ」の発売台数が5000万台を超えました。世界で類を見ない程支持されているという事です。努力と情熱で便利なものが創られ、世に貢献する。しかし稀には悪用もされる。“神様”と“バイクの神様”も2人して「こんなはずでは・・・・・・」と嘆いていることでしょう。

カット 散髪

 日曜日に髪を切りに行きました。

 髪型にはこだわりがあって美容院に・・・・・・と言いたいところですが、理容店に行っています。この近所の駅前にあるお店が結構気に入っているのです。

 男の私にとっても、髪を切ってもらうという行為は、かなりデリケートなものです。言えば赤の他人と、あの距離で接することはほとんど有りません。若い頃は、いろんな美容室に行ってみたり、店をコロコロ変えたりもしましたが、なんと言うか、感覚の合わない人に切ってもらうと苦痛を感じるのです。たまたま、感覚の合う店長がいたのが、そのお店でした。

 このお店は、5店舗ほどあるチェーン店の一店舗らしいのですが、店長のDさんはなかなかの人です。元気過ぎず元気。話を聞かな過ぎず、聞きすぎず。映画と読書が大好きで話題も豊富。言葉遣いも丁寧で、なれなれしい喋り方など一切せず、実に距離感のよい人です。加えて言うならマッサージも上手。もちろん技術も信頼しています。

 よい人間関係は、相手に一目置くところから始まるらしいのですが、私はDさんのコミュニケーション能力と、サービスについての考え方に、一目置いていました。

 ところが数年前、店に行くと「店長が交代しました」とのこと。私は新店長とは気が合わずに、そこに行くのをやめてしまいました。それから、気の合う店、人を探して、いろんな美容院、理容室へ・・・・・・

 何件も回り「もうここにしようかな」と思うところを見つけていたのですが、ある時、駅前の店をのぞくとDさんらしき人が。入ってみるとやはりそうで、話を聞くと、別店舗の店長が急にスタッフを引き連れて辞めてしまったらしく、急遽店長となり一年間その店に赴任していたのでした。

 私も嬉しくなりいろいろな話をしました。他のお店を探して回っていた話をすると「申し訳ありませんでしたネ」と、それからずっと1割引きにしてくれているのです。

 理容店というのは、しゃべるのも商売ですから、いろんな情報が集まってきます。月に1回、この店長に髪を切ってもらい、新しい情報や近所の噂話を聞くことを結構楽しみにしているのです。 

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