鳥羽で食べる

 週末は、友人家族と旅行に行っていました。

 高校の同級生で、子供の年恰好が似ていることもあり、何度か一緒に出掛けています。

 実は、昨年の秋口から、直前に二度キャンセルしていました。一度は弔事だったのですが、もう一度は完全に私の都合。

 本当に申し訳ないのですが、予定が立たないから断るのでなく、どうしても無理だった時は、分かってくれるだろうと思える友人なのです。

 土曜日はホテルで待ち合わせて、近鉄鳥羽駅前の寿司割烹へ。

 先代の出身が天王寺なので「大阪屋」。ここのエビフライはもう抜群でした。

 私はエビフライが一番の好物なのですが、今でも口に蘇って来るくらい美味しかったです。

 他にも、地元では藻魚というタケノコメバルの刺身、マコガレイの煮付けと、どれも美味しかったです。最後にオマケで、マグロの胃袋と肝の煮物を出してくれました。

 新鮮なら、魚は内臓が一番ですが、オマケで出してくれるその気持ちが嬉しいものです。この大将、憎めない感じの人で、話も楽しかったです。もう6年もブログを書いているとのこと。 

 二家族で1万6千円。鳥羽に行くなら、お勧めです。

 翌日は、ホテル前の浜で遊んででから、鳥羽水族館へ。

 かなり寒かったからか、意外なほどの人出でした。

 遅めの昼食は、肉料理「まつむら」へ。

 友人は医師で、美味しいものを食べる為に1時間ジョギングをしていると言う人。要は食道楽なのです。

 こちらもお勧めの店だけあって、流石の味でした。

 今回から、新たに増えた下の女の子は、ちょうど6ヶ月。ぐずることも無く、本当にかしこくしていました。

 長男同士は久し振りの再会にも関わらず、とてもウマが合うようです。

 次は春に出掛ける約束をしました。

細く、狭い

 昨日は京都に行っていました。

 四条河原町界隈でも、路地をのぞくと静かなものです。

 料亭の軒下に有るあの細工物。前から気になっていたので調べました。

 犬矢来(いぬやらい)とか犬防ぎと呼ばれるようです。雨だれの跳ねや、犬猫の糞尿から建物を守るものでした。

 奥にある馬のから守る、駒寄せから発展したという説や、壁際での盗み聞きを防ぐ為という記述もありました。

 小走りで行く芸妓さん。

 街並み、人。誰に拘束される訳でないものが、街の風情をかもし出します。

 それらは細く、狭いほどよいのです。

 朝、庭先を見ると梅の花が咲いていました。

 今日は立春です。

スキー板

 小さい頃からスキーに行っていたので、大学ではスキー部に入ります。

 それによって色々な経験をさせて貰ったのですが、子供にも同じ経験をさせたいかと言うと、話は別です。やはりスキーは、結構なお金が掛かるからです。

 しかし覚悟を決めました。スキー板を一日レンタルしても、3,000円前後。それならいっその事と、長男に買い与えました。

 一番安かった、ブーツ、スキー、ビンディング、ストックの4点セットで14,900円。高級品ではありませんが、立派なものです。3年くらいは履いてもらおうと思うので、かなり大き目なのですが。

 下の娘も、父の手製の練習マシンで猛特訓中。

 何故か、これを気に入っているのです。

 近場のスキー場、ベルク余呉に行ったのですが、ゲレンデをすいすいと歩きます。

 このスキー板も父の手製。

 どうもプラスチックスキーと違い、エッジがあるので扱い易いようなのです。 

 折角なら、あの風を切る爽快感を知るまで、続けてほしいと思うのです。

理念

 来月1日、日本航空(JAL)のCEO就任を前に、世間の注目を集める稲盛和夫さん。何度も講演を聞きました。

 技術者だった稲盛さんは、27歳で京セラを創業しますが、その際には経営の「け」の字も知らなかったと言います。その中で、どうすれば企業は永続的に発展出来るのかを考え、経営理念を作り上げました。

 著書に、こんな場面があります。

 商売の神様、松下幸之助さんの講演会に行った時のこと。その日は、ダムがなければ、大雨で川は氾濫し、日照りで川は枯れる。お金を水に例えた、有名なダム式経営の話でした。

 講演終了後の質疑応答の際、ある経営者が「ダムが大切なのは私達も分かる。ただ、そんな余裕がないから、どうすればダムが出来るのかを聞きたいのです」と質問します。多くの人の気持ちを代弁したものでした。

 幸之助は苦笑し、間を置いて「そんな方法は私も知りまへんのや。知りませんけど、ダムを作ろうと思わんとあきまへんなあ」と言います。場内には失笑がもれ、失望に似た空気が支配しました。

 その時、体に電流が走ったとあります。まずは、思わないといけない。全ては一人の思いから。

 JAL再生という難事業を引き受けた稲盛さん。JALの社員にどんな言葉で語りかけるのか、とても気になります。

 自分もこの質問者になっていないか?常に問いかける必要があります。

マイケル・ジャクソン『This is it』 

 昨年の6月。に急死したマイケル・ジャクソン。ロンドンでの公演を1ヵ月後に控えていました。直前リハーサルの映像を集めたドキュメンタリー映画が『This is it』です。

 何とか劇場で観たいと思っていました。アンコール上映も終了間際。滑り込みで間に合いました。

 スリラーのミュージックビデオリリースが1983年。特別なファンという訳ではなかったのですが、中学生だった私も繰り返し見ました。時代は、海外の映像が頻繁に日本で紹介され始めた頃です。

 通学の電車の中。初めて買ったウォークマンで色々な洋楽を聴きました。その中にはマイケルの曲も。洋楽体験の入口に、彼の曲があったのです。

 『This is it』ツアーの監督が、この映画の監督も務めています。

 リハーサル中、序々に熱を帯びてきたマイケルのダンスパフォーマスに、競演者達が盛り上がる場面があります。それに応えるように、マイケルも更に熱の入ったパフォーマンス繰り広げます。舞台の下で、競演者達は更に熱狂します。

 監督は「まるでrock’n rollの教会だ!」と。皆に応えるマイケルは、ほとんど息が乱れていませんでした。観客の前に、世界の一流が集まったスタッフを、完全に魅了していたのです。

 高音、雄たけび、うなるような低音、天使のようなささやき。ありとあらゆるダンスのバリエーション。よろめいたり、バランスを崩す場面など一瞬もありません。細くしなやかな体は、毛先までがコントロールされているかのよう。惰性のないその動きは小気味よく、観ているだけで快感を覚えるのです。

 死因には、麻酔や睡眠導入剤などがあがっています。映像には亡くなる数日前のものもありますが、そんな事は微塵も感じさせません。それどころか、50歳とは思えない軽快でシャープな動きでした。

 晩年は様々なスキャンダルにまみれましたが、今あるのは、彼のステージは永遠に見れないという後悔だけです。同じ時代に生き、チャンスがあったにも係わらず。リハーサルであのステージ。やはり見るなら超一流だと思ったのです。

 映画の終盤、スタッフと団結する場面で、マイケルは皆に語りかけます。

 「観客は日常を忘れる体験を求めている。未知の領域へ連れていこう」 

  King of Pop

 その称号に、亡くなる前とは違う重みを感じるのです。

工藤公康

 現役で実働最長記録を更新中の工藤公康投手。キャリアをスタートした西武を出て、3球団を渡り歩きました。47歳になる今年は、古巣に復帰します。

 一昨日から新聞にインタビューが載っていたので、抜粋してみます。

 プライドには2つある。「捨てなきゃいけない」ものと、「持ち続ける」もの。

 捨てなきゃいけないものは「過去の栄光」。「オレは昔ね……」なんて言い出したら終わり。ボクは自分の心に問いかける。「昔の自分と、今の自分は違う。しっかり現実を見ろ。野球を続けたいなら動け、トレーニングをしろ」と。

 逆に「持ち続ける」プライドは自分がやってきたこと(トレーニングや勉強)に対して。長く現役を続けるために人一倍やってきたつもり。

 私に過去の栄光などありませんから、勉強なしでは全くプライドのない人間になってしまいます。プライドを持ちたければ、ただ勉強あるのみ。

 連載最終日の今日は、家族の話でした。工藤選手には、5人のお子さんがいます。年齢は分かりませんが、努力と節制を持ってすれば、もしかすると孫に実際の投球を、という場面があるかもしれません。

 ただ登板できれば良いとは考えていないでしょう。今シーズンも注目しています。アンチエイジングなどとは違う、人の無限の可能性を感じます。

ひらパー兄さん

 先週の後半は、寒い日が続きました。

 土曜日夜、家に帰ると、食卓の上にひらかたパークの入場券が3枚。子供がずっと行きたいと言っていたので、妻がどこかで入手したようなのです。

 日曜日は快晴でした。

 長男の保育園で「ひらかたパーク」というより、「ひらパー兄さん」がしきりに話題に出るようなのです。 

 何年振りに来たでしょうか。

 もっと小さい遊園地をイメージしていましたが、手頃な大きさでした。少し調べてみると、1910年から日本最古の歴史を持つようです。

 入園料が1300円、子供700円。フリーパスが3000円と1500円。セットで買えば、少し安くなります。

 噂のひらパー兄さん。いたるところにいらっしゃいました。

 ひらかたパークは京阪電鉄が経営しており、USJに次ぐ来場者があるようです。

 多くの遊園地が閉鎖される中、これは立派な結果です。

 しかも、片やウッドペッカー、片や小太りの中年芸人なのです。(失礼!)

 ブラックマヨネーズの小杉竜一、36歳。およそイメージキャラクターには程遠い感じですが、憎めないルックスとその体系からか、子供からは圧倒的な支持を受けています。

 誰が人選し、最終決定したのか、勿論分りませんが、なかなか出来ることではない気がします。

 もし、少しでもUSJとイメージで張り合おうとか、微塵でもある程度のルックスを求めたら、これ程の成果は出なかったと思うのです。(更に失礼!!)

 一昨年、同じくM-1の覇者NON STYLEが、他の遊園地のイメージキャラクターを務めていました。

成長

 ゲツモクではありませんが、書いてみたいことがあります。

 また連休の話しになりますが、その最終日のこと。

 長男がロープウェイに乗りたいと言うので、標高2200mの山頂まで上がりました。天気も良かったので、スキー板を履き、長男をおぶって滑り降りました。

 この日はそれで帰る予定でしたが、「今日もスキーがしたい」と言い出します。前日はスキー板をレンタルしていたのです。

 学生時代からアルペンスキーをしている事もあり、教えるのにはつい力が入ってしまいます。

 前日は、もう少し練習すれば、プルークボーゲンが出来るのに「アイスが食べたい」「雪ダンゴを作る道具を買って欲しい」とダダをこねだしました。それならもう辞めなさい、となっていたのです。

 結局スキーはレンタルしましたが、この日も同じような感じになりました。それで、最後に一般ゲレンデを滑ったら終わりにしようとなったのです。

 滑り始めると、キッズパークで練習していた時より断然上手いのです。手放しで喜んでいると、もう一回行くと言います。滑り降りると、更にもう一回と。
 
 前日の件があったので、最終日は3時間しか借りていませんでした。

 時間が来たと伝えると、どうしてもまだ滑りたいと。短いキッズパークなら1回は滑れるだろうと、納得させました。

 「緩い斜面だから、お父さんは何も言わない。好きなように滑っていいよ」と上から見ていたのです。

 すると、今まで見たことが無いくらい、上手にターンを繰り返し、最後はブレーキをかけ、ピタッと止まったのです。完璧でした。それを見て、私は不覚にも涙を流して喜んでしまったのです。

 長男はきょとんとしていましたが、喜んでいるのは分かり「僕も、そんなに喜んで貰ったの、初めてやわ」と、知ったような口をききます。

 更に、何故かレンタルしたスキー板に向かって「今日は、よう頑張ったなあ」と話し掛け始めたのです。

 何でも褒めながらが良いのは理解していますが、真剣になってくると、つい厳しくなります。厳しくなると、辛いでしょうが、それでも頑張ったから、大きな上達があったとも思うのです。その成果が感じれるまで続けられるかが、大きな分岐点なのです。

 待っていた妻のところに帰り、報告すると「凄いねえ。あのお父さんを泣かしたなんて」と言っていました。人の成長を見て涙するなど、想像したことさえありませんでした。

 人にとって、最大の喜びは成長だと確信しました。それを適えるには、怒るだけ、褒めるだけではだめなことも。

 正しい事に頼るより、自分の体験と直感を信じたいと思ったのです。

小津

 この連休に訪れた蓼科。

 八ヶ岳からの緩やかな稜線は、日本離れした景色で、ひととき日常を忘れさせてくれます。

 「信玄の隠し湯」と言われる温泉があったりと、古くからの湯治場として栄えていました。

 大正時代からは、リゾート地としての開発も盛んになります。

 八ヶ岳連峰のひとつ、横岳から西を望むと、蓼科高原を見下ろせます。諏訪盆地のむこうには御岳も。

 この地を愛した文人に、映画監督・小津安二郎がいます。
 
 「東京物語」「秋日和」など、前から気になっていましたが、まだ観れていません。

 それでも、戦前、戦後の日本映画界を支えた、巨匠であることは知っていました。晩年の名作は、全てこの地で構想を練られたものなのです。

 彼の仕事場だった茶室は残っていませんが、別荘として借り受けた「無藝荘」は当時のまま保存されています。冬季なので外からしか見れませんでした。

 茅葺屋根の建物も見てきましたが、最も人を感じ、美しい建物でした。今度は是非内部も見たいと思います。

 彼はこんな言葉を残しています。

「どうでもよいことは流行に従い、重要なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

 全て自分に従ったのか、道徳に従った部分もあるのか、それ以外の部分もあるのか。映画を観てみたいと思うのです。

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