浜名湖

 週末は旅行に行っていました。

 友人が浜名湖のホテルを取ってくれたのです。

 仕事終わりに現地で落ち合ったので、土曜日は夕食のみ。

 翌日は朝からウォットという水族館へ出かけました。

 入館料300円で魚や貝を触ったりできるのです。

 浜名湖は汽水域なので(淡水と海水が混ざっている)、多くの海産物がとれます。

 新幹線から見る景色も、ダイナミックでとても気になるエリアでした。見どころも沢山ありそうです。

 とは言え、小学1年生どうしの長男達は、とにかく遊びたいのです。

 次に行ったのは舘山寺という温泉街にある遊園地パルパル

 一応上限を決め、2人で考えるように言いました。そもそも、2人いれば何だって遊び道具になるのですが。 

 6歳で身長1m10cmを超えると、子供達だけでも結構乗れるものです。

 そう考えると、随分大きくなったなとも思えます。

 親の楽しみと言えば、やはり食事。土曜日の夜はまずウナギ。

 蒲焼、鰻重とも、間違いのない味。

 子供も沢山食べたのがウナギの白焼。

 パリッと焼きあがっていて、わさびと生姜を少しつけて醤油たれで食べるともう……

 娘と取り合うこうくらいの美味しさでした。お店は「かねりん鰻点」

 雰囲気も応対もとても良い感じでした。

 http://www.kanerin.net/

 B級グルメなどは、最近よく聞く言葉ですが。

 浜松のご当地グルメは餃子のようです。確かに住宅街にも、ポツポツと店があるのです。お持ち帰りで買ってみました。

 お店は「喜慕里(きぼり)」

 1人前500円程。甘めのタレでかなり美味しかったです。

 日曜日の昼は、舘山寺温泉街にて。

 目当ての店が一杯で「うなぎ湖畔食房舘山寺園」へ。

 ウナギも勿論美味しかったのですが、しらす丼をお勧めします。

 釜揚げのしらすの上に生のしらすが載っていて1500円。最後は出汁茶漬けに。これはかなり満足できました。

 段々飽きてきた子供達は足元で遊び出しました。

 1000円上限割引の最終日というのもあり、この店を出て帰路につきました。

 結論でいうと「浜松は食べ物が抜群に美味しい」です。

 東海道の要所、新居の関所があり、海産物豊富な浜名湖があり、家康の御ひざ元。

 これくらい条件が揃えば、必然かもしれません。今回は浜松大橋や、新居の関所などにも行けなかったので、また行ってみたい街です。

ポテイト

 先週の土曜日、クライアントが来所した際にジャガイモを持ってきてくれました。

 自家製なのです。

 本業ではありまませんが、代々農業を営んでいる家系。

 クライアントである若夫婦も田植えと稲刈りの時期は手伝うのです。

 今年も、6月の初旬に無事田植えが終わりました。

 翌週の打合せの時に持ってきてくれたのがこのジャガイモ。前週まで、田んぼに植わっていたのかもしれません。

 細長いのが、メークイン、丸いのが男爵です。

 女性スタッフに聞くと、細長いメークインは煮崩れしにくく、ねっとりとして、カレーやシチュー向き、男爵はホクホクしているが煮崩れしやすく、コロッケやマッシュポテトに向いているそうです。

 ジャガイモの起源はアンデス山脈。16世紀にスペインがヨーロッパに持ち帰ります。コルテスやピサロの時代ですが、寒さに強く、肥料も少なくて済むので、ヨーロッパでの栽培は爆発的に広がりました。

 ジャガイモやトマトなどを南米から持ち帰ったのは大航海時代です。長い航海の間、どうしても新鮮な野菜が足りず、ビタミンCが不足します。その結果、壊血病という病気になり、多くの人が命を落としていました。

 その救世主がジャガイモでした。ジャガイモやサツマイモは加熱しても多くのビタミンCが残るという性質を持っていたのです。

 16世紀のヨーロッパの人口爆発に一役かっていたのもジャガイモ。日本には17世紀初頭に持ち込まれたようですが、江戸時代に起こった度々の飢饉の際にも、重宝されたようです。

 そう考えると、麦、米に加えて、ジャガイモこそが近代人の胃袋を、最も満たしてきた野菜だったと言えるかもしれません。

 こちらのクライアント「農業はあまり好きではないんですが……」と言っていました。

 しかし、奥さんが横から「歳がいったら、絶対するんじゃない?」とも。

 子供達が独立したら、庭先で小さな菜園。その光景は幸せな景色と言えますし、そんな街はとても住みやすいと思うのです。

アンリ・マティス

 昨日は『SUMAInoSEKKEI』の取材でした。

 「イタウバハウス」だったのですがずっと雨の予報。昼過ぎまでなんとかもって、無事撮影が終わりました。今日は「Shbby House」の撮影です。詳しくはまた現場日記で。

 先月末、カンディンスキーの展覧会へ行きました。

 それもあって、クライアントから新聞の切り抜きがfaxされてきました。「抽象画の創始者に迫る」という題で、その中に抽象画が生まれた瞬間というエピソードがありました。

 ある夕暮れ、カンディンスキーは自分のアトリエで、信じられないほど美しい絵画に惹きつけられます。誰が描いた絵画だろうと思い見ると、自身が描いた絵を横向きに立てていただけだった、という話です。

 カンディンスキーが画家を志したのはモネの「積みわら」を見てでした。強い感銘を受けたが、何を描いてあるのかは分からなかったともありました。

 この絵は、事務所に飾っているアンリ・マティス。

 1995年の夏、初めて設計の依頼を貰いました。「羽衣の家」のクライアントは大学時代の先輩のお父さん。

 その時社会に出て2年目だったので、勤め先の担当者として仕事をさせて貰うことになっていました。
 
 しかし所長と微妙な行き違いが生まれ、独立することになります。

 事情を話すと、先輩のお父さんは、にこやかに僕に任せると言ってくれたのです。大変温厚な精神科医でした。

 1996年の年末あたりに、食事に誘って貰いました。行き着けのミナミの串カツ屋さんでしたが、プレゼントも貰ったのです。それがマティス。

 マティスはカンディンスキーとほぼ同時代を生きています。1869年フランスに生まれ、当初の写実的な絵から、荒々しい筆遣いと大胆な色彩のフォビズム(野獣派)と言われる絵に変化していきます。更に、単純な線、単純な色を求め最後には切り絵に行きつきました。

 調べていると、この絵の題名が分かりました。『Christmas Eve』

 美しいと感じることを「美しい」と言う、自分が良いと思うものをプレゼントするのは勇気のいることです。
 
 この絵が届いたのはクリスマス前だったかもしれません。14年経ち記憶が定かではありませんが、そんなことを思いながらこの絵を見ています。

Let’s Go To The Dentist! (歯医者へ行こう!)

 昨日、初めて「つるみ歯科クリニック」で診察して貰いました。

 設計を始めたのが2003年の3月で、開院が2004年の9月。院長と知り合い、8年目にして初めて歯を見て貰いました。先々週あたりに親不知が腫れ、ちょっと気になっていたのです。

 30歳くらいまでは、時々歯科医院に通っていました。その頃「治療しても進行を止めるだけ。歯は良くならないんだ」と、やっと気付いたのです。

 前歯3本の神経はなく、差し歯も1本あります。

 その後10年、歯科医院のお世話になっていません。

 それには32歳の頃仕事をさせて貰った吉松歯科医院の院長に、歯の磨き方を教えて貰ったことも、大きかったと思います。

 以来、子供に、スタッフに「歯磨きは貯金!」としつこく言って来たのは、自戒の念からなのです。

 ところが、10年も行っていなかった結果、結構色がついていたり、歯垢がついているとの事。コーヒーなどで着色が起こると、初めて知ったのです。

 また、残念ながら1ヵ所だけ虫歯も見つかりました。院長と治療の流れを相談しました。

 「歯の掃除」→「虫歯の治療」→「ホワイトニングの型取り」→「親不知の抜歯」

 折角なので、ホワイトニングもやってみることにしました。

 まずは「歯の掃除」。これは、削るのではなく超音波の振動で歯垢などを落とし、磨いてくれます。

 私にとって、治療というのは「痛いのを我慢して削る」ものでした。

 このネガティブな部分を、少しでも和らげようようと、歯科医院の設計に取り組んで来ました。

 しかし「歯の掃除」はこの対極にあります。

 歯垢はとれ、ホワイトニングをしなくても、かなりの白さを取り戻せました。

 削る為だけにあると思っていた道具の中には、美しくする為、まさに審美の為の物も混在していたのです。

 来た時より、歯はツルルツになり白く美しくなるのですから、エステに行くのと全く同じなのです。

 エステに行ったことはありませんが。

 実際に治療を受け、改めてこのクリニックの試みには価値があったと思えます。

 自画自賛になりますが、とてもいい空間で、飽きません。

 院長の奥さんもドクターで、少し話をしていたのですが、欧米では歯のメンテナンスをするのは当たり前だそうです。

 歯も建築も全く同じです。

 設計をしていた当初、看板にこんなキャッチフレーズを入れませんか?と提案していました。
 
 『Let’s Go To The Dentist!』

 「歯医者へ行こう!」という意味ですが、今まさにそんな気分です。

 これを機に、私も定期健診に行くことにします。治療でなく行くのはとても楽しいのです。

ザリガニ

 梅雨入り時は雨が続きましたが、今日も気持ち良い天気です。

 中休みなのか、今年は空梅雨気味なのか……

 昨日も雨は降らず、長男の小学校へ授業参観へ行っていました。 

 母校でもあるので、少し早めに行き歩いて回りました。

 この学校は、緑が結構多いのです。

 大阪市内の南東端にありますが、辺りは完全に住宅街です。

 私はこの学校が出来て2年目に入学しました。

 とても新しい学校でしたが、当初から敷地の一角に「自然園」というエリアがありました。

 おそらく里山のような風景をイメージした造られたのだと思いますが、30年以上の時間が経ち、更に木々は生い茂り。
 
 森に近いよう雰囲気さえ醸しだしていました。

 当時は大変珍しいということで「ズームイン朝」という番組でも、取り上げられました。

 リハーサルでは、リコーダーを吹きながら、小路を歩く練習などをしたものです。

 授業自体は国語と体育。

 前に立っての音読がメインイベントという感じでしたが、皆上手にできていました。

 長男も上手く読めたのですが、2時間目の体操服を忘れていたらしく、私が出た後先生から電話が掛かってきたそうです。

 3月生れというのもあり、なんとも頼りない所もありますが、普段の風景を見て少し安心しました。

 授業参観が終わり昼食を食べてから、約束していたザリガニ釣りに向かったのです。

 図書館の図鑑で見たようで、飼ってみたいと。

 私が小さい頃は、大和川付近にため池が沢山あり、そこで取っていたのですが今はもう埋め立てられています。

 それで、あちこちを回り、小学5、6年の子供達に聞いてみると、JR久宝寺駅前のドブ川がいいと。

 早速自転車で行き、竿を出すも駄目。こんどは久宝寺緑地へ行き、子供に聞いてみると園内の池より、これも近くのドブ川がいいと。

 自称「学校一の釣り名人」の彼が「ちょっと竿貸してみぃ」とレクチャーしてくれました。しかし残念ながらこれも空振り。思っていた程簡単でないようです。

 子供の頃は池の中に入り、手当り次第に手を突っ込んで捕っていました。そう考えると、スルメで釣り上げる方が一段ハードルが高いかもしれません。

 これで当面の休日の課題が出来ました。

すきま

 6月に入って2日目。雨は降ったり止んだり。

 子供達も家の中で遊ぶ機会が増えます。この時期、特に縁側の有難味を感じます。

 我が家は築38年の木造住宅。庭に面して、2.7m×0.9m の縁側があります。

 縁側から、雨に濡れる草木を見るのは、この季節ならではの楽しみ。

 長男は何故か踊りながら……

 どうも学校では「おちょけ」で通っているようで、ふざけたり、踊ったりで人を笑わせるのが好きなのです。

 私達にはあまり無い要素で、一体誰に似たのかと思ったり。

 縁側には25cm程の隙間があり、子供達はこぞってここに入ります。

 お隣の子供も来ると、総勢4人。

 障子を閉め、ひしめき合って遊んでいるらしく、その結果は必然です。

 誰かがのぞいていると、それを取り合い、更に穴は広がる一方。

 長嶋茂雄は国民的スターですから、家は田園調布にある豪邸です。

 子供が小さい頃、壁は落書きだらけで、それを叱ったことがないと聞きました。

 のびのびと育てるのも大事、躾も大事。どちらかが正しという答えはありません。

 確か長嶋家には3人のお子さんがいます。うち2人はテレビ関係の仕事をしているので、私達も知っています。自由な子育ての結果と言えば叱られますが、それを知る事が出来るのは、稀有なケースかもしれません。

 お子さん2人を見て、それもふまえ「障子を破らないように!」とは言いますが、あまり叱らないようにしました。

 建築に関わるものとして、物を大切に、良い空間を良い状態で保って欲しいといく気持ちはあります。

 しかし小さい頃は誰も、すきま、端っこ、秘密基地、そんな所が好きなものです。その楽しみを奪うのはどうかと思いますし、家の中にそんなところは必要だと思っているのです。
eferrer”>アトリエmの現場日記

青騎士

 今年はなんと5月下旬から梅雨入り。例年より12日も早いようです。

 昨日は台風2号の影響もあり、一日中雨風が止む時ありませんでした。

 雨なら雨なりの楽しみを、ということで神戸の兵庫県立美術館へ。

 地下駐車場は展覧会等があれば2時間400円。

 スペースも大きく、これも助かります。

螺旋階段を上がってエントランスへアプローチします。

 現在は「カンディンスキーと青騎士展」が開催されているのです。
 
 ヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944年)は、20世紀の初頭に活躍した画家です。

 彼は1910年に初めて抽象画を描いたと言われます。

 その初期にあった芸術グループが青騎士とありました。
 
 はじめはミレーの「晩鐘」のような絵画が好きでした。そこから、シャガールやムンクのように、構図や色使いがダイナミックなものへ興味が移って行きます。

 そして、モンドリアン、クレー、ミロ、マレービッチ等の抽象画が最も気になりだしたのが、大学生の頃。カンディンスキーは現代まで続く抽象絵画の源泉にあると言えるのです。

 今回、一番良かったのは『印象Ⅲ(コンサート)』(1911年)でした。子供も連れて行ったので、慌ただしくはありましたが、それでも本物を見るのは価値があります。

 長男は何となく興味を示していました。

 カンディンスキーは、20世紀初頭から第二次世界大戦がはじまるまで、バウハウスの教官も務めています。バウハウスはドイツにあった、建築と芸術の総合学校です。

 同時期に活躍していた、モンドリアンと共にデ・ステイルという運動に参加していたのが、シュレーダー邸を設計したリートフェルト。彼も教官を務めています。建築の世界へも影響を与えていると言えるのです。

 しかし「青騎士」とは、何とも美しい響きです。

 この美術館の設計は安藤忠雄。

 長く、広く、薄く海へ向かって突き出した庇は、挑発的です。

 完成から9年。

 緑が鉄筋コンクリートの躯体を覆います。

 能の世界では、鬼の舞は優しい心をもって舞い、女の舞は鬼のように強い心をもって舞へといいます。

 無機質なコンクリートに緑と愛情を込めて、というところでしょうか。

 9年経って、一層感じが出てきました。

芽吹く

一昨日、年末に竣工した「イタウバハウス」に行っていました。

生れて1週間の赤ちゃんって、こんなに小さかったのだと驚きます。

街中でも芽吹きの季節です。

ほのかな香りをたどれば、庭先にジャスミン。

松田聖子と杏里を思いだすのは70年代生まれの人でしょうか。

ガーデニングと言う言葉が市民権をえ、庭木の選択肢が増えました。

庭木が好きな人が増えれば、街には緑が増えます。

「イタウバハウス」のジューンベリーも、一昔前なら購入は簡単ではなかったかもしれません。

傾向として、樹形が美しいだけでなく、何がプラスアルファがあるものが人気です。

実がなる、香りが良い等。ベリー類、レモン、ハーブ系がその代表格でしょうか。

人は人であり
草は草であり
松は松であり
椎は椎であり
各々の栄えある姿を見せる
進歩というような言葉にだまされない
懸命に
無意識になるほど懸命に
各々自ら生きている
木と草と人と栄えを異にする
木と草は動かぬ
人は動く
しかし
動かぬところへ行くために動くのだ
木と草には天国のおもかげがある
もう動かなくてもいいという
その事だけでも
天国のおもかげを
あらわしているといえる

- 八木重吉- 「万象」より

適当にハイハイをする赤ん坊はいません。今日は調子が悪いから、花を咲かすのはここまでにしよう、という木はありません。全力が当たり前なのです。

人はいつから、全力を恥ずかしいと思ったり、手を抜くことを模索するようになるのか。

自分に、若者に問う毎日です。

キャリア

 先週末の土日。「ASJ」岸和田スタジオが主催するイベントに参加してきました。

 主には、折り込みチラシを見て「建築家と建てる家」に興味があるという人が来場します。8組の建築家が各ブースに分かれ、パネル、模型などを展示。順に見て回るという構成です。

 私のブースは一番奥。

 壁面に10枚のパネル、6個の模型、作品掲載誌などで構成しました。

 前日まであった、心斎橋での展示会に使ったものを修正しレイアウトしました。

 他の方は参加回数4回目から、数えていないというベテランまで。

 私だけがイベント初参加で、いわば一番下っ端。なので一番奥なのです。

 彼らと一番違ったのがパネルの枚数と構成でした。

 来場者は色々見たいので、パネルが多すぎたり、文章が多かったりすると、少し重たいようなのです。

 それよりは、私達は「こんな家づくりをしています」というイメージが分かる、パネルが6~8枚。そのうちの2、3は大きめの模型がある位が良いようです。

 意外だったのは、図面を使っての説明に、興味を持つ人が多いことでした。

 途中で構成を替え、図面の入っている雑誌と、放映されたテレビ番組をモバイルPCで流すようにしました。

 はやり何事もその場に立ってみないと分からないものです。

 何となく勝手がわかったのが2日目の昼頃。

 若干ほろ苦いスタートとなりました。

 収穫はいつもそうですが、新たな建築家とコミュニケーションが取れたこと。

 参考になり、刺激にもなりました。

 通常の仕事の流れと全く違いますが、やはり経験がものを言います。是非ともまたチャレンジしてみたいものです。

 誰がこのイベントに参加するか。それは私達は関知できません。それも含めて、シビアで面白い仕事だと思いますが、イメージは出来上がっています。

建築家展へ

 今週の土日、「ASJ」岸和田スタジオが主催する、建築家展へ参加します。

 「ASJ」とは。webサイトにこうあります。
日本最大級の建築家ネットワーク

 全国に活躍する建築家の移動交通費をなくすことにより、各地のニーズにもっとも適した建築家を全国へ派遣し、良質な社会ストックの構築を目指す。

 またそのシステムの運営を託す各地の優良工務店をネットワークし、 「建築家の専門店」なるスタジオを全国に確立、新しいスタイルの21世紀型建設事業のプラットホームを提供する。

 今月の初めから、キッチンハウスのショールームで、パネル展示会を開催しています。

 そのパネルや模型を、移動するつもりでした。しかし、週末へ向けて更に改善を加えているところです。

 今までは、直接オファーを貰った人からの仕事だけをしてきました。
しかし「ASJ」での立場は全く違います。11名の建築家の一人として参加し、来場者に私達の仕事をアピールするのです。

 リーダーへ向けて「あなたの手帳の予定を<現在の仕事>と<未来の為の仕事>に色分けして下さい。未来の仕事のほうが少なかったなら要注意」という言葉を聞きました。

 また、良く聞くことばで「我が社は営業したことがない」というものがあります。実は私も使っていました。

 この言葉の裏には、営業しなくても仕事がある、という慢心が含まれていると感じ始めました。

 人生は限られた時間しかありません。100年先まで予定が埋まっているなら別ですが、小さなプライドより悔いのない人生を、と考えるようになったのです。

 そのそものきかっけは、建築相談会で知り合った建築家、シンクスタジオの杉本さんに声を掛けて貰ったこと。この機会を得ただけでも有難いことです。

 少しの不安。それを上回る昂揚感があります。興味がある方は是非遊びに来て下さい。

建築家がゲツモクに綴るブログ、動画。人、建築、街、自然・・・・・・ぜひご覧ください