このオリンピック休暇ですが、前半は池原ダム、後半は敷地の下見でした。
新御堂筋を北端まで走ると、箕面の山々が迫ってきます。

その先に続くのが箕面有料道路。
2007年の開通ということで、この辺りにやってきたのは学生時代以来なのでしょう。
全てトンネルだとは全く知りませんでした。大阪も変わっていくものです。
休暇前半の話しに戻ります。

23日(金)の早朝、Y親子をバンガローに残し、一足先に桟橋へ向かいます。

5時頃には2人もやってきました。

この日も快晴の夏空。
小1君は初日に4本、最大35cmを手にしているので、のんびりお楽しみモードです。

なぜか常に大爆笑。

本当に仲の良い親子です。

と思っていたら、ポイントへの移動中に寝てしまいました。

ボートもバカンス仕様に変更し、お父さんには帰る準備をして貰います。

2日目も、親子とも5本ほど追加し、ミッションはコンプリート。
小1君の最大は、結局はじめに釣った35cmでした。
しかし、実際に一番大きな魚を掛けたのは、この場面。
お父さんが30cmくらいあるルアーを投げ、それにワラワラと追いてきた良型の魚を、小1君がワームで掛けました。
45cm以上は間違いなくあったと思いますが、バラしてしまいました。あのサイズを上げるにはもう少し経験が必要かもしれません。
この話から、お父さんもかなりの釣り好きと分かると思います。
実は、私に池原ダムの魅力を教えてくれたのは彼なのです。
中学生の頃から、竿とテントを持ってあちこちへ出掛けていましたが、大学生になると車と船の免許を取得して、行動範囲が広がります。
ある夏、紀伊半島をキャンプしながら回ることにしました。
その時、彼も一緒だったのですが、「池原ダムっていう、ブラックバスの聖地があるんですよ。ちょっと寄ってみませんか?」と。
1993年か、94年だったと思います。
寄った場所は、現在桟橋のあるトボトスロープあたりで、当時はこれほど立派な建物はありませんでした。
彼はスライダーという当時の定番ワームを2、3投し、すぐにバスを釣り上げたのです。
水面を割って、ジャンプする光景を今でもはっきりと覚えています。
その時、私は1匹も釣れずで、そこから小学生以来のバスフィッシング熱にとりつかれてしまいました。
あれから30年。
この道に引きずり込んだ(失礼!)彼の子供に、何とかバスを釣って貰おうというのですから、人生とは不思議なものです。

彼は大学時代のスキー部の後輩で2学年下。私が3回の時の1回です。
北海道で2、3カ月合宿して練習するのですが、本当にマイペースな後輩でした。真面目な努力家で、着実に上手くなって行きます。
数年前まで、国体への出場も続けており、私の知る中で、最もアルペンスキーで結果を出したひとりだと思います。
更に大学をでると、司法書士、行政書士、土地家屋調査士の資格を順に取得。マイペースで努力家のところは当時と全く変わりません。
今でも時々会うのは彼くらいでしょうか。
帰り際、挨拶かたがた「なぜモリヤさんは、今でもバス釣りが好きなんですか?羨ましいですね」と。
(学生時代の友人は、あだ名で「モリヤ」と呼びます。本当は「モリタニ」)
2人が帰ったら、すぐにボートを揚げようと思っていたのですが、少しだけ湖上に出ました。

数本釣ってから帰り支度を始めたのです。

なぜ?
子供にも、「なぜお父さんはそんなに釣りが好きなん?」と聞かれたこともあります。
好きに理由はないのでよく分かりません。
ただ、ここまで池原を好きにさせた犯人が「彼」であることは間違いないのです。
■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
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■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
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■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました
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