経験がものをいわない時代

 車で出かけた時、渋滞にはまれば抜け道を探します。結果的に少し遅くなったとしても、知らない道を行くのは楽しいのです。

 私が学生の頃は抜け道を知っているだけで、結構自慢になりました。今はカーナビ時代なので、あまり意味がありませんが、同じように隠れ家的な店なんかも、重宝する情報でした。

 ふと考えました。以前なら教えて貰いたかった事が、Webの発達によって随分様変わりしたと。探そうと思えば大概の事が自分で探せるからです。

 便利ではありますが、問題もあります。人の経験を聞く事が、さして重要でなくなったのです。「相手の都合や気分に左右されない。良いことばかりでは」という声も聞こえてきそうですが、そこなのです。ここからは、ちょと七面倒くさい話です。

 コミュニケーションは、同じ認識を持った人とだけする為のものではありません。気難しい人から、何とかスムースに情報を引きだしたい。そんな時、工夫をするのです。

 「コミュニケーションの不足から戦争が生れる」とはアートディレクター佐藤可士和の言葉。他人の経験が重要な世の中は、少々面倒かもしれませんが、「他人は他人」と無関心になりようが無いのです。
 
 極論すれば、人の経験に意味が無いなら、人に意味が無い事になります。「自分」という人間は大切だけれど「他人」には意味がない。そんな理屈は成立しません。

 効率、便利、リスクヘッジ。全てビジネスベースでは正しい事です。しかし、人として最も重要だとは思いません。効率が悪いことに、人の心は動くと感じます。便利な道具は誰にでも一定の成果を与えますが、人の気持ちの入る猶予を奪います。危険にさらされた事のない生物が、本当の危険を回避出来るのか……。

 普段勉強に来る学生に言いますが、納得していないようです。自分で何でも出来る(または出来ると思っている)のですから、納得出来ないでしょう。しかし、物創りをする上で一番大事な部分はそんな所にあると思うのです。

 いつの間にか、私も面倒くさい人間になってしまいました。しかし、思っていることは現実です。現実を伝えるのはとても難しいのです。