日曜日は大和郡山と天王寺へ行ったと書きました。
丁度その間は、春日大社あたりを散策していました。
春日大社は20年に一度の、式年造替(しきねんぞうたい)が行われている真っ最中でした。
檜皮葺きの屋根は、1300年に渡ってのこの儀式が続けられてきた賜物です。
その式年造替だからか、奥の社でお参り出来るとのことでした。
日本の様式美は、連続によって成り立っているものが多々あります。
社の下にある空間は、真っ暗な中釣り灯篭に明かりが灯り、幻想的な空間になっていました。
「下の禰宜道(ねぎみち)」は、かつての禰宜(神官)の通勤路です。
この小路を春日大社から南へ下ること5分。
高畑(たかばたけ)という社家町に出ます。古くは神官の居住地でした。
その高畑は、大正から昭和にかけて、自然豊かで文化人あこがれの街でした。
現在も、白樺派の志賀直哉邸が残っています。「暗夜行路」はここで書き上げた作品です。
志賀直哉本人が設計し、京都の大工に建てさせたというこの住宅。
20年振りくらいに訪れましたが、本当に良い家です。
2階にある客間は庭を見下ろし、窓は北と東に向いています。
茶室は南に開口がありますが、深い軒が庭の景色をくっきりと切り取ります。
ディティールも、小説家の設計と言われると、本業としては困ってしまうのです。
特に、北側に面した書斎が素晴らしい。
彼は、「書斎は北に限る」と言っていたそうです。
開口の取り方が的確なのです。
基本は数寄屋建築ですが、食堂横には洋風のサロンがあります。
ここに多くの文人、画家などが集ったのです。
この時代にこれだけの天窓は、あまり見たことがありません。
自邸だからこそ出来たのかもしれませんが、娘はその下で熱心にアンケートを書いていました。
この日は、一日娘と行動しました。金魚もゴッホも志賀直哉も、全て私の興味です。
娘の主張は一貫しており、大体いつも「枚方パーク」か「USJ」。
娘をあれやこれやと誘っていると「鹿」でヒットしました。
「鹿にせんべいをあげれるなら行く」という話しになったのです。
動機も大体こんな感じで、どこに連れていくのも詐欺みたいなものです。
ハリーポッターの最終回で、アルバス・タンブルドアがこう言いました。
ことばとは、言わせて貰うなら、尽きることのない魔法の源じゃ
魔法を駆使して、あちらこちらへと連れ出すのです。