前半は天気に恵まれた、今年のゴールデンウィーク。
熊本行きがキャンセルとなり、今日は会社に来ています。
3日、4日と少し雨が降るようですが、今年のGWは概ね良い天気が続きそうです。
1899年に鳥井信治郎が独立開業した現サントリー。
1988年に東京へ本社を移すまで、堂島が本社でした。大阪の企業が、東京に移転して行くのは寂しいですが仕方がありません。
イタリアなら、ローマに全てが集中している訳ではなく、とくにミラノはデザインの街として、ローマ以上に活気があります。
大阪に魅力があれば、全ての企業が東京に行く必要がなくなるはず。これは見習う必要があります。
そのサントリーのウィスキー事業、ビール事業を成功させたのが、2代目社長の佐治敬三です。
トリスブーム、生産量世界一のサントリーオールドとヒット商品を連発していくのですが、それを支えたのが広告部にいた開高健です。
北康利の著書「最強のふたり」は「どうです佐治はん、私とあんたが組んだ仕事はことごとく大成功でっせ!」の言葉通り、社長とヒラ社員の友情を描いています。
また、佐治家との養子縁組の話しや、開高の女性関係にも触れられています。
その中で、作家としてすでに成功を収めた開高の別荘を、佐治が訪れた際のお礼の手紙が出てきます。
古語に《フェスティナ・レンテ》と申します。悠々として、かつ、急げの意です。今後のウィスキー会社のプレジデントにはまさにうってつけの座右銘ではございませぬか
その手紙の一節にあるこの言葉を、開高はその後も好んで色紙に書きます。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉とされるこの言葉を「急がば回れ」等と月並みの言葉にしなかった、と著者の北は書いていました。
傍から見ていると、ただ羨ましく、あこがれの存在でしかない作家が、愛人問題で詩人である奥さんに詰め寄られ、しかも重度の鬱だった。
平坦で、安定した人生など無いのだと納得する他ありません。
彼は「週刊プレーボーイ」で1983年から人生相談の連載をもっていました。
その編集長が編集部に貼っていたという、開高の「出版人マグナ・カルタ」が秀逸だったので掲載しておきます。
①読め。
②耳をたてろ。
③両眼をあけたままで眠れ。
④右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ。
⑤トラブルを歓迎しろ。
⑥遊べ。
⑦飲め。
⑧抱け。抱かれろ。
⑨森羅万象に多情多恨たれ。
右の諸則を毎日三度、食前か食後に暗誦、服用なさるべし。
御名御璽
森羅万象に多情多恨たれ。あらゆるものに興味を持つ。感じやすいが故、恨みも抱く。
そうなんですよね、開高さん。