カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

陰影

 日曜日は、朝から快晴でした。

 どこか山の中へ行きたくなり、宝塚市立自然の家へ。宝塚市の北端にあります。

 阪神高速を川西小花で降りて35分ほど。この辺りまで来ると、もう完全に大自然の中。

 嬉しいのは、駐車場、フィールドアスレチックを初め、ほとんどの施設が無料なのです。

 大阪から34km。感覚的には意外に近いという印象。

 焼き肉、カレー、焼きそばを、屋外で自炊出来るサービスがありました。 

 焼きそばにいたっては、一人前350円。手ぶらでいって調理するだけなので、次回は予約してみたいと思います。

 民族資料館として江戸時代中期の農家が移築されていました。

 自分で、勝手に入るのですが、初めは電気がわからず、真っ暗。
無双窓を開けると、ようやく足元が見えてきました。

 

 

 

 
 目が慣れてくいると、光は陰があってこそ、というのが良く分かります。
かまどの自然な曲線や微妙な質感も、電気が点いていないほうが美しいのです。

土間のタタキからも、自然な風合いを感じます。

 谷崎潤一郎は「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」の中で、軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、美を見出しました。

 陰があってこその光。

 現代の建築から、陰は消えて行きますが、根底にある美意識は忘れてはならない気がします。

「欧風カレー工房 チロル」 ヒストリー第三章

 昨日は雛祭りでした。2歳の娘がいますが、我が家には雛人形がなく……妻のを実家から持ってこないといけないのですが。来年は一番いい場所に飾るから、と娘に誓いました。

 一昨日の火曜日。突然チロルの店主が遊びに来ました。

 彼は25歳で会社勤めをやめ、突然飲食の世界へ。いくつかの店で経験を積み、カレーの車上販売を始めます。これがチロル第一章なら、2年間頑張って、四天王寺にオープンした店舗が第二章。3年後のリニューアルは、私も手伝わせて貰いました。

 そして2008年の夏、四天王寺から飛騨高山への移転準備をはじめ、この1月に完全移転。きたる3月20日に、オープンとなったのです。第三章のはじまりです。

 元々は同級生のスキー仲間。

 ずっと前から、自分の好きな土地で飲食店をしたいと言っていました。今回それを実現しました。

 田舎暮らしがしたいと言っても、行動に移す人は稀です。仕事をしながらとなると尚更。

 場所は東海北陸道の飛騨清見ICでおりて、中部縦貫道に乗り継ぎ、高山西ICから300m。

 大阪から3時間、高山市からも10分と言っていました。

 春になれば山菜とり。川が解禁になれば前の川で魚釣り。冬は大好きなスキー。夢のような生活です。

 側溝にさえイワナが2匹住んでいるらしく、漁が出来る漁業権を買うかも、とまで言っていました。そこまでは良いので、是非イワナを釣らせて貰いたいです。

 それも何も仕事あってこそ。マイペースで頑張って下さい。また遊びに行きます。

 その為にも、通販もあるチロルの飛騨牛カレーを宜しくお願いします。

Spoon cafe へ

 昨日は、宝塚の中山寺へ腹帯を返しに行ってきました。

 娘の出産から、もうすぐ2年。生まれてすぐ入院したこともあり、すっかり遅くなってしまいました。現在、とても元気に暮らしているので、これも中山寺のおかげ。感謝の気持ち込めて奉納してきました。

 昼時になったので、久し振りに門戸厄神駅前のSpoon cafeへ。

 何年ぶりか覚えていないくらい久し振りです。

 エントランスの扉こそ替わりましたが、ほぼ当時のままで営業しています。

 私が始めて設計した商業建築なのです。

 壁も年輪を感じさる、いい色になっていました。

 子供には、ハンバーグセットを。

 「物凄っい美味しい」と、モリモリ食べました。

 手作りのケーキも300円くらいで、モンブランが素晴らしかったです。

 私は、ずっと一番気に入っているアボガドバーガーを。840円だったと思います。

 とろけるようなアボガドと、手作りのパテがびっくりするくらい美味しいのです。

 普通のハンバーガーとは、全く次元の違う美味しさを保証します。

 私が言うのもどうかとは思うのですが。

 当時、このお店のチーフだった後輩が、改装計画に声を掛けてくれました。私が27歳、彼が25歳でした。
 
 リニューアルオープンが1998年の冬だったので、11年前のことです。

 壁にイスがあたって汚れていたり、洗面の水栓がちょっと痛んでいたりしますが、空間は成熟が進んでいると感じます。

 後輩も居たのですが、仕事中なので少し話しました。「この間、アイルランド人のお客さんが、自分の国の店に似ている。ナイス!って言ってくれましたよ」と。

 店舗の内装はもって5年という中で、ほぼ原型通りで営業を続けていけるのは、皆に愛されている以外に理由はありません。

 お客さんの支持がなければ、すぐに変わってしましますし、お店側にも愛情がなければ、こういう成熟は進まないのです。
 

 費用は本当に無かったので、アプローチには現場用足場板を敷きました。この柔らかい、安い木が、10年を超える足跡を感じさせるのです。

 最後に、今日はクリスマス・イブです。全ての人にとって素晴らしい夜となるよう、メーリー・クリスマス!

日本建築家協会

 今日は大阪市中央区の船場にある、綿業会館へ行ってきました。

 この建物は、 渡辺節の設計で1931年に完成しました。

 重要文化財にも指定されていますが、曇り空が良く似合います。

 先日紹介した村野藤吾も、渡辺節の門下生で、この物件を担当していました。

 しかし今回は建物を見に行ったのではありません。

日本建築家協会に入会する為、面接があったのです。http://www.jia.or.jp/

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 今まで、建築に係わる何かに属したことはありませんでした。

 しかし、来年は事務所を設立して15年目。私も40歳を迎える節目として、仕事の評価を世に問うてみたいと思っています。

 建築家協会員が参加できる、コンテストに応募したいと思っているのです。

 経歴の説明をすると、面談をしてくれた役員の方が「おそらく入会は問題ないでしょう」と。

 更に「出江さんのお弟子さんの所にいたなら、挨拶しておきなさい。孫弟子とも言える訳だし」と言われたのです。

 建築家・出江寛、御年78歳。現、日本建築家協会の会長です。私が初めて師事した建築家がその門下生だったのです。その哲学を聞き、著者も読んでいたので、すぐご本人と分かりました。たまたま近畿支部におられたのです。

 「そうか○○の所にいたんか。彼が居たのは一番厳しかった頃やな。何度かゴツンといったと思うわ」と。

 私の経歴書に目を落とすと、作品の写真を見て「ダイナミックな建築やな」と評してくれたのです。軽い気持ちだったのかもしれませんが、感想を述べてくれた事が、素直に嬉しかったのです。

 出江さんは「建築とは哲学すること」と説いています。更に、哲学とは道理、倫理、美学と定義しています。その哲学にはいたく感銘を受けていました。

 初めてお会いしたのですが、もちろん勝手に孫弟子だと思っていたのです。

テラス席は

 今年も12月に入りました。

 毎年当たり前のようにやってきますが、無事11ヶ月を過ごせてた結果でもあります。

 火曜日は、京都の宝ヶ池にあるグランドプリンスホテルへ行っていました。

 会合に出席する為ですが、京都もこのあたりまで来れば、ちょっとした旅行。

 東に望む比叡山は紅、黄、黄緑に色付き、旅情を盛り上げてくれました。

 このホテルは1986年、日本を代表する建築家・村野藤吾によって設計されました。

 新高輪プリンスホテル、取り壊しが話題になっているミナミの新歌舞伎座なども彼の作品で、有機的なデザインを得意としました。

 ドーナツ型のプランをもつこのホテルは、村野の特性が良く出た、後期の代表作と言えます。

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 ロビーからカフェ越しには、見事な紅葉が見えました。

 夕暮れの寒さが迫るなか、テラス席に座る男性が3人。

 窓が切り取る景色が、彼らをテラス席に向かわせたのか。自分がコーヒーを飲むなら、あの席に座っただろうか、などと考えました。

 そう考えると、とても風情を理解した大人に見えてきました。さすがは京都です。

 何かと気ぜわしい季節ですが、総仕上げの1ヵ月になるよう、腕まくりしてラストスパートです。

靭公園&Ohana

 昨日は、クライアントとショールームめぐりに本町へ。

 早く着いたので、近くにある靭公園を歩きました。
 
 天気こそ曇りでしたが「秋の散歩道」という言葉がぴったりです。

 

 イチョウの葉は、本当に独特の形をしています。

 先週の金曜日は、9月末に竣工した、写真スタジオの1ヵ月点検でした。

 そのOhanaのページをUPしました。http://www.atelier-m.com/works_ohana.htm

 楽しいスタジオになったと思いますので、七五三がまだの方は是非。

茶室

 現存する日本最古の茶室は、という問いには、2つの答えがあります。

 一つは大山崎にある千利休による待庵、もうひうとつは銀閣寺の東求堂内にある同仁斎です。

 待庵は1582年、千利休によって建てられた日本最古の草庵茶室です。

 東求堂は室町時代の将軍、足利義政の書斎で、1482年に完成しました。その中にある小間、同仁斎(どうじんさい)は、四畳半茶室の源流といわれています。
 
 平安時代、平等院鳳凰堂に代表される寝殿造り、室町時代、銀閣寺に代表される書院造り、戦国時代を経て、安土桃山時代には、待庵に代表される数奇屋建築と建築様式には大きな流れが出来ました。

 一方、茶の世界も貴族の求める豪奢なものから、利休が完成させた侘び茶の世界へと変化、昇華して行くのです。

 今日は混雑を限り避けるため、朝一番から銀閣寺へ行ってきました。

 アプローチには、静寂と秩序が。

 いわゆる銀閣、観音殿は修復工事中で、1階は構造体がむき出しでした。

 東求堂は、別途拝観料が1000円掛かりますが、係りの人が40分掛けて解説してくれます。

 内部の撮影は出来ませんが、中なら外は撮影可です。

 同仁斎の違い棚の横には書院(勉強机)があります。

 その上にある障子を開けると、庭の一部が切り取られ、掛け軸のようでもあるのです。 

 帰りには哲学の道を散策しました。

 今まで、桜と紅葉の京都は人があまりにも多いので避けて来ました。

 しかし全国、世界から人が集まるだけあります。

 秋の京都は、やはり風情があります。できれば朝一番で。

狭山池へ

 一昨日は文化の日で祝日。朝から狭山池に行っていました。

 大阪狭山市は、大阪府の中央、やや南に位置します。このあたりは、早くから人が住み始めた地域ですが、水源の乏しい地域でした。

 狭山池は日本最古のダム式ため池で、7世紀には整備が始められています。

 その狭山池の歴史を紹介するのが狭山池博物館。安藤忠雄の設計です。

 飛鳥時代から平成に至るまで、推古天皇、行基、重源、片桐且元らによって改修を重ねてきた歴史が、紹介されています。

 池のほとりからアプローチすると、巨大な水盤が出迎えます。

 時間によっては、両側から滝のように水が落ちてくるのです。


 展示では、なんと言っても、高さ15m、幅60mの堤の断面を移築しての展示です。

 この施設は、無料。しかし、そういう場所にありがちな、退廃感は微塵もありません。

 駐車場は併設されていませんが、少し離れた公園の駐車場があります。こちらも無料。

 3階にはカフェがあり、食事も出来ました。

 牛スジのカレーは、サラダ付きで450円。かなり美味しかったです。ハヤシライスも同じ値段で、本格的な味でした。

 スタッフとして、知的障害者の方が、社会勉強をしているので、もし失礼があればお許し下さいとありました。

 しかし、むしろ清々しい感じさえありました。屋上庭園を見ながら、子供も完食。

 円形ホール、水盤、角度の触れたキューブなど、安藤の手馴れた手法です。

 しかし、非常に好感を持ちました。

 彼はインタビューで「我々のやっている建築は、現代建築の中では、もう古典の部類にはいる」と発言していました。

 無限の選択肢がある中で、選ぶ自由もあるし、選ばない自由もある。

 「直線とは人間の意志である」

 彼の言葉の中で、一番好きな言葉です。

 狭山池を一周歩きました。ここに来て、建築設計は本当に夢のある仕事だと思い、更に身の引き締まる思いがしたのです。

管理建築士講習

 今日も晴れ。昨日も一日気持ち良い天気でした。

 朝からバタバタしていると思ったら、長男の遠足でした。

 長女の遠足は終わったのですが、2人で走り回っていました。どちらもリュックは貰い物です。

 ほとんどに近いくらい、子供に何か買った記憶が無いのです。本当に有難いことです。

 私は朝から、上本町にある大阪国際交流会館に行っていました。

 建築士法の改正で始まった、「管理建築士講習」があったのです。

 今年の8月には「建築士定期講習」というのも受講しました。
 

 ともに3年に1回の受講と、試験が義務付けられています。

 構造偽装問題に端を発した、信頼の失墜を食い止める為に始まったものです。

 全ての建築士が受講する「建築士定期講習」と違い、「管理建築士講習」は設計事務所における責任者の講習ですから、自然と年齢層も高くなります。

 私が学生の頃、試験は概ねマークシートでした。しかし20歳上の人となると……

 これは8月の建築士講習の時ですが、隣が60歳くらいの男性でした。

 試験では明らかにマークシートに戸惑っています。更に試験中、挙手してトイレへ。

 狭い席ですから、進み具合は見えています。トイレから戻ると、明らかに時間が厳しく、焦っているのが分かります。

 何とか全てマークはしていましたが、線が大きくはみ出したりしているのです。

 合否の発表は、webサイトでもなされてます。先月の発表時、私の前後の番号を確認すると……2人とも合格していました。

 いらぬ心配だったようです。しかしこうなると、誰でも通る訳ではないのでしょうが、ホッとしたというか、それでいいのかとも。複雑な気持ちなのです。

中庭の家の裏庭で焼肉

 昨日は、お昼から京都に行っていました。

 昨年竣工した、切妻と中庭の家に招待して貰ったのです。

 5家族13人が、裏庭で焼肉です。

 こちらのクライアント、実は同級生なのです。それで、子供達の年恰好も、似たような感じ。

 やはり焼肉は炭火に限ります。

 網の焼き後が入った肉は、何故あれほど美味しそうに見えるのでしょうか。

 一通り、食事が終わったら、子供たちと野球の練習です。

 大汗をかくまで遊びました。

 最後は大人同士もプラスティックバットで真剣勝負に。


 家の中、外。それぞれが、好きな場所で、食べ、飲み、遊び。

 長女はダイニングでハヤシライスを。

 カレーは辛さ設定が難しいので、ハヤシライスにしたとは、奥さんの弁。なるほどと思いました。

 昨日は、webサイトの下書きも持って行きました。

 大筋OKの返事を貰ったので、今週中にはUPしたいと思います。