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大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

表参道まわり

 先週末は、出張で東京に行っていました。

 朝の6時の新大阪発に乗れば、9時の打ち合わせに間に合います。新幹線は本当に早くなりました。

 一日掛けて、建築確認申請の関係省庁調査に回りました。

 夜は気になる建築を見に表参道へ。原宿駅から東へ向かいますが、あいにくの大雨。

 まずは、ディオール。設計はSANAA。

 次は、同潤会アパートの保存でも話題になった、表参道ヒルズ。設計は安藤忠雄。

 建築の大半は地下に埋めこまれ、内部は表参道と同勾配のスロープで繋がっています。

 ルイヴィトン、設計は青木淳。

 TOD’S、設計は伊東豊雄。

 雨が激しくなってきたので、その他は後日にして、少し離れたキラー通りにある、最小住宅の名作を目指します。

 ずぶ濡れになりましたが、来たかいがありました。ひっそりと生えるように建っていた建築家・東孝光の自邸「塔の家」。

 全体を撮ることは出来ませんでした。

 翌朝は昨晩とは打って変わって良い天気。

 早起きしてまずは、丹下健三の名作、代々木国立屋内競技場へ。

 原宿駅を越え、表参道駅へ向かいます。

 昨晩見た、表参道ヒルズ。

 TOD’S。

 表参道駅の上にはONE。隈謙吾の設計。

 南に下ると、槙文彦の代表作スパイラル。

 東のエリアには、プラダブティック。ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計。

 コレッティオーネは安藤忠雄の設計。

 ずっと北上して、再び「塔の家」へ。

 建築面積は僅か7畳ですから3.5坪。1966年竣工で狭小住宅の傑作です。

 街に埋もれるように建っていました。

 この後、爽快な気分で打ち合わせに向かいました。次回は銀座、渋谷、新宿編です。

京阪萱島

 先週、仕事で京阪の萱島に行っていました。

 地名は、寝屋川の中洲に、茅、葦といった植物が育っていたところから来たようです。

 駅は門真市と寝屋川市にまたがり、境界が寝屋川。この駅は日本の駅百選に選ばれているのです。

 その訳は、樹齢700年のクスノキです。

 ホーム、屋根を貫いているのです。

 このクスノキは萱島神社の御神木で、1972年の高架化される時、伐採の予定でした。

 それが市民の声によって免れ、保存されることになったのです。

 高架下になった、萱島神社も1980年の夏に再興されました。

 ちょうど紅白の梅が満開でした。

 川をまたいでいる駅は、阪神武庫川、阪急芦屋川などありますが、随分趣きは違います。

 しかしこの景色に、なんとも言えない愛着を覚えるのです。

大泉緑地へ

 日曜日は気持ちの良い陽気でした。朝から長男と、堺市の北端にある大泉緑地に行っていました。

 敷地は広大です。

 巨大滑り台あり。

 雑木林あり。

 池あり。

 気温も上がってきたので、色々な生物も動き出しました。

 これはミドリガメ。お祭りのあとの放流でしょうか。ちょっと問題です。

 フタツホシテントウ。

 野鳩でしょうか。他には、ムクドリ、メジロなども。

 花はスイセン。

 ギリシャ神話では、泉に写る自分の姿に恋焦がれ、そのまま亡くなった美少年がナルシス。その生まれ変わりとされています。

 スイセンは水面をのぞくように咲き、英名はNarcissus。スイセンがナルシストに見えてきますか?

 こんな話しを聞いた時、ギリシャ神話っておもしろいなあと思うのです。

 サクラのつぼみも随分大きくなっていました。もう春本番です。

水溜り

 今日は良い天気です。しかし子供は雨の日も大好きです。

 長靴を履き、傘をさすと、非日常モードに入ります。水溜りでバチャバチャしだすと周りが一切見えなくなるくらいテンションが上がってしまうのです。

 私が小さい頃は、舗装していない道路が結構ありました。大きな水溜りはだいたい泥水ですから、深さが分からないのです。

 はまってしまい長靴に水が入る。ヒルもいっしょになんてこともありました。

 同じ街に住んでいますが、舗装していない道はなく、そんな深い水溜りは皆無です。それで子供は躊躇なくバチャバチャするのです。

 幼稚園へ送る道の途中、1ヶ所だけ田んぼが残っています。

 立ち止まって「あそこ、銀色やナ!」と言うのです。

 水路の部分に大きく深い水溜りが出来ていました。光の加減もあったのでしょうが、何か違うものを感じているようでした。

 平らは便利です。車が走れる便利を求めて、人が作ったもの。しかし雨が降っても深い水溜りは無い。不自然ではあります。

デスク

 以前から、働き良い机とは?と考えていました。それで今回、作り変えてみました。

 今のところ、L字の天板が最も広い範囲に手が届くと考えています。その内側は座る位置から離れ過ぎないよう、アールにするのがベストと考えています。

 向って右が私の席です。内側のアール部がないと肘を置く場所がなく、特に近年増えたキーボード打ちの作業が大変疲れるのです。体の動きに合わせれば、無駄なく空間を使えるという結論です。

 図面が出来たので制作しようと、付き合いのある材木店に聞くと「集成材は巾600くらいまで」とのこと。探していたところ「特注なら1300×6000まで可能」とある、広島の山根樫材工場のWebサイトを見つけたのです。

 2000×1300×30の内側をR600に切り取り、逆側には900×700×30の天板をつなげました。

 このエリアでの2人の仕事効率は随分上がったと思います。毎日のことですから「楽しく、気持ちよく働けるデスクにしたい」という目標が達成出来ました。

 以上が完成までの流れです。実は、特注の机は結構値が張ります。

 金額が合わない時は、クライアントにも頑張って机を作ってもらおうという、目論みもありました。それには、まず自分がやらないと、いう事です。

若者は

 今日でスタッフが一人辞めます。

 一ヶ月のオープンデスクを終え、修業生として残り、その後夜間の専門学校に通いながらスタッフとして働いてくれました。

 この1月の話し合いで、2月いっぱいと決まっていたで、突然ではありません。気まずい関係で終えることもありません。

 辞めると言った時には、気まずいだろうと思い理由は聞きませんでした。そうなった場合は、引き止めないと決めていたからです。

 一昨日、もう気まずい事もないだろうと思い、色々話をしました。多少気を遣っているかもしれませんが、「ここに不満は無いが、東京で挑戦してみたい」という事でした。

 彼は文系の大学を出て、卒業後、建築の専門学校に入学しました。面白い事を言っていました。飲食店でアルバイトをしている時、大学の卒業を隠したことがあったそうです。

 「お客さんの態度が明らかに違います。それから、学歴を外した自分とは一体何?と考えました」。自分に向き合い、仕事に向き合い、今に至ったのです。

 私はとしては、残って欲しいという気持ちも有りましたが、自分が選んだ道を歩むのが一番です。悔いや言い訳が残る人生は嫌ですし、私もそうして来たつもりです。

 彼には「麗しのサブリナ」でヘップバーンが言った言葉を贈ります。

 「人生とは何か。どう生きるべきかを知りました。傍観者ではだめだと。……もう、人生から逃げはしません」

 若者は荒野を行け。

実家、実家

 土曜日の昼間は、春一番を思わせるような温かい風でした。ようやく春かなと思うと、夜からは雪。

 長男が水疱瘡にかかってしまい、急遽、妻の実家で面倒を見てもらっていました。日曜の朝、高槻へ迎えに行くと、ちょとした雪景色。

 今年は本当に良く雪が降ります。こんなに降った記憶がありません。

 数年前までは、スキーに良く行っていました。今年はちょっと難しそうです。

 日曜日はいつもの事で私の実家へ。父が「今年は、1回もスキーに行かへんねやったら、孫連れて、ソリ遊びでもしに行ってくるか」と。

 「是非、連れていったって!」が本音ですが、「そやな。時間あったら頼むわ」と私。父子の関係は大体そんなものでしょう。実家と実家。最近はとっても助かっているのです。

ことばの力-生き方編-

 寒い日が続きますが梅は満開です。花は毎年暦通りに。淡々とした営みは、逞しくあります。

 唐突ですが、ことばの力-生き方編-です。「ことばの力」は一応シリーズで書いているつもりなのです。
 
 「たとえ嫌われたとしても真実の方を取る。真実が私の同志だからだ」 山本隆司
 「不幸せの時くたびれる者は、役に立たざるなり」 山本常朝(江戸時代 武士)

 社名統一でゆれる松下電器の創業者、松下幸之助は「成功は失敗の要因が蓄積している状態。失敗はそれを改善するチャンス」と言いました。

 言うは安し、行うは難しです。実行に移すかかどうかは、自分次第。自分を奮い立たせる為、偉人の言葉を求めるのでしょう。

一時大家族

 先週はバタバタとした一週間でした。

 妻は出産の後も、明日のまで入院の予定です。その間、私と長男は実家で生活しています。加えて、母方の祖母が久し振りに香川から出てきて、4世代で実家に暮らしているのです。

 少し前の日本なら、当たり前の事だったのでしょう。私の両親は共に田舎から出てきているので、いわゆる核家族でした。家系的には長寿傾向なので曾祖母に会った記憶はあります。しかし遊んで貰った記憶はありません。

 それを思うと、非常に良い機会だと思います。実家は大きな家ではありませんが、家族4人だったので、私達兄弟には自分の部屋がありました。小さい頃は嬉しいことでしたが、親の加護の元にいるのにプライバシーが完全に保たれているというのも矛盾する気がします。

 仕事人として考えると、個室が無いほうが良いとは思いません。しかし、快適を上回る経験はあると思うのです。むしろ快適でない時にこそ、学ぶことが多いのかもしれません。例えば、ウソをついて遊びに行った帰りは気が重くなるように。

 メジャーリーガー、イチローの父は小学校から高校を卒業するまでの間、一日も欠かさず練習を見に行きました。やはり、愛情=時間という気もします。

 自分が足りていない分、両親に期待していると言う部分もありますが、頭を下げてでも頼みたい気持ちはあります。愛情ある目が多ければ多いほうが良いに決まっていますから。

WHAT A WONDERFUL WORLD

家族がもうひとり増えました。3060gの元気な女の子です。

長男が生れた時、頭に浮かんだのは、ルイ・アームストロングの「WHAT A WONDERFUL WORLD」。彼女にも、同じ言葉を贈りたいと思います。

「ようこそ、素晴らしきこの世界へ!」と。

初めて女の子と聞いた時は、やや驚きました。全くイメージしていなかったのです。

長男の時は逞しく生きて欲しいと願いました。今は、幸せになって欲しいと願います。その違いが何か解りませんが、確かにそう思います。

どこかで思っています。いつかは「花嫁の父か」と。出来るなら、この素晴らしき繋がりを続けて欲しいと願うのです。