一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

アンリ・マティス

 昨日は『SUMAInoSEKKEI』の取材でした。

 「イタウバハウス」だったのですがずっと雨の予報。昼過ぎまでなんとかもって、無事撮影が終わりました。今日は「Shbby House」の撮影です。詳しくはまた現場日記で。

 先月末、カンディンスキーの展覧会へ行きました。

 それもあって、クライアントから新聞の切り抜きがfaxされてきました。「抽象画の創始者に迫る」という題で、その中に抽象画が生まれた瞬間というエピソードがありました。

 ある夕暮れ、カンディンスキーは自分のアトリエで、信じられないほど美しい絵画に惹きつけられます。誰が描いた絵画だろうと思い見ると、自身が描いた絵を横向きに立てていただけだった、という話です。

 カンディンスキーが画家を志したのはモネの「積みわら」を見てでした。強い感銘を受けたが、何を描いてあるのかは分からなかったともありました。

 この絵は、事務所に飾っているアンリ・マティス。

 1995年の夏、初めて設計の依頼を貰いました。「羽衣の家」のクライアントは大学時代の先輩のお父さん。

 その時社会に出て2年目だったので、勤め先の担当者として仕事をさせて貰うことになっていました。
 
 しかし所長と微妙な行き違いが生まれ、独立することになります。

 事情を話すと、先輩のお父さんは、にこやかに僕に任せると言ってくれたのです。大変温厚な精神科医でした。

 1996年の年末あたりに、食事に誘って貰いました。行き着けのミナミの串カツ屋さんでしたが、プレゼントも貰ったのです。それがマティス。

 マティスはカンディンスキーとほぼ同時代を生きています。1869年フランスに生まれ、当初の写実的な絵から、荒々しい筆遣いと大胆な色彩のフォビズム(野獣派)と言われる絵に変化していきます。更に、単純な線、単純な色を求め最後には切り絵に行きつきました。

 調べていると、この絵の題名が分かりました。『Christmas Eve』

 美しいと感じることを「美しい」と言う、自分が良いと思うものをプレゼントするのは勇気のいることです。
 
 この絵が届いたのはクリスマス前だったかもしれません。14年経ち記憶が定かではありませんが、そんなことを思いながらこの絵を見ています。

Let’s Go To The Dentist! (歯医者へ行こう!)

 昨日、初めて「つるみ歯科クリニック」で診察して貰いました。

 設計を始めたのが2003年の3月で、開院が2004年の9月。院長と知り合い、8年目にして初めて歯を見て貰いました。先々週あたりに親不知が腫れ、ちょっと気になっていたのです。

 30歳くらいまでは、時々歯科医院に通っていました。その頃「治療しても進行を止めるだけ。歯は良くならないんだ」と、やっと気付いたのです。

 前歯3本の神経はなく、差し歯も1本あります。

 その後10年、歯科医院のお世話になっていません。

 それには32歳の頃仕事をさせて貰った吉松歯科医院の院長に、歯の磨き方を教えて貰ったことも、大きかったと思います。

 以来、子供に、スタッフに「歯磨きは貯金!」としつこく言って来たのは、自戒の念からなのです。

 ところが、10年も行っていなかった結果、結構色がついていたり、歯垢がついているとの事。コーヒーなどで着色が起こると、初めて知ったのです。

 また、残念ながら1ヵ所だけ虫歯も見つかりました。院長と治療の流れを相談しました。

 「歯の掃除」→「虫歯の治療」→「ホワイトニングの型取り」→「親不知の抜歯」

 折角なので、ホワイトニングもやってみることにしました。

 まずは「歯の掃除」。これは、削るのではなく超音波の振動で歯垢などを落とし、磨いてくれます。

 私にとって、治療というのは「痛いのを我慢して削る」ものでした。

 このネガティブな部分を、少しでも和らげようようと、歯科医院の設計に取り組んで来ました。

 しかし「歯の掃除」はこの対極にあります。

 歯垢はとれ、ホワイトニングをしなくても、かなりの白さを取り戻せました。

 削る為だけにあると思っていた道具の中には、美しくする為、まさに審美の為の物も混在していたのです。

 来た時より、歯はツルルツになり白く美しくなるのですから、エステに行くのと全く同じなのです。

 エステに行ったことはありませんが。

 実際に治療を受け、改めてこのクリニックの試みには価値があったと思えます。

 自画自賛になりますが、とてもいい空間で、飽きません。

 院長の奥さんもドクターで、少し話をしていたのですが、欧米では歯のメンテナンスをするのは当たり前だそうです。

 歯も建築も全く同じです。

 設計をしていた当初、看板にこんなキャッチフレーズを入れませんか?と提案していました。
 
 『Let’s Go To The Dentist!』

 「歯医者へ行こう!」という意味ですが、今まさにそんな気分です。

 これを機に、私も定期健診に行くことにします。治療でなく行くのはとても楽しいのです。

ザリガニ

 梅雨入り時は雨が続きましたが、今日も気持ち良い天気です。

 中休みなのか、今年は空梅雨気味なのか……

 昨日も雨は降らず、長男の小学校へ授業参観へ行っていました。 

 母校でもあるので、少し早めに行き歩いて回りました。

 この学校は、緑が結構多いのです。

 大阪市内の南東端にありますが、辺りは完全に住宅街です。

 私はこの学校が出来て2年目に入学しました。

 とても新しい学校でしたが、当初から敷地の一角に「自然園」というエリアがありました。

 おそらく里山のような風景をイメージした造られたのだと思いますが、30年以上の時間が経ち、更に木々は生い茂り。
 
 森に近いよう雰囲気さえ醸しだしていました。

 当時は大変珍しいということで「ズームイン朝」という番組でも、取り上げられました。

 リハーサルでは、リコーダーを吹きながら、小路を歩く練習などをしたものです。

 授業自体は国語と体育。

 前に立っての音読がメインイベントという感じでしたが、皆上手にできていました。

 長男も上手く読めたのですが、2時間目の体操服を忘れていたらしく、私が出た後先生から電話が掛かってきたそうです。

 3月生れというのもあり、なんとも頼りない所もありますが、普段の風景を見て少し安心しました。

 授業参観が終わり昼食を食べてから、約束していたザリガニ釣りに向かったのです。

 図書館の図鑑で見たようで、飼ってみたいと。

 私が小さい頃は、大和川付近にため池が沢山あり、そこで取っていたのですが今はもう埋め立てられています。

 それで、あちこちを回り、小学5、6年の子供達に聞いてみると、JR久宝寺駅前のドブ川がいいと。

 早速自転車で行き、竿を出すも駄目。こんどは久宝寺緑地へ行き、子供に聞いてみると園内の池より、これも近くのドブ川がいいと。

 自称「学校一の釣り名人」の彼が「ちょっと竿貸してみぃ」とレクチャーしてくれました。しかし残念ながらこれも空振り。思っていた程簡単でないようです。

 子供の頃は池の中に入り、手当り次第に手を突っ込んで捕っていました。そう考えると、スルメで釣り上げる方が一段ハードルが高いかもしれません。

 これで当面の休日の課題が出来ました。

すきま

 6月に入って2日目。雨は降ったり止んだり。

 子供達も家の中で遊ぶ機会が増えます。この時期、特に縁側の有難味を感じます。

 我が家は築38年の木造住宅。庭に面して、2.7m×0.9m の縁側があります。

 縁側から、雨に濡れる草木を見るのは、この季節ならではの楽しみ。

 長男は何故か踊りながら……

 どうも学校では「おちょけ」で通っているようで、ふざけたり、踊ったりで人を笑わせるのが好きなのです。

 私達にはあまり無い要素で、一体誰に似たのかと思ったり。

 縁側には25cm程の隙間があり、子供達はこぞってここに入ります。

 お隣の子供も来ると、総勢4人。

 障子を閉め、ひしめき合って遊んでいるらしく、その結果は必然です。

 誰かがのぞいていると、それを取り合い、更に穴は広がる一方。

 長嶋茂雄は国民的スターですから、家は田園調布にある豪邸です。

 子供が小さい頃、壁は落書きだらけで、それを叱ったことがないと聞きました。

 のびのびと育てるのも大事、躾も大事。どちらかが正しという答えはありません。

 確か長嶋家には3人のお子さんがいます。うち2人はテレビ関係の仕事をしているので、私達も知っています。自由な子育ての結果と言えば叱られますが、それを知る事が出来るのは、稀有なケースかもしれません。

 お子さん2人を見て、それもふまえ「障子を破らないように!」とは言いますが、あまり叱らないようにしました。

 建築に関わるものとして、物を大切に、良い空間を良い状態で保って欲しいといく気持ちはあります。

 しかし小さい頃は誰も、すきま、端っこ、秘密基地、そんな所が好きなものです。その楽しみを奪うのはどうかと思いますし、家の中にそんなところは必要だと思っているのです。
eferrer”>アトリエmの現場日記

青騎士

 今年はなんと5月下旬から梅雨入り。例年より12日も早いようです。

 昨日は台風2号の影響もあり、一日中雨風が止む時ありませんでした。

 雨なら雨なりの楽しみを、ということで神戸の兵庫県立美術館へ。

 地下駐車場は展覧会等があれば2時間400円。

 スペースも大きく、これも助かります。

螺旋階段を上がってエントランスへアプローチします。

 現在は「カンディンスキーと青騎士展」が開催されているのです。
 
 ヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944年)は、20世紀の初頭に活躍した画家です。

 彼は1910年に初めて抽象画を描いたと言われます。

 その初期にあった芸術グループが青騎士とありました。
 
 はじめはミレーの「晩鐘」のような絵画が好きでした。そこから、シャガールやムンクのように、構図や色使いがダイナミックなものへ興味が移って行きます。

 そして、モンドリアン、クレー、ミロ、マレービッチ等の抽象画が最も気になりだしたのが、大学生の頃。カンディンスキーは現代まで続く抽象絵画の源泉にあると言えるのです。

 今回、一番良かったのは『印象Ⅲ(コンサート)』(1911年)でした。子供も連れて行ったので、慌ただしくはありましたが、それでも本物を見るのは価値があります。

 長男は何となく興味を示していました。

 カンディンスキーは、20世紀初頭から第二次世界大戦がはじまるまで、バウハウスの教官も務めています。バウハウスはドイツにあった、建築と芸術の総合学校です。

 同時期に活躍していた、モンドリアンと共にデ・ステイルという運動に参加していたのが、シュレーダー邸を設計したリートフェルト。彼も教官を務めています。建築の世界へも影響を与えていると言えるのです。

 しかし「青騎士」とは、何とも美しい響きです。

 この美術館の設計は安藤忠雄。

 長く、広く、薄く海へ向かって突き出した庇は、挑発的です。

 完成から9年。

 緑が鉄筋コンクリートの躯体を覆います。

 能の世界では、鬼の舞は優しい心をもって舞い、女の舞は鬼のように強い心をもって舞へといいます。

 無機質なコンクリートに緑と愛情を込めて、というところでしょうか。

 9年経って、一層感じが出てきました。

芽吹く

一昨日、年末に竣工した「イタウバハウス」に行っていました。

生れて1週間の赤ちゃんって、こんなに小さかったのだと驚きます。

街中でも芽吹きの季節です。

ほのかな香りをたどれば、庭先にジャスミン。

松田聖子と杏里を思いだすのは70年代生まれの人でしょうか。

ガーデニングと言う言葉が市民権をえ、庭木の選択肢が増えました。

庭木が好きな人が増えれば、街には緑が増えます。

「イタウバハウス」のジューンベリーも、一昔前なら購入は簡単ではなかったかもしれません。

傾向として、樹形が美しいだけでなく、何がプラスアルファがあるものが人気です。

実がなる、香りが良い等。ベリー類、レモン、ハーブ系がその代表格でしょうか。

人は人であり
草は草であり
松は松であり
椎は椎であり
各々の栄えある姿を見せる
進歩というような言葉にだまされない
懸命に
無意識になるほど懸命に
各々自ら生きている
木と草と人と栄えを異にする
木と草は動かぬ
人は動く
しかし
動かぬところへ行くために動くのだ
木と草には天国のおもかげがある
もう動かなくてもいいという
その事だけでも
天国のおもかげを
あらわしているといえる

- 八木重吉- 「万象」より

適当にハイハイをする赤ん坊はいません。今日は調子が悪いから、花を咲かすのはここまでにしよう、という木はありません。全力が当たり前なのです。

人はいつから、全力を恥ずかしいと思ったり、手を抜くことを模索するようになるのか。

自分に、若者に問う毎日です。

キャリア

 先週末の土日。「ASJ」岸和田スタジオが主催するイベントに参加してきました。

 主には、折り込みチラシを見て「建築家と建てる家」に興味があるという人が来場します。8組の建築家が各ブースに分かれ、パネル、模型などを展示。順に見て回るという構成です。

 私のブースは一番奥。

 壁面に10枚のパネル、6個の模型、作品掲載誌などで構成しました。

 前日まであった、心斎橋での展示会に使ったものを修正しレイアウトしました。

 他の方は参加回数4回目から、数えていないというベテランまで。

 私だけがイベント初参加で、いわば一番下っ端。なので一番奥なのです。

 彼らと一番違ったのがパネルの枚数と構成でした。

 来場者は色々見たいので、パネルが多すぎたり、文章が多かったりすると、少し重たいようなのです。

 それよりは、私達は「こんな家づくりをしています」というイメージが分かる、パネルが6~8枚。そのうちの2、3は大きめの模型がある位が良いようです。

 意外だったのは、図面を使っての説明に、興味を持つ人が多いことでした。

 途中で構成を替え、図面の入っている雑誌と、放映されたテレビ番組をモバイルPCで流すようにしました。

 はやり何事もその場に立ってみないと分からないものです。

 何となく勝手がわかったのが2日目の昼頃。

 若干ほろ苦いスタートとなりました。

 収穫はいつもそうですが、新たな建築家とコミュニケーションが取れたこと。

 参考になり、刺激にもなりました。

 通常の仕事の流れと全く違いますが、やはり経験がものを言います。是非ともまたチャレンジしてみたいものです。

 誰がこのイベントに参加するか。それは私達は関知できません。それも含めて、シビアで面白い仕事だと思いますが、イメージは出来上がっています。

建築家展へ

 今週の土日、「ASJ」岸和田スタジオが主催する、建築家展へ参加します。

 「ASJ」とは。webサイトにこうあります。
日本最大級の建築家ネットワーク

 全国に活躍する建築家の移動交通費をなくすことにより、各地のニーズにもっとも適した建築家を全国へ派遣し、良質な社会ストックの構築を目指す。

 またそのシステムの運営を託す各地の優良工務店をネットワークし、 「建築家の専門店」なるスタジオを全国に確立、新しいスタイルの21世紀型建設事業のプラットホームを提供する。

 今月の初めから、キッチンハウスのショールームで、パネル展示会を開催しています。

 そのパネルや模型を、移動するつもりでした。しかし、週末へ向けて更に改善を加えているところです。

 今までは、直接オファーを貰った人からの仕事だけをしてきました。
しかし「ASJ」での立場は全く違います。11名の建築家の一人として参加し、来場者に私達の仕事をアピールするのです。

 リーダーへ向けて「あなたの手帳の予定を<現在の仕事>と<未来の為の仕事>に色分けして下さい。未来の仕事のほうが少なかったなら要注意」という言葉を聞きました。

 また、良く聞くことばで「我が社は営業したことがない」というものがあります。実は私も使っていました。

 この言葉の裏には、営業しなくても仕事がある、という慢心が含まれていると感じ始めました。

 人生は限られた時間しかありません。100年先まで予定が埋まっているなら別ですが、小さなプライドより悔いのない人生を、と考えるようになったのです。

 そのそものきかっけは、建築相談会で知り合った建築家、シンクスタジオの杉本さんに声を掛けて貰ったこと。この機会を得ただけでも有難いことです。

 少しの不安。それを上回る昂揚感があります。興味がある方は是非遊びに来て下さい。

仏に

 昨日は、法事で児島へ帰っていました。

 まず昼頃に瀬戸大橋北端の街、下津井へ。「ふく仙」という店で待ち合わせていました。

 下津井はタコが有名です。

 webに見当たらなかったランチメニュー。1300円程で、大人が十分満足できる味、ボリュームでお得感があります。

 娘は特にタコ好きで、相当に喜んでいました。

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 2時から伯父の四十九日法要で、自宅へ向かいました。

 近くには祖父母の住んでいた家もあり、30年程前、良く遊びに行っていた頃を思い出します。

 脇にある山道を少し上ったところに墓地はあります。

 祖父母と同じ墓石のもとに納骨されました。

 墓地の中でも、一番高いところにあります。

 突然の事故で70年の生涯を閉じた伯父にとって、思い残すことも多々あったと思います。

 しかしこの日から、仏様となります。

 一族の進歩、発展を願い、温かく見守ってくれるでしょう。安らかに。

P.S. 内容とは関係ありませんが、岡山方面から、大阪に帰ってくる時、渋滞なしの道順をメモしておきます。

 児島から大阪までは230km弱。昨日は事故もあって、宝塚ICから三木JCTまで25kmの渋滞でした。ノロノロ運転よりは走っているほうが好きという人は参考に。

 〈中国道〉の神戸北あたりまで行き、六甲山を超えるルートもありますが、昨日のように三木JCTまで混んでしまうと、プラス1時間くらいは覚悟しないとなりません。
このあたりから迂回したいところです。

1. 〈山陽道〉三木JCTで明石大橋方面行きへ乗り換え。南下。
2. 〈阪神高速〉にそのまま乗り継ぎ、さらに南下。布施畑JCTで〈阪神高速〉北神戸線へ乗り換え、東の蓑谷方面へ。
3. 少し行くと白川JCTがあるので、〈阪神高速〉山手線へ乗り換え。長田方面を目指し南下。
4. すぐの白川南ICで〈阪神高速〉を降りる。
5. 一旦一般道へ出て、東に向かうと〈山麓バイパス〉の表示あり。これに乗って新神戸まで。
6. 三宮のすぐ北に出るので、あとはフラワーロードを海沿いまで南下。「神戸税関前」交差点で左折すると〈ハーバーウェイ〉に。
7. そのまま〈阪神高速〉の湾岸線に乗り継いで市内へ。

 このルート内に渋滞個所は無かったので、ほぼ定時の約3時間。細かく乗り継ぎますが、距離はそれ程変わりません。

 ポイントは 5. の山麓バイパスを使うところです。山麓バイパス、ハーバーウェイ、湾岸線と1車線のところも多いですが、いずれも景色が良い道。

 混んでいる時は好んで使っています。/a>

未来の仕事

 昨日からまとまった雨。

 梅雨にはまだ早いですが、この気温、この湿度。どうしても連想せずにはおれません。

 今年の夏は、国を挙げての節電が課題です。何度かチャレンジして達成できなかった、夏のエアコン無使用。再度挑戦です。

 この雨でひまわりは一回り成長した感もあります。

 今週の日曜日。高校時代の友人が家族で事務所にやってきました。

 彼は大手の通販会社に勤めたあと、仲間と2人で会社を設立。

 その会社は急速に成長し、現在も素晴らしい業績を上げています。

 以前から「娘を連れて、一度遊びに行きたい」と言われていたのです。

 娘さんは小学6年生。数年前にハウスメーカーで自宅を建て替えた際、出来上がってくるパース、図面、模型などを見て、建築家という職業に興味が湧いてきたようです。

 まずは事務所内を案内しましたが、やはり模型が一番気になるようです。

 どんな事に興味があるんだろうと思っていると、質問が10個の箇条書きになっていました。色の違うペンで番号がふられています。

 しっかりしてるなあと思いながら見ていると、私の答えをメモする時も、色ペンで番号を書いてから、一字ずつ丁寧に書き写していました。

 当たり前と言えば当たり前ですが、これが大人になってくると、流れを止めないように鉛筆のままだったり、つい走り書きになったりするものです。

 それを見ながら自分を省みていました。

 質問をいくつか書いてみます。

Q1 どんな時が一番楽しいか?
A1 幸せに貢献できたと思えた時
Q2 どんな時が一番大変か?
A2 全てが大変とも言えるが、その大変を解決して行くことが仕事なので、全く無いとも言える。
Q3 仕事時間は何時から何時までか?
A3 朝の8時20分の掃除から○○○まで(一応伏せておきます)
Q4 どうして建築家になろうと思ったのか?
A4 大きくは2つ。
 父がガラス屋を営み、建築現場へ訪れる機会が多々あった。時々現場で、少し雰囲気の違う人を見かけ「あの人が何をつくるか考える人なんだ」とに教えて貰った。「何を作るかを考える仕事か。面白そうだな」と思ったから。
 もう一つは大学時代に安藤忠雄の『都市彷徨』を読んだこと。「学歴でなく、コネでなく、自分の努力で、世界一の建築家になれるんだ。夢は無限なのだな」と感じたから。

 どの質問にも、思った通り正直に答えました。

 最後に「どんな仕事でも良いので、本当にやりたいと思ったら、その時だけはお父さん、お母さんの意見を聞かないでもいいから、目指し続けるべき。得意は好きの近くにあるから」と。

 「但しそれ以外ときは、しっかり言うことを聞いてね」と結びました。

 ちょっと話が難しかったのかなと思っていると、友人からメールが届きました。

 昨日はありがとう。
 アトリエを見させてもらって、
 生の声を聞き、すごく刺激を受けていました。
 早いうちから将来の夢を描いて
 目標を明確にしていれば、より実現できる
 可能性は高くなると思うので、
 昨日はその入り口として、
 貴重な体験になったと思います。

 役に立てたなら、嬉しいです。でも本当になりたいと思えば、実現できる可能性は100%です。

 建築家に明確な定義はありません。建築士は国家資格ですが、建築家は自分で宣言すれば、誰もが建築家。詭弁に聞こえるかもしれませんが、これは本当の事です。

 小学6年生と仕事論。これは意外に刺激的でした。

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