今日から子供たちは学校です。
明日からの授業に備えて掃除だそうで、長い夏休みはあっと言う間に終わりました。
「夏休み」と聞き、思い出すのは幾つになっても小学生の夏休みです。人生で6回しかなかったのですが。
奈良、池原ダム。
富山、黒部ダム。
和歌山、友ヶ島。
山形、滑川温泉。
山形、立石寺。
1つでも、心に残る景色があれば、嬉しいのですが。
私の夏休みは、両親の郷里、岡山と香川で過ごした時間です。
カブト虫やザリガニを捕った事を思い出しますが、綺麗な用水路を見ると記憶がフラッシュバックしてくるのです。
長男が小5、長女が小2で、まさに私の記憶の中を生きていることになります。
福島では、生まれたてのセミを見つけました。
セミの脱皮は、私にとって小2の思い出です。
花火の音。
線香の香り。
頭ではなく、目、鼻、耳など五感に記憶は刻まれているのでしょう。
では、何故記憶に残って欲しいのか。
一番残したいのは、時間という愛情なのだと思います。
ザリガニも、カブトムシも初めは一人では捕れません。花火とて、墓参りとて、一人で行った訳ではありません。
怒られもしましたが、やはり残っているのは、祖父母と過ごした時間。
夏休みの記憶には、必ず自分以外の目線があるのです。
例えが極端ですが、犯罪者には、良い悪いは別にして、家族、親族との関係が見えてこない場合が多いそうです。
パズルをするとすぐ行き詰り、想像力の欠如が顕著と言います。
想像力と言うと、高い能力に聞こえますが、単純に言えば「これをしたら、相手はどう思うだろうか」という話です。
こういった能力(性格)は、中学校までに養われるような気がします。
これが、中学、高校、大学と、少なからず、一人という時間を経験します。何れ、自分以外の目線を近くに感じることになるのですが、それまでが中々大変です。
孤独、成長、恋愛、葛藤、……
娘にはまだ気楽です。
昨日は、達ての願いで、遊園地へ行ってきました。
私は遊園地に全く興味がありませんが、彼女にとっては、ジェットコースターに適うものはないようです。
夏休みは小学生のものと、強引に定義しましたが、彼らにとってはどんな夏休みだったのか。
答えは30年経ってみなければ分りません。