工事が進むSEIUNDOの New Office。
眼下には中之島のばら園を望みます。
ハナミズキでしょうか。ようやく白い花をつけ始めました。
昨日まで、20歳の男子学生がオープンデスクに参加していました。
現在進行している現場は、全てに同行しました。
元高校球児で、非常にフットワークの軽い青年でした。無事20日間を完走。
最近は、途中リタイアが多かったので、嬉しい限りです。
日曜日は、午前が彼、午後が21歳の女子学生。入れ替わりで取材も体験してもらいました。
実際に見ておけば、メディアが遠いものだと思わないはず。それなりにプログラムも考えています。
彼女は今日で4日目。頑張って、完走して欲しいと思っています。
無給で就業体験に来るのですから、明確に、またはおぼろげながらでも、人生の目的を持っている彼らです。
行動を起こしたことで、勝者へチケットは手に入れました。
次は、やる気のあるライバル達から、抜けださなければなりません。頑張って勝ち切って欲しいと思います。
長らく、スタッフとも食事をしていなかったので、学生2人も連れて、食事に行きました。
聞き役に徹すれば良いものを、ついつい色々話してしまいます。
20歳の彼が、私が鬱になった経緯を聞かせて欲しいと言ったので、25歳の夏から30歳の春までを、5分バージョンで話しました。
1996年天王寺。独立の際に借りた4畳のマンションです。
鬱で悩んだ記憶しかありませんが、写真はこの一枚だけ。創業の場所だし、もう少し撮っておけば良かったと、少し悔いが残ります。
本の入れ方も雑、青焼きも整頓出来ておらず、間違っても「君たちは整理整頓ができていない」とは言えないはずです。しかし言うのですが。
「思い出はいつも偉い」という法則があります。
人は、実際に出した結果と、そこに至るまでの苦労をセットで記憶しています。更に、その過程における心の葛藤を知っているのは自分だけ。
よって、常に自分の方が苦労をし、努力をしているのです。
学生時代のクラブでも、3回生は必ず言います。
「俺が一回の頃は……」
自分が日本一なら別ですが、同じような結果しか出していないなら、そんな違いがある方が不自然です。
独立寸前、1996年5月24日の釣り新聞です。
25歳の頃も、寝る間を惜しんで図面を描いたと言っておきながら、結構楽しそうにやっています。それでも人は言ってしまうので、法則なのです。
スガシカオは、現在を「あの頃の未来」と言いました。
20年前の自分が描いた未来は、ここだったのか。自分に問うてみると、居ても立ってもいられない、何とも言えない気持ちになります。
若いことは素晴らしく、羨ましくもあります。しかし、今手元にある現実は、それらの時間と引き換えにして手にいれたものです。
若頃は無く、今はあるもの。良く聞く言葉だが、思った事が無かった言葉。
人は宝
少なくはありますが、ようやく、チームとして勝負できる状態になったと思っています。