あの頃の未来‐1254‐

 工事が進むSEIUNDOの New Office。

 眼下には中之島のばら園を望みます。

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 ハナミズキでしょうか。ようやく白い花をつけ始めました。

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 昨日まで、20歳の男子学生がオープンデスクに参加していました。

 現在進行している現場は、全てに同行しました。

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 元高校球児で、非常にフットワークの軽い青年でした。無事20日間を完走。

 最近は、途中リタイアが多かったので、嬉しい限りです。

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 日曜日は、午前が彼、午後が21歳の女子学生。入れ替わりで取材も体験してもらいました。

 実際に見ておけば、メディアが遠いものだと思わないはず。それなりにプログラムも考えています。

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 彼女は今日で4日目。頑張って、完走して欲しいと思っています。

 無給で就業体験に来るのですから、明確に、またはおぼろげながらでも、人生の目的を持っている彼らです。

 行動を起こしたことで、勝者へチケットは手に入れました。

 次は、やる気のあるライバル達から、抜けださなければなりません。頑張って勝ち切って欲しいと思います。

 長らく、スタッフとも食事をしていなかったので、学生2人も連れて、食事に行きました。

 聞き役に徹すれば良いものを、ついつい色々話してしまいます。

 20歳の彼が、私が鬱になった経緯を聞かせて欲しいと言ったので、25歳の夏から30歳の春までを、5分バージョンで話しました。

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 1996年天王寺。独立の際に借りた4畳のマンションです。

 鬱で悩んだ記憶しかありませんが、写真はこの一枚だけ。創業の場所だし、もう少し撮っておけば良かったと、少し悔いが残ります。

 本の入れ方も雑、青焼きも整頓出来ておらず、間違っても「君たちは整理整頓ができていない」とは言えないはずです。しかし言うのですが。

 「思い出はいつも偉い」という法則があります。

 人は、実際に出した結果と、そこに至るまでの苦労をセットで記憶しています。更に、その過程における心の葛藤を知っているのは自分だけ。

 よって、常に自分の方が苦労をし、努力をしているのです。

 学生時代のクラブでも、3回生は必ず言います。

 「俺が一回の頃は……」

 自分が日本一なら別ですが、同じような結果しか出していないなら、そんな違いがある方が不自然です。

1996_0524釣り場速報 - コピー

 独立寸前、1996年5月24日の釣り新聞です。

 25歳の頃も、寝る間を惜しんで図面を描いたと言っておきながら、結構楽しそうにやっています。それでも人は言ってしまうので、法則なのです。

 スガシカオは、現在を「あの頃の未来」と言いました。

 20年前の自分が描いた未来は、ここだったのか。自分に問うてみると、居ても立ってもいられない、何とも言えない気持ちになります。

 若いことは素晴らしく、羨ましくもあります。しかし、今手元にある現実は、それらの時間と引き換えにして手にいれたものです。

 若頃は無く、今はあるもの。良く聞く言葉だが、思った事が無かった言葉。

  人は宝 

 少なくはありますが、ようやく、チームとして勝負できる状態になったと思っています。