タグ別アーカイブ: 藁屋町

緑を囲む京都のオフィス「山本合同事務所」‐2‐ここは平安宮の内側

 「(仮称)司法書士・土地家屋調査士 山本合同事務所」ですが、掘方が終わり、配筋検査に行ってきました。

 配筋検査はコンクリート中に隠れてしまう鉄筋の径、本数、継手などをチェックするものです。

 清掃もきっちりされており、鉄筋も丁寧に組まれていました。

 仕事の基本は常に整理整頓です。

 敷地は上京区丸太町通大宮西入藁屋町。

 二条城のすぐ北にあります。

 二条城は、徳川幕府が築いた城ですが、その後は天皇家の離宮となりました。

 さらに遡ること800年。

 平安京は桓武天皇によって遷都されましたが、ここは平安宮内にあたることが分かりました。

 京都市へ事前相談に行った際、試掘が必要と知らされたのです。

 計画がスタートした際は、隣地も含めてびっしりと建物が建っていました。

 換地され、新たな敷地境界となったのが右から2番目、青い屋根の家の左端です。

 そこから左が全て解体され、換地も終わり計画が本格的にスタートしました。

 向かって左はマンションが建つ予定で、当工事に先立って京都市の発掘調査が入りました。

 1.5mほど掘り下げられた位置が、平安時代の地盤面だそうです。

 市の担当者は、マンション用地の中央あたりが、平安宮の東端と考えており、平安時代の遺構がでるのではと、かなり意気込んでいました。

 しかし実際にでてきたのは江戸時代のゴミ捨て場くらいで、かなり落胆していたようです。

 800年の間、何度も何度も住まい手が変わり、埋め立てながら、現在の位置まで地盤面が上がってきたと、その担当者から教えてもらいました。

 隣地の調査結果もあってか、当敷地の試掘はわずかなもので終わったのです。

 この敷地は、改良が不要なほど良好な地盤でした。流石は千年の都です。

 また、平安宮内という貴重な土地。

 基礎柱部分においては、隣地から10cmで施工しています。

 現場と相談し決定したのですが、施工限界値だと考えています。

 専門家にとってはあまり価値のないゴミ捨て場のようですが、平安から江戸まで痕跡を、断面状にみれたことに、私はかなり興奮しました。

 「野洲の家」では、山城跡、または古墳のある敷地に住宅を建てさせてもらいました。

 今回は宮内での仕事です。

 土地に対する敬意や、街に対する愛着がなければ、建築は常に身勝手なものになってしまいます。

 古都に敬意をはらい、楽しく、明るい仕事空間を実現したいと思います。

 今日は七夕。私達の夢が叶いますよう。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日

緑を囲む京都のオフィス「山本合同事務所」‐1‐プロローグ

 働く人にとって、仕事場は人生で最も長い時間を過ごす場所だ。

 クライアントは、そこを「最も心地よく、緑あふれる空間にしたい」と言った。

 「山本司法書士事務所」から「(仮称)司法書士・土地家屋調査士 山本合同事務所」へと業務拡大にともない、オフィスの建て替えを考えるようになった。

 敷地は京都の北部。

 ウナギの寝床とまでは言わないまでも、敷地の間口は6m弱。南北は14mという細長い敷地だ。

 旧オフィスは大正時代に建てられたという木造2階建てで、天井はかなり低かった。

 それでも創業者の父が手をいれながら使ってきたその建物を、皆で大切にしていたのだ。

 しかし、隣地との等価交換があったり、仕事の幅をより広げて行きたいという気持ちから、建て替えを決断したのだ。

 新しいオフィスは鉄骨3階建て。

 1階は全て駐車場で、2、3階がワークスペースとなる。

 3階は応接室であり、休憩室でもある。

 リビングのような空間をイメージしているが、吹抜けを介して2階ともつながる。

 2階には天窓へ向かって伸びるシンボルツリーがある。

 それを囲むオーバルカウンターには、葉の間を通り抜け、木漏れ日がおち、高低差のある開口部からは、穏やかに風が流れる。

 働く時間の中で、「心地よい」や「幸せ」とは何かを考えた、ひとつの答えだ。

 創り手は、常にクライアントの期待に応えなければならない。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日