「伊東内科クリニック」-4-解体

 建物部分の解体は、ようやく目処がつきました。

 次は基礎部分の撤去です。

 これは、やってみないと分からない部分もあり、解体の中では最後の難関です。

 勿論問題なく進むと思っていますが。

 既存の壁を一枚だけ残し工事は進みました。隣地建物を痛めないよう、現場が配慮したものです。

 解体工事は潰すのが目的だけに、考え方で時間や手間の差がでるところと言えます。今回は、非常に丁寧な仕事でした。
 
 形あるものはいつか壊れますが、解体の現場とはいつも壮絶なものです。

 今回、クライアントが海外在住だったので、打合せは電話とメールでと思っていました。

 しかし「skype」を教えて貰ったのです。パソコンさえ立ち上がっていれば、無料で会話できるインターネット電話のことです。

 パソコンにマイクとwebカメラを付ければ、テレビ電話にもなります。安いものなら2,000円程度で揃い、通話料は全て無料。これには感激しました。

 こちらが春なら先方は秋、地球の裏側と無料でつながるのですから。

 現在までの打合せ回数はおよそ30回。うち20回がskypeです。無ければ無いで何とかしますが、顔が見えると見えないでは随分違います。

 この体験で、世界中のクライアントと仕事が出来るじゃないか、と思ったのです。オファーを貰わないと始まりませんが、誰にも無限の可能性があるはずです。

 しかし、便利すぎて怖い気もします。ただより高いものはないと言いますから。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「池を望む家」-21-家族訪問

 1ヵ月前に外観撮影が終わった「池を望む家」。今回は家族で招待して貰いました。

 こちらのお子さんはもうすぐ3歳の男の子と、7ヶ月の女の子。我が家は長男が5歳で娘が2歳。ちょうど2歳ずつ大きいのです。

 はじめは長男もやや恥ずかしそうにしていました。

 見ていると、少しずつ距離が近づいて行きます。

 しかし、リビングからの眺めはいつ行っても飽きません。

 一番下のお子さんはまだオンブ。あと半年もすれば、一緒に遊べるでしょうか。昼食の頃には、みな調子が出てきました。

 ハンバーグ、トマトとモッツァレラチーズ、ポタージュスープ、ニンジンとじゃがいものサラダ、アボガドのサーモンの和え物。とても美味しかったです。

 最後のアドガドはどちらかと言えば、ワインと一緒に……という話になりました。

 夜景を見ながら一杯。とても楽しみです。

 お土産には、シュークリームを持って行きました。

 とても気に入ってくれたようで。

 池に面して、デッキと斜面になった庭があります。休みの日にはここで昼食を食べる時も。ここがなかなか良いのです。
 
 子供達はいつだって、自然と刺激を求めているのです。 

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-3-解体

 今週のはじめ、工事が始まりました。まずは解体からです。

 敷地に住まいが有った場合、愛着あるものが沢山あります。

 簡単に捨てるのは難しいのですが、これが解体費用に影響を与えます。リサイクル法が施行され、手作業の分別が必須になりました。

 これ自体は素晴らしいことですが、費用はかさみます。

 家具や家電は、解体業者が捨てれば産業廃棄物。高い処分代が掛かかります。

 住人が市町村に引き取って貰えば、大阪市なら1個につき200~1000円。文字通り桁違いに安く済むのです。要、不要の判断は難しいですが、私は迷ったら捨てて下さいとアドバイスします。

 「これからも一緒に暮らしたい」という積極的理由が大切で、「必要なことがあるかも」という、二次的な動機では、結局不要なものに埋もれて暮らすことになるのです。無難は感動を生みません。

 現在クライアントは、ペルーに戻っています。着工前、モノの選別をしている現地でお会いした時のこと。

 「娘の傘を捨て辛くって。もし守谷さんが嫌でなければ」と見せてくれました。

 娘さんは今年から大学生。10年以上大切に使われていたことになります。有り難く2歳の娘に頂きました。

 同じモノでも、ストーリーのあるなしで、全く違うものになるのです。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-2-敷地

 地下鉄谷町線の野江内代(のえうちんだい)駅から歩いて2分。

 敷地は駅のすぐ東にあります。今回は解体工事があるので、施工会社との打合せに行って来ました。

 大阪市内には、埋蔵文化財包蔵地域に指定されている場所が多くあります。

 遺跡があるかもしれないので、建て主の費用負担で、発掘調査をしなさいといと市が地域を指定するものです。今回は「榎並城跡伝承地」に指定されていました。

 この説明をして、納得してくれるクライアントはまずいません。

 自分が建てる場合でも、当然納得できないと思いますが、まずその事前協議をしないと、建築基準法の審査に入れないのです。今回は基礎の深さが浅かったので、実際の調査は不要。無事建築確認がとれました。

 しかし土地の歴史には大変興味があります。城東区役所のwebサイトにはこうありました。

 「榎並城跡伝承地」
 天文2年(1533年)に三好政長が築いた榎並城は、小さいながら東成郡随一の要衝であった。

 戦国時代の天文17年(1548年)、室町幕府の管領職にあった細川晴元の打倒をめざす家臣の三好長慶は、晴元方に属し榎並城を居城としていた三好政長とその子政勝を攻撃する。

 翌、天文18年6月政長は、城から討って出て、江口で戦死。晴元の軍は敗れ、政勝の拠点榎並城は陥落した。細川晴元は、三好長慶に京都から追われ近江に脱出し、明応2年(1493年)以来続いていた細川家の管領職は事実上終了した。

 現在は、築城の際に水害を被むった三好政長が水火除難のため城内に建てたと言われる野江水神社が近くに立つのみで、この地に城があったことを偲ぶものは何も残っていない。

 野江水(すい)神社まで歩いて1分ほど。戦国の世には城内だったかもしれません。

 そう考えると、やはり調査くらいは……いやいや、この場合こそ、公費を投入すべきでは。

文責:守谷 昌紀
建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm