カテゴリー別アーカイブ: C43 「滋賀の家」

「滋賀の家」‐4‐夏は防ぎ、冬は取り込むためのプラン

 ようやく上棟を迎えた「滋賀の家」。

 北に立つ「離れ」にはお母様が居住します。夏の西日が厳しいと聞いていました。

 開口部が南西方向を向いているのです。 

 離れとの関係性を保ちつつ、新たな母屋は、45度振りました。開口部を、真南に向かって開くためです。

 更に、西に張り出しがあるため、夏の西日が入らないプランになっています。

 冬の日の入は、真西から約30度南によった位置になります。

 よって、秋から冬にかけては、夕方になってもさほど光を遮らないのです。

 上部は吹抜け。高い位置に、ハイサドを設けています。

 これも、庇と合わせ、光をコントロールします

 棟梁が屋根に上がり、下地を張っているところでした。東の木々は、10mを超えているでしょうか。 

 敷地の緯度が分かれば、太陽の軌跡が分かります。そして、周辺環境を知ることで、自然の恩恵を最大限に引き出すことが出来る。

 「幸せとは何か共に考える」
 「敷地の特性を最大限引き出す」

 この2つが両輪となり、設計は進んで行くのです。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

「滋賀の家」‐3‐親子は風見鶏

 先週水曜日は、配筋検査で野洲の現場へ。

 琵琶湖対岸に見える、比良山系もうっすらと雪化粧。

 建物が完成すれば、2階からの景色は更に素晴らしいものとなるはず。

 住宅瑕疵保険の検査は、問題なく合格。朝10時に着いた時から、直接の光が当たっていました。

 ここは、戦国時代まで城だった敷地。周囲は人工の土塁に囲まれています。

 その上に杉が育ち、その高さをどう解釈するかがポイントでした。

 その土塁の裏は矢場となっています。矢場とは、戦に備え弓矢の練習をする場所の事。

 この場で、400年前まで実際に矢を射ていたのです。

 打ち合わせに、離れの一部屋を借りていました。そこで出して貰った石油ストーブがかっこいいのです。

 聞くと、亡きお父さんの愛用品で「アラジン」というイギリス製のもの。石油の減りも少ないという事でした。
 
 家に対し、夢やこだわりを持っている人が私たちのクライアントです。それらは、原体験の良かったところ、そうで無かったところが、基準となっていることがほとんどです。心理学者で、文化庁長官もつとめた河合隼雄は、著書にこう書いています。

 「親子は風見鶏のような関係。同じ方向を向くか、反対を向くかになる。それほどまで影響が強い」
 
 よって両親、祖父母から、好み、センスにも多くの影響を受けていることになるのです。こんなストーブがある家なら間違いありません。 

 時代が時代なら、この敷地には入れなかったはず。良い時代に生まれたものです。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

「滋賀の家」‐2‐地鎮祭、古墳あり

 大阪から現場までは、JRを使って1時間半ほど。朝の大阪駅はごったがえしています。

 

 山科を過ぎたあたりから、景色が開けてきます。琵琶湖の対岸に見えるのは比良山。

 天気の良い日は、ちょっとした旅行気分です。

 旧家屋の解体も終わり、敷地は大きく開けました。12月3日、地鎮祭が執り行われました。

 

 これだけ開放感のある地鎮祭は、なかなかないものです。宮司の動きもいつもより大き目、に感じるのです。

 

 伸びすぎた草木は、クライアント自身が、チェーンソーで伐採します。これだけ敷地に木々があると、本当に手入れが大変です。

 この日で、敷地に訪れたのは11回目。古墳があることを初めて知りました。

 由緒をはるかに超え、人類定住の起源にまで迫る土地でした。まだまだ、私の知らないことがありそうです。

 土地の紹介はこのくらいにして、次回からは建物について。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

「滋賀の家」‐1‐プロローグ

 2013年も1ヵ月を切りました。電話があったのは3月下旬のこと。

 滋賀県で住宅の新築を考えているという相談でした。

 普段の流れとして、まずは事務所で話しを聞かせて貰います。そして、求めあえる可能性があると感じられれば、次の段階へ進みます。

 これは自分で作ったルールですが、今回はまず伺いました。理由の一つは遠いこと。もう一つの理由は、それ以上に敷地を見てみたいと思ったから。
 
 元城だったそうなのです。

 始めて訪れた時は、梅が咲いていました。しかし、スタートしてから、次々に課題が出てきます。

 まずは市街化調整区域であること。この城は、この場所500年以上存在しているよう。

 それが、後に地図上に引かれたラインによって、次々に規制が出てくることを、納得してくれるクライアントは居ません。

 行政の立場上、そう言わざる得ないのは分りますが「市街化調整区域に建物は建ててほしくない」という言葉をどう伝えればいいのか……

 思い出すと愚痴しか出てきませんが、最終的には行政の担当者も協力の上、何とか母屋を建て替える計画で、進むことになりました。

 山を背にした敷地は、背後に土塁がめぐらされています。高さ5mはあるでしょうか。

 正面には堀があり、合せてこの敷地を守ってきたです。

 この夏まで、堀には鯉が住んでいまいた。しかし、この地域を襲った秋の豪雨で土砂が流入。全滅したそうです。

 自然は過酷で、社会も過酷です。

 この地を守るという強い意思がなければ、この地が脈々と受け継がれることは無かったでしょう。クライアントもさぞかしと思いきや……以外にもさっぱりした方なのです。

 しかし私としては、ご先祖様に顔向け出来るよう、これからも受け継いで行きたいという家を設計しなければなりません。

 次の夏には、建物の奥深くまで光が届く、眺めの良い家がここに建っている予定です。

文責:守谷 昌紀

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記