カテゴリー別アーカイブ: C27 「伊東内科クリニック」

「伊東内科クリニック」-8-受入検査

 6月に入ってから3日目。大阪は晴天が続いています。

 「伊東内科クリニック」は基礎コンクリート打設。それに先だって、受入検査をしてきました。

 「生」コンクリートと言うくらいですから鮮度が命。練り混ぜから90分以内に打設しないと硬化が始り、必要な強度が得られません。ミキサー車の出荷票を確認すると20分前にプラントを出ていました。

 まずは検査員が、サンプルを取ります。

 「スランプ」「空気量」「塩分濃度」等が、検査項目。

 「スランプ」は、高さ30cmの専用バケツをひっくり返し、どのくらいまで頂部が下がるか測定します。

 良質なコンクリートは広がらない、すなわち流動性が低いのですが、作業性とは相反します。よって、この検査がある訳です。

 「空気量」も同じで、少ないほど質は良いが、施工は難しいのです。

 「塩分濃度」は、鉄筋の錆びを防ぐ為、許容範囲が決まっています。

 6本ある茶筒のようなものは、3本ずつ1週間後、4週間後と試験をして、強度を確認するものです。

 打設は1台のポンプ車の後ろに、ミキサー車が代わる代わるやって来ます。

 型枠内にコンクリートがいきわたるよう、チームになって作業は進んで行きます。

 追いかけて、すぐに表面をコテで抑えて回ります。スポーツもまずは足腰です。しかし、何故足腰なのかという説明が少ないと思います。

 体を動かすとは、地面から反力を貰うこと。よって地面に近い順に大切。建築も同じで、一番大切なのは基礎なのです。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-7-配筋検査

 今日は朝から、審査機関による検査がありました。

 建築をする為には、まず建築基準法を満たす必要があります。

 それに加えて、昨年の10月から、住宅瑕疵担保保険への加入が義務付けられました。

 構造上の主要な部分と雨水の浸入防止に対しては、10年間の瑕疵担保責任があります。その資金確保の為、供給者の保険加入が義務付けられたのです。

 今回のように住宅を含む場合も同様で、こちらの現場検査もあります。伊東内科クリニックの場合はこんな関係です。

 便宜上、【A】建築確認申請、【B】住宅瑕疵担保保険による現場検査とします。

①基礎配筋検査  【B】住宅瑕疵担保保険
②屋根工事の検査  【A】建築確認申請、【B】住宅瑕疵担保保険
③完了検査  【A】建築確認申請

 これらは、構造体によっても変わります。同じ検査がある場合、互いを兼ねれるケースもあります。

 今回は構造設計を頼んでいるので、各部分に使われている鉄筋の径、ピッチなどが、細かに記載されています。

 審査機関の担当者も、まずは決まった数の本数が入っているかを、メジャーをあてチェックします。

 鉄筋には、「継手」と呼ばれる箇所が出てきます。

 その場合、鉄筋の径が16mmなら、その40倍(640mm)を重ねなさいといった、部位によって決まりがあるのです。その他、鉄筋の「定着」、コンクリートの「被り」等も、このタイミングで検査します。

 配筋検査に合格しました。当然ですが、結果が出るまでは、ソワソワとするものです。

 次の大きな工程は、コンクリートの打設。今週末の予定です。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-6-地鎮祭

 無事解体が終わり、本日は地鎮祭。

 ここ数日、大阪は季節はずれの寒さでした。

 しかし今日は、暑いくらいの青空に。

 祭壇やお供え物は神主さんが、竹や砂山等は施工会社が準備してくれます。

 設計者、施工者はお酒を供え、合わせて図面や模型も清めてもらいます。

 神主さんの「それでは、地鎮祭ならびに工事の安全祈願祭をはじめます」の声で式は始まりました。

 祝詞奏上のあと、土地の四方を清めます。

 全て神主さんが進めてくれますが、施主、設計者、施工者が役割を担うところがあります。

 はじめに設計者は、砂山の上にある草を鎌(カマ)で刈り取ります。これが「苅初め(かりぞめ)の儀」。

 次は施主が砂山に鋤(すき)をいれ、三度に分けて左、右、左と砂をよけます。これが「穿初(うがちぞめ)の儀」。 

 最後に施工者が鍬(くわ)で盛砂をします。これが「鎮物埋納の儀」。文字通り、鎮物を埋めるのです。

 いずれも「エイ、エイッ、エイ」と掛け声を発しながらが一般的。

 その後、玉串奉奠(たまぐしほうてん) ですが、これも「時計回りに3/4回転して根元を祭壇へ向けて……」と全て説明してもらえるので、心配は無用です。

 と、書きましたが、務めていた期間が2年の私は、自分の現場で初めての地鎮祭を経験しました。

 「苅初めの儀」は一番はじめにやってきます。

 どのくらいの声を出して良いのか分からず、小さな声で「えぃ…えぃ…えぃ…」のような感じで。

 思い出すだけで、顔が赤くなります。その後の施工会社の社長の声の勇ましかったこと。

 手順を覚えたからと言って、緊張しない事はありませんが、まずは元気よくです。今日も大きな声で「エイッ!エイッ!エイッ!」と。
 
文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-5-解体

 地鎮祭の日取りが、5月15日(土)に決まりました。

 解体も基礎の底版、ベースと言われる部分の撤去に入りました。

 鉄筋をより分けるため、コンクリート塊をクラッッシャーという重機で砕きます。資源として再利用するためです。

 先頃開幕した上海万博が建設ラッシュの頃。鉄が不足し、鉄骨の値段が跳ね上がりました。私が仕事をはじめた15年前と比べて1.5~1.8倍です。

 その他の物で、そこまでの変動したものは無いので、最も市場に影響され易い材料と言えます。

 より分けた鉄筋を、ガスバーナーで焼きる部分は、また手仕事。

 解体は、本当に危険な仕事です。  

 地鎮祭に向けて、現場は急ピッチで進んでいます。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-4-解体

 建物部分の解体は、ようやく目処がつきました。

 次は基礎部分の撤去です。

 これは、やってみないと分からない部分もあり、解体の中では最後の難関です。

 勿論問題なく進むと思っていますが。

 既存の壁を一枚だけ残し工事は進みました。隣地建物を痛めないよう、現場が配慮したものです。

 解体工事は潰すのが目的だけに、考え方で時間や手間の差がでるところと言えます。今回は、非常に丁寧な仕事でした。
 
 形あるものはいつか壊れますが、解体の現場とはいつも壮絶なものです。

 今回、クライアントが海外在住だったので、打合せは電話とメールでと思っていました。

 しかし「skype」を教えて貰ったのです。パソコンさえ立ち上がっていれば、無料で会話できるインターネット電話のことです。

 パソコンにマイクとwebカメラを付ければ、テレビ電話にもなります。安いものなら2,000円程度で揃い、通話料は全て無料。これには感激しました。

 こちらが春なら先方は秋、地球の裏側と無料でつながるのですから。

 現在までの打合せ回数はおよそ30回。うち20回がskypeです。無ければ無いで何とかしますが、顔が見えると見えないでは随分違います。

 この体験で、世界中のクライアントと仕事が出来るじゃないか、と思ったのです。オファーを貰わないと始まりませんが、誰にも無限の可能性があるはずです。

 しかし、便利すぎて怖い気もします。ただより高いものはないと言いますから。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-3-解体

 今週のはじめ、工事が始まりました。まずは解体からです。

 敷地に住まいが有った場合、愛着あるものが沢山あります。

 簡単に捨てるのは難しいのですが、これが解体費用に影響を与えます。リサイクル法が施行され、手作業の分別が必須になりました。

 これ自体は素晴らしいことですが、費用はかさみます。

 家具や家電は、解体業者が捨てれば産業廃棄物。高い処分代が掛かかります。

 住人が市町村に引き取って貰えば、大阪市なら1個につき200~1000円。文字通り桁違いに安く済むのです。要、不要の判断は難しいですが、私は迷ったら捨てて下さいとアドバイスします。

 「これからも一緒に暮らしたい」という積極的理由が大切で、「必要なことがあるかも」という、二次的な動機では、結局不要なものに埋もれて暮らすことになるのです。無難は感動を生みません。

 現在クライアントは、ペルーに戻っています。着工前、モノの選別をしている現地でお会いした時のこと。

 「娘の傘を捨て辛くって。もし守谷さんが嫌でなければ」と見せてくれました。

 娘さんは今年から大学生。10年以上大切に使われていたことになります。有り難く2歳の娘に頂きました。

 同じモノでも、ストーリーのあるなしで、全く違うものになるのです。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-2-敷地

 地下鉄谷町線の野江内代(のえうちんだい)駅から歩いて2分。

 敷地は駅のすぐ東にあります。今回は解体工事があるので、施工会社との打合せに行って来ました。

 大阪市内には、埋蔵文化財包蔵地域に指定されている場所が多くあります。

 遺跡があるかもしれないので、建て主の費用負担で、発掘調査をしなさいといと市が地域を指定するものです。今回は「榎並城跡伝承地」に指定されていました。

 この説明をして、納得してくれるクライアントはまずいません。

 自分が建てる場合でも、当然納得できないと思いますが、まずその事前協議をしないと、建築基準法の審査に入れないのです。今回は基礎の深さが浅かったので、実際の調査は不要。無事建築確認がとれました。

 しかし土地の歴史には大変興味があります。城東区役所のwebサイトにはこうありました。

 「榎並城跡伝承地」
 天文2年(1533年)に三好政長が築いた榎並城は、小さいながら東成郡随一の要衝であった。

 戦国時代の天文17年(1548年)、室町幕府の管領職にあった細川晴元の打倒をめざす家臣の三好長慶は、晴元方に属し榎並城を居城としていた三好政長とその子政勝を攻撃する。

 翌、天文18年6月政長は、城から討って出て、江口で戦死。晴元の軍は敗れ、政勝の拠点榎並城は陥落した。細川晴元は、三好長慶に京都から追われ近江に脱出し、明応2年(1493年)以来続いていた細川家の管領職は事実上終了した。

 現在は、築城の際に水害を被むった三好政長が水火除難のため城内に建てたと言われる野江水神社が近くに立つのみで、この地に城があったことを偲ぶものは何も残っていない。

 野江水(すい)神社まで歩いて1分ほど。戦国の世には城内だったかもしれません。

 そう考えると、やはり調査くらいは……いやいや、この場合こそ、公費を投入すべきでは。

文責:守谷 昌紀
建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

「伊東内科クリニック」-1-プロローグ

 2009年の1月、設計相談のメールが届きました。

 内科医院を併設した住宅の計画で、送り先はペルーのリマから。循環内科医のクライアントは、その時点で日本を出て10年。スーダン、ポーランド、ペルーと、海外で働いてきたのです。

 1ヵ月後の2月。帰国時にお会いし、3週間後に企画の提案。出国の2日前と慌しくはありましたが、正式な依頼を貰いました。

 医師というよりは、町のお医者さんでいたい。クリニックとはピットのようなもの。治すというよりは、癒す感じ。ただ、手助けするよりは積極的に。

 当初から、クリニックのコンセプトは明確でした。

 自身のキャリアの最後は、育った地域に恩返しをする。その中に、クリニックの新築計画があります。私達も貢献のできる仕事をしなければなりません。

 敷地は大阪市城東区です。以前は町工場も多かったようですが、現在は住宅とマンションが混在しています。9月末の完成、11月初めのオープンを目指します。

 コンセプトは、木の葉が揺れるクリニック。4月中旬に着工します。

文責:守谷 昌紀

建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm