カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

鬼の筆‐1120‐

 竹中工務店は、建設会社の最大手の1つです。

 名古屋で創業、神戸に進出し発展しました。その神戸に「竹中大工道具博物館」があります。

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 その新館が、この10月にオープンしました。新神戸駅のすぐ東。坂を上がった所にあります。

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 深い庇は、雨から木造建築を守るためのもの。日本古来からの木造建築の粋と言えます。

 それを、無駄なく、美しく仕上げるかが、作り手のこだわり、心意気。

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 内部にもその意思が伝わってきます。竹中工務店は、ゼネコンの中でも、デザインに拘る会社として知られます。

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 様々な樹種も、実物を見るのが一番。設計者にとっては、実物カタログのような博物館です。

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 梁の継ぎ手も実物が手に取れます。複雑な刻みは、まるで知恵の輪のよう。大工の経験と知恵、そして精密な道具によって生み出されたものです。

 道具の電動化、機械化が進む中、それらを保存するのが、この館の目的とありました。

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 「鬼」と言われた法隆寺の宮大工、西岡常一。唯一の内弟子、小川三夫の大工道具が展示されていました。

 小川は修学旅行で法隆寺を見て、宮大工になることを決意。西岡に弟子入りを懇願します。

 弟子入りを断られた小川は、まず仏具屋で腕を磨きます。

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 その時の彼に当てた手紙が公開されていました。

 理想を、希望を物によって表現されたもの、即ち心の表現こそ芸術というものでしょう。

 単なる形だけにとらわれた作品は本物ではありません。

 作品をとおして、世の人々に何かを呼びかける心が宿っていなければなりません。

 堂塔建築の基盤は此の心の問題です。自らが仏者となり、衆生済度の大願をもって事に当たらねばなりません。

 技術の優秀さは此の心の上に花開くものです。

 (中略)

 作品、それは作る人の魂の深浅によってきまります。

 精進又精進を祈ってやみません。

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 弟子入りを断った若者に熱のこもった手紙を書いているのは、将来を期待してのことでしょうか。それとも、皆にこのような手紙を書いたのでしょうか。

 「鬼」の異名とは全く違う、厳しくも、温かな筆致です。極めれば、人は鬼から仏へと変わっていくのか。

 気が付けば12月。良き年末、新年を迎えられるよう、精進又精進です。

雪国長野‐1119‐

 11月22日(土)の長野県北部地震では、白馬村、小谷村(おたりむら)、小川村で被害がでています。

 幸いにも、亡くなった人が居なかったのは何よりでした。

 メディアは、被害が大きい部分を報道します。間違ってはいませんが、被害が少ないところも当然あります。

 これが観光を生業としている方々にとって、災害以上の被害となりえる。出来るなら、どちらも報道して欲しいという意見を読みました。

 仕事は求めてくれる人が居てこそ。その人達が潮が引くように去っていったらと想像したら……ようや実感が湧いてくるのです。

 1998年、2つ目の仕事が「白馬の山小屋」でした。

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 白馬としていますが、実際の住所は小谷村。白馬乗鞍にあるので「白馬の山小屋」としました。

 クライントは大阪在住で、建物が大丈夫だったのか、まだ確認がとれていません。

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 計画の話を貰った時点で、すでに築30年くらいだったと思います。環境の過酷さから、外部は結構傷んでいました。

 周りの建物を見て回ると、このような形(マンサード型)が多く、積雪に強い形だと分かってきました。

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 早くに雪を落とし、かつ側圧にも強いこの形が、過酷な環境の中、致命的なダメージを受けていなかった最大の理由だと思います。

 しかし竣工から16年、コーキング切れからか、雨水が浸入したと思われる部分の、改修工事もありました。

 今思えば、夏場にしておいて良かったと思うのと、この地震が積雪の時期ではなくて良かったと思います。

 この山小屋に限らず、冬季の積雪加重を計算して建てられている分、総じて他の地域より建物は頑丈。

 それでも、屋根上に加重の有る状態は、建物にとってより厳しいものになるからです。

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 関西と東京、神奈川、千葉の関東圏で仕事をしてきましたが、中部、信越地方では長野だけ。

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 雪国で唯一の仕事で、色々な事を学びました。

 ライフラインが未だ断絶されている地域もあるとのこと。早い復旧で、この冬少しでも多くの人が訪れることを祈っています。それなら、まず自分が行かねば…… 

 応急危険度判定士としても登録しているので、建築士会から要請があればいつでも駆けつけるつもりです。

足りなければ学べ in ROKKO‐1118‐

 今月初めまで、小4の長男は放課後はこんな感じでした。

 (月)サッカー、(火)-塾、(水)休み、(木)塾、(金)水泳、(土)(日)サッカー、時々模試

 凄くサッカーが好きなら、何とか頑張れと言うのですが、そうでもなく。結局サッカーを辞めることになりました。

 水泳は頑張るようで、それならと賛成したのです。

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 それで、休日は出来るだけ体を動かすようにと六甲山へ。

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 フィールドアスレチックは、小1の娘がちょうど楽しい盛りでしょうか。

 長男にとってはやや物足りないかもしれません。二人とも、猿系の遊びが、何故か得意なのです。

 「途中で辞めることは最も駄目なこと」と言われ、私は育ってきました。大阪の下町ですから、正確に書くと「男は途中でケツを割るな」と。

 それもあり、区切り以外で何かを辞めた記憶はありません。また、小、中、高と、すべて皆勤賞でした。

 しかし中学の時、友人が学校を休んだので理由を聞くと「お父さんとスキーに行っていた」と。

 彼のお父さんは「学校を休まないことより、お父さんとスキーに行く方が大切だ」と言ったそうです。

 次の言葉を聞いた時、その話を思い出したのです。

 一貫性というのは、 想像力を欠いた人間の最後のよりどころである   Consistency is the last refuge of the unimaginative. 
 -オスカー・ワイルド-

 簡単に投げ出さないことはとても大切です。しかし、それが何故なのかを考えることも併せて大事なはず。

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 帰りには六甲枝垂れ、山頂展望台へ寄ってきました。入場料は大人200円。

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 この日は「ROKKOU MEETS ART」の最終日だったようです。

 周りのアートワークは準グランプリの作品でした。

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 また、この展望台自体も、2008年に日本建築家協会近畿支部と阪神総合レジャー株式会社が共催したコンペによって決定したものです。

 参加条件が、40歳以下の若手建築家であること。


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 ステンレスのフレームに取りついた、ヒノキに冬は氷が付き、まさに樹氷となります。

 設計者の三分一博志さんは1968年生まれ。40歳を前に見事に最優秀作品に選ばれ、この展望台が実現されたのです。

 このコンペの際、私も38歳でした。作品を出せる条件を満たしていましたが、実仕事で手一杯と参加しませんでした。正直、微妙な気持ちもあり、今日初めて見てきたのです。

 六甲山頂という環境があるとは言え、お金を払い、ここまで足を運ばせるものがあると言う事実。

 訪れた人は景色が見たいだけと言うかもしれませんが、アートワークと記念撮影する姿を見て、建築と芸術の可能性も新たに感じました。

 昨日は勤労感謝の日でした。

 好きな仕事を続けてこれたことにまず感謝し、素直な44歳でありたいと思います。

 いいものはいい、足りなければ学べ、ベストを尽くせ、柔軟でいろ。

 Improvement is my hobby.

 改善こそが私の趣味です。

航海にでる理由‐1113‐

 月曜日の文化の日は、夕方まで友人家族と遊びました。

 別れてから、TOTOシーウィンドウ淡路へ。

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 洲本から26号線を北上すると、志筑の手前で、一瞬だけ車からも見えます。

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 アプローチは山の裏側から。

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 およそ9m角の直方体が、崖の上から海へ向かって突き出しています。

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 低い天井のエントランスから中へ進むと、いきなり下へ向かって空間が開けて行くのです。

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 この建物は衛生機器のメーカーTOTOの研修センターとして設計されました。

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 しかし、現在は宿泊施設となり誰でも泊まることが出来ます。

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 一昨年にヴェネティアで見たプンタ・デラ・ドガーナを初め、各地で安藤建物を見て回りました。

 淡路島にも、淡路夢舞台、本福寺水御堂などの安藤建築があります。

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 その中でもこのロケーションは際立っています。

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 海側に回るとようやくその全景が分かってくるのです。

 90年代後半から2000年頃は、安藤が最も勢いのあった頃でしょう。この建物の竣工は1998年。

 その頃私は28歳で、長野県での山小屋の改修計画に取り組んでいました。規模こそ違え、希望に燃えていたのです。

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 必要なものを最小の手数で、仕上げるのが安藤の真骨頂。

 言ってみれば、日本料理で出される刺身のようなものです。そういった抑えの効いた美学が、海外でも高く評価されてきたのです。

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 どこに行っても、建物を見る楽しみがある幸せ。

 また、どこに行っても1つや2つはある安藤の凄さを感じながら、秋風吹く淡路島をあとにしました。

 未知の大海へ航海にでる時、海図やコンパスを頼りに進路を決めます。人生に例えるなら、教育だったり、先輩からのアドバイスにあたるでしょうか。

 しかし、航海にでる動機は、教えられたものではありません。夢や憧れがなければ、危険を冒してまで船を出す理由がないのです。

 正規の建築教育を受けずに、頂点まで上り詰めたのが安藤忠雄。言ってみれば落ちこぼれのヒーローです。常に憧れの存在でした。

 ふつふつとたぎるものを感じながら、また新たなプロジェクトに望みます。

■■■11月23日(日) 3:30pm~6:00pm 堂島アバンザ2F
ジュンク堂<大阪本店>にて「無料相談会」に参加■■■

名人の心‐1112‐

 今日は友人家族と淡路島、洲本に来ています。


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 週中あたりまでは雨予報でしたが、何とか晴れてくれました。家族で会うのは約2年振りでしょうか。

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 昨晩は焼肉。何故か子供たちも大好き塩タンです。その後もホテルの部屋に戻り、遅くまで遊んでいました。

 何処に行くかも大事ですが、子供にとっては誰と行くかも同じくらい大事なのでしょう。

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 今日は、子供たちの行きたい所へ行くつもりなのでえ、昨日は自分の行きたいところへ。

 淡路島の南端の港町、福良へ直行しました。

 淡路人形座は遠藤秀平の設計で、2年程前に完成しました。

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 外壁は、凹凸をつけたエキスパンドメタルの上に、モルタルが塗られているだけ。

 メタルの通り、スチールなのですが、それが露出した部分は錆びていきます。

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 錆びるのを前提に、デザインされているのです。

 大阪城公園内の公衆トイレなども紹介したことがありますが、一貫した哲学が貫かれています。

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 人形浄瑠璃と聞くと、閑散とした場内をイメージしていましたが、8分方の入り。なかなか盛況なようです。

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 ここ、淡路の人形浄瑠璃は500年の歴史があり、大きさは1.5m程の大きなもので、3人で操ります。

 この日は、悪事を企む狐のお化けが、陰陽師に追われ討ち取られたのですが、その霊魂が夜な夜な現れ、様々な姿に変化して踊り狂うという話。

 7変化が最大の見せ場ですが、同時に演者の衣装も早変わりします。そのスピード約0.5秒。人形を操る技術はまさに名人技。

 想像はるかに超えるくらいに面白く、子供たちもかなり喜んでいました。

 館内に、頭の部分が飾られています。

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 生きているような、というのは常套句ですが、生きていないものにこそ、人の心は投影されるとも言えます。

 能の大成者、世阿弥は、女の舞は強い心で、鬼の舞は優しい心で舞えと言いました。

 喜び、悲しみ、怒りなど、一つの感情だけにフォーカスしすぎるなな、という意味だと思っています。

 感情という制御しにくいもの、コントロールできるようになった人を、名人と呼ぶのでしょう。

物語は半分だけ作る‐1107‐

 先週から今週にかけて、当事務所のwebサイトに4つ作品をUPしました。住宅が2つ、店舗が2つ。

011西夕景

 「黒壁の家」は、若い夫妻と大阪に建てたコートハウスです。

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 「神戸の高台の家」も、若いご夫妻とのリノベーション。

 この家が古家だった時、ご主人と現地視察に行きました。「この家、買ってもよさそうですか」とご主人。

 プレッシャーの掛かる質問ですが、「良いと思います」と答えました。いい家になるだろう、するしかないと考えていました。

 キッチンの上にロフトを設けています。元は屋根裏の部分で、神戸の街と大阪湾を一望できるよう考えました。

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 先週水曜日、10月8日は皆既月食。

 クライアントが、その写真を当日送ってくれました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 こんばんは。今日はロフトから月食が見えたので写真を撮ってみました。夜景と赤い月がいい感じに収まったのでお送りします。

 夜景がきれいなのもいいですが、こういう特別な絵が見られるとロフトの価値が最高に高まりますね。
 
 本当にいい設計をして下さりありがとうございました。

 「黒壁の家」の和室は、中庭に面しています。

115ダイニングから中庭

 当面は子供の遊び場ですが、将来は奥さんの両親がここで暮らす予定です。

 サイトには、奥さんのコメントを掲載さて貰いました。

 構想2年、建築まで計3年の月日を費やした我が家。オシャレな家が好きだったのもありますが、その次に、いつか親と一緒に住むためのものでもあり、色々思い入れがあります。

 お年寄りと接する仕事をしてる関係、色んな人の老後を見ます。幸せな人、そうでない人。現実は厳しいもんです。

 わが親だからケンカするときもあるけど、良かったと言える最期を迎えてほしい。親にそうさせてあげれたら、自分もそうなれるかなと。先のことは分からないけどそうあってほしいなと思います。

 とりあえずは目の前の生活を一生懸命頑張ります!ローンの為に…☆

 何と表現すれば良いのか……清々しい気持ちになります。

111ダイニング

 元リッツカールトン日本支社長の高野登氏は「哲学とストーリーは両輪」と言いました。

 お客様から聞かせて貰ったストーリーをストック、共有することで、よりクレドを浸透させて行く。

 リッツカールトンでは哲学を、ラテン語で「志」「信条」「約束」を意味する「クレド」と呼びます。

 建築設計、デザインにおいて、余白が大事だと考えてます。作りこみすぎたり、技のオンパレードになると、感情移入したり、ストーリーが入り込む余地が無くなってしまうのです。

 劇作家、寺山修司はこう言いました。

 物語は半分作って、後の半分は観客が補完して一つの世界を作っていく。余白が無いといけない。それが演劇の可能性だ。

 多くのストーリーを共有させて貰い、それを糧に新たなクライアントと未来の幸せを約束する。幸せとプレッシャーもまた両輪です。

 店舗にはまた違ったストーリーがあります。こちらは、次の機会に。

巨匠はささやく‐1101‐

 火曜の秋分の日は、谷町四丁目の「大阪歴史博物館」へ。

 村野藤吾「やわらかな建築とインテリア」特別展が10月13日(祝・月)までで、気になっていました。

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 没後30年を記念しての展覧会ですが、93歳で亡くなる直前まで働いた、伝説の巨匠の生涯作品数は300。

 想像を絶する仕事振りです。

 旧そうごう大阪店(’35)、ホワイティ梅田上にある梅田換気塔(’63)、宝塚市庁舎(’80)、グランドプリンスホテル京都(’86年)と、関西に多くの作品を残しています。

 その、デビュー作が1928年、阿倍野区にある 南大阪教会塔屋 と知りました。

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 地下鉄文の里駅からすぐ。高さは4階建て程度。すっかり街と一体となっています。

 初めて訪れたのですが、良くメンテナンスされているのが見てとれます。こういった仕上げは温かみがある一方、汚れやすいのです。

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 エントランスで声を掛けると、内部見学も大丈夫。「研究の為の撮影は構いませんが、掲載は遠慮頂けますか」とのことでした。

 明日が葬儀のようで、教会の方がパイプオルガンの練習をしていました。荘厳な音色の中、この空間に身をおく興奮から、徐々に落ち着きを取り戻して行きました。

 高い位置のトップライトから壁に差す光は、この上なく美しく、優しく曲面の壁を照らします。

 太陽を横切る雲のせいで、明暗がめまぐるしく変わり、それを見ているだけでも飽きません。

 やはり建築は光なのだと、巨匠がささやいるようです。


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 オルガンの手を止め、その方が言うには、塔屋が村野のデビュー作で、礼拝堂が最後の仕事とのこと。

 事務所の資料では、最後は確認は出来ませんでしたが、そんな事はどうでも良いこと。この教会を愛しているのが、ひしひしと伝わってきました。

 展示会にあった村野の言葉です。

実をいえば、私は住宅の設計は苦手である。だからたくさんやったことはないが、それならやらないかといえば、そうでもないと思う。(中略)

ほめられたり、傑作をつくるなど思いもよらぬことだとしても、せめて先方に気に入ってもらいせすればやれやれである。それくらい住宅設計はむずかしいものであると思う。

だが住宅の設計というものは、あるときはお互いに身近なとこまで立ち入って話し合わないとできかねるところがあるので、われわれとしては職能を通じて双方が深く知り合い、また知ってもらうことになって非常に親しくなるということは、人減としてこれほどの喜びはないと思う。

これは建築家のみに許された幸福だと思う。だから万一失敗でもしようものならとりかえしのつかないことになるので、私などはたんに職業意識だけでは、やれない気になって慎重になるのである。

 「建築家十話 村野藤吾全集 全一巻」

 庁舎やホテルは失敗しても良いはずもありませんが、この言葉をみて勇気が湧いてきます。

 職業意識だけでやっているのではありません。

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 天王寺エリアにも村野の作品は多くありました。ハルカスの前にあった近鉄百貨店もそうでした。

 難波の大阪歌舞伎座も解体が決まっています。

 大阪を基盤にした村野。残された建物から、受け継げる精神も多くあるはずです。暫く、村野行脚を続けてみたいと思っています。

『大改造!!劇的ビフォーアフター』再放送‐1099‐

本日、朝日放送(ABCテレビ)にて2:20pmから「天井から雨が降る家」が再放送されます。

間もなくですが、先程新聞を見て知りました。

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6軒長屋が切り離され、中央部だったこの家が残りました。70歳と63歳の姉妹が依頼主。

築74年になり雨漏りも酷く、真っ暗だった家の中央部に光が差すよう大改造しました。

前回観られていない方は是非ご覧下さい。

「住之江の元長屋」

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■■■9月21日(日) 1:00pm~3:30pm
ジュンク堂<三宮店>にて「無料相談会」に参加■■■

【Events】
■9月20日(土)~9月27日(土) 堂島アバンザ1階で
「遠里小野の家」のパネルを展示
■9月30日までヨドバシカメラB2Fソフトコーナーにて
「加美の家」「あちこちで茶できる家」「池を望む家」の模型を展示

【News】
『ハウジング9月号』7月19日発売に「あちこちでお茶できる家」掲載
『家は買わずに建築家とつくる。』2013年11月20日発売に
「あちこちでお茶できる家」掲載
■2013年1月6日(日)放送<「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012>「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました
(2014年9月20日再放送)

愛することから始めよう‐1098‐

facebookにもアカウントを持っています。

この日記を貼っているだけなのですが、昨日はクライアントの記事が続けてUPされていました。

まずは、この春に銀座と芝公園で店舗をデザインした「seven dreamers」


今日から 「seven dreamers challenge in Yonehara GC」が開幕します。

昨日は、開幕に先駆けてのプロアマ大会。ゲストが、そうそうたるメンバーでした。当事務所のサイトも早々にUPしなければなりません。

次に、Epic Games Japanの代表、河崎さん。


インタビューの様子ですが、写真がとてもクール。勝手に拝借しました。

そしてOhanaの石井さん。

 

 何故かウチの娘とダンスをしている写真。私とではないところがポイントです。

先週末、七五三の撮影に行っていたのです。

 

 

 

 

 

 

撮影が始まると、すでに頭の上には犬のぬいぐるみ。

 

 

 

 

 

 

気がつけば、長男の頭の上にも。

 

 

 

 

 

 

そんな愛すべき人達の家、店舗、オフィスをデザインしてきました。

 

 

 

 

 

 

カメラの上には、仕事を終えた哀愁のミッキー。

高校の頃、友人がこう言っていました。

「自分は嫌いなんだけど、あいつは俺の事が好き、は無い」

どのクライアント企業も、自分のフィールドで精一杯戦い、素晴らしい結果を残しています。

『seven dreamers』
『Epic Games Japan』
『Ohana』

そんなクライアントと、仕事が出来ることは、何よりの幸せです。

成功への関係は、愛するこから始まるのだと思っています。

幸せの景色を売る‐1095‐

昨日は、「遠里小野の家」の撮影でした。

今年は雨が多く、延期を2回お願いしました。

待った甲斐があり、ようやくの青空。

ダイニングのカットは全員に参加して貰いました。

この家の特徴は中庭。

12畳程の中庭を囲むようにLDKと和室が配置されています。

撮影は平井美行さんにお願いしました。

雑誌の撮影もするので、人有り、物有りも慣れたもの。

軽く見せて貰いましたが、仕上がりが楽しみです。

「もし迷惑でなければ」と言って貰い、夕食をご馳走になりました。

平井さん、スタッフの田辺も併せて、遠慮なく頂いてきました。

パンは奥さん自家製のカナッペ。

シラスが添えられて、いくつでも食べられます。

エビとアボガドのオリーブオイル和え。

車でなければワインを買い行くところでした。

この写真は、奥さんの撮影です。

こんな景色を想像しながら、設計を進めているのです。よって、既視感のようなものも感じます。

幸せの景色を売るのが、私達の商売なのです。