一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

人とことば

 人類は地球上で、他の「種」を圧倒してきました。現在は約66億人。それに次ぐ1m以上の生物は家畜の牛で約14億頭。

 地球上でこの繁栄を築いた理由の一つに「ことば」があります。そして「文字」。ことばで情報を共有し、経験を文字で残す。言葉こそが、遺伝子レベルではない進化を遂げさせたのです。

 その意味で言えば、言葉は特別なものと言えます。新約聖書にも「はじめに言葉ありき」とあるように。
 
 日本語の「ことば」は言霊が語源と言われます。魂が宿っているとの考えからです。良い言葉が良い行動を導くかは別としても、ネガティブな言動が、良い結果を導く事はありません。

 作家、五木寛之氏はある対談で「私は新聞は読まない。読んだってネガティブな事件が載ってるだけでしょ」と言っていました。

 繁栄しすぎた種は破滅をたどるのが自然のことわり。地球が誕生して46億年。延々と繰り返されて来たことです。凄惨を極める事件が頻発します。そんな記事を読んでいると、そんな気さえしてくるのです。

 言葉はこんな事を共有するために生れたものでは無いはずです。

梅雨の晴れ間に

 先週末は妻の実家、高槻に帰っていました。梅雨入りして一週間ですが、天気予報に反して良い天気になりました。

 新緑が鮮やかな季節です。

 家庭菜園でもキュウリが花を付けていました。黄色でやや大きめです。

 すでに実なっているものも有ります。

 ブドウも大きくなり始めたところ。

 直径2cmくらいの小さな花はカモミール。甘い香りを放ち、ハーブティーにも使われます。

 高台の住宅街は車通りが少なく、子供には格好の遊び場です。

 長男は最近燃えている自転車で、疾走を繰り返しています。コマ付ですが。

ネクタイ

 先週、棟上式がありました。キリスト教式は2回目です。

 式自体は神父さんが進めて下さり、クライアント、施工者、設計者が一同に会して無事式典を終えました。

 ここから仕上げ工事に入って行きます。気を引き締め直して後半戦のスタートです。

 神父さんから、挨拶を即されたので、短くお話しさせて頂きました。

 今回は式自体のことでなく服装についてです。私は普段、ネクタイをしていません。

 楽で短い仕事など無いと思いますが、設計の仕事も時間が長くなりがちです。多くの時間は決断の連続です。その中で良い判断をするには、出来るだけ良い状態=リラックスした状態でいたい
と思っているのです。積極的にネクタイをしようと考えた事はありませんでした。

 人は身なりでも判断されます。失礼のないよう気を付けてきたつもりですが、不快に思う人がいるかもしれません。「ネクタイはしないのか?」と聞かれた事もあります。スーツのほうが間違
いが無いのも分かっていますが、ありのままの方が良いと思っていたのです。

 しかし、最近目上の方と会う機会が急に増えて来ました。教えて頂く立場の人間がノータイなのはやはり失礼です。そんなこともあって、これからは必要であれば積極的に、ネクタイをしようと思っているのです。毎日している方にとっては何を今更と思うかもしれませんが、私にとっては結構大きな変化です。

 この日も男性は全員がネクタイをしていました。思えばつまらない事にこだわってきたのかもしれません。

 ネクタイは、17世紀のヨーロッパでクロアチア人兵士が、仲間と敵をを見分ける為、スカーフをしたのが始りという説が有力です。それで英語圏以外では、cravate(クラヴァト)=クロアチア人と呼ぶのです。

 大げさかもしれませんが、ずっと一人で戦って来たつもりです。少しずつ、スタッフが増えることで、ネクタイに対する考え方が変わってきたのかもしれません。

完全な日没を

 先週末は、よく訪れている紀伊田辺へ。

 海辺のホテルは西に海を臨むロケーションです。毎回夕日が海に沈む瞬間を待ちます。しかし、まだ水平線に沈むところを見たことがないのです。

 この日は雨だったので「今日は無いな」とのんびり露天風呂に入っていました。ところが、日没寸前、急に晴れて来たのです。

 意外と今日かもと、風呂もそこそこに部屋へ戻りバルコニーで待ちかまえていました。

 「もう少し、もう少し」と待っていると、いつも判で押したように、水平線近くになると雲が出てくるのです。

 もしかして今回も、と思い念のため先に一枚撮っておきました。

 するとやはりこの日も、ここから雲の中へ。

 いつも雲が無いことを望みませんが、そろそろ完全な日没が見てみたい。

 当たり前ですが、雲も太陽も、こちらの都合など関係ありません。しかし、そんな主観があるから、我が事として一喜一憂出来るとも言えるのです。

トイレの話

 洋便器の蓋は開けておくもの?閉めておくもの?

 事務所内では閉じておくようにしています。閉じておくのが無難でしょうが、そもそもあの蓋の意味は何なのでしょうか。

 元々ヨーロッパには固定式の便器という概念は無かったようです。どうしていたかと言うと、便器と兼用のイスが有りました。イスですから、蓋は取り外し式の座面だったのです。使わない時は家具なので、豪華に装飾されたものも有りましたが、早い話大人用の「おまる」だったのです。

 代わって、日本の衛生機器メーカーによると

①日本人はカバーするのが好きで、むき出しより良いと感じる人が多い。
②汲み取り式便所の時代に臭気を防ぐ為に有ったものの流れ。

 とあります。

 現在の用途から考えると、どうしても必要ではないけれど、封水(臭気が上がるのを防ぐ水の溜まり)の蒸発を防いだり、暖房便座の節電効果もあります。

 バロック建築の代表作ベルサイユ宮殿にはトイレがほとんど無く、貴族も庭で用を足していたのは有名な話。近代になって土に返す場所が足りなくなり、汲み取り式、水洗となったわけです。

 「家の中で唯一有益な場所はトイレである」といった建築家がいました。そこまでかは別にしても大切で、有益な場所に違いはありません。

花嫁の父は

 日曜日は、京都に行っていました。母方の従姉妹が結婚したのです。

 朱塗りの大鳥居で有名な平安神宮で挙式しました。

 それを終えると、主役の二人は人力車で登場です。

 披露宴会場は平安神宮のすぐ南。疎水のほとりにある、静かなレストランでした。

 京都市動物園の辻向かいで、疎水越しに中が覗けます。時折キリンの姿が。子供達はすぐに退屈してしまうので、こんなことが有り難いのです。

 式の最後には、花嫁から両親へのメッセージ。

 花嫁の父は、私にとっては叔父です。小さい頃は本当に良く遊んで貰いました。

 心優しい人で、つい私も目頭が熱くなりました。

 従姉妹は勿論泣いています。叔父もやはり……泣いていないのです。

 娘を送り出す父は、ただ辛く寂しいものだと思っていました。しかし現実はそれだけでは無いのかもしれません。もう少し思い出してみると、号泣していた人など居なかったような気がします。

 花嫁の父。哀愁を秘めた、なんとも奥ゆかしい言葉です。

代官山、六本木

 先週末は東京へ出張でした。

 朝の6時台の新幹線なら片道1万2千円です。この金額に辿り着くのに随分苦労しました

 打ち合わせは昼から。一通りの準備を終えると渋谷、代官山、六本木あたりを回りました。

 まずは渋谷の南東にある青山製図専門学校。設計は渡辺誠、90年代の快作です。

 カラート77は葉祥栄。完成は’97年。

 法規制に忠実に従い、恣意的なデザインを極力排除した結果が、この形というのですから不思議です。

 ヒルサイドウエストは槇文彦の設計。現在、自身の事務所もこの中にあります。

 モダニズム建築の正統派で、数々の賞を獲得している重鎮です。その品格はさすがで、清楚な佇まいでした。

 ※モダニズム―19世紀までの、様式にとらわれた建築を批判した運動。

 ヒルサイドウエストとカラート77はこんな位置関係にあります。

 現地に行くまで、こんなに近いと想像できませんでした。

 このあたりが、東京の密度と質と言えるのかもしれません。

 そのまま旧山手通りを東に行くと同じく槇文彦設計のヒルサイドテラス。’67年から’02年までの6期に分けて計画されています。

 一人が25年をかけ、広範囲にわたって街をデザインするのは稀な事です。

 そのまま六本木ヒルズへ。話題だった森タワー。

 左には再び槇文彦設計のテレビ朝日が僅かに写り、東京タワーが見えます。

 最近のヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では象徴的に使われ、200万部を売ったリリー・フランキーの小説「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~ 」では題名に。

 槇文彦はこう言っています。みちは都市の切断面。その切断面と建築の表皮に街の風景の大部分がしみだされてくる。

 法律とは言え、この色には問題があると思います。しかしその表皮が最も大きい建築かもしれません。

 しみだし続けてすでに50年。日本の山が富士山なら、都市の風景を象徴するのは東京タワーかもしれません。

野外なら

 最近長男は、自転車に乗るのをを楽しみにしています。

 日曜日は近所の長居公園へ。

 コマ付きですが短い足をフル回転させ、ビュンビュン飛ばします。

 車輪の発明によって得られたスピード感を楽しんでいるのです。

 夕方からは実家の屋上で焼肉。半分はサービス、半分は自分の趣味です。

 火の発見が、人の進化を大きく助けました。生肉で食べるよりずっとリスクを減らせるし、何より美味しい。

 子供にはウインナー。野外で食べれば何だって美味しいものです。

 日が暮れて来たので、最後はスイカ。

 休みは屋外に居ることを信条として来ました。

 中々叶わない今、実家の屋上で炭をおこします。自然の中には敵わなくても、せめて心地よい夕風を感じながら。

 一年で、最も気持ちの良い季節になりました。故、開口健は言いました。「おおいなる野外へ」なのです。

小指の爪

 この日曜日は母の日でした。母だけではありませんが、思い出す事があります。

 小学校の頃、両親が爪を切っていました。横で見ていると2人とも、足の小指の爪がほとんど無いのです。どうしたのか聞きました。

 共に「毎日働いていると、ちびて無くなる」と言うのです。それを聞いて「大人になると有るものが磨り減って無くなってしまうのか……」と空恐ろしい気分になりました。

 実家はガラス屋でした。小さい頃は特に忙しかったので、住居下の仕事場からは、毎日遅くまで父の怒声が聞こえてきました。楽しい思い出ばかりではありませんが、足の爪が磨り減るまで働き、こうして生かされていることに感謝します。

 そう思えるようになったのは、ごく最近ですが。

 しかし母の日に、感謝の言葉を伝えた訳ではありません。妻に「カーネンションの一本でも買っといてえヤ」と。全く恥ずかしい限りです。

 いつか面と向って言える時が来るのでしょうか。そんな事も出来ない自分が恥ずかしく思いますが、真っ当な感情だとも思うのです。完全に言い訳ですが。

 その頃の母の年齢はとおに超えました。一生懸命働いてきたつもりですが、幸い足の爪は全部あります。

初宮参りに思う

境内の中の家」という作品が完成したのがこの2月。

 昨日、その神社へ長女の初宮参りに行って来ました。クライアントとして色々な話をしましたが、神職者としても尊敬できる方だったからです。

 長女が生れて3ヵ月。初宮参りが遅くなったのは入院があったからです。

 一般的に出産後は5日ほどで退院です。生れて一週間経った頃、24時間の看護体制があるところに移った方が良いという事になりました。

 ある数値が不安定だったのです。即日救急車で移送されることになりました。

 急なことだったので、妻も動転しています。私も一緒にバタバタしてしまってはと、自分にまあ落ち着けと言い聞かせました。

 それから1ヶ月過ぎた頃に2つ目の病院を一旦退院。一週間後の検査でまた安定せず再び転院。そこは市内でも有数の規模を誇る総合病院でした。

 結局原因は分からずじまいでしたが、数値が徐々に安定しだした4月の中頃、3つ目の病院を退院したのです。

 これだけ医療が進んでも、分からないことは沢山あるそうです。それを聞いて何かホッとする部分もあります。しかし進んだ医療のおかげで、原因が分からないことが分かったのです。

 3歳未満の子供の医療費は、概ね月額の上限があります。保護や保険はバイタリティーを奪うという気持ちは変わりませんが、その手厚い補助は、必要に迫られタクシーに乗ったりと、出費がかさむ私達にとって、有り難いものでした。

 娘が入院している間に、気付いた事がありました。

 3つ目の病院には、重篤な子供も多く入院していました。両親は寝泊り出来ない規則なので、夜の8時に帰らなければなりません。

 2、3歳の子供は、母親が帰る時には勿論泣きます。そんな光景を見るのは辛いですが、それが日常である彼らにとって、いちいち悲観している暇など無いのです。どんな状況であれ、泣き笑いしながら逞しく生きているのです。

 「かわいそう」はあくまで、人事と感じての視点です。それはそれでも良いのですが、私も入院する娘を持つ身となり、初めてそれが分かったのです。

 それから「~でなくて良かった」とは考えなくなりました。また考えないようにしました。誰かと何かを比べることで、自分を納得させている姿は、恥ずかしいと感じたのです。

 在る、だけで幸せ。不幸と感じても幸せ。在れなければ、そう感じることさえ出来ないのですから。

 「何故生きるのか」という問いにはいくつもの答えがあります。しかし今はどんな状態であれ、人は生きる為に生きるのだと思っているのです。