夏の間、一番良く使う薬はかゆみ止めです。何故か、よく蚊に刺されます。
これから涼しくなれば、蚊も減りますが、夏の間は絶対に離せません。ムヒとかウナがいたるところに置いてあるのです。仕事机の引き出し、食卓のそば、仕事カバンの中、車の中、旅行用カバンの中等など。
誰でもそうでしょうが、かゆみは本当に苦手です。集中力はそがれるし、イライラするしで。結果、かなりの頻度でかゆみ止めを使ってしまいます。妻に、香水代わりやね、と言われるくらい。
蚊だけでもやっかいなのに、最近、どうも現場でダニにも噛まれているようなのです。これが強烈にかゆく、しかもしつこい。あまりの痒さにムヒアルファーEXというハイグレード版を890円もだして買いました。
蚊は血を吸った上に、何故ご丁寧にもかゆみ毒を注入するのか。刺した時、獲物に気付かれないよう、麻痺させる為だそうです。
血はあげるから、もっと上手に麻痺させてくれよ、と思います。その針を消毒してくれればの話ですが。
小料理
本日、クライアント宅へ打合せに行っていました。天王寺のど真ん中なのです。
天王寺は、当事務所設立の地で、25歳から30歳までの間、ほとんどそこに寝泊りしていました。
西側のエリアは再開発の為、迷路のような商店街が更地になりました。
寂しい限りですが、東側のエリアはまだまだ路地が残ります。
話しの流れから「この近くの小料理屋さんへ、たまに来ていたんです」というと「ああ、すぐ裏ですよ」と。いつも6時頃から一杯ですよ、とも。
よく見れば、ま裏。天王寺から移転して9年。すっかり土地勘が鈍っていました。
しかし懐かしい限りです。値段はそこそこでしたが、こじんまりした上品なお店で、もとは知り合いがアルバイトをしていたのです。
創立した頃は、何せ仕事のスピードが遅いので、お金もあまり無く、自然と自炊するようになりました。
空腹を満たすのに、納豆ご飯をおかずにして、大盛の白ご飯を食べたりしていました。
何とか一つの物件が竣工した夜には、ちょっと奮発して外食していたのです。それが年に1回か2回。楽しみにしていた店だったのです。
よくある苦労話になってしまいました。しかし、小料理屋とはなんと控えめで奥ゆかしい日本語なのか。
港・横浜150年
火曜、水曜と、横浜へ出張に行っていました。
新大阪-新横浜は新幹線で約2時間。
JR、地下鉄と乗り継いで、みなとみらいというエリアへ。日本丸越しに、インターコンチネンタルホテルが見えます。
このあたりは、日本一高いランドマークタワーや、パシフィコ横浜など、大きな商業施設が建ち並びます。
今年は横浜開港150周年で、そのイベントが開かれていました。
鎖国中の日本に、1853年ペリーの黒船来航。1858年ハリスとの日米修好通商条締結。そして1859年の開港となったのです。
その際に開港されたのは、長崎、函館、新潟、神戸。ここから少しずつ開国は進んで行ったのです。
その雰囲気は街並みにも見て取れます。
これは中心部の馬車道通りにあるガス灯を模した街灯。
1872年、日本で初めて、ガス灯に火が灯ったのはこの地。他にも、新橋-横浜間に初めて蒸気気機関車が走りました。
これらの話しは、全てタクシーの運転手に聞きました。
関東のタクシーは愛想が……などとも聞きます。今回乗った2台は、ともに気さくな人でした。
運転手がムスッとしていると、知らぬ街に来たワクワク感も台無しです。距離が短かい時は、こちらも申し訳なく思っているのですから、せめて普通でお願いしたいのです。
ブドウ
朝夕は、随分過ごしやすくなりました。今日で8月も終わり。いつだって、季節は瞬く間に過ぎていきます。
昨日の7:30pm頃、投票に行ってきました。滑り込みでなんとか、義務を果たせました。
結果は結果として受け止め、全ての政治家は、国民の下僕として、働いて貰いたいと思います。仕事はいつだって、奉公滅私の精神でするものですから。
夕方には、週末面倒を見て貰った、妻の実家へ子供たちを迎えに行きました。
ちょうどブドウが盛期でした。
子供達も、収穫の手伝いをしたそうです。
実をもぐ感じなどは、体感しないと分からないもの。良い経験になるはずです。
私達は、生を受け取りながら生きているのですから。
ナスも、立派な実を付けていました。
この夏は梅雨が長かったのですが、気温も低かったそうです。
あまり実感はありませんが、過ぎてしまえば物足りない気もします。
行く夏。
しかしまだ夏。まだ1、2回は海に行きたいと思っています。
湿度
今週月曜日は、湿度の低さがニュースになりました。大陸から乾いた空気が流れ込んでいたのです。
大阪で最も湿度が下がった時には27%になりました。ちなみに翌日の8/25(火)は湿度は37%。両日とも気温は30℃くらいでしたが、火曜日のほうがやはり暑く感じました。
事務所内にも湿度計が置いてあり、毎日記録しています。8/24(月)は、室内でも30℃を超えましたが、穏やかに風が吹いていた事もあり、経験が無いくらいに快適なのです。湿度を見ると23%を指していました。
この数字は見た事が無かったので、念の為、屋外の日陰も測ってみると、気温29℃で湿度は15%。湿度計が壊れたかなと思っていました。
翌日の新聞を見て、辺りに水気は無いしと、納得したのです。
湿度が低いと、汗はすぐに気化して、体から熱を奪います。加えて風があれば、湿度の上がった空気は体からすぐ離れ、効率よく気化は進みます。
温暖化の現状を考えると、外気をいかに屋内に導き、通過させるかは建築設計の最重要課題と言えます。とは言え、プラバシーを確保し、防犯対策をした上でとなると、簡単な事ではありません。
しかし、この月曜日の体験で、一定の条件を満たせば、エアコンが無くても除湿機で何とか成るのでは、と思ったのです。これは真剣に取り組む必要ありです。
海は早めに切り上げて
毎年ですが、お盆を過ぎてから、まだ泳ぎに行っていないと慌てるのです。
今年も、いつもの所へ行って来ました。
敦賀半島の先にある小さな漁村です。
お盆を過ぎると、人はまばらになるのですが、今年は結構な人出でした。
今回は家族だけ。長男の泳ぐ練習に来たのです。
毎晩、風呂場で練習しているようで、「浮けるようになった」と妻から報告があったのです。
今回は泳ぐ練習がメイン。釣りは無しです。
僅かながら、バタ足で少し進むようになりました。
昼はうどんを作って食べて、2時ころ現地発。
バタバタしていたので、前日の夜まで行くか迷っていました。
帰りに海岸沿いを走る時、「やっぱり来て良かった」と思うのです。
早めに出発して理由の1つはお土産。
北陸道、敦賀インターのすぐ側にある、蒲鉾の「小牧」。工場見学もできます。
鮭と鯛がのっているものが450円ずつ。かなりお勧めです。
いくつか買いました。
もう一つは、日曜日の早朝、弟夫婦に3人目として長女が生まれました。
妻と同じ8月23日生まれ。ケーキを買いに行きたかったのです。
病院へBABYを見に行き、大仕事を終えた義妹にはご褒美のプリンです。
現在、義妹の居ない弟一家は実家に大移動中。
私達も寄って、9人でお祝いしました。まだ2人が病院に居るので、これからは11人になります。
誕生と誕生日と海。せわしなく、幸せな日曜日は過ぎて行くのです。
伊良部
仕事を始めた時、晩酌にはビールを飲みながら、プロ野球中継を……という夢がありました。
しかし現実はバタバタとした毎日で、適わぬまま10数年が。その間に、野茂やイチロー達のアメリカでの活躍もあり、プロ野球への興味が薄れて行ったのです。
一昨日、小さな記事を見て、久し振りにワクワクしました。伊良部、横浜で日本球界(NPB)復帰か?とあったのです。
伊良部秀輝は恵まれた体格を生かした本格派速球投手でした。現在も国内日本人最速は、彼の投げた158km/hです。
ロッテのエースとして活躍。その後アメリカへ渡り名門ニューヨークヤンキースへ。メジャー数球団を経て、再び日本に戻り阪神タイガースへ。そして引退していたのです。
引退後、5年経った今年の春、膝の故障が癒えた事もあり、アメリカ独立リーグで現役として復帰。そしてこの夏、四国・九州アイランドリーグの球団に入団していました。
スポーツの楽しみ方には、地元チームを応援する、圧倒的なパフォーマンスが見たい等、色々あると思いますが、ストーリーを見るというのもあると思うのです。
選手の生い立ちや、人となり、ここに至るまでの経緯や確執など、全て含めて、その人自身に興味があると言えば良いでしょうか。
日本で最も速いボールを投げた伊良部は、無骨で無愛想です。メディアがそうしたとも言えますが、扱いはいわゆるヒール。その彼が、月給15万円の独立リーグを経験し、日本球界に復帰となると、色々な事が想像出来ます。
野球がやれるだけで幸せ?球速は?球種は?あの態度は?オールドルーキーは通用するのか?
興味津々です。
一度辞めた選手の復帰するなど、まるで漫画の世界。少し前の日本球界なら考えられない事です。伊良部秀輝40歳。まだ調査段階のようですが、39歳の私は全面的に応援しています。
富士山
この夏期休暇の間、山梨県へ行っていました。
出発した8/14(金)は、地震の影響で東名高速の袋井~焼津間が不通。渋滞予想もあったので、3:45amに大阪をでました。
不通の区間は下道で移動です。ドライブがてら、県道を遠回りしてみました。
静岡だけあって辺りは一面の茶畑。
焼津から高速に乗りなおし、富士ICを降りたのが10:00am頃。
この日は生憎の曇り空。景色はあきらめて、牧場に寄りました。
乳搾り体験は終わっていたので、子供には練習機で。
富士五湖をぐるりと回って5:00pm頃、ホテルに到着しました。
8/15(土)は朝から晴れ。しかし富士山だけはスッポリと雲の中。
今年に入って、4日見に来ましたが、まだ一度も山頂を見ていません。何とか見れないかと、5合目まで上がってみました。
♪頭を雲の上に出し~♪
とはならず、これも駄目。登山する人達の多さに圧倒されて、早々に退散です。
最終日に期待して、夕食は山中湖畔のレストランへ。
甲州牛の陶板焼きは5000円。この焼き方が名物のようです。
ちょっと奮発しましたが、かなり満足の味でした。
食後、夕涼みに浜辺へ。
いつの間にか雲がとれていました。
暫くの間、感激です。
8/16(日)は打って変わって朝から快晴。
近くにある、森の中の水族館へ。
ここは淡水魚専門の水族館でこじんまりとして中々に良いのです。
水盤のある公共施設は数有れど、水とここまで密接な建物は中々無いと思います。
木陰から、水中をのぞいている感じなのです。
山中湖花の都公園は、ヒマワリが一面に咲き、素晴らしい景色でした。
今回は富士山を見る旅。
やはり、日本一以外に例えようの無い、流石の美しさでした。
今日から休み
今日から事務所は4日間の休暇です。進行中の現場も、この間はひとまずストップ。
早朝から、父、弟と海に行っていました。4歳の長男と甥っ子も一緒です。
天気は予想以上に良かったのですが。
風と波がややあり、長男は完全にグロッキー。
そんな中、甥っ子は不死身の元気ぶりでした。
船酔いは体質によって、強い弱いが結構はっきりでます。
あまり遠出できなかったので、岸和田あたりで、小アジを40匹ほど釣って今回は早めの納竿にしました。
その頃には長男も完全に回復しました。
二色浜は海水浴客もまばらでした。
ラジオから何十キロという渋滞情報が。
私達家族は、明日から2泊で静岡のほうに向かいます。
地震の中、旅行もどうかという気もしますが、キャンセルも迷惑だろうと思います。
現在、東名高速の上りは未だ不通。トラブル大好きですが、目的地にたどり着くのはいつになるのか……。
お盆は混むもの
長かった梅雨が明け、高校野球が始まり、気が付けば今週末はお盆です。
先日クライアントと、里帰りの話をしていました。奥さんの実家は愛媛県の西側の海、豊後水道に面した島でした。海は美しく、天気の良い日は大分県まで見えるそうです。しかし帰省は一日掛りという話になりました。
本州から四国に渡り、四国を東から西へ横断し、最後は船で島へ。お子さんも小さいので、大変だろうなと思いましたが、何というか、聞いているだけでワクワクしてきたのです。
私が小さい頃は父と母の郷里へ帰省していました。大阪から岡山県倉敷へ。フェリーで四国に渡り、香川県まんのう町へ。帰りは高松からフェリーで神戸へ戻ります。
今ほど夏期休暇の分散化が進んでいない、高度経済成長期も終盤の1970年代。フェリーはいつも一杯でした。
父の家業はガラス屋で、トラックで帰ることもありました。トラックは予約がとれず、昼過ぎから港で順番待ちなのです。人が並ぶように、港の広い駐車場に列になって待っていました。暑い夏の日、アスファルトの上で随分な時間を潰すのは、中々大変でした。
我が家の2tonトラックには、3畳の和室が積めるようになっていました。冗談みたいな話なのですが、父お手製の簡易キャンピングBOXをクレーンで載せるのです。
書いてしまって良いのか、フェリーに乗る際は、私たち兄弟はこの3畳の部屋に入れられ、静かにしておくよう言われていたのです。早い話が無賃乗船……。
決して許されるべきことではありません。しかし私の記憶に残っているのは、長い待ち時間、客室が一杯で、デッキに毛布を敷いて星を見ながら寝たこと、そしてこの3畳間。
今年のお盆はETC割引で、大渋滞が予想されています。それによる経済損失と、CO2の排出量が試算されていました。後者は大問題ですが、効率よく、スムースに移動するのだけが決して良いとは思いません。
面倒で非効率でも、何かしらの記憶に残る旅が、絶対に良いと思うのです。今年の大渋滞も、ちょっと楽しみな気がする私は、変わり者かもしれませんが。