芸術の秋、京都編

 日曜日は、娘の運動会でした。かけっこは先週の長男と全く同じ展開。

 最後の最後まで一番だったのが、ゴール前でスピードを緩めて2位。やっぱり兄妹でした。その日は、高槻にある妻の実家へ。

 翌朝、近くの川沿いを散歩していると、コスモスが咲いていました。

 秋。やっぱり京都かなと、朝一番で京都市立美術館へ。

 フェルメール展とゴッホと目玉にした印象派展が同時に開催中です。

 人気は圧倒的にフェルメールのようです。

 10時半ごろでしたが、すでに長蛇の列で50分待ち。

 あわよくば両方と思っていたのですが、すぐに印象派展のチケットを購入。

 広告でもよく見かけた、ゴッホの自画像。

 日本初上陸だそうですが、勿論私もこれが目当てです。

 待ち時間無しで入場できましたが、すでにエントランスもごった返ています。

 全部観るのはとても無理と判断して、ゴッホ、ロートレック、モネを各3点ずつくらいに絞りました。

 ゴッホの自画像は1889年で、命を絶つ1年前に描かれています。

 大病から復帰してすぐらしく、頬はこけ、髪は薄く、しかし目はギョロリと生々しく。40cm×60cmくらいの作品ですが、異様な迫力を放っていました。

 黄色もしくはオレンジを、なでつけるように描かれた髪の毛は、繊細ではありませんが、圧倒的な生命感を感じさせるのは何故でしょうか。

 彼は黄色を最も大切に扱う画家だと私は思っているのです。

 嫌がっていた子供達は、その後動物園にという約束で、納得させました。

 約束通り、東に隣接する動物園へ向かうも、人、人、人。

 一通り回ったあと、食堂に行ったのですが混雑はそれほどでもありませんでした。

 カレーが680円で、抜群に美味しいという訳ではありませんが、なかなか雰囲気があるのです。空間は高級料亭。オペレーションは街の食堂という感じ。

 昼食のあと、1時頃には大阪へ向かったのです。

 まだ紅葉には早いので、そこまでは……とも思っていました。

 しかし名の知れたお店は、昼を過ぎても凄い行列。

 さすが世界に誇る観光都市、という感じです。

 帰り道も、あっちを回り、こっちを回り。結局、御池通りが一番ましでした。

 それでもノロノロ運転で、漬物の名店「西利」本店を撮っておきました。

 設計は若林広幸。当然ながら賛否両論です。

 混むのが嫌なら行かなければ良いのですが、そんな所へ出掛けたくなるのも人の心情。

 やはり秋の京都はいいものです。

五七五

 「最近、字を書かなくなった」という会話をあちこちで聞きます。 

 スケジュール管理はスマートフォンという人も多く、ペーパーレス化が加速していると実感するのです。そんな事もあり、長男は書道教室に通っています。その教室で俳句大会があるらしいのです。

 さっそく五七五のルールを習ったようで、指を折りながら、言っています。

 草の中 バッタのレース おもしろい
 公園で ウンテイをして マメできた

 ただ文数を合わせるだけですが、それでも色々と考えているようです。先日買い与えた本には、小林一茶が載っていました。

 やれ打な 蝿が手をすり 足をする
 痩せがえる 負けるな一茶 是にあり
 めでたさも 中位なり おらが春

 一茶は、小さい物、弱い者の見方をする人でした、と解説にありました。

 歴史に名を残す俳人ですから当たり前ですが、たった17文字でここまで違うのです。

 コミカルだったりアイロニカル(皮肉)だったりする句は、一茶のお得意とも言えます。

 早くに母親と死に別れたり、その生い立ちとも関係しているようですが、アイロニカルな表現は、嫌味を感じるか、ふと笑ってしまうか紙一重。この辺りが一流との境目でしょうか。
 
 日本の文化には、金閣寺、日光東照宮、金の茶室など、豪華な貴族文化もありますが、利休の待庵などに代表される「わびさび」の文化もあります。これは、それらへの反発心からくる対比文化とも言えます。

 17文字の小宇宙。

 そんな言葉が頭に浮かびますが、俳句こそがミニマリズム(最小限主義)の行きついたところと言えるかもしれません。

足の速さは遺伝するか

 昨日は運動会の小学校が多かったようです。

 長男の学校もその一つで、暑すぎずで最適の気候でした。

 小学1年なので初めての参加ですが、6年生にもなるとなかなか立派な体格です。

 私の母校でもあり「運動会の唄」も一緒に口ずさめます。

 妻に「オリジナルの唄があるの」と聞かれました。

 考えた事もありませんでしたが、意外と珍しいことかもしれません。

 開門は朝の7時から。5時半にジヨギングで通りかかるとすでに待っている人も。

 父兄の熱気もただならぬものがあります。

 しかし見ていて、それは理解できます。

 真剣勝負を見て、熱くならない親などいないのです。

 長男もいくつか出場しましたが、何はともあれ徒競走を楽しみにしていました。

 保育園の頃から1着をとった事はないのですが、練習では「いっつも一番やで」と言うのです。まだ6歳なので、話半分で聞いていましたが、楽しみにはしていました。

 ちなみに父は6学年中、4回くらい一着。母、弟、妻とも6回とも一着だと言います。弟はリレーもアンカーでごぼう抜き。運動会ではヒーローというタイプでした。

 しかし私は一番になったことがないのです。親は「一着だった事もある」と言うのですが、全く記憶になく、大体2番か3番だったと思います。さて、長男はどうなのか。

 いよいよスタートの順になりました。パーンという炸裂音と共に、スタートダッシュはOK。これは初めての一番か?中盤までは僅かにリードしています。

 しかしゴール直前で若干スピードが鈍り、すんでのところでかわされたように見えました。終わってから聞くと「僕の方が早かったで」というのですが……微妙なところでした。

 筋力というのは基本的には筋肉の断面積決まります。更に筋肉は、速筋と遅筋の2種類に分かれています。瞬発力は白い速筋、持久力は赤い遅筋が受け持ちます。魚の刺身で見るとが分かり易く、白い速筋がタイ、赤い遅筋がマグロ。それぞれの特性も示しています。

 私はマラソンなら学年で4番くらいだったので、遅筋の比率が高いのだと思います。長男はどちらの筋肉を多く受け継いでいるのか。結論を出すのはもう少し先で良いのですが。

 私も相当に熱が入っていたので、徒競走の写真はなく玉入れだけ。

 来週は保育園の運動会。

 娘は年中組で、同じく練習では自分も一番だったと言っています。

 とても楽しみにしています。

 その晩は約束通り、ご褒美の外食。

 長男のリクエストはいつもギョーザ。

メタボリズム

 日曜、月曜の出張を終え、大阪へ帰る前。有楽町の東京国際フォーラムに寄りました。

 1996年完成で国際コンペによってラファエル・ヴィニオリが選ばれています。

 有楽町は東京駅から南に一駅。現在「UIA(国際建築家連合)2011東京大会」が開催されているのです。

 26日(月)の開会式には天皇、皇后のも出席され、各国から建築家が集まる、世界最大級のイベントです。日本のブースも沢山ありますが、中国関係のブースが多かったのも、時代を反映しています。

 これだけの人種の同業を見る事は、なかなか無いと思います。若干の愛おしさを覚えながら会場を出ました。

 有楽町から2駅程南の新橋駅へ移動。この辺りは銀座のはずれとも言えるのでしょうか。

 何度か来ましたしたが、エポックメーキング的な建物をまだ見ていませんでした。「中銀カプセルタワービル」(1972年)。2007年に亡くなった黒川紀章の設計です。

 1960年代に未来の都市像を思い描き、思想を生み出した建築家たちがいました。

 丹下健三に影響を受けた、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦といった建築家を中心として展開された運動が「メタボリズム」です。

 生物用語で「新陳代謝」をさし、中年男性が気になる「メタボリックシンドローム」とは残念ながら関係ありません。

 彼らは、環境に対応する生物のように、姿を変えながら増殖していく建築や都市をイメージしました。戦後の荒廃から高度成長へと移っていく時代の事です。

 その中で、全てをユニット化し、部屋ごとの取替を可能にした「中銀カプセルタワービル」は象徴的な建物でした。

 完成から40年近くが経ち、雨漏りをはじめ多くの問題もあると言います。やや汚れ、汐留の高層ビル群に埋もれていましたが、確かな存在感を示していました。

 高速道路を挟んで、南側にはジャン・ヌーベル設計の電通本社ビル(2002年)があります。

 クリア、シャープ、永遠。

 メタボリズムとは反対の解と言えます。それが向かい合っているのは、密集する東京ならではの事かもしれません。

 少し西へ歩くと、メタボリズムに大きな影響を与えた、師・丹下健三設計の作品。

 静岡新聞・静岡放送ビル(1967年)があります。

 これは同じ系譜だと納得できます。

 黒川は晩年、都知事選に出たり、参議院選に出たりと奇行に似た部分もありました。その頃に残した言葉が印象的でした。

 「私はデザイナーとしては優秀ではなかったかもしれない。しかし思想家としては何かを残したと思う」

 これは奥さんが語っていたと思います。

 真相は霧の中ですが、成功者の悲哀とダンディズムを感じるのです。

後楽園

 昨日から「四丁目の家」の現場監理に来ています。

 朝一番に大阪を出て、昼からクライアント家族と現場にて打合せ。楽しみにしていたウンテイが出来上がっており、皆かなり喜んでくれました。詳しくはまた現場日記にて。

 今日は朝から施工会社との打合せで、昼から再び現場です。

 よって昨晩はホテルに泊まりました。

 施工会社のあるお茶の水、後楽園あたりは安いホテルが結構あるのです。

 そもそも、旅行は自然の中へという感じなので、ビジネスホテルの経験がほとんどありません。

 相場が分かっていなかったのですが、探せば都心でも意外に安いんだなというのが正直な印象です。

 ドームの向かいには、丹下健三設計の東京ドームホテル。

 このあたりはそれなりの金額だと思いますが。

 あまり泊まったことがないと言いましたが、昔この付近に泊まった事を思い出しました。

 大学の試験会場がこのあたりで、続けて何校かか受けるため連泊たのです。

 夕方、食事でもと歩いていると「後楽園ホール」という看板が目に入りまいした。

 当時はプロレスが好きで、ここは格闘技の聖地と呼ばれていたのです。

 近くには新日本プロレス直営の闘魂ショップもあります。興味のない人には何のことかさっぱり分からないと思いますが。
 
 その日プロレスの興業はなく、ボクシングの試合でした。

 「ライト級日本タイトルマッチ」とありましたが、折角の機会だからとチケット買って入ったのです。 

 観客は結構入っていて気がします。試合を観戦するというよりは、その空間を体感できたことに満足していました。

 受験に来て一体何をしているのかという感じですが、その結果現役時代の受験は、関東の私学も含めて全て失敗。思い出に残っているのは後楽園ホールだけです。

 何故かもう一つ記憶に残っているのが、その時ウォークマンで聴いた、松任谷由美の「Nobody Else」といいう曲。普段ユーミンを聴いていた訳ではないのですが、何故かこの時、一人ホテルで聴いていた情景を時々思い出します。

 落ち込む程勉強していなかったのですが、それなりに軽い敗北感を味わっていたのだと思います。

 今朝は思い出の、後楽園のホテルより。

『住まいの設計』 に「イタウバハウス」掲載

 昨日発売の『住まいの設計』11月・12月号に「イタウバハウス」が掲載されました。

 まず雑誌掲載は、クライアントの協力のたまもの。出来上がった誌面は、こらから家を建てるという人へのメッセージ。この場が有る事は、とても有難いことだと思えます。

6ページの紙面を創るためには、多くの人が関わっています。

 まずは作品を選び誌面の構成を考える編集部の人達。そして記事を書くライター、写真を撮るカメラマン。

 撮影は6月初めで、皆東京からの来阪でした。

 今回は-身の丈予算で「自分らしい家」-という特集内です。

 クライアントへの取材、私達が出した資料をもとにライターが記事を構成して行きます。

 素材は提供し、調理して貰う感じ。よって料理の仕方によって全く違うものになります。まさに腕の問われる仕事なのです。
 
 ライターの萩原さんとは、サロンのある家と近現代建築紹介に続いて3回目。取材のあとはいつも「もう一つ上手く説明できなかったな」と反省するのですが、出来上がってきた項を見ると、そんな事もなかったのかなと思います。

 これぞプロの仕事というところでしょうか。

 今回のメッセージは本文にもある通り。

 「何とかなりますか」と問われれば「何とかします」というのが建築家の仕事。

 出来ると分かっている事をするだけなら、私達の仕事など不要だと思っています。

 詳しくは、是非本屋さんで手に取ってみて下さい。

 

彼岸前

 昨日から、岡山、香川に来ています。

 彼岸前ですが、祖父母の墓参りに来ました。

 折角なので、皆で泊まろうという事になったのですが、寸前に探したのでどこも一杯。

 空きを見つけたのが、バンガロー。香川県まんのう町にある大川山キャンプ場は標高1,000mを超える山頂付近にあります。

 総勢11名。子供たちは修学旅行みたいなもので、テンションは上がりっぱなしです。

 誰かが頭打ったとか、口を切ったとか。何やかにや起こりますが……

 讃岐平野を一望に見下ろす景色は絶景です。

 気温も5度は低いでしょうか。気持ちの良いところでした。

 現在も元気な祖母は今年で87歳になりました。

 小学生の頃怒られていた元気はもうありませんが、愛おしく思います。

 いつまでも元気で……という言葉に、寂しさを覚えるのです。

知識は勇気を

 「営業マンは断ることを覚えなさい」という本が、ベストセラーになりました。

 発売は2003年となっているので、もう7、8年前のこと。その作者、石原明氏はこうも言っています。

 『知識は勇気を補完する』

 人はだれしも弱いもの。しかし知らないという事は、更に心を迷わせます。不安な状態で良い決断が出来ないのは当然です。

 鋼のような精神力を持っている人は別ですが、そうで無い人はどうすれば良いか。その答えが、前述したものだと思うのです。

 昨年、日本建築家協会に入会したのですが、住宅部会というワーキンググループにも入りました。

 部会員の2人が世話人となり、月に一回、例会を主催します。

 その世話人会は本町の綿業会館で開かれます。

 綿業会館は渡辺節の設計で、当時所員であった村野藤吾が担当していました。

 重要文化財に指定されている近代建築も、見ると使うでは全く愛着が変わってきます。

 先週土曜日の例会は、住宅の見学会でした。石井修設計の目神山の家1-回帰草庵-を見ることができたのです。

 4年前に85歳で亡くなられた、巨匠の自宅は西宮市の山手にあります。

 現在もご親族が住まれ、写真の掲載は控えますが、何度も住宅雑誌で見たその居間に入った光景は、やはり鮮烈でした。

 急な斜面にある敷地を友人と分け、ほぼ同時期に目神山の家1と2が建ったそうです。1の回帰草庵は低い方の敷地にあり、エントランスから、更に急な階段を下りていくと、まずRC造の棟があります。

 屋根に草が生えており、森の中に隠されるように建っているのですが、そこから内部に入ると、中庭を挟んで木造棟へ続く階段があり、下りて行くとそのリビングがあるのです。

 多くの開口がありますが、この時期の木々は鬱蒼としています。まず初めの印象は「暗い」でした。

 目が慣れくると、好んで使ったというキシラデコールのパリサンダで塗られた壁の赤みが、だんだんと浮かび上がってきます。正面には暖炉、天井からは直径2mはある、和紙の照明が吊り下げられています。

 簡素な山荘という趣にも関わらず、艶っぽい幽玄の世界が広がっているのです。

 出来上がって35年。ご子息が案内してくれましたが、RC造部より、木造部の方が改修箇所が少ないというのも印象に残りました。
 
 建築史に残る住宅を見たとき、まず浮かんだのが「本物」という言葉。敷地の変更を最小限にとどめ、自然の中で暮らすのを良しとした設計者、石井修の強い意思を感じます。

 深く考えられ、素材の魅力を引出し、洗練されたディティールによって建築、空間は成り立っているのですが、全く手が届かないものではないとも思えました。勿論それには、研鑽に継ぐ研鑽が必要なのですが、未知の次元ではないと感じたのです。

 知る、経験する、頭を打つ。自らの成長に繋がるなら、何にも代えがたい喜び。ちょっと立ち止まってしまった時、知識は勇気を補完すると唱えてみるのです。

あの温泉は今

 昨日は、早朝から日本海へ行っていました。

 カラッと晴れ、最高の天気です。遠くに見えるのは越前半島。

 敦賀半島の先端にある小さな浜で、ここに家を借りている知人がいます。

 毎年会うのを楽しみにしているのですが、この日は不在でした。

 風が強く出船出来ないので、早くに帰ったのかもしれません。

 9月に入ると、更に人も少なってきます。

 子供たちはライフジャケットを着て、一応シュノーケリングもするのです。

 昼が近づくにしたがって、予報通り風が強くなってきました。

 波止で釣りをしましたが、何故かサンバソウ(石鯛の幼魚)しか釣れず。

 空高く旋回するトンビを見て、もう少し先まで足を延ばすことにしたのです。

 敦賀から越前町までは40km程。1時間弱というところでしょうか。

 数年前にこのあたりを通った時「漁火(いさりび)」という、クアハウスのような建物がありました。

 もっとひなびた感じの温泉があったはずと、妻と話したのです。

 折角なのでもう一度確認に行くことにしました。

 行ってみるとやはり「漁火」はここしかなく、大きな施設の中に引越して来たようでした。

 昔のイメージがあるので、ここは辞めようということになり、途中で見えた露天風呂「日本海」へ。

 かれい崎荘という国民宿舎の大浴場です。

 こった造りではありませんが、簡素にして500円。

 景色は素晴らしく、お湯は透明ですがヌルヌルと肌に良さそうです。

 全く過不足ありません。

 建物が良くなる事に問題がある訳ではありませんが、土地には土地の風土があるはずです。

 影、ひび、汚れなんかを、人は何故か覚えているものなのです。

末裔

 朝夕は随分涼しくなって来ました。

 今朝の空を見て、今年初めて秋を意識しました。本当に気持ち良い気候になりました。

 先週末を思うと、自然と言うのはこうも違う顔をもっているのかと、納得もするのです。

 突然ですが、スケートの織田信成選手はあの織田信長の子孫です。教科書で見た絵にそっくりなので、疑う余地もありません。

 天下人、うつけもの、新しいもの好き……

 信長の子孫というのはどんな気分なのでしょうか。

 一昨年、日本建築家協会(JIA)に入会してから、同業者と話す機会が増えました。そこで、徳川家を最も苦しめたと言われる、真田家の末裔と知り合ったのです。

 聞けば戦国武将の雰囲気も。池波正太郎の「真田太平記」全12巻を読んだ私は、ちょっと興奮しました。

 真田家は信州上田市の豪族で、父昌幸と次男幸村は戦上手で知られました。中山道を通り関ヶ原の戦いに向かう家康の嫡男秀忠は、上田城の真田家に降伏を迫ります。

 それには従わず、わずかな手勢で秀忠軍を足止めし、参戦を遅らせた話と、大坂夏の陣で家康を追い詰めた話は有名なところ。

 武士は勇猛果敢。六文銭の旗印は三途の川の通行料。それさえも恐れないという意味なのです。

 真田幸村は、猿飛佐助をはじめ真田十勇士を従え徳川家を苦しめた講談が、江戸時代に大人気となり、戦国武将の英雄として語り継がれてきました。よって誇張されている部分も多いと言われます。

 そもそも小説とはフクションです。史実と重なったり、離れたりしながら展開して行く所こそが歴史小説の醍醐味と言えます。

 史実と史実の隙間を、いかに作家の仮説で繋ぐかが、作品の本質と言えるのです。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。私は人の過去にふれてみたくなる。はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。
-山本隆司-

 過去こそロマンなのです。

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