エスコートキッズ

 週末は長居公園へ行っていました。

 ここにはセレッソ大阪のホームグラウンドがあります。

 長男が町会のサッカーチームに入った関係で、エスコートキッズをすることになったのです。

 長居公園は自転車で行ける距離にも関わらず、ゲームを見るのは初めて。

 それどころか、サッカーの試合自体が初めてなのですが。

 Jリーグはこの日が今季最終節。

 普段の観客数がどのくらいなのか。

 この日の会場ははキンチョースタジアムで8割方は埋まっていました。正確には1万1千人の観客でした。

 チームを支えるのは熱心なサポーターなのだなと、目の当たりにします。

 ピンクのタオルは持っていませんが、楽しみにしている選手は、はやり清武。

 U-22サッカー日本代表、A代表、共に召集されており、結果を出しています。

 一昨年までは、現在ドイツで活躍する香川がセレッソの中心選手でした。

 イチローの時もそうでしたが、海外に行ってから近くで本物を観る機会があったのにと後悔するのです。

 清武もそんな選手になってくれるのでは、と応援しているのです。

 長男が選手と入場してきました。

 どの選手と手を繋ぐかはくじ引きらしく、対戦相手アビスパ福岡のキーパーと入場してきました。

 本物の芝のピッチに立つだけでも、良い経験だと思いますし、あの大きなキーパーを真近に見ることも、そうはない事です。

 ひと仕事終えた長男はスタンドに戻り、共に初めてのJリーグ観戦です。

 ほぼ飽きる事なく、応援していました。

 将来はバルサかと、一瞬想像するのはどの親も同じはず。

 テレビ観戦と一番違う点は、やはり音でしょうか。

 人と人のぶつかり合う音がだったり、全力でボールを蹴った時の音は、何と表現して良いか、ライブ以外では感じにくいものだと思います。

 注目の清武は、やはり動きの次元が違うう時間がありました。

 ゴール前の決定機で、緩急で相手をかわし、個人技でシュートを決めてくれました。

 その瞬間、総立ちになる客席。これが醍醐味なのだと分かります。

 ミドルシュートあり、PKありでセレッソは7得点。

 アビスパはJ2の降格が決定してういたのかもしれません。お祭りのような一方的なゲームでした。

 ただ、福岡の選手は最後まで手を抜いている感じは全くありませんでした。非常に好感がもてました。

 子供と手を繋いでくれたキーパーにとって、災難の日になってしまいましたが……

 帰りに小遣いでギョウザを買うと駄々をこねる長男。

 500円は高いだろうと思いながらも、これも含めて試合かと思ったり。

 サッカーの試合は時間が決まっているのがいいとは妻の弁です。なるほどと思いました。

 今季セレッソは下位に低迷しました。来季は香川が居た時のように優勝争いをして欲しいと思います。

 また応援に行ってみたいと思っているのです。

カメラレンズ

今日から12月がスタート。今年も1ヶ月を残すのみとなりました。

慌ただしいのが年末ですが、いらぬ用事が増えていました。先月のアメリカ行の際、カメラのレンズを1つ壊してしまったのです。

普段はコンパクトデジカメ、ペンタックスのOptio P70を持ち歩いています。

このサイズにしては27.5mmの広角レンズである事、黄や緑の発色が自然な所が気に入っています。

広角とは簡単に言えば広い範囲が映るという事です。

建築写真では、更に広い範囲が映る超広角というレンズが必要になってきます。迂闊にもそれを道路に落としてしまったのです。

落としてしまったレンズは、シグマの14mm。これで撮ったタイムズ・スクエアです。

この時はすでに落とした後で制御がきかず、若干ピンボケですが、画角が広く、奥行き感がでます。

同じようなアングルから、レンズを変えて撮りました。

タムロンの 28-300mm は様々なアングルをカバーできる便利なレンズ。全く画角が違うのが良く分かります。

ニューヨークについて2日目。

シーグラムとレバーハウスを撮った後、完全に浮かれていました。

そこから、グッゲンハイム美術館へ移動する途中に落としてしまいました。

レバーハウスと、グッゲンハイムの外観を比べると、急に迫力がなくなっているのは、その為なのです。

新たに買った超広角は、キャノンのTS-E 17mm。あおり補正のついた優れものです。

今週初めにようやく届きました。

キャノンの5D MarkⅡに付けるとこんな感じ。横にあるのがタムロンです。

これをペンタックスで撮ったのがこの写真で、 反対に、1枚目のペンタックスはキャノンTS-E 17mmで撮りました。

レンズ、メーカー、機種で写真は全く違うものになるのが良く分かります。

当事務所のwebサイトで、撮影者のクレジットが無いカットは私が撮影したもの。良ければ見比べて下さい。

道具だけでなく、撮影者によっても写真は全く違ったものになります。

カメラは本当に奥が深いのです。

それは自らの手で

 昨日は、子供達が妻の実家へ行っていました。

 それもあって、朝一番から3つ現場を回ってきました。

「東田辺の家」は掘方が始まりました。

 日曜の朝は道も空いており、車で移動。

 街路樹も色づいてきました。

 「あちこちでお茶できる家」は、屋根、金物関係の中間検査を間もなく迎えます。

 「サンルームと吹抜のある家」は引越しが済んだにも関わらず、少し工事が残っています。

 クライアントには迷惑を掛けていますが、これには良い結果で報いる他ありません。

 現場には発破をかけてきました。

 夕方には投票へも行ってきました。

 昨日の大阪はW選挙と言われ、市長選は60%を超える高い投票率。結果は市長が橋下徹氏、府知事が松井一郎氏でした。

 誰に投票したかは差し控えますが、2人には身を粉にして頑張って頂きたいと思います。はっきり言えば、政治家というのは、市民、府民の下僕だと思える人の事だと思っています。

 以前作家の五木寛之氏の話に、大変共感できたので、政治に対するスタンスを書いてみます。

 5年程前だったでしょうか、イタリアを題材に多くの作品を多く書いている、塩野七生さんと対談がテレビで流れていたました。

 五木氏が「塩野さん、新聞って読んでます?」と。「読んでますよ」と塩野氏。

 「僕は読むのをやめたんでよ。ニュースを読んでも暗くなる話ばかりだし。で、どう出来る訳でもないでしょう。読む必要ってあるんですかね」
 と言うような会話でした。

 新聞を読んでいる私が言うのも何ですが、この意見を聞いたとき「そうだな」と思ったのです。

 社会の流れや、風潮を知るのは大切な事です。例えば、株価の上昇、下降などが分かっていなかったりすると、経営者の集まりの中で、トンチンカンな事を言ってしまったりします。

 海外からの輸入や輸出に関わる人や、株を持っている人にとっては、最重要事項だと思います。

 しかし私にとって、知ったところで、円高を止める事も出来ないし、それらによる損失を補う事もできない。目を背けたくなるような悲しいニュースを、真正面から読んでみても、私には何も出来ないのです。

 それらが他人事と思っている訳ではありません。全ての情報において、ネガティブな想像をする事に、全く意味がないのではと思ったのです。

 建築家ル・コルビュジエは、ヒューマンスケールを提唱しました。身長を基準とし、黄金比で割って行く、普遍的な尺度「モジュロール」という考えを発表したのです。

 また、宮崎駿は「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」というメッセージを発しています。 

 政治に期待をし、興味を持つことは重要な事です。しかし、それぞれが目の前にある事に精一杯打ち込む事のほうが、何十倍も大切に決まっています。

 大阪を、日本を、世界を良くするのは、自らの手に掛かっているのです。

勤労と安楽と充実

 11月も下旬に入り、徐々に寒さも増して来ました。

 しかし今日は気持ち良い秋晴れです。

 築37年を迎える我が家には、縁側があり雪見障子で仕切られています。

 ここにいつの間にか小さな穴が開き、知らぬ間にのぞけるようになっているのです。

 経緯を聞いても、遊んでいたらなっていたとか、誰々が当たってしまったとか。真相は闇の中。

 すぐに貼り替えようか、とはならない理由もあり、そのままにしていると、妻が補修していました。

 寒さがちょっとはましになるだろうと。貼り替えへ至らない理由は、またの機会に書こうと思います。

 すっかり忘れていましたが、11月は文化祭の季節。

 長男が帽子を作ってきました。この感覚を大人になって持っていたら、ピカソかガウディーだな等と思うのです。

 昨日は勤労感謝の日。この時期になったのは、農業の収穫期というものもあるようです。

 「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」為の祝日とあります。

 依然全国的に失業率も高く、生活保護受給者は過去最高とも。特に大阪市は深刻です。今この理念を、眺めるだけの額にしてはならないと感じます。

 教育、勤労、納税は国民の義務ですが、勤労を義務と考えると、人生は一気に息苦しいものになってしまいます。

 今までで、一番充実していた時間はと問われると、多くの人は、最も苦しかった時期を上げるそうです。安楽は充実を生まないのです。

 そもそも仕事と言うのは大変なものです。だからこそ、仕事となりえ、それをやり遂げた人には感謝と報酬が与えられるのですから。

 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。
 -ジャン=ジャック・ルソー- 哲学者

 人生は恐れを知らぬ冒険か、無のどちらかである。
 -ヘレン・ケラー -

 それをやりにおれが生まれてきた。 そのことだけを考えればよい。
 -アーネスト・ヘミングウェー- 作家

 行動あるのみです。

 勤労という言葉には、労働+真面目さを感じます。さらに、その先の成果は問わないというニュアンスも含まれていると言えば言い過ぎでしょうか。

 勤労を尊ぶ。この考えは、もっと声高らかに謳われるべきだと思うのです。

和の心

 先週の土曜日は、見学会に行っていました。
 
 あいにくの雨だったのですが、個人ではなかなか見れない住宅を見学させて貰ったのです。

 私は社団法人日本建築家協会(JIA)という団体に所属しています。

 その中に、住宅部会という会があり11月勉強会の世話人となっていました。

 何を企画しようか考えた結果、普段はアプローチするのが難しい作品を見てみたいと思ったです。

 お願いしたのが、木原千利先生。

 関西に事務所を構えられて約40年。コンテストの審査員等も務められる建築家で、和の心を追求する作風は、唯一無二の存在なのです。

 快くOK頂いたのは、双葉の家。1992年に竣工した作品です。

 住宅につき、見学の募集人数を30人と限定。部会員の皆さんへ案内を送ると、2日で定員に達しました。

 雨ではありましたが、しっとりとした趣もまた良く、内部も大変良い状態が保たれています。住まい手の愛情も伝わってくる、素晴らしい住宅でした。

 木原先生には、この建物の設計意図、ディティールから建築家としての心構え、また現場の職人との関係まで、2時間以上の時間をかけて丁寧に説明して頂きました。

 参加者は設計を生業とするものばかり。皆が輪になって、その一言一言を聞き漏らすまいと、尊敬の念を持って聞き入る姿は、非常に清々情景でした。
 高台寺の傘亭から、双葉の家の屋根を浮かせるというモチーフのインスピレーションを受けた話。
 
 細く、軽やかに見せたいというのは設計者として永遠のテーマだが、それを実現するには、良い材料で、良い仕事をしないといけない。

 また、何とか一緒に実現したいという職人の仲間をつくらないといけない等々、内容は多岐に渡りました。

 初めて電話した時、非常に柔和な話しにホッとしました。その際に「勉強熱心だね」と言われ「なかなか、本物の和の建築を見る機会がないので、是非お願いしたいです」と応えました。

 すると「私の建築は、和ではないけどね」と少し笑いながら言われたのです。

 伝統的な和の建築を再現するのではなく、自然を慈しむ心、招く心、もてなしの心を具現化しているのだというのが、よくわかりました。

 形式ではなく、追求するのは和の心。とて刺激になり、背筋がピンと伸びた感じです。

日記を書こう

 もう10年程前でしょうか。信州へスキーに行っていました。

 確か白馬乗鞍だったと思います。

 次の日はレースに出る予定で、早く寝るつもりでした。

 ロッジの風呂に入りロビー脇を通ると、住み込みバイトが置いていったのか、沢山の漫画が置いてありました。

 何の気なしに見ていると「パチスロひとり旅」というタイトルに目が止まりました。

 パチンコは学生時代にした事がある程度ですが、何故か気になったのです。手に取って見ると、これが面白い。置いてあった2巻をすぐに読み終えました。

 大阪に帰って調べてみると、ブログのような物があると分かったのです。当時、ブログという言葉があったのかも分かりませんが。

 借金を背負ってしまった原作者はパチスロ(パチンコ店にあるスロット)で稼ぎ、これを返済しようと考えました。しかも旅をしながら。全国のパチンコ店を渡り歩くのです。

 勝った日はホテル、負けた日は車中泊。国取り物語風に、全ての都道府県でプラスにするという副題も掲げられていました。

 勝ち負けの内容と、旅先の風景等をそのサイトで発表していったのです。

 これに目を付けたパチンコ雑誌が、連載を始たのが事の始まりだと思います。

 その頃とサイトを久し振りに見てみました。 

 約600万円あった借金が完済したのかは知りません。

 今でも「何代目○○○」と名乗り、企画は続いているようです。こうなってくると、ビジネスの匂いが強すぎます。

 初期の手作り感のあるページには、何か惹きつけられるものがありました。

 半ばもうどうにでもなれという刹那的な感じと、その自由な生き方にちょっとした憧れがあったのだと思います。

 話の内容はギャンブルメインの旅日記ですが、何かとても身近で正直な感じがしました。いつUPされるか分からないのですが、とても楽しみにしていたのです。

 このサイトが、自分も日記を書いてみたいと思う、直接のきっかけになりました。

 自分の考えを正直に書くのはとても難しいことです。良く思われたくない人など居ないからです。

 さて今日は正直に書けたのか。まあ、自分の考えを書くところが少しだったので大丈夫と思っていますが。

社会見学 in コマツ

 近頃は大人の社会見学が流行っているようです。

 情報誌にも、お菓子、ビール、インスタントラーメンなど、見学可能なところが色々と取り上げられていました。

 大人になってからのほうが感じることが多いかも、コマツの大阪工場「わくわくケンキフェスティバル」というのに行って来ました。

 地下鉄、天満橋で京阪に乗り換えます。

 少し時間があったので、大川の川べりに出ました。

 桜の葉も色づきはじめ。丁度、水陸両用車が通過して行きました。

 コマツ大阪工場は、京阪枚方市駅からバスで15分程の所にあります。

 門をくぐると、初代ブルドーザーが置いてありました。

 重機の運転体験、フリーマーケット、製造ラインの見学などのイベントがあります。

 仮面ライダーショーなどもあり、人出はかなりのもの。

 ピザハット、ケンタッキー、王将などの屋台もあり、特別メニユーで金額は抑え目になっていました。

 一番楽しみにしていたのが、工場見学。

 何か機会がないと来る事がありません。

 ブルドーザー、クレーン車のラインが平行してあり、組み立てて行く順に見て歩けます。

 通常業務の際にも見学できるようで、非常に整理整頓されていました。

 もし見れるなら、通常営業をしている時のほうが面白いかもしれません。

 最後は、クレーンのアームでトンネルが作られていました。

 なかなか粋な演出です。

 お祭りのような屋台が並び、くじ引きがありました。

 そのはずれ商品が、犬の足にコマがついているおもちゃ。

 下の娘が、あれが欲しいと言いだし、昼ごはんは食べず、泣いて泣いて座り込んで抗議するのです。

 そんな事では買わないと突っぱねていたのですが、長男まで買ってやってくれと泣きだし……

 結局はずれ狙いで(滅多に当りなど出ませんが)射止めました。

 この後、梅田に出たのですが、かなり気に入っている様子で、ずっと犬の散歩を満喫していました。おかげで、ほぼ抱っこせずにすんだのです。

 完成一歩手前のクレーンに伝票が貼ってありした。

 納品先がはアメリカ、ロシア、ニュージーランド等々。

 鉄の塊なので、相当な重量があると思います。

 運賃も納期も掛かるでしょうが、ここから輸出されて行くのです。

 物づくりの国、日本の誇りと言っても大げさではないでしょう。

 このイベントには多くの社員が出勤して交通整理、掃除などをしていました。地域の人、取引先、株主に対してのお礼というのが目的ですが、それだけではないと感じました。

 工場の中を歩く大人にしろ、子供にしろ何度も「凄いなあ!」と驚嘆の声を上げます。

 日曜出勤は大変だと思いますが、この声を聞きだけでもこの会社に務めて良かったと思うのではないかと感じたのです。

 大切なのの安楽でなく充足。そう思うのです。

アメリカの旅⑤ <さよならニューヨーク編>

 前日の夜中から書いていた日記をようやく朝の5時にUP。

 7時にグランド・セントラル・ターミナル付近のレンタカーショップへ。友人に借りていたラップトップを返しに行く為です。

 概ねパッキンは済ませておきましたが、結局寝る時間はありませんでした。

 バックパックを背負って、北へ2km程でしょうか。

初日の初めに訪れた、エンパイヤー・ステート・ビル。あっと言う間の5日間でした。

 ミッドタウンにある、普通のショップ。

 微妙にかかっこいいのは何故でしょう。

 クライスラー・ビルのライトアップはとても上品。

 すぐ西にはグランド・セントラル・ターミナルです。

 最上部の彫刻は、まだ見えません。

 友人が車を返し、手続きを済ませた頃、ようやく日が当たり始めました。

 彼へラップトップを返し、これで一通りの用事は終わりました。

 駅の2ブロック西にあるブライアント・パーク。

 ここにはスケートリンクがあり、しかも無料なのです。それを見ながら朝食でも取ろうという事になりました。

 コーヒーとクロワッサンを食べながら、映画監督の友人と最後の最後まで、色々な話をしました。

 その後彼に礼を言い、マンハッタンからバスでジョン・F・ケネディ国際空港に向かったのです。

 現地時間、11月7日(月)1:30pmにニューヨークを発ちました。

 15時間かけて日本時間11月8日(火)の6:30pmに関西国際空港に帰ってきました。

 一つ目の感想は、思った程英語が通用しなかったな、という事。

 勉強もしていないので当たり前と言えば当たり前なのですが、もう少し話せるイメージでした。

 それを友人に言うと「英語の中で、一番嫌いなところから勉強すればいいよ。そこが、一番欠けてるところだから」と。

 なるほど。これはどんな場面にでも通用する名言です。

 旅の本質が、トラブルと自分との対話にあるなら、独りを最良とします。

 しかし今回のシカゴ行きにしろ、ペンシルバニヤ行きにしろ、現地で暮らす友人のサポートなしではありえませんでした。本当に有難いと思います。

 しかし、トラブルと孤独を求めた旅に、自分がもう出られなくなったこと
も改めて認識しました。

 何故なら、それらは多くの時間を要するからです。帰国した次の日に、予定があるようでは無理なのです。これが2つ目の感想です。

 それはとても寂しいのですが、それでもまた出掛けて行きたいと思います。

 独りで、初めて知らない街に降り立つ時。何とも言えない、昂揚感に包まれるからです。

アメリカの旅④ <ペンシルバニヤ・落水荘編>

 この日は、友人とフランク・ロイド・ライト設計の落水荘へ。

 落水荘(Fallingwater)は1936年の作品で、アメリカで一番有名な住宅と言ってよいでしょう。

 しかし場所はペンシルバニヤの片田舎。ニューヨークからは車で行くしかないようです。

 朝一番、グランド・セントラル・ターミナルの1ブロック北東へ。レンタカーショップで待ち合わせました。

 東には、ライト、ミースと並び近代建築の3大巨匠のひとり、ル・コルビュジエが設計に関わった国連本部ビルが見えます。

 車はホンダ。GPSも含めて134$でした。

 準備が終わると、ニューヨーカーはまずはコーヒーです。セルフで1$でした。

 マンハッタンを出てひたすら西へ向かいます。

 まずはルート78、続いてルート81、ルート76……最後は州道381。ひたすら西へ西へ。

 驚いたのが、はねられたシカの多い事。シカも災難ですが、かなりの大きさなので、こちらが安全である保障はありません。

 12:00pmを過ぎ、昼食にダイナーへ。

 日本で言うファミリーレストランのようなものと言っていました。ステーキが15$くらい。日本と同じ様な値段でしょうか。

 ようやく州道にはいり、ぐっと田舎の風景になってきました。

 この時点ですでに3:30pm。予約してあったツアーは3:00pm。最終のツアーは4:00pm。それでもニューヨーカーは焦りません。

 ようやく着いてたのが4:20pm。ゲートに居るおじさんと交渉すると、外観ならOKだろうと。

 折角来たので、門前払いは辛いので、まずは第一関門突破です。

 ここは完全に森の中。アプローチがまた長い。

 焦る気持ちの中、ついに見えてきました。

 日は落ちつつありましたが、ダイナミックなロケーションの中、その住宅は大きく川へ張り出していました。全く期待に違わない迫力でした。

 下にあるのが母屋、上にはゲストハウスがあります。

 丁度外観写真の左側にあるのですが、母屋の裏を通って行きます。この建物が、自然の岩を基礎としているのが良くわかるのです。

 後で何とか入れて貰うことが出来るのですが、召使いの部屋はこの岩の反対側にあります。

 これがなかなかに素晴らしい空間でした。

 ゲストハウスには、最後らしいガイドツアーの一行がいました。

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 大げさに「彼は日本の建築家で、これを見るために日本からやって来た」とか言って友人が交渉してくれるのです。

 何とも、むずむずとした居心地の悪さもありましたが、交渉成功。一緒にゲストハウスの内部に入る事が出来たのです。

 ここも内部撮影は禁止。8:30amにツアーに申し込んでおけば大丈夫なのですが、これは物理的に無理でした。

 石積みのディティール。

 ゲストハウスと母屋を繋ぐ通路の屋根。

 まるで折り紙のように、限りなく繊細です。

 外部照明もライトにより設計されたもの。

 友人がツアーガイドに、出来れば母屋の中も見せてくれないかと更に交渉。

 自分の権限では、改築したキッチンだけで精一杯だと。キッチンに入れて貰うと隣はもうリビングとダイニング。

 結局、リビング・ダイニングにも通して貰い、ほぼ全てを見せてくれたのです。

 最後は個人ガイドのように案内してくれ、とっても気のいいお兄さんでした。

 優しい照明。

 柔らかにつながる内部と外部。

 この家の為に、完全にデザインされた家具。

 面積は大きいのですが、豪邸と言った趣でなく、スケール感がコンパクトで、とても優しいのです。

 何度も補修されたという、大きく張り出したテラスは、流石の迫力でした。

 中央には川へ降りる階段が貫かれており、夏は足を浸しそうです。

 この水平線の強い住宅は、美しく夕焼けに映し出されていました。

 また来る日があるのかないのか。それは分かりませんが、2度3度と振り返りつつここを後にしたのです。

 考えてみれが行きは8時間掛かりました。500km程との予想でしたが、どうも600kmはあったようです。

 帰路は道も分かっているので、6時頃に出て夜中の1時頃着きました。

 友人も帰りは眠そうだったので、私もアメリカでの初ドライブ。国際際免許も取得して行きました。

 マンハッタンに帰り食事をとなったのですが、なかなか開いている店がなく。

 リトルイタリーのはずれの店で遅い夜食。

 パリーニとかいう、生ハムの入ったイタリア風サンドウィッチがとても美味しかったのです。

 この後、友人にラップトップを借りて日本時間11月7日(月)の日記をUPしたのですが、慣れないMacに手こずってしまい、短い文章を書くのに3時間もかかってしまいました。

 翌朝、返却に行くレンタカーショップで落ち合い、ラップトップを返す約束をし、その日は別れたのです。

アメリカの旅③ <シカゴ・ファンズワース邸編>

 前日の11月4日(金)は、遅くまで友人と飲んでいて、宿に帰ったのが明け方5:00am。

 この日はシカゴ行きの予定で、マンハッタンの西にあるニューアーク空港を7:55amに発つ予定。

 朝が早いので、友人が個人タクシーを予約してくれました。

 6:00amにタクシーが迎えに来た時は寝ていました。下で待って貰い、急いで身支度をして出発。

 何とかフライトに間に合いました。

 気を失うように寝て、アナウンスで起きるともうシカゴの上空。

 すぐにシカゴの超高層ビル群が見えてきました。

 シカゴのミッドウェイ空港には、定刻の9:30amに到着。予約してあったタクシー会社へ電話しました。

 ここから余談が長いのですがひと悶着。

 プリペイドの携帯電話を借りて持って行きました。それがなかなか繋がらず、ようや運転手と会えたのが10:00am。

 目的地はミース・ファン・デル・ローエ設計のファンズワース邸。相当に辺鄙な所にあるようで、先に全条件を伝え、所要時間1時間半で50$で交渉して貰っていました。

 しかしいざ乗ると、行先を聞いていないとか、住所を言えだとか。住所を伝えると、GPSに入れても表示が出ない、だからナビゲートしろだとか。まあ文句しか言わないのです。

 こちらも頭に来ていましたが、地図を渡し、ここに行ってくれと放っておいてのです。

 そんなに複雑でない道程ですが、地図をくるくる回しながら見て、全く分からないと嘆いているのです。無視していると、近くに来ていると判断すると(それも間違っているのですが)、曲がれそうな角を1つずつ曲り始めました。

 これでは着かないと思い、ひたすらに嘆く彼を励まし「ここは地図でココ。次の次を曲がって……」などという始末。

 もう最後の道に入っており、徐々に住所表示も近づいているのですが、シットだのファ○クだのと喚いているのです。

 適当な英語で、問題ない、真っ直ぐ行ってくれと更に励ましていると、ようやく到着しました。すると笑顔で、「グッド トリップ マイフレンド!」と。

 ふざけるな、と言いかけましたが、まあこれが旅の醍醐味です。何故か料金は79$でした。

 長いアプローチを歩いて行きます。

 本当に先にあるのかと思う程。

 ファーストコンタクトは東の側面でした。

 軽やかに持ち上げられた、小さな白とガラスの家が見えてきました。

 ミース・ファン・デル・ローエ設計、ファンズワース邸。1950年の作品です。

 webサイトにもあったのですが、ファンズワース邸は現在改修中。

 真正面に黒いビニールに覆われた工事部分。

 向かって左に伸びたトラバーチンのテラスには工事用の赤いコーン。写真的に、ここは切っておきます。

 ファンズワース邸はミースのアメリカにおける、最初で最後の独立住宅でした。

 建物を外部から支える8本のH鋼で、全てが持ち上げられ、限りなく自由なプランになっています。

 テラスも同様に待ちあげられています。

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その他で地面に接しているのは配管スペースのみ。

 快晴の林の中で、まずはディティールをつぶさに見て回ります。

 内部に入り、ガイドをしてくれるツアーでしたが、内部撮影は禁止。

 撮って良いツアーもありますが、今回は時間が合いませんでした。

 正面は南向きで、北側にはキッチンがあります。

 キッチンも至ってシンプル。

 しかし、工事としては大変な精度が要求され、費用は膨大なものになりました。

 クライアントとミースとの間では裁判になった程なのです。

 目の前は湖。

 内部からは開口部によって切り取られた景色が、我が物になるのです。心地よい余韻を残しながら、帰りのタクシーに乗りました。

 行きとは反対に、とってもフレンドリーな運転手はマイク。

 少し時間があったので、シカゴ市内にある、同じくミース設計の集合住宅、レイク・ショア・ドライブ・アパートントへ寄って欲しい、チップは出すと言ったのですが、遠いからと難色を示しました。

 滅多に来ることがないので、食い下がったのですが、私の英語力ではそこまで。ちょっと残念でした。

 6:30pm頃シカゴを発ち、9:30pm頃マンハッタンの西、ラ・ガーディア空港着。

 ニューヨークとシカゴには1時間の時差があり、しかもこの日を境に夏時間から冬時間へ移行したようです。

 何が何だかわからず、何時間掛かったのかもよくわかりません。

 まあ無事に戻れればそれでいいかと。バスに乗り宿に戻ったのが11:00pm頃でした。

 明日はレンタカーでペンシルバニヤまで車で500kmの旅。急いでベットに入ったのです。

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