今週の火曜日、久しぶりに車で現場へ行きました。
模型を持って行くと、大工親子が熱心に見てくれます。
「先に模型を見ていたら、イメージが沸きやすかったかも」と。
実際に作るのは現場の人達。何度か持っていったつもりでしたが……このあたりのケアは、改善の余地ありです。
現地へ向かう途中、段々と田圃が増えてきます。広大な平地と、枯れることのない琵琶湖。
信長もこの地を欲しがった訳です。
この家には冠木門があります。そこに、隠し扉があるのです。
和紙にくるまれた修理歴が収められていました。
天正年間に織田信長が攻め寄せ、門を燃やした。
その後、門を再建、今度は大風で倒れた。
門を直した時期と大工の名前が書かれています。
最後の修理歴は昭和9年。
「信長の野望」というゲームがありました。
ここにあった元城も、そのターゲットとなっていました。信長恐るべしです。門の修理暦が残っているが、家の修理暦は残っていない。
どれ程、門が重要視されていたかも良く分かります。
野望と夢に違いがあるなら、他者との利害でしょうか。
夢の実現は、誰にも迷惑を掛けませんが、野望はそうではない。しかし、真剣勝負であることに変わりはありません。
工事も残すところ1ヶ月になりました。しかし、この現場は雰囲気がいい。
文責:守谷 昌紀
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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
ようやく上棟を迎えた「滋賀の家」。
北に立つ「離れ」にはお母様が居住します。夏の西日が厳しいと聞いていました。
開口部が南西方向を向いているのです。
離れとの関係性を保ちつつ、新たな母屋は、45度振りました。開口部を、真南に向かって開くためです。
更に、西に張り出しがあるため、夏の西日が入らないプランになっています。
冬の日の入は、真西から約30度南によった位置になります。
よって、秋から冬にかけては、夕方になってもさほど光を遮らないのです。
上部は吹抜け。高い位置に、ハイサドを設けています。
これも、庇と合わせ、光をコントロールします。
棟梁が屋根に上がり、下地を張っているところでした。東の木々は、10mを超えているでしょうか。
敷地の緯度が分かれば、太陽の軌跡が分かります。そして、周辺環境を知ることで、自然の恩恵を最大限に引き出すことが出来る。
「幸せとは何か共に考える」
「敷地の特性を最大限引き出す」
この2つが両輪となり、設計は進んで行くのです。
文責:守谷 昌紀
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大阪から現場までは、JRを使って1時間半ほど。朝の大阪駅はごったがえしています。
山科を過ぎたあたりから、景色が開けてきます。琵琶湖の対岸に見えるのは比良山。
天気の良い日は、ちょっとした旅行気分です。
旧家屋の解体も終わり、敷地は大きく開けました。12月3日、地鎮祭が執り行われました。
これだけ開放感のある地鎮祭は、なかなかないものです。宮司の動きもいつもより大き目、に感じるのです。
伸びすぎた草木は、クライアント自身が、チェーンソーで伐採します。これだけ敷地に木々があると、本当に手入れが大変です。
この日で、敷地に訪れたのは11回目。古墳があることを初めて知りました。
由緒をはるかに超え、人類定住の起源にまで迫る土地でした。まだまだ、私の知らないことがありそうです。
土地の紹介はこのくらいにして、次回からは建物について。
文責:守谷 昌紀
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アトリエmの現場日記
1996年、25歳の時に生まれ育った大阪に設計事務所を設立しました。関西を中心に、東京、長野まで、注文住宅、クリニック、別荘、店舗、オフィス、保育園と、直接依頼頂いたクライアントにおよそ100件の作品を持たせて貰いました。 形態も新築、リノベーション、コンバージョンと様々で、 物づくりの現場より面白い所を私は知りません。ダイナミックな現場を、動画を交えてあますところなくお伝えします。