「伊東内科クリニック」-2-敷地

 地下鉄谷町線の野江内代(のえうちんだい)駅から歩いて2分。

 敷地は駅のすぐ東にあります。今回は解体工事があるので、施工会社との打合せに行って来ました。

 大阪市内には、埋蔵文化財包蔵地域に指定されている場所が多くあります。

 遺跡があるかもしれないので、建て主の費用負担で、発掘調査をしなさいといと市が地域を指定するものです。今回は「榎並城跡伝承地」に指定されていました。

 この説明をして、納得してくれるクライアントはまずいません。

 自分が建てる場合でも、当然納得できないと思いますが、まずその事前協議をしないと、建築基準法の審査に入れないのです。今回は基礎の深さが浅かったので、実際の調査は不要。無事建築確認がとれました。

 しかし土地の歴史には大変興味があります。城東区役所のwebサイトにはこうありました。

 「榎並城跡伝承地」
 天文2年(1533年)に三好政長が築いた榎並城は、小さいながら東成郡随一の要衝であった。

 戦国時代の天文17年(1548年)、室町幕府の管領職にあった細川晴元の打倒をめざす家臣の三好長慶は、晴元方に属し榎並城を居城としていた三好政長とその子政勝を攻撃する。

 翌、天文18年6月政長は、城から討って出て、江口で戦死。晴元の軍は敗れ、政勝の拠点榎並城は陥落した。細川晴元は、三好長慶に京都から追われ近江に脱出し、明応2年(1493年)以来続いていた細川家の管領職は事実上終了した。

 現在は、築城の際に水害を被むった三好政長が水火除難のため城内に建てたと言われる野江水神社が近くに立つのみで、この地に城があったことを偲ぶものは何も残っていない。

 野江水(すい)神社まで歩いて1分ほど。戦国の世には城内だったかもしれません。

 そう考えると、やはり調査くらいは……いやいや、この場合こそ、公費を投入すべきでは。

文責:守谷 昌紀
建築家 / 大阪  一級建築士事務所 アトリエm

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