タグ別アーカイブ: 47都道府県制覇

違うことを恐れるな‐1377‐ 

 はじめに告知です。

【Events】
■■■5月14日(日) 1:00pm~3:30pm 丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■■■

 予約不要ですので、気軽にお越しください。

 ゴールデンウィークの旅ですが、 <青森・秋田編><岩手・再び秋田編>とも長くなってしまいました。

 建築と街をまとめて終わりにしたいと思います。

【5月2日(火)】弘前

 青森空港から弘前に向かう県道。

 ポプラが真っすぐ伸びる風景は、北海道をおもわせるものがあります。

 リンゴの木はクネクネと人が踊っているようにも。

 土地土地で、全く景色が変わるものです。

 弘前公園には、前川國男の作品が多くあります。

 前川は、昨年世界遺産に登録されたル・コルビュジエに師事しました。

 日本における、近代建築の第一人者です。

 1976年完成の弘前市立博物館。

 翌年に完成した熊本県立美術館と同じく、赤茶のレンガのみで外観が形成されています。

 このあたりに、前川の潔さを感じるのです。

【5月3日(水)】 大舘(おおだて)

 曲げわっぱで知られる大館。

 秋田の内陸部に位置しますが、秋田杉を使った世界最大級の木造ドームがあります。

 大館樹海ドームは1999年の完成。

 設計者は国立競技場のコンペを、隈研吾と最後まで争った伊東豊雄です。

 餅網を曲げたような構造体が圧巻でした。

 後ろに見える山には、大舘なので「大」の字が。

 これでトリプル「大」とのこと。

【5月4日(木)】盛岡

 盛岡は北上盆地の北部に位置します。

 盛岡市のwebサイトには「望郷の岩手山」とありました。標高2038mの大変美しい山です。

 中心部の商店街で見かけた「北日本銀行大通支店」。

 六本木 久志さんという建築家の作品でした。

 総ガラスブロックは、どうしてもレンゾ・ピアノをイメージしますが、盛岡の透明感とは一致しています。

【5月5日(金)】秋田・大仙(だいせん)

 秋田市は東北の日本海側最大の都市。

 あきたこまちと細麺の稲庭うどんが有名です。

 秋田市街の中心にある秋田県立美術館。

 2012年の完成で、安藤忠雄の設計です。

 正面からは分かりませんが、背面は三角がモチーフとなっています。

 三角形の平面をもつエントランスホールにかかる階段は、それ自体がアートと言える美しさでした。

 ラウンジは水平窓が連なり、直下の水盤が浮遊感をかもしだします。

 ソファに腰掛けると、目線の先には千秋公園の濃い緑が。

 これまで見た安藤建築の中で、最も美しい窓だと感じます。

 堀の向こうに見える旧の県立美術館。

 現在は閉館となっているようですが、非常に面白い造形でした。

 最後は、秋田市と角館市の中間にある大仙市。

 酒どころの大仙市で300年以上続く奥田酒造は、銘酒「千代緑」で知られます。

 造り酒屋の店舗兼住居は1957年完成で、白井晟一の設計。

 大仙市のwebサイトにも紹介されていました。

 通りのある西は閉じ、北に開いているのが分かります。

 西側正面は縦板張りで、格子も縦。

 しかし完成して60年が経ち、老朽化が進んでいるところも見てとれます。

 時間に淘汰されない、また丈夫で長持ちする建築を創り上げることが、そう簡単でないことがよくわかります。

 命はいつか尽き、形あるものは必ず壊れます。しかし街は少しづつ変化をしながら、生き続けるのです。

 盛岡の駅前で、ガソリンスタンドに入りました。

 25歳くらいの女性店員に声をかけると「なまってますねえ~。どちらからですか?」と。

 生まれてこのかた、「なまっている」と言われたことがないので、その店員さんに「そんなになまってますか」と聞いてみました。

 「そうですねえ。私も盛岡郊外の実家に帰ったときは、方言がでるのですが、盛岡で働いているときは、いつも標準語なんです。それとくらべると……」

 新聞のコラムで、「書を捨てよ、街へでよう」と言った、劇作家の寺山修二は弘前出身だと知りました。

 ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲は かくまでにがし 

 彼は47歳で世を去りますが、一生を津軽弁で通したそうです。

 地域の言葉は、教育で身につけたものではありません。

 街と同じく、脈々と受け継がれてきた、まさに生きた文化です。それらの違いをこの目で見たくて旅をするのだとも言えるのです。

 「違うことを恐れるな。簡単に同化するな」

 寺山修二はそう言っている気がするのです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

最後の難関、北東北<岩手・再び秋田編>‐1376‐ 

 前回は、5月2日、3日の青森・秋田編を書きました。

 今回は、岩手そして秋田に戻ります。

【5月4日(木)】

 朝7時に秋田の大舘(おおだて)を発ち、盛岡へ向かいます。

 大舘から東の小阪へ抜け、鹿角(かづの)まで南下する際は東北道にのりました。

 出羽山地と奥羽山脈に挟まれる広大な盆地は、なかなかみることのできない雄大さがあります。

 鹿角八幡平ICで東北道を降り、国道341号線でさらに南下。

 そして八幡平アスピーテラインで奥羽山脈を東へ抜けます。

 標高1600mからの景色は、遠く青森の岩木山を望むことができます。

 両脇にのこる雪壁も3mくらいはあるでしょうか。

 このあたりには東北屈指の名湯が連なります。

 中でも最も高地にあるという、藤七温泉によってきました。

 山頂付近の谷間にあり、秘湯の名にふさわしい雰囲気があります。

 ぶくぶくと源泉が湧き上がってくる泥湯。

 泥パック遊びもあり、子供たちもようやく温泉を楽しむようになりました。

 家族4人で入る混浴の露天風呂は、年齢的にはそろそろ最後でしょう。

 アスピーテラインを抜け、岩手県に入ります。

 青森に岩木山があるように、盛岡には岩手山があります。

 盛岡市内にはいると、中心部の商店街は歩行者天国になっていました。

 盛岡ということで、この日はちょっと奮発して焼肉。

 前沢牛が美味しくないないはずはありません。

 名物の冷麺も含めて、盛岡の夜を堪能したのです。

【5月5日(金)】

この日も早朝に盛岡をでて、秋田へ向かいます。

 46号線を西に向かうのですが、いくつか寄り道を。

 まず乳頭温泉に寄ってきました。

 なぜ乳頭温泉と呼ぶのかなと思っていましたが、まったくの直喩。

 乳頭山の麓にあるから乳頭温泉でした。

 最も有名な鶴の湯は朝10時からだったので、黒湯温泉へ。

 湯治場の趣きを色濃くのこし、茅葺きの自炊棟もあります。

 ここにも混浴露天風呂があったので、家族4人で入ってきました。

 もう、混浴に思い残すことはありません。

 ラムネと温泉卵があれば、子供たちは大満足してくれるのです。

 乳頭温泉を下って、田沢湖のたつこ像へ。

 村娘の辰子が永遠の美しさを願い、お告げ通り夜に泉の水を飲み、大きな龍に姿を変えました。

 今なお美貌を誇る辰子がいるという伝説から、「美」にご利益があるそうです。

 水深423.4m。日本一深い湖でもありますが、神秘的な景色です。

 さらに南下。東北の小京都といわれる角館(かくのだて)にも寄ってきました。

 桜が終わったとはいえ、沢山の観光客が訪れていました。

 そして最後は、秋田市内へ。

 中心部にある千秋公園は久保田城跡の掘が残り、美しい街でした。

 当初は桜が満開と聞いていましたが、それは叶いませんでした。

 それでも約1ヵ月遅れの春を楽しむことができました。

 東北における春の息吹は、長い冬の分だけ力強いものがあります。

 眼下に大阪城を望んだら、この旅も終わりです。

 4日間で青森、弘前、白神産地、大舘、八幡平、盛岡、乳頭温泉、角館、秋田をめぐる旅のルートを描いてみました。

 このルートは妻が考えました。そしていつも言われます。

 「あなたはどこに行きたいというだけで、あとは全部私じゃない」と。

 その通りで、返す言葉もありません。

 しかし、「行きたい」がなければ旅にでることはありません。

 もしこの日記を読んで、旅にでたいと思って貰えたらこれ程嬉しいことはないのです。

 47都道府県制覇の旅は、私なりの日本レポートだとようやくわかりました。

 最後に残ったのは宮城は夏休みに訪れようと思います。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

最後の難関、北東北<青森・秋田編>‐1375‐ 

 娘が生まれて9年。

 家族で47都道府県制覇も、残すところ青森、秋田、岩手、宮城のみとなりました。

 このゴールデンウィークは最後の難関、北東北にやってきました。

【5月2日(火)】

 8:45am伊丹発の便で、青森へ向かいます。

 飛行機が小さいとは聞いていましたがプロペラ機でした。

 飛行機が苦手な私としては、緊張感が5割増しです。

 大川を見下ろし、いざ青森へ。

 青森空港は11℃。やや肌寒く感じますが、何より景色が一変します。

 本州ながら、北海道の景色に近いものがあるでしょうか。

 まず向かったのは弘前城。

 桜祭りが目当てでしたが、残念ながら「散り始め」でした。

 ところどころに、満開の桜もあるのはあるのですが。

 弘前城は改修工事中で天守閣が動かされていました。

 天守閣を曳家で動かしてしまうのが、凄いといえば凄い。

 子供にとっては、お祭りはどこであってもお祭りです。

 弘前にいると、どこからでも見える岩木山。標高1625m、青森県の最高峰です。

 津軽富士の名前通り、とても美しい円錐型をしています。

 こういった景色は、地域の人にとって、心のランドマークになっているのではと想像するのです。

 弘前から、日本海側の国道101号線を南下します。

 この日の宿は、不老ふ死温泉

 日本海に臨む、海辺の一軒宿です。

 海岸沿いから夕日を望む景色は、絶景の露天風呂でした。

【5月3日(水)】

 朝からさらに101号線を南下し、世界遺産の白神山地を目指します。

 白神山地は、青森と秋田の県境あたりに広がります。

 手つかずのブナの原生林が評価され登録に至りました。

 正確に言うと、登録地域の外になりますが、十二湖は気軽に散策が楽しめます。

 中でも青池は噂にたがわぬ美しさでした。

 紺碧とでもいえばよいのか、今まで見たことのない深く鮮やかな青でした。

 見たことのない景色が、まだまだこの日本には沢山あることに感激させられます。

 この日の宿は、大館市のはずれにある温泉宿。

 向かいには、配線を利用したレールバイクというアトラクションがありました。

 線路を走る自転車です。

 これが思いのほか気持ち良かったのです。

 山間部にはちょうど満開の桜も多くありました。

 大阪と比べると、季節を1ヵ月さかのぼったことになります。

 夕食は、大館市内の割烹で秋田名物のきりたんぽ鍋。

 ハタハタ鮨。

 ホヤと、土地の食べ物を十分堪能しました。

 北東北を回り、人の穏やかさ、温かさを感じます。

 このお店も、とても暖かい雰囲気でしたが、ゴールデンウィークで店内は満員。

 明らかにテンパっている感じで、料理がでてくるまでに1時間以上かかりました。

 東北の人は穏やかで温かいからよい。大阪の人はせっかちだから駄目とはならないのが面白いところです。

 人にも、地域にもそれぞれの良さがあるものです。

 北東北の旅。今日は朝から盛岡を目指します。

 続きはまた月曜日に。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
45/47 【】はまだ

北海道

青森 【岩手】 【宮城】 秋田  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

沖縄の旅<後編>‐1353‐

 2月12日(日)沖縄2日目です。

 予報は曇りでしたが、概ね晴れてくれました。

 恩納村のホテルをあとにし、海岸沿いの国道58号線を北上します。

 1時間弱で名護市役所に到着。

 1981年、象設計集団の作品で、日本建築学会作品賞を受賞しています。

 建物まわりには整列されたグリッド状の回廊がめぐらされ、樹々が建物を覆います。

 象設計集団はバナキュラー(土着的)な建築設計で知られ、この名護市庁舎も、沖縄の民家を手本としました。

 その木漏れ日は、極めて優しいのです。

 背面に回ると全く違った表情を見せてくれます。

 強い日差しと相まってか、イスラム圏の建築を思わせます。

 各柱、梁の交点にシーサーが鎮座しています。

 その全てのシーサーは、ひとつとして同じものがありません。

 建築を覆う樹々のなかから、小鳥のさえずりが聞こえてきます。

 建築と自然。相反するものが、廃墟でなく融合している。

 日本の市庁舎の中で、最も美しいものかもしれません。

 名護をあとにし、今度は東海岸を目指します。

 平安座島(へんざじま)の海中道路。

 子供達は海の中を走ると期待していましたが、もちろんそれは無理。

 しかし、海と道が近く運転していても爽快です。

 さらに橋を渡り、浜比嘉島にも立ち寄ってきました。

 近くの港をのぞくと本物の海人に初遭遇。

 昔ながらの民家ばかりではありませんが、それでも沖縄の風土を受け継いだ民家が数多く残っています。

 石敢當(いしがんどう)と読むそうですが、交差点などにおく魔除けだそうです。

 街中でもかなりの頻度で見ました。

 空家問題は、全国的なものですが、沖縄の空家は深く樹々に覆われたものが沢山ありました。

 北海道にも沢山の空家がありましたが、ここまでになるには、かなりの時間がかかるでしょう。

 駐車場に停まっていた車のホイールがちょっと変な感じでした。

 近くでみてみると、錆びきっているものにカバーが付けられていました。

 沖縄は太陽も、潮風も、全てが強く、それらは人工物にダメージを与えるでしょう。

 日本の自然は、欧米の自然に比べると「強い」と言えます。

 高温多湿で、放っておけば空き地は草木が生えてきますが、これはどこでも起こることではありません。

 その日本の中で、沖縄は最も自然の強い地域です。

 沖縄での台風を体験したことはありませんが、その厳しく美しい自然が、建築の形態を受け継がせるのではないかと思うのです。

 一番心に残ったのは、やはり自然の美しさでした。

 人は自然を消費する罪深い生き物です。さらに私の仕事は、人工物を創ることです。

 沖縄の建築にみた、畏敬であったり、敬意を込めた物創りをしたいと思います。

 青い空、澄んだ海、濃い緑のガジュマル、深紅のハイビスカス、赤瓦に白い漆喰。

 初めての沖縄は、思った以上に刺激の多いものでした。

 今度は泳げる季節に来てみたいと思います。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
43/47 【】はまだ

北海道

【青森】 【岩手】 【宮城】 【秋田】  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

沖縄の旅<前編>‐1352‐

 「家族で47都道府県制覇の旅」は昨秋の佐賀長崎以来です。

 家族揃って日本をめぐるのが目的ですが、私が行ったことのない県が1つだけ残っていました。

 それが沖縄です。

 青い空に、赤瓦の屋根。

 そこに鎮座するシーサー。

 全てが初めて目にするものです。

 2月10日(土)10:00amに初めて沖縄に足を踏み入れました。

 私にとって最後の日本です。

 車を借り、那覇市内に向かいました。

 まずは昼食ということで、住宅街にある「す~まぬめ」という沖縄そばの店へ。

 この日の那覇は最高気温が14℃。

 地元の人は寒い寒いといいますが、大阪の朝は3℃。私にとっては十分南国です。

 強い日差しに対して、深い軒がかかっていました。

 もう少し天気が良ければ外で食べたかったところですが、娘が風邪気味で、残念ながら屋内の席に。

 ソーキそば700円、沖縄そば600円、じゅうしい150円(沖縄のかやくごはん)。

 日本で最も古い肉食文化を持つ沖縄ですから、豚、牛とも本当に美味しかったのですが、麺類がこれほど美味しいとは驚きました。

 かつおと豚骨の合わせ出汁とのこと。

子供は正直なもの。

付け合わせのヨモギは無理でしたが、あっと言う間に平らげてしまいました。

 土地の物を食べると、多くのことが分かります。

 その足で、世界遺産の首里城へ。

 首里城は戦争で全て消失しており、初めに再建されたのがこの守礼門です。

 全ての再建が終わり、2000年に世界遺産に登録されました。

 沖縄の文化は、風土、食、衣服をみてもあきらかに独特のものです。

 中でも建築に大きな影響を与えるのは、台風を含むその厳しい自然環境でしょう。

 首里城南西にある、金城町石畳道。

 戦禍を逃れ、500年前から残るものだそうです。

 現在の沖縄では、住宅の多くが鉄筋コンクリートで作られています。その比率は驚く程でした。

 現代の住宅が、重くて頑丈からかい離して行く中、その厳しい自然が逆方向に建築を導いているのです。

 那覇から浦添市の港川にある「外人住宅街」にも立ち寄ってきました。

 戦後すぐに、米軍用に建てられた住宅ですが、1972年の本土復帰とともに、民間の手に渡っていきました。

 コンクリートブロックで出来た住宅のようですが、軒が極めて薄く、非常に軽快な印象です。

 何よりカラフルが似合う街でした。

 宿泊は西海岸にある恩納村のホテル。

 夕食は近くのライブのある居酒屋へ行きました。

 沖縄の1日目は、オリオンビールとともに更けていったのです。

 この旅の相棒は、黄色のビートル。

 飛行機は鮮やかな黄緑。

 外人住宅街には赤いものも。

 日本最南端ですから、自然が美しいのは分かっていましたが、想像を上回る美しさ、カラフルさでした。

 しかしただ手放しで喜んでもよいのだろうかという気持ちもあります。

 もちろんそれは、沖縄を戦争と切り離して語ることはできないからです。

 それは回をあらためて書こうと思っています。

 南北、東西ともに3000kmあるこの国を、隈なくとまでは言わないまでも、一回りするのに46年掛かりました。

 一足先に私が47都道府県を制覇しましたが、多少感慨深いものもあります。

 今、思うのは本当に美しい国だなということです。

 2日目はまた木曜にUPします。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
43/47 【】はまだ

北海道

【青森】 【岩手】 【宮城】 【秋田】  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

雪の延暦寺で宝の山をしる‐1346‐

 先週の寒波で、関西も北部はかなりの積雪があったようです。

 京都のクライアントは「まだ家の周りに雪がありますよ」と。

 それなら近場でも雪があるかなと思い、比叡山まで行ってきました。

01 - コピーのコピー

 入試も終わったので長男に「滑りに行くか」と声をかけると、友達と遊びにいくと。

 娘に聞くと、午前中は塾があると。

 重松清の「ビタミンF」にでてくる、悲哀に満ちた父親になっていないか、かなり怪しいところです。

03 - コピー

 昼過ぎに大阪を出て、午後2時頃に到着しました。

 比叡山延暦寺は、最澄によって創建された天台宗の総本山です。

07 - コピーのコピー

 世界遺産に登録されていますが、そこは娘には関係ありません。

 それで先に雪遊びですが、これだけ楽しんでくれたら来た甲斐があるというものです。

09 - コピーのコピー - コピー

 おきまりの雪だるまですが、納得の一品でした。

30 - コピーのコピー

 延暦寺にはかなり積雪がありました。

10 - コピーのコピー - コピー

 また、山頂だけあってアップダウンがかなり厳しい。

11 - コピーのコピー

 その分、有り難さが増すというものですが。

33 - コピーのコピー

 国宝の根本中堂が工事中だったのは残念でした。

13 - コピーのコピー

 総本堂とあるだけに、荘厳な建築でしたがこれは次回にお預けです。

15 - コピーのコピー

 比叡山は、京都と滋賀の境にあります。

 雪空でしたが、東の眼下には大津の街なみが広がります。

17 - コピーのコピー

 西には京都の市街地が。

 山頂は雪でしたが、京都市内は日が差しているようでした。

19 - コピー

 光を受けて、家々のいらかが金色に輝いています。

 沢木耕太郎の「バーボンストリート」は、私の中のベストワンエッセイです。

 その中に、高倉健の章がありました。

 彼は俳優という仕事を追求するため、度々延暦寺を訪れていました。そして住職にこんな質問をします。

 住職ほどの僧になられたら、京都の夜景をみても心は乱れないのでしょうね。

 すると、いえいえ、そんなことはありません。どれだけ修行をしても、ゆらめく街の灯をみていると、夜の街へ出てみたいといつも思います。人とはそういうものです。

 そんな話だったと思います。

 立派な人、歴史上の偉人を、別格として捉える傾向が日本人は強い気がします。

 これを、元サッカー日本代表監督のオシムは、中村俊輔らとの葛藤を語る際に「スターマニア」という言葉を使いました。

 天台宗の座主をばかにしたり、高倉健が普通の人だと言いたいわけではありません。

 同じ人間なのだから、諦めないと言い続けたいだけなのです。

 天台宗の開祖、最澄は自らの著書をこの言葉ではじめます。

 「一隅(いちぐう)を照らす」

37 - コピーのコピー

 続けて、「此れ即ち国宝なり」。

 社会の一隅に立ち、利己的な心を捨て、世のため人のために良いことを行う人こそが国の宝だと、最澄は言いました。

 そういう人たちに、スポットがあたりにくい世の中になってはいないだろうかと思います。

 華々しく、人前に立つ人だけで世の中はよくならないし、スティーブ・ジョブズは1人だけです。

 むしろ、地道に自分の仕事に打ち込む人こそが、宝なのだと平安時代に最澄は言ったのです。

 また、そういった人材を育てることを、一生のつとめとしました。

 国宝、市宝、社宝、家宝。

 まさに世は宝の山だったのです。

近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

11-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

15-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

16-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

18-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

19-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

23-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

27-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

33-2-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

35-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

37-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

39-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

21 - コピー

 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

23 - コピー

 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

25 - コピー

 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

25 (2) - コピー

 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

27 - コピー

 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

29 - コピー

 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

31 - コピー

 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

33

 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

35 - コピー

 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

36

 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

37 - コピー

 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

39

 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。

食べ物の恨みは怖い、九州編‐1206‐

 前回のUPは木曜日の23:59になってしまいました。

 2005年10月から、欠かさず月木に上げて来たこだわりもあり旅の最後までたどり着けず……

 シルバーウィークの旅は、今回で最終回です。

01

 9月22日(火)の夕方、平戸からすぐ近くの、薄香という漁村に寄りました。

 高倉健の遺作「あなたへ」のロケ地になった所です。

02

 高倉健が、亡き妻の散骨に訪れたのがこの港。

 通りがかったおばさんが「あの船が、健さんがのった船だよ」と教えてくれました。

03

 映画の中にある写真館もそのまま。セットを残してあるのか、本当の名前なのかは分りません。

 昭和の名優、健さんがたたずむシーンを思い出しながら、最後の宿泊地佐世保へ。

04

 夕方、佐世保のホテルに到着。早速カメラを持って街へ出ました。

 ある建物を撮りたいが為に、佐世保に宿を取ったのですが、まさかの改修工事中。

 諦めきれず、周囲をウロウロしていると、品の良い行員が内部を少し案内してくれました。

 それはそれで心に残りますが、返す返すも残念。

05

 仕方ないので、夕食は名物という長崎牛のレモンステーキ。

97

 普段粗食なので、基本、何を食べても美味しいのです。

06

 連休最終日、23日(水)朝の佐世保港。

 ジョギングしていると朝市を見つけました。

09

 地元の市場で魚を見るとテンションが上がります。

 ウマズラハギの大きいこと。

11

 佐世保から、唐津までは40km程。

 のどかな景色の中を1時間程で到着。

13

 「呼子のイカ」が名物だそうですが、イカはやはり鮮度が命。

 更に、さばいてから出すまでの時間を、最短にする努力をしているようです。

15

 ゲソの天ぷらは、胴を食べた後に揚げてくれます。

 魚嫌いの長男も、良く食べました。

16

 最後は、北九州の中心地、小倉へ。

19

 1998年完成の北九州メディアドーム。

 再び、菊竹清訓の設計で、中は競輪場になっています。九州は、本当に良い建築、街が多い。どこに行っても外れ無しという感じです。

 唯一はずれたのが、長崎中華街の中華料理屋でした。

20

 先にも書きましたが、世界遺産登録もあって、観光客でごったがえしています。

 名の知られた店のようで、早めに行きましたが、自由にオーダーしたいなら1時間半待ち。

 「この金額以上のコースを頼むなら、今すぐ案内します」と。

 そのやり方はどうかとも思いましたが、子供もお腹がすいたと言うし、たまにはちょっと贅沢してもと、入ったのです。

21

 ある程度は予想はしていましたが、子供はフカヒレのスープを喜ばず。

 エビチリもカリカリの天ぷらの方が美味しいと。やっぱり「王将の餃子の方が美味しい」という始末。

 ちゃんぽんは評判通り美味しかったのですが。

 微妙な気分で伝票を見ると、飲んでいない生ビールが3杯飲んだことになっており……

 勿論消して貰いましたが、詫びている感じは全く伝わって来ませんでした。

 働いてい居る人は、忙しさでいっぱいなのでしょうが。

22

 一方、長崎港、出島ワープにあるレストランのトルコライスセットは800円。

23

 期待の大小はありますが、娘のオムライスと合わせて、大満足。安くて美味いに勝るものはありません。

 人気観光地になれば、放っておいても人が殺到します。

 しかし、街の風情というものは、季候、建物、人、食べ物と、五感で感じるものです。中でも、人は人に最も影響を受けますし、加えて、食べ物の恨みは怖いのです。しつこいのですが。

 次回は、私が唯一行ったことがない日本、沖縄か。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

42/47 【】は済み
【北海道】
青森  岩手 宮城 秋田 【山形】【福島】
【茨城】 【栃木】 【群馬】 【埼玉】 【千葉】 【東京】 【神奈川】
【新潟県】 【富山】 【石川】 【福井】 【山梨】 【長野】 【岐阜】 【静岡】 【愛知】
【三重】 【滋賀】 【京都】 【大阪】 【兵庫】 【奈良】 【和歌山】
【鳥取】 【島根】 【岡山】 【広島】 【山口】
【徳島】 【香川】 【愛媛】 【高知】
【福岡】 【佐賀】 【長崎】 【熊本】 【大分】 【宮崎】 【鹿児島】
沖縄

坂と信仰の街、長崎‐1205‐

 前回は、グラバー邸に到着したところまで書きました。

 グラバー邸は、今年の7月、世界遺産に登録されたばかり。多くの観光客で賑わっていました。

20 - コピー

 グラバー邸のすぐ下にあるのが大浦天主堂です。

 幕末、主ににフランス人の為に建てられました。長崎を旅して驚くのは、教会の多さです。

 江戸時代から明治初期まで、禁教が続きました。教会は、弾圧、抑圧との戦いの痕跡とも言えるのです。

23 - コピー

 夕食は長崎中華街へ。

 名物はもちろんチャンポンですが、名店らしい店に入りました。

 チャンポンは美味しかったのですが、店員の応対は酷かった。旅と食事についてはまた改めて書こうと思います。

30 - コピー

 翌22日(火)は、軍艦島クルーズでした。

 石炭の需要増加と共に、多くの人たちがこの小さな島に移り住んで来ました。

 最盛期には5000以上が島内に住み、小学校、中学校、映画館、パチンコ屋があったそうです。

 日本初の鉄筋コンクリート造の共同住宅も建築されました。

35 - コピー

 しかし、1974年に閉山し、無人島となります。

33 - コピー

 その廃墟を、私も含め、多くの人が見に訪れるのです。

 愛媛の山奥にある「東洋のマチュピチュ」別子銅山も、全く同じ構図です。

 世界中が産業革命によって、成長、発展の真っ只中に居た時代の痕跡には迫力があります。

 高い賃金を求め、危険を覚悟で、そんな仕事に従事した人達がこれ程多く居た訳です。

40 - コピー

 長崎市内を後にし、北西に約100km。

 平戸までやってきました。

42 - コピー

 平戸ザビエル教会は、平戸を見下ろす山の中腹にあります。

 1549年、フランシスコ・ザビエルがこの地にたどり着いたところから、日本におけるキリスト教は全てが始まりました。

43 - コピー

 この教会は、ザビエルの平戸訪問を記念して1931年に建てられました。

45 - コピー

 地元の信者の方々の好意で、公開されているのですが、本当に美しい教会でした。

 パリのノートルダム寺院、ミラノのドゥオーモなど、教会建築の傑作と言われる建築をいくつか見てきました。

 この教会は日本の、この小さな港町に合った、素晴らしい教会建築でした。

 踏み絵で知られるように、信仰の為に命を掛けた人が多く居たという事実があります。

 長崎を訪れ、それらが現実であったことを、僅かに肌で感じることが出来ました。教会が、悲しく美しいのです。

 人は生きてこそなので、命を賭すことが素晴らしい事だとは思いません。

 しかし、信仰であれ、信念であれ、命を掛けてまで貫きたいことがあるのか………

 ただ美しいと感じた25年前。信仰と信念を感じた今。それが成長であって欲しいと願います。

81

 今日の朝6時に大阪に戻り、バタバタと一日が終わりました。

 まだ、佐世保、北九州が残っているので、こちらは次回UPします。 

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

42/47 【】は済み
【北海道】
青森  岩手 宮城 秋田 【山形】【福島】
【茨城】 【栃木】 【群馬】 【埼玉】 【千葉】 【東京】 【神奈川】
【新潟県】 【富山】 【石川】 【福井】 【山梨】 【長野】 【岐阜】 【静岡】 【愛知】
【三重】 【滋賀】 【京都】 【大阪】 【兵庫】 【奈良】 【和歌山】
【鳥取】 【島根】 【岡山】 【広島】 【山口】
【徳島】 【香川】 【愛媛】 【高知】
【福岡】 【佐賀】 【長崎】 【熊本】 【大分】 【宮崎】 【鹿児島】
沖縄