タグ別アーカイブ: 黒川紀章

自分、骨あるん?‐1779‐ 

 会社のある平野は、堺につぐ規模の環濠都市だったと言われています。

 信長にキリスト教を伝えた宣教師、ルイス・フロイスがその手記に「美しき村」と紹介するくらい豊かな村だったようです。

 商人が力を付け、武士に頼るのではなく、自らの手で村の周りに濠をめぐらせて自衛したのが環濠都市。

 大阪市内なら、遠里小野や喜連などにもその痕跡が残っています。

 3月末まで、大阪歴史博物館で「喜連村史展」なる催しがあると知り、やってきました。

 大阪歴史博物館とNHK大阪を繋ぐ、ガラスの球体エントランス。

 一昨年に亡くなったアルゼンチン出身の建築家、シーザー・ペリの力作です。

 念のため、受付のお姉さんに開催の確認をすると、「現在そのような展示は無かったと思うのですが……」と。

 確かに3月下旬までの開催だったと思うと伝えると、展示フロアに確認してくれました。来年の1月~3月の開催とのこと。

 まさか1年先の告知だとは思わず、年の確認をできていなかったのです。

 何とも情けない話ですが、折角なので辺りを歩きました。 

 館の南面に回ると難波宮跡の案内がありました。

 その脇に、法円坂遺跡の高床式倉庫が再現されていました。

 法円坂遺跡は5世紀後半のもので、16棟の柱跡が見つかっています。

 1棟の大きさが90㎡ですからおよそ30坪。

  当時としては最大級の規模とあります。

  私が注目したのはここ。

  通常の入母屋造りの屋根なら、ここまで棟が張りだすことはありません。

  羽子板ボルトなど無かった時代にここまで跳ねだしているのは、雨を防ぎながら、しっかり換気をすることが、保存状態に大きく影響したからでしょう。

 お金よりも大切な食料を、湿気や害虫から守るために高床式とし、更に極めて風通しのよい空間を求めたのです。

 そう想像しながら見ていると、頭でっかちで、若干安定感を欠くプロポーションも愛おしく見えてくるから不思議です。

 反対に、館の北側に回ると、本町通りを挟んで大阪府警本部庁舎があります。

 完成は2007年12月。設計者の黒川紀章は完成を待たず10月に亡くなっています。

 黒川の実績は言うに及ばずですが、評価が分かれるという事実はあるでしょう。

 どんな仕事であれ、誰もが称賛するという事はありませんが、それは本人が一番理解していたふしがあります。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」

 この言葉を聞いた時、私の黒川への視線も一気に変わりました。


 

 生物用語で「新陳代謝」をさす「メタボリズム」という思想を、具現化したのが中銀カプセルタワービルです。

 1972年の完成ですが、カプセルは取り替えができる、可変性を備えた建築なのです。

 東京の新橋にありますが、すぐそばには師であり、同じ系譜の丹下健三設計の静岡新聞・静岡放送ビルもあります。

 1967年の完成ですが、つい先日こちらのオーナー社長が幾分メディアを賑わせていました。

 ゴシップ記事は嫌いですが、この建築を思い出させてくれたなら、目にしてしまった価値もあるというものです。 

 地下鉄の掲示板に、大阪府警の募集ポスターが張られていました。

 戦後10年、日本復興の入口にある広島平和記念資料館をコンペで勝ち取った丹下健三は、空襲によって母を亡くしています。

 しかし、自らが学生時代を送った広島での作品を足掛かりに、世界的建築家へと登りつめました。

 外野の声など気にすることなく、「共生」という思想を説き続けた黒川紀章。

 まさに気骨の人々です。

 ○○新聞のオーナーや、マル秘接待を受けていた(いたとされる)政治家にこのキャッチコピーを届けます。

 自分、骨あるん?と。

 勿論、平野の商人や、偉大な先人達にそう言われないよう、自分へも問わざるを得ません。

 あれから10年。人は命ある限り何度でも立ち上がれると信じています。

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■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

子供のビデオ-1644‐

 東京や大阪は、中心部まで高速道路でアクセスできます。

 非常に便利ですが、交通渋滞を引き起こす要因にも。

 世界の都市を見ると、幹線道路は郊外までが一般的で、珍しいケースと言われています。

 府道2号(中央環状線)は、一般的には「中環」と呼ばれる幹線道路。

 「外環」(国道170号線)と共に、大阪の中心部をぐるりと囲むように走る、由緒正き幹線道路と言えます。

 「中環」で堺に入ると「大泉緑地」が見えてきました。

 中環を挟んで南にある、「堺市立のびやか健康館」はゴミ焼却場の熱を利用した、健康・スポーツ施設。

 そのフォルムから想像できる通り黒川紀章の設計です。2000年の完成。

 大泉緑地も子供が小さい時には良く来たなと思い、少し立ち寄ってきました。

 色づく樹々に誘われ、小道を進むと園内はまさに極彩色。

 樹々をみるなら最も美しい時期かもしれません。

 平日だったので少な目ではありましたが、食べ物の焼ける匂いが風に鼻に届きます。

 消し炭捨て場がある通り、BBQ可能なエリアがあり、まさに憩いの広場となっているのです。

 さらに歩くと、遊具のあるエリアにでました。

 数組ですが、2歳から4歳くらいの子供を連れた家族が、遊んでいます。

 この大きな滑り台も懐かしい。

 この遊具は、上がり下がりが大人には結構大変で、汗をかきながら付き合ったものです。

 紅葉もまさに盛り。

 この遊具は、いったい何と呼ぶのでしょう。

 昔は前後に動いていた気もするのですが……

 公園もあちこち行ったので、記憶は曖昧ですが。

 小さなブランコがついていたらしい遊具は、カゴの部分が撤去されていました。

 危険回避の観点から、ブランコのない公園が増えたという記事もありました。

 管理する府の立場からすると難しいところだと思います。

 しかしこれだけ広い芝生はなかなか無いので、本当に貴重な公園です。

 実は週末にもう一度、大泉緑地を訪れました。

 帰り道、車から見えたイチョウが、あまりにも美しかったからです。

 夕方だったので少し影がでていましたが、それでも多くの人が、シャッターを切っていました。看板もイチョウですし(笑)

 観光客らしい韓国人の若い女性も、互いに写真を撮りあっていました。

 日本の秋は世界一美しいと言っても、叱られることはないでしょう。

 クライアントと打合せをしていた時、子供が小さい時に撮ったビデオの話になりました。

 「そろそろ整理をしないと」という話になり、夫婦で少し観てみたそうです。

 初めは自分達も若く、子供達も幼く「可愛いね」と言いながら観ていました。

 可愛いのですが、段々とどちらかと言うとプラスではなくマイマスの気分になってきたそうです。

 そして、「次は葬式の時にでも流して貰えばいいか」という話になったそうです。

 お子さんは成人されていますが、ご夫妻とも私と同じような年代です。

 いつも明るくポジティブご夫妻だったので、その感想に若干驚きましたが、理解できる気もしました。

 若い父親、母親の余裕の無さは、観ている自分が一番分かっているはずです。

 子供はただ可愛いでは済まず、立派に、力強くその人生を生き抜いて貰わなければなりません。

 あんなことも出来たんじゃなかっただろうか、こんな言い方なら、最も上手く伝えられたのでは、と色々な場面が蘇ってくるのだと想像します。

 それは、ただ楽しいだけの時間ではないかもしれません。

 人は後悔をする生き物です。だからこそ人類はこれだけの進化を遂げたのだとも思うのですが。

 自分の葬式に、ビデオが流れるのは悪くないかもしれません。ただ、撮ったのは殆ど私なので、私自身の出演は無しです。

 そう考えると、葬式は子供達、子孫へエールを送る場なのかもしれません。

 秋には人生の晩秋を想い、春には青春を思い出します。

 四季は、仮の人生を1年で経験させてくれます。

 台風や地震と共に、恐ろしくも繊細な自然が、日本人のメンタリティに大きく影響を与えているのは間違いないと思うのです。

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『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
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多士済々、週5机寝社長‐1634‐

 日曜日は、夜7時前には家に帰って準備万端です。

 勿論ラグビーワールドカップを観るためです。

 しかし、残念ながらの日本代表の挑戦はここで終わりました。

 南アフリカは非常に強く、日本は田村のキックによる3点のみ。

 しかし、ボディコンタクトのあるスポーツで、日本がここまで勝ち上がってきたことは、素晴らしいの一言につきます。

 「このチームが大好き。負けたことよりもW杯が終わった悔しさがある」というコメントもありました。

 最高レベルにある仲間と、世界の舞台で戦う姿を見せて貰ったことに感謝しかありません。

 次は自分が頑張る番です。

 先週の金曜日、石切にある「ホテルセイリュウ」へ行ってきました。

 石切は東大阪市の東端。

 生駒山の麓にありますが、登りに入った近鉄奈良線が目の前を通ります。

 いつ建ったのかは確認できませんでしたが、2007年に亡くなった黒川紀章設計とのことでした。

 代表作は、中銀カプセルタワービル、ミッドタウンにある新国立美術館。ラグビー日本代表がサモアを撃破した豊田スタジアムも彼の作品です。

 クアラルンプール国際空港などもそうで、世界レベルで活躍した建築家なのです。

 何と言っても、大阪平野を見下ろすロケーションが素晴らしいホテルでした。

 年末で解散が決まっている「盛和塾」ですが、塾生は基本的には各支部に属しています。

 私は縁あって「盛和塾<東大阪>」に所属させて貰いました。

 本体が解散なので勿論支部も解散しますが、形を変えて存続する支部も有ります。

 今後どうするかも含めての、合宿勉強会に参加させて貰いました。

 京セラ、KDDIの創業者である、稲盛和夫塾長の謦咳に触れたく集まった同志でもありますし、12年間所属したので愛着はあります。

 先輩塾生の「解散は『自立せよ』という塾長最後の教えである」という言葉もあり、今後は自分で勉強していくべきかなと考えていました。

 自分の会社であり、自分の人生です。いつまでも誰かが教えてくれるという甘えは捨てなければならないと思っています。

 東大阪塾は規模的にかなり小さいのですが、土地柄もあり、実に多士済々のメンバーが集まっています。

 創業者、2代目、3代目、4代目、メーカーに士業にサービス業。

 中でも、休み以外は殆ど机の上で寝て、風呂だけ家に入りに帰るという塾生も。

 「それは効率悪いよ」という意見もありましたが、その会社はその人が経営者になって、売り上げが4倍になりました。

 同じ能力なら、テンションを維持できれば、沢山働いた方が結果は上です。

 仕事はマラソンなので、体調を崩してはなんにもなりませんが。

 稲盛塾長の教えに「誰にも負けない努力をせよ」があり、私もそうは人に負けないくらい働いてきたつもりでしたが、週5をデスクの上で寝ているとは……

 もう絶句し、何か一回りして皆で大笑いしていました。

 仕事の効率化、余暇の充実が叫ばれ、実際、日本人の労働時間はそう長いほうではなくなっています。

 ただ生き残りたければ、勝ちたければ、誰にも負けないくらい働くしかありません。

 スポーツでトップになろうと思えば、体格なり、運動神経なり、ある程度の素養が必要です。

 しかし、週5机寝さんの結果を見て、改めて仕事に才能は関係ないと思いました。

 決して才能がないという意味ではありませんので。

 「これぞ日本男児」と言えば語弊があるかもしれませんが、色々な国へ行ってみて、粘り強さはやはり日本男児のストロングポイントだと思うのです。

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間合い‐1347‐

 アメリカにトランプ政権が誕生しました。

 近くの同種族とよい関係が築けなかった種は、衰退するのが生物界のことわりです。

 アメリカはどこへ向かっていくのか。

 建築家・黒川紀章は「共生」という思想を提唱しました。

60

 1970年の大阪万博では、タカラ・ビューティリオン、東芝 IHI館等を設計。

 現在、万博公園内にある国立民族博物館も彼の設計です。

 こちらは1977年の開館。

61 - コピーのコピー

 私がみた中では、最も規模の大きな作品でしょうか。

 黒川紀章は2007年に73歳で亡くなりましたが、日本だけでなくヨーロッパ、中東、中国と様々な国で大きなプロジェクトを手がけました。

 20世紀後半から、21世紀初頭にかけて、間違いなく建築界のトップランナーだったのです。

65 - コピー

 コーナー部の処理は独特です。

66 - コピー

 近未来的なデザインは黒川の真骨頂。

70 - コピーのコピー

 中庭はギリシャ風とでも言えばよいのか。

 無国籍とも言えるし、寄せ集めとも言えます。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」という彼のことばがありました。

67 - コピーのコピー

 館内は世界中の民族についての展示があり、かなりボリュームがあります。

68 - コピー

 イースターのモアイ像。

69 - コピーのコピー

 こちらはインドネシアのものだったか。

 しっかり見るなら半日はかかると思います。

 共生とは読んで字のごとくですが、20年ほど前だったか、テレビで黒川紀章とビートたけしが対談している場面がありました。

 黒川がこんなことを言ったと思います。

 「日本人は間合いを大切にしますね。その間合いが分からない人を間抜けと言うんですよ」

 そうと言って、2人で笑っていました。

 物理的な距離感だけでなく、話しかけるタイミング、相槌のタイミング等など。間合いによって、多くの差異がでます。

 戦国時代なら、生死を分けたかもしれません。剣豪・宮本武蔵などは、間合いの取り方が優れていたのでしょう。

 近すぎると動ける範囲が限られる。また、離れすぎると関係性が希薄になっていく。

 共に生きるが、べったりがよいわけでもない。

 これは国と国、人と人においても同じでしょう。

 黒川は共生という思想のなかで、受け入れる、多様性といったことが大切なのではと説きました。

 自国だけ。西側だけ。極東だけ。そういった単純な区分けと、幸せは対になっていない気がします。

 共生と間合い。

 思想家・黒川の言葉を解析するのは難しいのですが、ある種あやふやで、輪郭がはっきりしないものが実社会なのだと思うのです。