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脳は常に新しいを好む‐1378‐ 

 昨日は京都へ行っていました。

 「目には青葉  山ほととぎす 初鰹」の句のとおり、山は青く、ほととぎすも鳴いているでしょう。

 丸善京都本店での相談会に参加したのですが、その前に三条あたりを歩いてきました。

 1590年、豊臣秀吉の命によって石柱の橋に改修されたという三条大橋。

 東から見た景色ですが、東海道五十三次の終点でもあります。

 弥次さんと喜多さんの像があるのはまさに終点の西詰。

 桜の下で涼しげです。

 川床のある景色は京都ならではのもの。

 弥次さん喜多さんの横に、「三条大橋 擬宝珠刀傷跡」という看板がありました。

 「池田屋騒動」のときについたのではとあります。

 南北とも西から2つ目の擬宝珠に、その傷は残っていました。

 南のほうが大きく、皆が触った跡もついています。

 三条大橋から西へ50m程いくと、「池田屋騒動之址」という石碑もあります。

 1864年、尊王攘夷派の長州藩、土佐藩の志士が池田屋に潜伏するところを、新選組が急襲したのが池田屋騒動。

 近藤勇らは池田屋での会合を察知し、謀議中に押し入り、尊王攘夷派の6人の志士が斬死しました。

 この事件で、討幕は1年遅れたとありました。

 新選組の名前を世に知らしめた事件でもありますが、その争いでの刀傷が、三条大橋に残っているのです。

 また新選組と敵対関係にあった坂本龍馬が、海援隊の京都本部を置いていた「酢屋」。

 池田屋の南裏筋にあります。

 「酢屋」は現在も同じ地で材木商を続けており、2階には坂本龍馬のギャラリーが併設されていました。


このあたりは、近くに流れる高瀬川を使い、市内に材木を下す店が沢山あったようです。

 坂本龍馬の新しいもの好きは有名です。

 革靴に袴、そしてピストル。日本初の株式会社に、新婚旅行。

 材木商を営む6代目の店主は、幕府側の目を恐れながらも、新しい時代を龍馬に感じ、協力したのでしょう。

 脳科学者の茂木健一郎は、人の脳は常に新しいものを好む性質を持っているといいます。

 ネオフェリアというそうですが、この才能があったからこそ、人がこれだけの進歩を遂げたともいいます。

 面白いのは、「新しい」は主観的なものだということです。

 三条大橋は今まで何度も渡ったことがありますが、刀傷跡のことは初めて知りました。

 私にとっては「新しい」ことだったので、ワクワクしたのです。

 柳小路に浴衣姿で歩く女性の姿。

 知らない人なので、初めて見た景色とも言えます。

 面白き こともなき世を面白く
 住みなすものは 心なりけり

 同じく幕末に活躍した、長州藩士、高杉晋作の辞世の句です。

 あまりにも有名な句ですが、どんなことも心がけ次第で「新しい」にできそうです。

お祭り男‐1093‐

 9月1日の月曜日。

 夏休みボケしている子供達にとっては、長い1週間になりそうです。反対に、世のお母さんは「やっと終った~」でしょうか。

 土曜日は「柏の家」の雑誌取材で千葉へ。

 家族全員が揃ってのカットはダイニングで撮影。

 ご主人が言う「妻と子供はお祭り好き」の通り、とても楽しそうです。

 お兄ちゃんは5年生。

 半年振りですが、体が急に大きくなりました。

 しかし、いつもニコニコと明るいのは変わりません。

 サービス精神旺盛で、つい周りが気になります。

 カメラマンに「本をみてくれる~」と言われていました。とても可愛いのです。

 自分で飼っている「ウサギも撮って!」とお願いしていました。

 撮影したので、誌面に載るかもしれません。

 作業部屋は、奥さんが趣味の工芸をしたり、数ヶ月に一度お店になるスペース。

 撮影を積極的に手伝ってくれます。

 ロフトにあるサッカーミュージアムはご主人の城。

 更にグレードアップしています。

 レイソルサポーターが柏に建てた家。

 撮影はスムーズに進み、2時間半で終了しました。

 ここ数年続いていた、関東圏の仕事がこれで一旦終了です。

 横浜DeNAの中畑監督。現役時代「お祭り男」と呼ばれていました。

 面白き こともなき世を面白く

住みなすものは 心なりけり

この夏訪れた長州藩士、高杉晋作の辞世の句。

どうせなら、毎日を楽しく過ごすようにしたいものです。

おもしろく

 今週の初め、LECの人から連絡があり、昨日訪問がありました。

 東京リーガルマインド。資格取得の為の総合学校です。

 京都市立芸大を中心とする、芸術系6大学の週就職支援をしているそうで、用件としては、就職案内をして良いかと、オープンデスク(インターンシップ)を受け入れてくれるか、というものでした。

 京都からは少し遠いですが、共に問題なしと答えました。

 事務所には現在も、鳥取から大学院生がやってきて、オープンデスク研修中です。大阪に就職した、同級生に下宿させて貰いながらの参加。

 それだけあって、やる気は溢れる程あって……であれば良いのですが、なかなかそうはいきません。

 迷い、彷徨いが人生ですから、仕方ありません。それでも少しずつ自分の居場所をみつけ、現在は期間をまっとうしようと頑張っています。

 LECの担当者が言うには、1989年当時の18歳人口は186万人。うち4年制大学に進んだのが24.7%。現在は121万人で、49.1%が大学へ。短大を含めると50%を超えているそうです。

 女子大が共学に変わったり、定員も増加傾向で、全入時代に入っていくそうです。大学の意味合いがどんどん変化していくのです。

 明石家さんまは、内弟子時代に師の笑福亭松之助から「どや、さんま。掃除はオモロイか」と問われ「面白くないです」と答えました。

 すると「そやろ。それをどうやったらオモロク出来るか、考えるのがお前の仕事や」と言われたそうです。

 明石家さんまはこのことを、18歳の時に教えて貰えて良かったと言っていました。

 下は高杉晋作の辞世の句、と言われるもの。

 面白き こともなき世を面白く

 住みなすものは 心なりけり

 心、考え方なのです。