ヨハネス・フェルメール。
17世紀のオランダに生まれた、寡作の天才画家という表現で良いでしょう。残された作品は世界で35点前後。
そのうちの6点がやってくるという「フェルメール展」をのぞいてきました。
会場の大阪市立美術館は、動物園の中を通っていましたが、現在は開かれた空間となりました。
天王寺駅から「てんしば」を歩いて5分程。
混んでいるという話もありましたが、夕方の時間帯はそれほどでもありませんでした。
初来日の大作『取り持ち女』がフォーカスされていましたが、このパネルに有る通りです。
やはり、手紙をモチーフとした3作品が圧倒的でした。
1665年頃の『手紙を書く女』。
フェルメールが得意とした、画面左から光が差す構図です。
青、黄色が鮮やかで、椅子の鋲等も極めて緻密に描かれています。
1669年から70年頃に描かれた『手紙を書く婦人と召使い』。
彼は1675年に43歳で亡くなっているので、貴婦人が召使に目配せをしている『恋文』と合わせて、晩年の傑作と言ってよいでしょう。
素人が解説する程野暮なことはありませんが、この時代のオランダには特に興味があります。
光と影を描かせれば世界一と言ってもよいレンブラント。この展覧会にも2作品展示があったフランス・ハルスは、微妙な笑顔を描かせれば右に出るものはいません。
前座扱いできるレベルの画家ではありません。
オランダにはこういった写実主義の系譜が確実に存在します。なぜこの国のこの時代に集中しているのでしょうか。
寡作だったということは、ほぼ売れなかったことになります。
歴史に「もし」はありませんが、現在のような情報化社会なら、フェルメールにおいても不遇な画家人生は無かった気がします。それはゴッホにしても同様です。
素人の私が観ても、明らかに群を抜いているのですから。
先週、電気グルーヴのピエール滝が薬物の使用で逮捕されました。
『Shangri-La』は1997年の3月21日の発売。丁度22年前のことです。
久し振りに聞き直すと、疾走感があり、メロディアスで、刹那的。当時27歳でしたが、その頃の記憶が一気に蘇ってきます。
教授のニックネームもある坂本龍一ですが、販売を自粛する動きを受けて「音楽に罪はない」とコメントしました。
マイケル・ジャクソンが少年を虐待したとするドキュメンタリー映画が上映され、マイケルの音楽を流さないというラジオ局もでてきました。
こういった問題が起った時、事実なら当事者が罪を免れることはありません。
社会的責任を負う為、もしくは回避する為、製作会社は発売中止、作品の回収などをしますが、私も坂本龍一の論調を支持します。
作品は、創り手の手を離れ、誰かの手元に届いたとき、誰かの人生の一部になります。
これを機に、ファンを辞める人もいるだろうし、その作品を手放す人もいると思いますが、それはそれぞれの判断に委ねればよいはずです。
知る機会を簡単に奪う権利を、製作会社は持ちあわせていないと思うし、そんな仕事をする以上、もっと覚悟が必要な気がします。
それが発売し続けることなのか、説明することなのか、アーティストを教育することなのかは分かりませんが。
でないなら、安全に儲かるものだけを売る会社ですと、世間に宣言するべきです。
オランダでは大麻を認めています。フェルメールがそれを求めたかは分かりませんが、万が一そうだったとしても、その絵の美しさが変わることはありません。
薬物の使用は、本当に格好悪いことだと思っているので、許容するという気持ちは全くありません。
しかし、あまりにも短絡的で、自分勝手な判断に見えるのは、私も創り手だからでしょうか。
それでも、やはり作品に罪はないと思うのです。
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