タグ別アーカイブ: 開高健

シンシンの夜は チクチク飲んで ‐1752‐

 市内を流れる川は、護岸をされているものが殆どです。

 平野川に合流し、大阪城あたりで第二寝屋川に注ぐこの今川もそう。

 普段なら、無粋な矢板鋼板が目につきますが、これだけ色があれば全く気になりません。

 むしろ引き立て役かなというくらい。

 桜は春も見事ですが、紅葉もそれに負けていないのです。

 近鉄南大阪線の今川駅から少し西へ行くと、地下鉄田辺駅があります。

 その駅前にある須田画廊で「生誕90年開高健特別展」が9日(水)13時まで催されています。

 1958年に「裸の王様」で芥川賞を受賞した開高健は、天王寺区に生まれました。

 7歳の時に現在の東住吉区北田辺に引っ越してきます。

 その縁で発足した「北田辺開高健の会」がこの展示会を主催しているのです。

開高は1989年に58歳で病没展示しました。

 亡くなる1年前、これまで記録に無かった大阪での講演原稿が発見され、今回展示されています。

 これは「北田辺開高健の会」の世話人を務める、こちらの白髪の方、吉村さんのもとに持ち込まれたものでした。

 1978年11月、母校である天王寺高校での講演の音声も聞くことができました。

 「講演は嫌いだけど、20数年振りに引き受けた」とあり、小、中、高を過ごしたこの北田辺界隈や母校への愛情を感じます。

 開高が暮らした昭和初期の長屋を、実測して復元した模型も展示されていました。

 現在はもうないのですが、吉村さんに聞くと、近鉄北田辺駅のすぐそばだったと教えてくれました。

 近鉄今川駅のひとつ北が北田辺駅です。

 駅のすぐ西側に記念碑がありました。

 「耳の物語」から、昭和13年に北田辺に引っ越してきた行が碑となっていました。

 「耳の物語」は大阪で過ごした青春時代を「音」によってたどる自伝的小説です。

 詳細までは思い出せませんが、面白かったことは覚えています。

 これは私の好みですが、開高健は小説も良いのですが、エッセイは更に素晴らしいと思っているのです。

 吉村さんに聞いた場所を訪ねてみました。

 この昭和初期に建った四軒長屋の向こう側に、先程の模型が建っていたそうです。

 文字で、大人やお酒や遊びを教えて貰った、大好きな作家、開高健がここで暮らしたという景色をしばらく眺めていました。

 すぐ近くの商店街はこの通り。

 まっすぐ南に下った駒川商店街の活気と比べると、寂しい感は否めません。

 開高が作家として成功する前は、壽屋(現サントリー)の宣伝部に在籍していました。

 そこで、コピーライターとしてその才能を開花させます。

 「屋台にハイボールが並ぶまで、書いて、書いて、書きまくる」と言ったように、行動を起こし続ける以外に、持続も反映も無いのです。

 展示にあったパネルは何度か見たことがあるので「どこに保存してあるのですか」と世話役の吉村さんに尋ねてみました。

 母校である大阪市大の倉庫に保管されているそうです。

 そのパネルから一節抜粋してみます。

 シンシンの夜は
 チクチク飲んで

 オレはオレに
 優しくしてやる

 そうすることに
 してある

 チクチクとな
 トリスでナ

(1967年1月 トリスウィスキー広告)

 その事実に、何故か開高健の偉業を強く感じますし、このコピーに哀愁と、優しさと、お酒への愛情を感じるのです。

 私の何かが、母校に保存されるのか……

 ふたつの意味を込めて「まだ、まだ!」と自分に言い聞かせるのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

試合は続行中‐1670‐

 温暖化が進む中での暖冬で、今年のスキー場はどこも大変だったと思います。

 廃業を決めたというニュースもあり、野外こそが大好きな私としては寂しい限り。

 子供達を、年に一度くらいは雪上へと思い蓼科へ来ています。

 この辺りは標高が高いので、雪はしっかりあります。

 むしろ暖冬時の方が賑わうそう。

 標高2240mで、気温は-9℃。大阪から392km。

 子供が小さい頃から、よく来ていたので概ね勝手は分かっています。

 2歳の長男を初めて雪上に連れてきたのも、ここピラタス蓼科スノーリゾートでした。

 13年前のことです。

 2010年、実家で陸上トレーニング中の娘。

 あっという間に10年が経ちました。

 6年前に、「滋賀の家」のクライアントにスノーボードを教えて貰ってから、長男はどちらかと言えばボード派です。

 娘はほぼショートターンが出来るようになりました。

 一番の変化は、娘までがスマホを持っていることでしょうか。

 家族のもめ事はほぼスマホがらみで、難しい時代に入りました。

 それでも、何かしらの答えを出しながら進んで行くしかありません。

 宿は蓼科高原内のペンションを妻が探してきました。

 針葉樹の森に夕日が沈んでいきます。

 八ヶ岳あたりの夕日はとても美しいのです。

 ロフトのような部屋で、天窓からは星が見えます。

 夕食は薪ストーブの前で。

 手作りのコース料理に、子供たちが喜んでいました。

 長男が生まれるまでは、本気で国体を目指していました。シーズンになると毎週のように信州へ向かいます。

 冬季国体のアルペンスキーは「大回転」という種目で争うので、各地である試合にエントリーするのです。

 公式記録はあるのかなと探してみると、1998年(平成10年)1月の国体予選の成績がUPされていました。

 成年男子Bに、27歳の私が居ました。

 国体の出場枠は2~3人ですから8位では全く駄目。

 15/51とあるのは、51人の出走という意味のはずです。27歳の私の名誉の為に(笑)

 1998年の2月頃に、初めて自律神経失調症と診断されたので、その直前の時期です。3年弱を鬱で苦しむことになるので、よく出場していたなと思います。

 この時期は、写真を撮る気力も無かったので、この数字に当時の自分を見るようでした。

 経営を教えて頂いた、京セラの創業者稲盛和夫さんは、「どんなことでも数字で語りなさい」と言われていました。

 数字だけが公平だし、客観的に語れるからです。

 また、数字=お金というケースも良くあります。

 長男が将来の仕事のことを意識しているのだと思いますが、お金のことに関心をもつようになりました。

 お金を稼ぐという意味においては、IT長者と私とでは雲泥の差があるでしょう。

 億単位のお金を掛けて奥さん探しをしている人のことを、私が「格好いいと思わない」と言うと、長男に「お父さんが言っても説得力がない」と言われました。

 それはその通りだと思います。ただ、お金を稼ぐことを人生最大の目標としていないのも正直なところです。

 どんな生き方をしたいかが前で、その後に、評価はついてくるものだと信じています。

 負け惜しみに聞こえるのかもしれませんが、誰が何と言おうと、そこが揺らぐことはありません。

 作家、開高健はこう言っていました。

 金を儲けようとすると逃げていきよる。結果として手にするんならええんヤ。そんなもんより名だ、名を惜しむんヤ。いいか、いい仕事しなくてはいかんゾ。

 思えば、身近な人に仕事観を理解をして貰ったことは無い気がします。

 だからこそ、立派な人はどんな考えを持っているのだろうと本を読み続けるのでしょう。

 ただ夢想家で終わるのか、現実とできるのか。試合は未だ続行中です。

 目標が国体出場から、関西建築家大賞、建築大賞、プリツカー賞、世界遺産へ変わっただけ。

 多分、根っからの競争好きなのだと思います。

■■■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】

■2月3日 『Houzzの特集記事』「阿倍野の長屋」が取り上げられました
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました
■4月1日発売『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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ひと休み、ひと休み‐1614‐

 2019年のお盆休みは8/10(土)~8/18(日)と告知していました。

 私以外の3人は、妻の実家に帰省していたので私は会社合宿としました。

 会社で自炊しながら仕事することをそう呼んでいるだけなのですが「響き」って大事だと思うのです。

 週末は合宿解除で、長男と釣りに出掛けました。

 台風10号が通過したあとで、濁流の吉野川は濃霧に覆われています。

 池原ダムもおびただしい水量を放水中。

 国道169号線も至る所から水が噴き出しており、猛威の爪痕を目の当りにします。

 命あってこそなので無理は禁物ですが。

 水位が高い池原ダムは、湖が一気に大きくなります。

 増減水が激しく、時々によって湖岸の景色が変わることも飽きない理由かもしれません。

 台風後はフレッシュな水が供給される、最上流部と流れ込みが定番です。

 備後筋の最上流=バックウォーターにやってきました。先行するのは一艇だけ。

 普段は投げさせていない、15cmほどある大きなルアーをつけたタックルを渡しました。

 なかなか上手に投げるなと思っていたら……

 ものの5分で、1本目を捕獲。

 40cm弱の元気な魚で、自分なりに考えてやり取りしていました。

 この後、私にもヒットしたのですが、残念ながらバラシてしまい……

 しかし最低限の仕事はこれで終了。肩の荷が下りたのです。

 日も上がり、気温が上がってきたので一度バンガローにやってきました。

 長男の楽しみとしては、食事の比率も大きいはずで、先に夕食の準備をするためです。

 最近、野外では鍋でご飯を炊いているので、米を研いで水につけておきます。

 これで芯が残るリスクはかなり減。

 結局夕方は釣れずで早めに上がり、2人焼肉パーティです。

 食が細いなと思っていましたが、歳と共に大分食べるようになりました。

 喜んで食べてくれたので満足ですが、つい「ご飯はどう?」と聞いてしまいます。

 長男が「普通に美味しいよ」と。

 お誉め言葉なのですが、感謝の押し売りをしてしまいそうになるのをちょっと我慢するのです。

 翌日も、2匹目のドジョウを狙い備後筋のバックウォーターへ。

 この日は二艇の先行者があり、三番目あたりにボートポジションをとりました。

 追ってはきますが残念ながらバイトには至らずでした。

 その後は長男の観光も兼ねて移動。

 隣の川筋の最上流にあるのが坂本ダムですが、オーバーフローした水が爆風とともに落ちてきます。

 なかなかの迫力ですが、涼しくも飛沫が凄いので撮影終わりで退散。

 こちらは同じ川筋、最大の流れ込みツキ谷です。

 虹が掛かっているからと、子供はスマホで撮影。

 しかし魚は釣れず。

 早めの昼ごはんにしました。

 父手製のオニギリも作っていたのですが、カップヌードルカレー味が食べたいと。

 昨日焼いておいたタンのマフィンサンドとで昼食ですが、なかなかカップヌードルカレー味には勝てないのです。

 食後は湖上で昼寝。

 長男もiPhoneで音楽を聴きながら昼寝。

 釣りたいのは釣りたいですが、仕事ではないので楽しければ全てOKです。

 「一休さん」のセリフではありませんが「ひと休み、ひと休み」なのです。

 タカかワシかトンビか。

 山上湖ではトンボも沢山飛んでいました。

 世はアウトドアブームと言います。

 小さい頃から、野球、釣り、スキーと、外で遊ぶのが好きでした。

 今でも休みがあれば野外で過ごしたいと思います。

 芥川賞作家でエッセイの名手、無類の美食家で釣り好き。様々な側面を持つ作家、開高健は著書にこう記しています。

 木のように立ったままで私は頭から腐っていく。部屋の壁が倒れかかってくるように感じられる瞬間がある。

 白い紙が鋼鉄の罠に思えてくる。空白と沈殿で指一本持あげることもできなくなる。指紋で意識が混濁し、萎えきってしまう。そんなときである。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

 -開高健- 『オーパ、オーパ!! 国境の南』より

 開高にとって、私にとっても、野外こそが給油所で、今風に言えばパワースポットなのです。

 彼は大阪市大の出身で、幼少期を東住吉区で過ごしました。4年前に生誕85年の展示会へも行きました。

 私の住む平野区は、もともと東住吉区から分かれた区で、私の戸籍には東住吉区とあったはずです。

 とんでもない輩が東住吉区に住んでいたそうですが、評判を落とすのは止めて欲しいものです。

 前に割り込まれて嬉しい人は居ませんが、そんな人ほど普段はダラダラしているのは間違いありません。

 もう始末に負えない訳で、できる限り視界に入れないよう努力するしかないのです。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送

■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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日本最強の城で、開高の言葉を思う‐1502‐ 

 埼玉県熊谷で41.1℃を上回り、日本最高記録を更新したとありました。

 クーラーがなければ生命の危険さえあるという時代になってしまいました。

 普段の暮らしで我慢する必要はないと思いますが、今回の天災時のように、電気の供給がままならない事もあります。

 夏の光は最小に、冬の光は遮らない。風が流れやすい開口部を切る。建築に関わらせて貰う以上、これらは常に探求していかなければならないと感じます。

 「日本最強の城」というノボリをみつけ、奈良県の高取城址へいってきました。

 山道に入った途端に道が狭くなり「もしや険道か」と一瞬思いましたが、何とか到着。

 高取山(583.9m)の山頂付近にあり、日本最強をうたう山城が高取城です。

 城内は約10,000㎡、周囲約3km。

 広大な城内は、山頂付近の3,000坪にも及びます。

 壺坂口門から、木漏れ日が落ちる山道を500m程登ります。

 山頂付近の3,000坪が全て城。

 急峻な山肌の至るところに石垣が築かれています。

 ただ登るだけで息がきれてきますが、涼し気な景色に救われます。

 山頂付近に近付くと、急に視界が開けてきました。

 やっと天守閣址かと思うと、これは太鼓櫓。

 裏手に回ると東洋のマチュピチュと言われた、別子銅山を思い出します。

 櫓上に登り、振り返るとようやく本丸。

 手前が二の丸で、家臣たちの屋敷があった場所。

 とても見難いのですが、右下に居る人の身長と中央の大木を比べてみて下さい。

 石垣をみて「うわっ」と声を出してしまったのは初めてです。

 正三角形よりきつい角度で、石垣が10m積み上げられていました。

 その景色は圧巻でした。

 左側面から登りますが、標識を持っているのは熊。

 スーパーKなる人を襲う熊が話題になる時代です。ちょっと冗談きついわ、という感じ。

 ちなみに、8m飛ぶ熊撃退スプレーは持っていませんが、2~3m飛ぶ唐辛子スプレーは持ち歩いています。

 非常時にこれで撃退できるかは、普段のイメージトレーニング次第。

 動線を複雑にするため、曲輪が複雑に配置されています。

 14世紀に築城され、明治期までに自然倒壊したそうです。

 現在は木が生い茂っていますが、是非その姿を見たかったもの。

 標高583.9mにある、天守閣跡に到着しました。

 壺坂口門から20分くらい掛かったでしょうか。

 正面の大木裏を恐る恐るのぞいてみると、足がすくむ程の高さです。

 手摺がないこういった景色を、現代人はなかなか体験することができません。

 北には奈良盆地。

 南には吉野の山並みを望みます。

 この上に3層あったという天守閣からの眺めは、いかばかりのものだったのか。

 真っ二つに割れている木が結構ありました。

 落雷によるものでしょうか。

 この山頂部にある広大な本丸で、多くの人が暮らしていたのでしょう。

 井戸跡には、清いとまでは言えませんが、この日照りが続く中、水がにじんでいました。

 難攻不落というか、甲冑を来た武士がたどり着くだけでも大変なこの高取城。

 どうやら先月、NHKの番組で熊本城や大坂城を押さえて「最強の城」と認定されたようです。

 この山奥で、それなりの人とすれ違った理由と、真新しいノボリがあった訳が理解できました。

 石垣の上に古瓦が置かれています。

 足下を見れば石に交じってあちこちに。

 城郭に使われていたものでしょうが、分別解体した訳でもないのに、石垣以外、すべて自然に帰って行くのです。

 改めて、石の強さと、自然素材で作る意味を考えさせられます。

 永遠である必要など全くありません。

 作家・開高健は「河は眠らない」でこんなことを書いていました。要約してみます。

 木が倒れ、朽ち、苔が生え、微生物が繁殖し、バクテリアが増殖し、土を豊かにする、小虫がやってくる。

 小虫を捕まえるためにネズミなんかがやってくる、そのネズミを食べるためにまたワシなんかの鳥もやってくる。

 森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする。全てはつながりあっているんだ。

 風倒木のことを、英語でナースログと言う。森の看護をしているという意味で、自然にとって無駄なものはひとつもない。

 無駄に見えるけど貴重なものは沢山ある。人にとってのナースログとは?

 無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。

 人は分からない中でも、何かしらの決断をしながら生きて行かなければなりません。

 悩んだとき、迷った時は、原理原則に戻る、太古に戻ることにしています。

 自然だけが素晴らしいとか、人こそが素晴らしいというつもりはありません

 無駄をおそれてはいけない。軽蔑してはならない。大阪生まれの作家の言葉に、何か救われる気がするのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「羽曳野の家」放映

■■■『住まいの設計05・06月号』3月20日発売に「羽曳野の家」掲載

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】

■4月1日(日)「トレジャーキッズたかどの保育園」開園
■3月31日「R Grey」満室となりました
 大阪市平野区平野西5-6-24
「さかたファミリー歯科クリニック」7月26日 OPEN
枚方市津田西町1-24-8

【News】
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売に「松虫の長家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載

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前言撤回大いに結構‐1415‐

 今日は朝から打合せにでていました。

 台風前は涼しくなったと思っていましたが、晴れるとまだまだ夏の日差しです。

 それでも草間に彼岸花をみつけました。

 気が付けば彼岸の入り迎えていました。

 現場での木材加工は、即席作業台での仕事になります。

作業台の脚に、丸を3つ組み合わせた加工がしてありましたが、思わず笑ってしまいました。
 

 ただ丸を3つ重ねるだけで、同じイメージが浮かぶことに、ディズニーの凄みを感じます。夢もロマンもない表現ですが。

 しかし、日々を楽しくするのが遊び心です。

 昨日、安室奈美恵が来年での引退を発表しました。

 40歳にして25年のキャリアということは15歳でのデビューになります。

 間違いなく時代を築いたアーティストで、他の○○ラーとは一線を画すべきでしょう。

 また、先週末には女子ゴルフの宮里藍も引退試合を終えました。

 女子メジャー最終戦で、途中まで優勝を狙える位置にいるという報道もありました。

 引退する人のパフォーマンスとは考えられないレベルです。彼女に至ってはまだ32歳。

 引退発表の会見で「100%復帰はない」と発言したそうです。

 本当の意味での引退の理由が、本人以外に分かるはずもありませんが、「休む」では駄目なのだろうかと思うのです。

 全ては努力の賜物だと思いますが、どれだけ歌、ゴルフに打ち込んだとしても、頂点まで登り詰める人はやはり才能もあるはずです。

 松任谷由実は「才能とは母乳のようなもので、出さなければ毒になる」と言っていました。

 それが、必ずしもプロである必要はないのかもしれませんが、その眩しいばかりの才能をはたしてどこで放出するのか。

 いらぬ心配ばかりしてしまうのです。

 作家・開高健がフランスにはこんな言葉があると紹介していました。

 25歳までの女は自分だけを殺す。

 35歳までの女は自分と相手を殺す。

 35歳以後の女は相手だけを殺す。

 35歳から上の女性を敵に回したくて書いているのではありません。もう少し決断を先にすれば違う景色が見えてくると思うのです。

 「スポーツ」の語源は「deportare」。ラテン語で「portare」とは運ぶという意味から仕事を指します。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 また、音楽は文字通り音を楽しむです。

 仕事だからこそ、「楽しむ」と決めることが大切なのだと思います。

 プロレスなら60歳での復帰もありです。前言撤回大いに結構と応援したいと思うのです。

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【Events】

「R Grey」9月からの入居募集開始■
大阪市平野区平野西5-6-24

モデルルームオープン中

「さかたファミリー歯科クリニック」7月26日 OPEN■
枚方市津田西町1-24-8

【News】

■3月25日『大改造!!劇的ビフォーアフター』朝日放送(ABC)「住之江の元長屋」再放映■
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載

『homify』7月21日「白馬の山小屋」掲載
『homify』6月4日「松虫の長屋」掲載
『homify』5月10日「長田の家」掲載
『homify(タイ)』4月25日「加美の家」掲載
『homify(中国)』4月9日「住之江の元長屋」掲載

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おおいなる野外へ‐1396‐

 今日は海の日で祝日。

 今年も恒例の釣り合宿でした。

 奈良の最南端、池原ダムへ。

 長男と釣りにくるのは昨年の海の日以来。実に1年振りです。

 小6と中1では身長も随分違います。大きくなりました。

 暑いのは人も魚も一緒。

 水の冷たい最上流部からチェックします。

 かなり小さくはありますが、狙い通りの1匹を釣り上げました。

 釣りは自然が相手なので、いつも同じとはいきません。

 季節、天気、水温などの情報から、魚の居場所を想像し、釣りなが絞り込んでいきます。

 サイズを測ってリリースするだけですが、自分の仮説が正しかったとき、何とも言えない満足感と、清々しさを感じるのです。

 長男がテニスもしたいと言い出しました。

 高校のとき2、3ヵ月テニス部に属していただけですが、子供の相手くらいなら何とかなります。

 嫌というほど汗をかいて、夏の1日を満喫しました。

 野外好きは小さい時からで、中学生になると電車に乗って遠出するようになります。

 中2の夏、リュックにテントを詰め、釣り道具をもって4人で淡路島へ出掛けました。

 適当な浜にテントを張り、釣ってきた魚を調理し、それなりの食事をつくって2泊くらいしたでしょうか。

 ひもじそうにみえたのか、近所のおばさんが、飲み物や食べ物を差し入れてくれたのです。

 夜はすることもないので、ずっと流れ星を探していました。

 高校1年の夏、兵庫県の香住でテントを張って寝ていると、急に豪雨になりました。

 近くの高級そうなカニ旅館に駆け込み、1人2千円で食堂に雑魚寝させてもらったこともありました。

 翌朝は、少しカニ飯をサービスしてくれたのです。

 社会人2年目だったか、広島の山奥にあるダムがよく釣れると聞き、3人で向かいました。

 スロープから船を下ろして1日釣りをしたのですが、確かによく釣れるのです。

 釣りの最中、岸から半島のように張り出し、平坦な所がある場所を見つけました。

 元々どこかで野宿するつもりだったので、ここに泊まれば、夜も朝もいくらでも釣りができると思い、上陸してテントを張ることにしたのです。

 思う存分釣りを満喫し、食事をつくりビールを飲んで、大の字で寝ていたのですが、深夜に揺り起こされました。

 「いっぱいの目がこっちをみてる」と。

 テントから顔をだしてみると、真っ暗闇の中、無数の獣の目だけがこちらを見ているのです。

 こんなこともあろうかと持参していた「かんしゃく玉」を足下に叩きつけると、夜露に濡れたか蚊の鳴くような音。

 結局、追っ払えたのかも忘れてしまったのですが。

 昨今の熊情報を聞くとゾッとしますが、今こうして生きているので、全て笑い話で思い出です。

 ダラダラとした休日の午後。どんよりとした屋内ほど苦手なものはありません。

 野外へ出かければ何かしら問題が起こり、それなりに解決し、笑い話になり、少しの充実感を得る。間違いなくそうなるのです。

 開高健はこう書きました。

 木のように立ったままで私は頭から腐っていく。

 部屋の壁が倒れかかってくるように感じられる瞬間がある。

 白い紙が鋼鉄の罠に思えてくる。

 空白と沈殿で指一本持あげることもできなくなる。

 指紋で意識が混濁し、萎えきってしまう。

 そんなときである。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

-開高健- 『オーパ、オーパ!! 国境の南』より

 私も感性の錆を落とし、心の澱を洗い流すのが習慣になりました。

 そう、おおいなる野外へ。

人間なんだからナ‐1180‐

 食、自然、ルアーフィッシングをこよなく愛した作家、開高健。

 1930年生まれで、1989年59歳で亡くなりました。今年で生誕85年。幼少期は大阪市東住吉区で過ごしています。

00 - コピー

 現在、西長堀の中央図書館で、生誕85年を記念して「オーパ!世界の旅人 開高健」展が開催されています。

02 - コピー

 「オーパ!」シリーズは、世界の巨大魚を釣り歩く旅行記です。

 雄大な風景を写す為にプロの写真家を、最高美味しく獲物を食する為に、プロの料理人を伴っての旅で、釣りファン以外にも人気のシリーズとなりました。

03 - コピー

 友人で辻調理師専門学校の創設者、辻静雄に料理人を求めたところ、選ばれたのが谷口博之教授。

 展示のほとんどは、「オーパ、オーパ!!」の取材に同行した、谷口教授の物です。

 アラスカで吊り上げたオヒョウの姿造りを、ドアに乗せて食している写真は圧巻です。

05 - コピー

 氏は、開口から釣りの指南も受けました。

07 - コピー

 多くの道具をプレゼントして貰ったそうです。

 開口がこよなく愛した、スウェーデンの釣具メーカー、アブ・ガルシア。

08 - コピー

 ルアーは、ラパラのスウィッシャーでしょうか。

09 - コピー
彼の釣り冒険記は、ブラジル、アラスカ、コスタリカ、カナダと各地にわたります。

 モンゴルで吊り上げた「淡水の女王」イトウの剥製もありました。

11 - コピー

 ヒットルアー、メップスのスピナーが口に付けられています。

 モンゴル釣行は、1986、87年とあったので、亡くなる3年前です。

 この回は、テレビ放送もありました。後にビデオが発売、すぐに購入しましたものです。

21 - コピー

 サントリーの宣伝に使われたこのカットは本当にかっこよかった。いつも憧れの人でした。

 自由な後半生を送る前、1958年、27歳の時に「裸の大様」で芥川賞をとっています。

 この時点では壽屋(現・サントリー)でコピーライターをしていたのです。

28 - コピー

  「人間」らしく
  やりたいナ

 トリスを飲んで
  「人間」らしく
  やりたいナ

 「人間」なんだからナ

 柳原良平の描く「アンクル・トリス」と共に、開口健のコピーは新聞広告飾ります。その広告活動が、1958年毎日産業デザイン賞を受賞。

 広告を、文化にまで高めたと評価されたのです。

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 「オーパ!」シリーズでは、谷口博之教授へ、旅ごとにエプロンへサインをしました。

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 心に通ずる道は 胃を通る

 1986年6月、下北山村大字上池原とありますが、私も愛する池原ダムです。

 「オーパ、オーパ!!」番外編でここを訪れたのです。

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 アメリカ等の、大物ブラックバスで有名な湖を釣り歩いたもの、釣りあげることが出来ず。

 50cmオーバーを求めて、国内の「聖地」にやってきました。その際に、カヌーで案内したのが、ロコアングラー浜松光さんです。

 この方は、1996年私が大物を釣り上げた時、釣り新聞、釣り雑誌に紹介してくれた人です。

1996_08basser3のコピー

 後で知ったのですが、私と開口を繋ぐ唯一の糸で、もっと話を聞いておけば良かったと、歯噛みしたのです。

 開口は、数こそかなり釣り上げましたが、20cmクラスの小物ばかり。落ち込んで帰って行きました。

 20cmクラスなら、うちの娘でも釣り上げます。

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 あの大きな体を丸め、しょぼりと帰る姿を想像すると、ちょっと笑っていまいます。

 幾ら文豪といえ、何でも上手くいく訳ではありません。

 人間なんだからナ。

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 しかしこんな笑顔の50代、そうはいません。

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 人前で、豪快に食うことをためらわない人もそういません。

 木のように立ったままで私は頭から腐っていく。部屋の壁が倒れかかってくるように感じられる瞬間がある。

 白い紙が鋼鉄の罠に思えてくる。空白と沈殿で指一本持あげることもできなくなる。指紋で意識が混濁し、萎えきってしまう。そんなときである。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

 -開高健- 『オーパ、オーパ!! 国境の南』より

 今回の展示で、中学まで住んでいたのが駒川1丁目と知りました。事務所から自転車で10分くらいの所です。

 早朝から釣りをして、早目の昼休憩。

 車のバックシートを倒し、蚊帳を吊るして昼寝。

 全ての喧騒を忘れて眠りに落ちる。これより、幸せな時間を私は知らない。

 だからだ。おおいなる野外へ出ていくのは。

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