タグ別アーカイブ: 銭湯

本が木なら、読書は心の森林浴‐2084‐

昨年の春から、アトリエの移転先を探し始めました。

日曜日は谷町六丁目へ。このエリアは2回目です。

長堀通沿いにある地下鉄の出口をでると、東へ上っているのが分かります。

少し東へ歩くと上町筋にでます。

このあたりが、上町台地の尾根にあたります。

北を見ると、左手に大阪歴史博物館が。

反対に南を見ると、緩やかに下った先には、近鉄の上本町駅周辺のマンションが見えています。

尾根を越えると今度は東に下りだし、玉造に至るのです。

大阪市内の物件をそれなりに見に行きましたが、今回はかなり条件がフィットしています。

ご縁があれば良いのですが……

谷町六丁目駅に戻る途中も、あちこちに段差のある道があります。

そこを下ってみると長屋が残っているエリアがありました。

古いお寺も残っています。

段差と、真っすぐでない道が旧道の雰囲気を醸し出しているのです。

煙突を見つけました。

銭湯です。

しかし、1年と少し前に閉店してしまったようです。

看板も雰囲気十分。

Webサイトで探してみると、かなりいい感じだったので本当に残念です。

駅のすぐそばには、隆祥館書店という本屋さんがありました。

「読書は心の森林浴」という張り紙がありました。

読書とは、人間が築いてきた 「本」という素晴らしい木々の生い茂った世界に入っていくこと、とあります。

本屋さんのポップをSNSとするなら、この張り紙はブログです。

私も画像や短文のSNSよりは、しっかり書けるブログの方が好きです。

隆祥館書店の店主の方は、シンクロナイズドスイミングの日本代表選手でおられたよう。折角なら寄ってくれば良かった……

もしこの近くに越すことになれば、いつでも行けるので、楽しみにとっておきます。

さて、アトリエの移転計画はどうなることか。

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>‐2083‐

1月29日発売の『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載されました。

実務書といった雰囲気ですが、『SUVACO』の編集部からオファーがありました。

普段お世話になっていることもあり、協力させて貰ったのです。良ければ手に取ってみて下さい。

インバウンドの増加も伴い、時々話題に上がる梅田ダンジョン。

「梅田の地下街が迷路のようだ」ということですが、確かに複雑です。

阪急百貨店前のコンコース南端にある階段を降りると、「ホワイティうめだ」に出ます。

ホワイティうめだは、南北にも東西にも長い地下街ですが、南で大阪駅前第4ビル、西で阪神百貨店、阪急百貨店とつながります。

梅田ダンジョンの中で最南端にあたるのが、この大阪駅前第1・2・3・4ビルの地下街です。

コンコース南端の階段を降り、まっすぐ進むのではなく、一本東の東梅田駅のある通路を通るのがお勧めです。

突き当りにある階段が、大阪駅前第4ビルの地下1階と繋がっています。

すぐ脇にある階段を降りると、石垣がある通路が見えてきます。

大阪城に使われた、小豆島の残石で作られたものと説明書きがあります。

この地下街は2層で繋がっており、更にビルの間ではディアモール大阪が交錯しています。

梅田ダンジョンの中でも最難関と言って良いと思います。

石垣は地下2階と覚えておきましょう。

4ビルの地下2階を南に進みます。

地下2階は、飲食店が多いフロアです。

各ビルの間は、地下の渡廊下のような形状で繋がれています。

ちょうどこのあたりだったと思いますが、「梅田壱番湯」という小さな銭湯がありました。

調べてみると、懐かしんでいる人も多く、1990年代の前半に廃業したようです。

私が予備校の時に行ったことは覚えているので1989年には確実にありました。

もう一度くらい行っておけば良かったと、やや悔いが残ります。

3ビルの地下2階は、特に飲食街が多い感じがします。

人気店も多く、ハンバーグの「ぶどう亭」、うどんの「うどん棒」は常に行列。

3ビルから2ビル間には、ディアモール大阪と交錯している景色が見れます。

地下2階で行き来できるのですが、地下1階からは見下ろせるようになっています。

西に繋がる2ビルは、地下にも関わらず、吹き抜けを備えています。

かなり贅沢な空間になっているのです。

3ビルの地下1階に戻ってきました。

シャッターに張り紙がしてあるのが「めん次郎」です。

元は4ビルの地下1階にあったのですが、ここに移転したのを知ったのは2019年でした。

一緒に働いていたお母様が(お母様とは知らなかったのですが)体調をくずされ、現在休業中とありました。

お客さんからの寄せ書きも貼られていたので、私も少しコメントしてきました。

こちらのうどんは本当に美味しいので、お母様の回復と、営業再会を心からお祈りします。

地上に上がると、正面に見えるのが、最北の4ビル、南に3ビルです。

ちょうどこの下に「梅田壱番湯」があったことになります。

振り返って西を見ると、1ビルの向かいにある大阪マルビルの解体が始まっていました。

1976年の完成なので、1970年頃の大阪を象徴する高層ビルだけに、正直寂しいものです。

同窓会でも、会場としてずっと使ってきましたが、これだけユニークな高層ビルはどこにもないと思うからです。返す返すも残念。

1970年から1981年にせかせかと建った大阪駅前ビルと、地下街の美味しい飲食店。これぞ大阪だとおもいます。

梅田ダンジョン最難関エリアにどうぞ遊びに来て下さい。

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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自分の幸せをつくるために、愛をつくるために、本気をだせ‐1985‐

1月に上本町あたりの熊野街道を歩いた際に、こんな貼り紙をみつけました。

立春大吉。

今まであまり意識したことがなかったのですが、厄除けのお札のようです。

古い風習なのかなと思っていたら、新しい住宅にも貼られていました。

少し意識してみると違うものが見えるものです。

今日は天皇誕生日で祝日。

昼から天気が良かったので、少し遠くまで散歩してきました。

すると住宅街の中に、突然巨大な鉄塔が現れました。

近くまで行ってみると、京都タワーくらいあります。

それは言い過ぎですが、30mくらいはありそうです。

NTTか何かの通信施設かなと思い、表に回ってみたのですが分からずじまいでした。

天気が良いからか目線が上にいきます。

高い物つながりで、今度は銭湯の煙突を見つけました。

美人サウナの文字も見えますが、その横に何やら看板が。

声をだせ

力をだせ

明るさをだせ

夢をだせ

やる気をだせ

さあ今日も

自分の幸せをつくるために

愛をつくるために

本気をだせ

あまりに熱の入った言葉だったので、正面側にも回ってみました。

暖簾にはこうありました。

千億の富にもまして

嬉しきはつつがなきくして

生きる身の幸

生きていると色々なことがおこります。

良いことも、そうでないことも。

ただ、いつも本気をだしていなければ、幸せはやってこない。

誰の言葉なのか分かりませんが、街角の哲学者にガツンとやられた感じです。

これこそ、生きる身の幸せ。

今度はタオルをもって、行ってきます。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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変わらぬ真理と、前時代のユーモア‐1781‐ 

 御堂筋はキタとミナミをつなぐ、大阪の目抜き通りです。

 都市計画的にも、この広さの道路が約4kmも伸びるのは珍しいと言われています。

 左に見えるのは難波神社です。

 難波神社のすぐ北にあるのが御堂筋ダイビル。

 元は1964年(昭和39年)に、現マツダの大阪支社として完成しました。竹中工務店の設計施工で、メタリックな外観が竣工当時は更に輝いていたでしょう。

 しかしながら、1階部分にバリケードが見えるように、建て替えが決まっています。

 御堂筋を北上し、本町通りとの交差点に建っているのが竹中工務店本店です。

 こちらは1965年(昭和40年)の完成で、御堂筋ダイビルがいかに尖っていたかが分かります。

 老朽化した建物は、補修をしながら使うか、立て替えることになるのですが、デザインを保存+増築という方法もあります。

 阪急百貨店と梅田阪急オフィスタワーがその例です。

 旧阪急百貨店のデザインを踏襲しながら、高層ビルを載せた感じ。

 フェスティバルホールも、同じような手法でしょう。

 建物が老朽化した後の運命は様々ですが、現在の阪急百貨店やフェスティバルホールにあまりポジティブな印象を受けないのは私だけでしょうか。 

 そんな事を考えていたら、ふとあの建物はどうなったのだろうと思い返しました。

 生野区にある源ヶ橋温泉に訪れたのは2012年の3月。9年前のことです。

 入浴とニューヨークを掛けて建つのが自由の女神像。その上にはシャチホコまで見えます。 

  元は橋があったのでしょう。

 この建物は、銭湯で初めて国の登録文化財に指定されました。

 建物の完成はは1937年(昭和12年)。当時の富豪が建てたもので、格子天井をはじめ、随所に遊びがみられます。

 番台に座る経営者のおばさんに色々教えてもらいました。

 先代が、昭和17年に買い取ったのですが、文化財とは言え、標識を一枚置いていくだけで、何かの指導があったり、補助があったりする訳ではないそう。

 この時代、銭湯は大変……と言っていました。

 この時も他に利用者は居らず、撮影も気持ち良くOKしてくれたのです。

 先程調べてみると、現在は閉館してしまったようです。何とかもう一度行っておけば良かったと悔いが残るのです。

 松本零士が描いた「銀河鉄道999」では、星野哲郎が無料で永遠の命を手に出来るという星を目指して、メーテルと旅をします。

 その結末は、機械人間のビスのひとつになることだったと分かり、命からがら逃げ出すというものだったと思います。

 何歳の時に見たのか忘れましたが、背筋が寒くなった記憶があります。

 と同時に、凄く納得した記憶もあります。そんな話がある訳がないと。

 私達人間もそうですが、永遠などありません。

 形あるものはいつか壊れますし、時間は有限です。だから、精一杯生きられるのです。

 本気でそう思うようになったのは、やはり人生の折り返し点、40歳を過ぎた頃でしょうか。

 もしそれが、少しでも早く分かっていたらと思い、子供達には何度も何度も伝えます。しかしスマホを片手にまさに馬耳東風……

 ただ、私はしつこいのです。嫌われたって平気ですし、馬の耳であろうが、豚の耳であろうが、繰り返し伝えます。

 あ、人を動物に例えるのはご法度でした。人の耳に念仏。人耳西風です。

 変わらぬ真理がある一方、前時代のユーモアって疑ってかかる必要があるのです。


■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

六畳一間、風呂無しアパートから始まった‐1178‐ 

 年末の新聞には、訃報の項があります。

 「国外」のところに、12月23日ジョー・コッカー(歌手)が70歳で亡くなったとありました。

 「愛と青春の旅立ち」の上映は1982年。リアルタイムの記憶はありませんが、主題歌「Up Where We Belong」は、年代を問わない名曲です。

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 エアギターよ永遠に……

 今年の4月末には作家、船戸与一が71歳で亡くなりました。

 1979年のデビュー作「非合法員」から「蛮賊ども」「山猫の夏」「猛き箱舟」、直木賞をとった2000年の「虹の谷の五月 」まで。

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 志水辰夫と共に、彼の冒険小説を何冊も読みました。日本では在りえないような話ばかりですが、兎に角ワクワクしたのです。

 青春期のやりきれなさ、無力感から、現実逃避させてくれたのかもしれません。

 安らかに眠れ、キングオブ非合法。(かっこよくない!)

 6月初め、中高の同級生が、父が69歳で亡くなったとFacebookにUPしていました。

 「○○家は、昭和45年、六畳一間の風呂無しアパートから、我が家は始まった。……」

 父への感謝のメッセージに、お世話になった同級生が多くのコメントを寄せていました。

 そうか、彼の家も風呂無しからスタートだったのか、と。

 我が家のスタートも、同じようなものです。仕事場にしていた土間があった分は広いのですが。

 その六畳一間に両親と私、そして仕事を手伝ってくれた父の従兄弟が暮らしていたそうです。

 現在なら、不法滞在者でも、もう少し良いところに住んでいるかもしれません。

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 母がこんな話をしていました。

 0歳児だった私を銭湯に連れて行った際、湯船の中でウンチをしてしまったそうです。プカプカと浮かぶウンチを急いでタオルで隠したと。

 1歳になる前、風呂有りの四軒長屋の一角に越しました。それで、風呂がなかった記憶はないのですが、それでも長屋。しかし、特に苦労をした記憶はありません。

 たったと40年と言うべきか、40年も昔と言うべきか。これらの景色が、大阪の下街に普通に存在したのです。

 Learn as if you will Live Forever,
 Live as if you will Die Tomorrow.

 永遠に生きるかのように学べ、
 明日死ぬかのように生きろ。

 糸井重里が「ほぼ日」に投稿された言葉として紹介していました。彼は、この相反する2つの言葉は、矛盾するようで矛盾していないのではないか、と書いていました。

 真理とはいつも相反するものを内包しているようです。光と影、男と女、そして生と死。

 人の死は、近しい人へ生の活力を与えるのも事実だと思うのです。

 この事務所も、今年20年目を迎えます。天王寺の4畳のワンルームマンションを借りてから19年が過ぎました。

 仮に70歳まで生きるなら25年。これまでの仕事人生より長い時間があります。それが長いのか、短いのか……

 勿論自分の行き方次第で、どちらにでも成り得るのですが。