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変わる天王寺、西成。ただ、オールのっぺり反対派‐2057‐

近年、変わり続けてきた天王寺エリア。

2011年には「あべのキューズタウン」が開業。あべの筋を挟んだ東側の「あべのハルカス」は2014年にオープンしています。

そして43号線を挟んだ北側に広がるのが「てんしば」です。

2015年10月1日に有料だったエリアを、芝生広場を中心として無料解放しました。

それまでは、有料ゲートの前で将棋をする年配の方が多くいて、下町風情が醸し出されていました。

それが現在の景色はこうです。

店舗も立ち並び、完全におしゃれスポットです。

青々とした芝生は、実は養生中のもの。

遠く西側に通天閣が見えていますが、散水しての手いれ中でした。

実際の芝生広場はこうでした。十分気持ち良いですが。

天然芝は気持ちよいですが、こういったメンテナンスが大変です。

ただ、こういったお金の使われ方なら、多くの人は納得でしょう。とても良い変化だと思います。

これらのエリアに囲まれるように建つのがアポロビルです。

村野藤吾の設計で、竣工は1972年。

近鉄グループと関係が深かった村野は、天王寺に多くの作品を残しています。

間もなくパネル展がはじまるようです。

この界隈にも多くの名作が残りますが、 アポロビルは私が2歳の時に完成しているので、よく映画を見に行きました。

久し振りに写真を撮ってみると何だか違和感が……

その点については、最後に触れてみたいと思います。

アポロビルの前を走る43号線を西に望むと、大きく道が下っているのが分かるでしょうか。

上町台地西端にあたり、このあたりが天王寺区と西成区の境になります。

西に歩いて行くと雰囲気は一変。

まず単純に物が安くなります。ラーメン600円。

日本広しといえども、1泊1500円の宿はそうないはず。

元はドヤ街ですが、現在は海外からのバックパッカー御用達です。

ただ、インバウンドが盛り返してきたので、それ目当てのホテルも多くあります。

着物を貸してくれるのでしょうか。

それで4000円ならやっぱり安い。

このディープ大阪のど真ん中にある駅が阪堺電鉄の新今宮駅。

駅前にもかかわらず、寝転がってリラックスしている人が時々います。

それは見えていないことにしてスルーしましょう。

あいりん地区のシンボルと言えるあいりん労働福祉センターは建て替えが決まっています。

ここが建て替わればかなり印象が変わると思います。

はじめに紹介したアポロビルですが、これは2015年8月に撮った写真です。

てんしばがオープンする直前のタイミングですが、ガラスのカーテンウォールの横、袖壁に和を連想させる模様がデザインされています。

大阪が誇る巨匠、村野お得意の無国籍感が醸し出されるディティールですが、その部分がノッペリとなっていました。

安全の為にそうしたのでしょうか。何だか残念です。

あいりん労働福祉センターの北側に、星野リゾートの「OMO7大阪」もチラと見えていたのですが、何故かあまり写真を撮る気になりませんでした。

安い、汚い、危ない西成が、大きく変わることを、どこか心が拒んでいるのかもしれません。

勝手なこと言いますが、どこもかしこもおしゃれスポットになってしまうと、それこそ町がのっぺりしてしまう気もするのです。

超ディープ大阪は、なかなかに面白いですが、それなりに危険も起こり得ます。

若干緊張感をもって遊びに行って下さい。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

市長はひとりで行くのか、みんなで行くのか‐1197‐

 午前中、橋下市長、松井府知事が、維新の党を離党するという発表がありました。

 一昨日、市長選出馬の意思を固めたと報道があったのは柳本顕大阪市議。

 知っているという程ではないのですが、弟の同級生で、一度事務所へ行ったことがあります。

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 彼は西成区選出。

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 天王寺から少し西に歩き、大阪市大病院を越えると、西成区山王町です。

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 彼の事務所はこの近くにあり、凄いところにあるもんだと、驚いたことを覚えています。

 何が凄いのかは後ほど。

 親族に国会議員が居る議員一家で、ここ山王町で育ったそうです。

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 西成区はあいりん地区に代表されるよう、日雇い労働者も多く住み、大阪の問題を凝縮したエリアとも言えます。

 未だ闇市の名残を残す商店街。

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 路地をのぞくと、大衆劇場が見えました。

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 これらが、娯楽の王様だった時代が、確実に50年前にはあったのです。

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 すぐ東は、あべのキューズモール等の再開発地域に接します。

 それらが出来るまでは、細い路地で山王町まで繋がっていました。路地裏にあった洋食屋は、羊の脳みそのソテーを2000円で食べさせました。

 怪しい雰囲気も加味され、時々通っていたことを思い出します。

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 今も残る飲食店は、三丁目の夕日のセットのよう。

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 戦後70年が経ち、建物の老朽化、管理者の不在も大きな問題です。

 いわゆる「空家法」が施工させるようで、建築業界のチャンスと捉える向きもあります。

 しかし、私の経験で言えば、リノベーションはそんなに簡単なものではありません。

強制されての行動に、幸せの結末はイメージはできないのです。

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 柳本市議の事務所を訪れたのは15年前。

 弟の車で行ったのですが、付近には、艶かしい照明が当てられた女性が、店先に座る店が連なります。

 飛田新地のはずれにあったのです。

 最後の色街と言われるだけ、今でも、ひと時代前の空気が滞留しているのです。

 時期市長となるのは誰か。

 「早く行くなら一人で行け。遠くへ行くならみんなで行け」

 出所は知らないのですが、アフリカの諺という表記もありました。もしそうなら、狩をしていた頃の箴言だと想像できます。

 現市長は遠くまで来たのか、早く来たのかは、正直分りません。次の市長には、大阪を確実に、遠くまで連れていって欲しいと思うのです。

 それには、それぞれの市民が、手本にある仕事を、精一杯やることが、何より大切です。

 他人任せは駄目。これは商いの街、大阪の鉄則ですから。