タグ別アーカイブ: 蜃気楼

蜃気楼とレンブラント考‐1763‐

 年始から、あっという間に2週間がたちました。

 2度目の緊急事態宣言もあり、落ち着かないところもありますが、するべきことを粛々と進めるだけです。

 寒い日が続きましたが、昨日今日と幾分寒さが緩みました。

 建築設計の仕事は、大きく分けると3つの段階があります。

①企画提案から基本設計

②実施設計と見積り調整

③現場監理

 この他に「建築確認申請業務」等もありますが、概ね各プロジェクトは、3つの段階に分散しています。

 ①②はアトリエにて、③は現場へ。

 現場も増えてきたので、2008年から「現場日記」として独立したブログとしたのです。

 車で行く場合も多いのですが、景色的には電車よりも変化があります。

 天満橋から中之島を見返す景色は、水都大阪らしいもの。

 一本西の天神橋筋も目に楽しい通りです。

 関テレ本社とハトのシルエットがなかなかのものでしょうと自画自賛。

 もう少し北へ行けばJR天満駅あたりのガードをくぐります。

 安くて美味しい店が沢山あったなと、若干懐かしい気さえしてくるのです。

 晴れの日ばかりではないので、普段から日記用にパシャパシャ撮るのが習慣になっています。

 その甲斐あってか、年始の東京行きでは蜃気楼を撮影できました。

 広辞苑で蜃気楼を引くとこうあります。

 地表近くの気温が場所によって異なる時、空気の密度の違いによって光線が屈折するため、地上の物体が空中にう案で見えたり、あるいは地面に反射するように見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象。砂漠・海上、その他空気が局部的に、また層をなして、温度差をもつ時などに現れやすい。富山湾で春に見られるのが有名。

 これまでに蜃気楼の写真は、2回UPしていました。

 1回目は2014年9月15日の琵琶湖

 2回目は2019年1月10日の相模湾です。

 どちらも、実際の景色は素晴らしかったのですが、写真でみるといまひとつで……

 今回は、はっきり写っていました。

 千葉側の工場地帯の景色だと思いますが、東京湾はよく蜃気楼が見れるのでしょうか。

 タンカーも完全に浮いており、私的には納得の写真です。

 光と空気の織りなすショーは儚く、美しいものでした。

 『自画像』 1658年

 その日あったこと、あるいは感じたこと考えたことを形に残さなければ、何もなかったことと同じになる。

-レンブラント- 画家

 もしこの日記を書いていなければ、写真を撮る張り合い、メモを取る頻度、もっと言えば全てのことに対する興味まで、全く違ったものになっていたかもしれません。

 そう考えると、オランダ史上最高の画家、レンブラントにも少し胸を張って「それだけはやってます」と言えそうです。

 ただ、日々劇的なことが起こる訳ではないので、日常の風景をどう切り取るかで、何かしらの「論」を書くことは出来ると思っています。

 大切なのはカメラ位置とアングルです。

 小さな説を書くのは小説家。

 建築を創るのが建築家。

 小さな論を勝手に唱えるので、小論家とも言えます。

 何かを誰かに伝えたい、分かち合いたいという気持ちは、おそらく本能ですが、だからと言って、勝手にその能力が向上することはありません。

 レンブラントが極めて美しい光を描けるのは、そのことを誰より分かっていたからだと、その言葉が物語ってます。

 光の画家の作品が中之島の国立国際美術館に来ています。何とか時間を作って訪れたいと思っているのです。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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あなたと越えたい‐1551‐

今日の大阪は曇り空の寒い1日でした。

しかし朝方は7時頃になればかなり明るくなり、季節が進んでいることも感じます。

朝焼けは天気が崩れると言いますが、それでも美しいことに変わりはありません。

冬季休暇の話しに戻りますが、1月4日から6日までは伊豆半島の伊東に滞在していました。

特にこの期間が暖かかったようですが、15℃以上まで上がった日もあり、南国の雰囲気さえ感じます。

ホテルの部屋から、遠く東に望むのは初島。

蜃気楼が見えた日もありました。

中心街には温泉町の風情が残ります。

昭和3年に完成した東海館は、庶民のための温泉宿だったそう。

これが庶民の温泉宿だとするなら、当時の建築がいかに丁寧に創られていたのかを感じるのです。

少し車で走ると、長い竹に飾りつけをしたものを多く見かけました。

先の写真にも写っていますが、新年を祝う地域の風習なのでしょうか。

伊東から伊豆半島の内陸部を南に下ります。

天城山を目指し九十九折の山道を走ると、名産のワサビ畑をところどころに見ることができます。

天城山の雪解け水が、美味しいワサビを育てるのだそう。

確かにあまり辛くなく、食べやすいワサビでした。

今年も「紅白歌合戦」は観ていないのですが、紅組のトリは石川さゆりの「天城越え」だったとありました。

川端康成の代表作「伊豆の踊子」の舞台でもある天城トンネル。

まさにここが天城越えの地です。

正確には天城山隧道といい、明治38年に完成した石積みのトンネルです。

途中まで歩いてみましたが、ちょっと怖くなって戻ってきました。

道中の山道には川端康成のレリーフがあります。

「伊豆の踊子」は、青年が旅の一座にいた幼い踊子に寄せた淡い恋心を描いた小説です。

「雪国」と共に川端康成の代表作。

1968年、日本人初のノーベル文学賞を受賞しますが、ともにトンネルが大きな役割を持っているのが面白いところです。

この珠玉の2作品を「トンネルズ」と言ってしまったら、巨匠にお叱りを受けるでしょうか。

川端はノーベル賞の受賞にあたって「作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、萎縮してしまうんではないかと思っています」と語ったと言います。

また、受賞の理由に「日本の伝統のおかげ」「各国の翻訳者のおかげ」、まな弟子である「三島由紀夫君のおかげ」と語ったそうです。

その三島由紀夫の割腹自殺の2年後、1972年72歳の時に自らも命を絶ってしまうのです。

市井で暮らす私に、文豪の心の底など分からないとも言えますが、僅かに作家としての苦しみも分かる気もします。

『天城越え』 歌:石川さゆり 作詞:吉岡治

 誰かに盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか

(中略)

 あなたと越えたい 天城越え

敦賀から京都に鯖を運んだというのが鯖街道ですが、これらは女性の仕事だったそうです。

その道中、山賊の類に多くの女性が命を奪われたと言います。

天城山隧道の歴史背景は知らないのですが、多かれ少なかれ、そのようなサイドストーリーはあるのだと思います。

日本列島で旅をするということは、山、峠という障壁を越えるということです。

トンネルは非常に重要なものであり、これ程交通が発達した現在より、もっとドラマチックな景色を演出するものだったでしょう。

車、新幹線、飛行機と便利な世の中になりました。

しかし、未だに「天城越え」が紅白のトリを飾ることが理解できる気もするのです。

ただ、殺されるのは御免ですが。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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