タグ別アーカイブ: 沢木耕太郎

難易度大、月をiPhoneで撮ってみる‐2041‐

昨日は、天王寺に出る用事がありました。

昼過ぎ、急に猛烈な雨が降り出しました。

こんな時、阿倍野歩道橋は屋根があるので助かります。

屋根の下から、てんしば越しにミナミの方向を撮ってみました。

雨に煙る、通天閣とミナミのビル群も乙なものです。

その分、今朝は澄み切った青空でした。

見上げると「月見バーガー」の横断幕。

マクドナルドはあまり利用することがなく、季節限定商品だとはじめて知りました。

中秋の名月を迎える9月に発売が始まるそうですが、本国のアメリカでも季節限定商品はあるのでしょうか。

横断幕のはるか上に、下弦の月が見えていました。

月は難易度の高い被写体のひとつです。

メインのカメラは、CANONのEOS 5D Mark ⅡからMark IVに代わりましたが、形を捉えるのにも四苦八苦します。

それが、春先に買い替えたiPhone14ProMaxは、ただシャッターを押すだけで先の写真の通りです。

8月末にも、13年ぶりのスーパーブルームーンが見れるという日がありました。

遅ればせながらUPしてみます。

この日も仕事帰りにiPhoneで撮りました。

これでもなかなかだなと思いましたが、もう数枚撮ると……

何故か正真正銘のスーパーブルームーンに。

トリミングはしていますが、加工は全くしていません。

こちらの気持ちまで伝わるようです。そんなはずはありませんが。

とにもかくにも腕はほぼ関係ありません。

有難いというか、怖ろしいというか……凄い時代になりました。

自分で自分を撮ることはできないので、iPhone14ProMaxの写真だけEOS 5D Mark IVで撮っています。

ちょっとピンボケですが。

「ちょっとピンぼけ」は戦場カメラマンのロバート・キャパの名著。ノルマンディー上陸作戦の写真が、手の震えで不鮮明になった、というのがタイトルの由来です。

少しでも美しい写真を確実に抑えたい、でも時には心の揺れも織り込まれて欲しい。

勝手なことを思いますが、もしキャパが生きていたらiPhoneを使うのでしょうか。

「ちょっとピンぼけ」は最高ですが沢木耕太郎の「キャパ その死」もお勧めです。良ければ秋の夜のお供に。

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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「お客さん」と「消費者」、「お店」と「店舗」‐2012‐

日曜日の朝、空を見上げると少し雰囲気が違いました。

爽やかな春の空から、やや湿り気を帯びたというか……

と思っていたら、やはり今日から梅雨入りのようです。

晴れ間があるうちにと、4月にオープンした門真のアウトレットへ。

鶴見にあったアウトレット、「ブロッサム」は3月に閉館しました。

大阪南部からは、少しだけ遠くなったことになります。

「ららぽーと」が1、3階で、2階が「アウトレットパーク」。

ハイブリッドの大型ショッピングモールとあります。

混雑を覚悟してきましたが、駐車場は問題なく止めることができました。

駐車場はいつも上階派です。

5階から眺めると、丸い大屋根が目立っています。帰って調べると、門真市の環境事業部でした。

これ程大きな敷地には、パナソニックの工場が建っていたようです。

中央には大きな吹き抜けがあり、天井からは自然光がとりこまれています。

2階のアウトレットも、なかなかの人出。

1階には「黒門市場」の提灯が上がっています。

「ブロッサム」には、子供が小さい頃によく行ったので、中央の半屋外の広場は重宝しました。

しかし飲食店は少なかったので、この点は門真のほうが充実しています。

一日掛けて、存分にお金を落とせるようになっている訳です(笑)

私たち夫婦は、不足分の服を購入してすぐに退散。

夜は、娘がクラブで最高の結果を出してくれたので、3人で祝勝会でした。

お好み焼きの「わらい」。

チェーン店でない方が好みですが、喫煙のことだったり、ある程度の距離感が欲しかったりと、家族で行く時はこういった店に頼ってしまいます。

名物の「わらい焼き」と「焼きそば」は本当に美味しいので、金額にも味にも、何の不満もないのですが。

巨大ショッピングモール時代です。

セブンパークス天美がオープンしたのは2021年の秋でした。

オープン当初は、駐車待ちの車列が伸びていましたが、今は落ち着いています。

ここに行く時も、二上山を望む屋上駐車場が好みです。

私が子供の頃、クリスマスなどのプレゼントは近所のおもちゃ屋さんで買って貰いました。

このあたりだったかなと寄ってみると、うっすらと屋号が残っています。

もう無いかなと思っていたので、形があるだけでも嬉しいものです。

作家・沢木耕太郎は、20代の時、香港からイギリスのロンドンまでを乗り合いバスで旅します。

「深夜特急」という小説として発表するのですが、ヨーロッパと、その手前までのユーラシア大陸との違いをこう書いていたはずです。

Make things happen.
⇒自分が行動を起こさないと、何も起こらない。

Something Happens.
⇒勝手に何かが起こる。

個人商店なら何かが起こり、チェーン店なら何も起こらない訳ではないのですが、ニュアンスは近い感じもします。

消費者をマーケティングし、作り上げられたシステムは、最大の売り上げを出し、かつクレームの少ないシステム。その安心感はさすがです。

ただ、買う側は「お客さん」というより「消費者」で、「お店」というより「店舗」といった感じ。

時代はそれを望んでいますし、私も家族を持ち、そういった行動をとることが増えました。

本当に、違いを出せる個人商店を望むのなら、こだわりの親父の店に通い、あのおもちゃ屋さんでプレゼントを買い続けるべきだったのかも、などと思うのです。

私ひとりの消費など、何の足しにもなりませんが、「お店」がなくなっていくのはやはり寂しいものです。

「お」が付いていて欲しいのは、昭和生まれだけなのかもしれませんが……


『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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テロルの決算‐1920‐

静かすぎる夏は……と言っていたら、ようやくセミの音で目が覚めるようになりました。

昨日も暑い一日になりましたが、打合せ終わりで伊丹市の荒牧にあるバラ公園に寄ってみました。

やはり定番は赤。

さすがにこの暑さで、園内は2、3人程度でした。

それでもバラは、この日差しの中でも枯れずに咲いています。

黄色のバラは、花ことばが嫉妬。

斑入りのバラもありました。

金曜日からは、誌面も、Webも安倍元首相が亡くなったニュースで埋め尽くされました。

凶弾に倒れたのですが、その相手が何ともやりきれない。

YouTubeをみて簡単に銃がつくれてしまうこと、逆恨みで簡単に人を殺してしまうこと、そしてその対象が、日本で最も長く首相を務めた人だったこと……

常に明るく前向きにと教えてもらいましたが、やはり何ともやりきれないのです。

全英オープンが開催されてるセントアンドリュースでは半旗が掲げられ、アメリカの「タイム誌」は、次号の表紙を安倍元首相にすると発表もありました。

政治家としての評価は色々なものがあって良いと思いますが、もっと悼んで良い気がします。それを世界が示してくれたのです。

普段、テレビもあまり見ないのですが、コロナ下の社会に入っていく2020年4月7日。安倍首相の会見はリアルタイムで見ました。

その時に書いたのですが、初めてまじまじと顔を拝見しました。

そしてこの人が日本のリーダーであること、一市民としては任せるしか選択肢がないことが良く分かったのです。

選挙の投票より、常に仕事を優先してきましたが、さすがに昨日は投票に行ってきました。

「テロルの決算」は沢木耕太郎が1978年に発表したノンフィクションです。

社会党委員長の浅沼稲次郎を右翼の少年山口二矢が、1960年に刺殺した事件をそれぞれの人物像から描いていく作品です。

どうしてその場面で、2人の人生が交錯するに至ったかが、丁寧に淡々と綴られているのです。

背景があれば良くて、無ければ駄目という話ではありません。テロは決して許すことのできない蛮行です。

しかし、今回のテロを決算する理由も、意味さえも見えてきません。ただ浅はかさだけしか見えてこないのです……

どれだけ悼んでも、命は戻ってきません。最終的には、誰もが自分のできることは何なのかを追求していくしかないのです。

日本で最も長く、その責任を負った安倍晋三元首相に心から哀悼の意を表します。

月さえも半月でその意を表しているように見えるのです。

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
『 建築家・守谷昌紀TV』

2019年 暮れは元気にご挨拶‐1654‐

 30年続いた平成から令和へと元号が変わった2019年。残すところ1日となりました。

 今年最後の日記は、勝手ながら私の1年を振り返ってみます。

1月 憧れのウェーデルン‐1549‐

 2019年の初日の出は、霊峰・御嶽山の麓から望みました。

 長男はボード、娘はスキーの腕を随分上げたなと感心したのです。

2月 運命のルーレット‐1562‐

 久し振りに「サロンのある家」に寄せて貰いました。

 竣工して13年が経ちましたが、こちらのクライアントには、本当に色々な事を教えて貰いました。

 この日も子供にお土産を頂いてしまったのです。

3月 サヨナライチロー‐1573‐

 不世出の天才打者、イチローがついに引退しました

 MLBに居るあいだに、観戦に行けなかったことに悔いが残ります。

 磯崎新が日本人として8人目のプリツカー賞を受賞したのも3月でした。

4月 毎日がスペシャルで記念日‐1574‐

 「さかたファミリー歯科クリニック」が、『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』に掲載されました。

 物創りが私の仕事です。

 そして、本気のクライアントと出会うため、出来上がった作品を発信し続けるのです。

5月 子供は鏡で未来‐1584‐

 娘が小学6年生になり、中学受験をするので旅行はゴールデンウィークまで。

 時々喧嘩もしますが、とても仲がよい兄妹です。

 子供は社会の鏡で、人類の未来。その基本は家庭にあることを肝に銘じておかなければなりません。

6月 私の年輪‐1597‐

 「Ohana」は2009年の竣工です。

 今年も恒例のBBQに呼んで貰いました。

 年輪は冬の成長が遅い部分が濃く見えるもの。

 労苦を伴わない仕事はありません。作品こそが年輪なのです。

7月 取材大好き‐1602‐

 何度も取材を受けて貰っている「回遊できる家」

 それでも奥さんが「上の2人は取材が大好きですし、守谷さんが居なかったらこの家はできていませんから」とまで言っ下さり……

 創り手冥利につきるのです。

 この日の取材は、9月30日発売 の『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』掲載されました。

8月 心の空き地にも水やりを‐1613‐

 20世紀初頭の啓蒙思想家、ジェームス・アレンは言いました。

 心という庭に、美しい花の種を植え、雑草を抜き、水やりをし、手入れをしなければ、花が咲くことも、実がなることもないのだと。

 美しい花の種は、美しい心からしか生まれてこないのです。

9月 ペリ追悼「建築は建築家よりも大切で、都市は建築より大切なもの」‐1625‐

 アルゼンチン生まれの建築家、シーザー・ペリが今年の7月に亡くなりました。享年92歳。

 9月にペリの作品、国立国際美術館で開催された「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」へ行ってきました。

 「都市は建築よりも大切で、建築は建築家よりも大切なのだ」

 当たり前のことを、完全に理解しているからこそ一流なのだと思うのです。

10月 香港・マカオの旅① <摩天楼、スターフェリー編>‐1630‐

 沢木耕太郎の「深夜特急」は、バックパッカーのバイブルと言われます。

 私も沢木ファンで、殆どの作品を読んでいると思います。

 そのスタートの地が、香港。

 若き日の沢木青年が夢中になった街は、期待を裏切りませんでした。

 ② <マカオ、100万ドルの夜景編>③ <美食の都と動乱編>④ <さよなら香港、人と街と建物編>と、4回に分けてUPしました。

 I・M・ペイ設計の「中國銀行ビル」がひときわ美しかった香港。平静が戻ることを心から願います。

11月 地獄からの復活-1640‐

 近年、マツダのデザインが随分良くなったなと思っていました。

 「モノ造り革新」を推進、成功させた金井元会長は、当時どん底だった社内には「どうせ」という負け犬根性が蔓延していたと言います。

 そこで鼓舞するのです。

 弱者でも誇りは高くあれ

 少し手を加えさせて貰い「弱者こそ誇り高くあれ」だと書きました。

12月 お目が高い!‐1645‐

 houzzという建築の専門家紹介サイトで、「中庭のある無垢な珪藻土の家」のキッチンが、日本で5番目に多く保存されたということでした。

 特別なことをした訳ではないですが、地道に綿密にクライアントと創り上げたキッチンが選ばれたことがとても嬉しいのです。

 見る人は、必ず見てくれていると、自信になるのです。

 2019年の2月。10年務めてくれた田辺さんが産休に入りました。

 出産の前日まで仕事を務め上げてくれ、できる限りのことをしてくれ、本当に感謝しかありません。

 新入社員も数名採用しましたが、最も長く勤めてくれた女性で3ヵ月。1ヵ月未満の人も数人居ました。

 多くのオファーを頂き、それに何とかお応えするために、設計・監理に関しては私一人で全ての仕事を担当させて貰いました。

 チームを構成できなかったことは、自分の未熟さ故と反省しています。

 しかし、私が何かを譲歩して迎え入れることもないのだろうなとも思います。

 そんなことがこの時代に成立するのかしないのか、真剣勝負はこれからも続きます。

 ある同業の方が「日記、時々拝見しています。守谷さんの頭の固さがよくでていますよ」と。

 決して悪意ではなく、良い意味でとのことでした(笑)

 今年の状況は、ある程度予想出来ていたので、個人としての標語は以下のように決めていました。

 時間は命、全ての瞬間を全力で

 これを完全にできたということは、勿論ありません。ただ、気持ちとしては1年間持ち続けてきたつもりです。

 来年も、全く同じ気持ちで望むほかありません。「運命は勇者に微笑む」というジェフリー・アーチャーの言葉を信じて……

 今年もこの日記、そして現場日記にお付き合い頂き、誠に有難うございました。

 皆様にとって、2020年も素晴らしい一年となりますことを確信しています。

2019年12月30日 守谷昌紀

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出

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【News】

『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

香港・マカオの旅① <摩天楼、スターフェリー編>‐1630‐

 先程、香港から戻りました。

 会社に戻ると、義妹と偶然会い「台風で、関東、東北地方は大変でした」と聞きました。

 日本を離れていたので、まだ状況を把握できていませんが、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

 今回も多くの河川が決壊したとのことで、是非ライフジャケットを各家庭に常備して貰いたいと思っているのです。

 金曜日の朝4時まで仕事をし、5時に家を出ました。

 子供達とは、2、3日顔を会わせておらずで、バタバタと空港へ向かいました。

 朝まで働くのが良い事だとは思いませんが、仕事があるうちが華です。

 関空を9時に飛び立つと、泥のように眠っていました。

 機内アナウンスで目を覚ますと、眼下に香港が見えてきましたが、いきなり度肝を抜かれました。

 ヨーロッパの市街地に建つマンションは、中庭を囲むような配置になっていますが、その高層マンション版と言えばよいでしょうか。

 しかもそれが林立しているのです。

 ニューヨークのマンハッタンを遥かに凌ぐ規模?

 フライトチケットやホテルの予約は妻任せで、ろくに下調べもせずにやって来たので尚更です。

 香港国際空港に降り立ちました。

 香港という国?中国?それも分からずですが、まずは市街地に向かいます。

 無料シャトルバスがあると聞いており、ホテルのあるモンコックを目指します。

 何処で降りるかがあまり分かっておらずでしたが、モンコックと地名がつけば良いだろうとバスを降りました。

 持ってきたガイドブックの地図を出してさあ調べようと思うと、これが全く読めない。

 視力は今でも1.2あるのですが、思いのほか老眼が進んでおり、文字が小さすぎるのです。

 これは弱ったと思いましたが、一人旅で時間だけは余る程あります。ウロウロと歩き出しました。

 ホテルは中心街だと聞いていましたが、家電を売っていたり、金物を売っていたりで、問屋街のような感じもします。

 あまり治安も良さそうな感じはなく、若干不安になってきます。

 と思っていたら、食品を売る店もでてきました。

 どこの国の人も腹が減れば何か食べる。人はそんなに変わりません。

 昼も過ぎていたので、小汚い店(失礼)で何かしらの麺を頼みました。

 香草と生姜の効いた、優しいお味でした。ホルモン?はなかなかいけましたが。

 日本のラーメンを知っていて、海外でそれより美味しい麺を期待するほうが無理というものです。

 ただ、思ったより暑く、ベトナムあたりと同じような食文化があるのかもしれません。

 再度歩き出すと、やや近代的な街並みが見えてきて、ようやく自分の居場所が分かりました。

 香港は大きく分けて、中国本土とつながる「九龍(カオルーン)」エリアと、南に海峡を挟んである「香港島」エリアに分かれます。

 現在、香港では各地でデモがくり広げられていますが、モンコックもそのひとつになっています。

 モンコックから南の香港島に向かって真っすぐ伸びるメインストリートが「ネイザンロード」です。それが分かり、ようやくホテルにチェックインしました。

 受付の女性に「この地図、無料ですか?」と聞くと、

  Three? 

 と聞き返されてしまいました。

 地図は3部も要りませんが、口が日本語モードで、下唇をかんでの”エフ” の発音ができていなかったようです。

 ここで、コミュニケーションも海外モードに切り替え、早速街へ。

 何も知らないとはいえ、香港にノーマン・フォスター、I・M・ペイシーザー・ペリの建物があることは何となく知っています。

 妻に付箋だけは貼っておいて貰いました。地下鉄で海峡を越えて香港島へ。

 イギリスでは「サー」の称号も持つフォスターに敬意をこめて、まずは「香港上海銀行ビル(1986年)」へ。

 ただ、目はすぐに隣の隣にあるペイの「中國銀行ビル(1990年)」へ行きます。

 こちらも建築書で何度も見ていましたが、写真とは全く違う美しさです。

 極めて単純なフォルムが、圧倒的な存在感を放っていました。

 香港島に居る時、どこにいても目印にしていました。こういった建築が本当のランドマークだと納得したのです。

 このエリアで最も高い、ペリの「国際金融センター(2005年)」もすぐ北にあります。

 香港島の高層ビル群の南には「ビクトリアピーク」という小高い山があります。

「ピークトラム」はその急こう配をかなりのスピードで真っすぐに駆け登って行きます。

 下りは、下手なジェットコースターより余程怖いと、後で知るのですが。

 一番右にペイの「中國銀行ビル」、中央あたりにペリの「国際金融センター」、そして一番左、対岸の九龍エリアにあるのが、KPF設計の「世界貿易センタービル(ICC)」。

 「世界貿易センタービル(ICC)」は485mで香港で最も高いビル。

 「摩天楼」という言葉がぴたりとくるくらい、競って天に迫っていく様は圧巻でした。

 「中國銀行ビル」を設計したI・M・ペイはルーブル美術館のガラスのピラミッドで知られ、1983年にプリツカー賞を受賞しています。

 今年の春に亡くなったのですが、享年をみると102歳。

 フランク・ロイド・ライト、村野藤吾をはじめ、建築家に長寿は多いのですが100歳越えとは恐れ入りました。

 夜景には少し時間があるのと、まだ街の様子も、デモのことも把握出来ていないので、この日は一旦九龍に戻ることにしました。

 沢木耕太郎の「深夜特急」は、バックパッカーのバイブルと言われています。

 その26歳の沢木が何度も乗ったというスターフェリー。

 出港し、香港島を見返します。

 西の空に日が沈んで行く景色を彼も見たのでしょう。

 なかなか行けない海外で、香港を選んだのはやはり「深夜特急」のスタートの地だったからだと思います。

 20代の後半、疲弊しきっていた私を救ってくれたのもまた旅でした。
 
  Breeze is nice. 

 「深夜特急1‐香港・マカオ編‐」ではなかったと思いますが、旅先で若き沢木青年が聞いた言葉です。

 私が深夜特急を読んだのは、20歳くらいの頃だったと思います。

 その言葉が、30年経って思わず口から洩れてしまうくらい、幸せで、心地よかったのです。

 「僕らの深夜特急」香港・マカオ編だけですが、順次アップして行きます。

 良ければまたのぞきにきて下さい。

■■■『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載

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【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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