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梅田ダンジョン③最終回<阪急三番街と阪急サン広場編>‐2091‐

これまで、2回に分けて梅田ダンジョンを紹介してみました。

1回目は<大阪駅前ビル編>

南の端に広がる、大阪駅前第1・2・3・4ビルの地下街をとりあげました。

2回目は<1.2KM東西横断脱出編>

日本最大級と言われる梅田ダンジョンですが、東西1.2kmを横断してみました。

3回目は北端の阪急三番街から南下してみます。

阪急の大阪梅田駅は、このエリアにある駅では最北に位置します。

その中でも、一番北にあるのは茶屋町口。

駅をでると、北に抜ける道には以前水族館がありました。

現在は、ブロックのアートに変わっています。

地下に降りて行くと、「川が流れる街」阪急三番街です。

北館と南館に分かれています。

オープンは1969年ですから、私より1つ年上。

長く続く店舗も結構あります。

何と言っても見所は「川」です。

沢山の店舗面積を失うにも関わらず、新しい試みにチャレンジしたのです。

以前は、噴水アートが素晴らしかったのですが、現在は若干大人し目。

それでも、創業者・小林一三からの引き継がれる阪急魂を感じるのです。

三番街は東西にも南北にもかなりの広さがあります。

南東の端で、ホワイティうめだと繋がるのです。

そのホワイティうめだを南下する途中に、阪急サン広場地下通りがあります。

入口が分かりにくく、若干アップダウンがあるのですが、ちょうど梅田ダンジョンの中央を東西につないでいます。

梅田ダンジョン攻略にはここが意外に重要です。

この写真は上が南です。

三番街は西にも行けるのですが、南に抜ける通路がないのです。

久しぶりに通るとリニューアルされていました。

丁度阪急百貨店の北端を東西に走っているのです。

地上で言えば、阪急百貨店とJR大阪駅を結ぶ横断歩道の真下。

ここを西に進むと、御堂筋線の梅田駅の中北西改札の脇にエスカレーターがあります。

梅田周辺は、地盤沈下の影響で本当に段差が多いことを昨年の8月に書きました。

ここは、ekimoを介して東梅田駅からもアクセスでき、唯一段差無しでJR大阪駅にアクセスできるエスカレーターなのです。

キャリーを引いている時などは本当に重宝します。

ただ、ここまでの通路幅が狭いからか、表示板などでは積極的に案内はされていません。

それで、この東西ラインが梅田ダンジョン攻略のポイントなのです。

阪急サン広場とはここのことでした。

地上に出れば「ああここか」となるのですが、地下は情報が少ないので、経験だけが頼りになるのです。

梅田ダンジョンのことを3回に分けて書いてみました。

阪急サン広場地下通りも上手く活かして攻略してみて下さい。

■■■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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梅田ダンジョン②<1.2km東西横断脱出編>‐2085‐

日本最大級の迷宮と言われる梅田ダンジョン。

東の端にあたるのは「ホワイティうめだ」の「泉の広場」です。

このマップは、薄い黄色が地下街を示しています。

上が南なのが若干分かりにくいのですが、地図が見切れる左端の、L字の部分が現在地です。

マップの右、西に向って歩いてみることにしました。

「泉の広場」の名前だけは残りましたが、水はどこにもありません。

以前は、特有の雰囲気を醸し出していたこのエリア。懐かしいものです。

北向きにのびるモールは「NOMOKA」。

西に延びる「イーストモール扇町」も合わせて、「ホワイティうめだ」大半が飲食店です。

200m程行くと「阪急三番街」に繋がる「ノースモール」が北に分岐します。

少し西に進むと阪急百貨店のコンコースに繋がる大階段もあります。

南には梅田ダンジョン①で紹介した、大阪駅前ビルに繋がる地下鉄東梅田駅や、「センターサウスモール」へも分岐しており、このあたりも複雑です。

公共の通路でスロープを設ける場合は1/12勾配以下が良いとされています。

このスロープが1/12勾配で、スロープを設計するときの参考例によく使っています。

一度スケールを持って測りに行ったことがあるのです。

ここから梅田ダンジョン内で、歩行難易度最難関エリアに入って行きます。

現在、大規模なリニューアル工事中。

それもあって死角も多く、ここを涼しい顔で横切れれば「梅田ダンジョン通」と言って大丈夫。

北には地下鉄梅田駅と駅に入らずとも北に抜けれる「ekimo」、南には阪神百貨店と阪神電車の大阪梅田駅があります。

東には地下鉄東梅田駅、西にはJR大阪駅と地下鉄西梅田駅。

地上で「阪神前」の交差点で信号で交通整理がされていますが、その地下では、もの凄い数の行先が違う歩行者が交錯するのです。

「阪神前」地下を過ぎれば道幅も広がり、随分歩きやすくなります。

以前は各都道府県の名産品をおばちゃんが販売していたのがここ。あの景色も懐かしい。

100m程行くと、北はJR大阪駅、南はディアモール大阪に繋がる交差点に。

さらに西に行くと、地下鉄西梅田駅。

すぐ先には「ヒルトンプラザWEST」そして「ハービスENT」。

ビルボードライブ大阪も越えると、オオサカガーデンシティまでやってきました。

ここまでくると、同じ梅田ダンジョンでも人通りは激減。

若干気温が下がったのは、外部と繋がっているからのようです。

ついに西端までやってきました。

2枚目の写真はここで撮ったものでした。

1マスが200mなので左端から右端まで約1.2km。梅田ダンジョンを東西横断し脱出成功です。

何故か思い立った梅田ダンジョン探索。

梅田を通るたびに少しずつ写真を撮りためました。

次回、最終回は北端の水の流れる街までを紹介したいと思います。

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>‐2083‐

1月29日発売の『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載されました。

実務書といった雰囲気ですが、『SUVACO』の編集部からオファーがありました。

普段お世話になっていることもあり、協力させて貰ったのです。良ければ手に取ってみて下さい。

インバウンドの増加も伴い、時々話題に上がる梅田ダンジョン。

「梅田の地下街が迷路のようだ」ということですが、確かに複雑です。

阪急百貨店前のコンコース南端にある階段を降りると、「ホワイティうめだ」に出ます。

ホワイティうめだは、南北にも東西にも長い地下街ですが、南で大阪駅前第4ビル、西で阪神百貨店、阪急百貨店とつながります。

梅田ダンジョンの中で最南端にあたるのが、この大阪駅前第1・2・3・4ビルの地下街です。

コンコース南端の階段を降り、まっすぐ進むのではなく、一本東の東梅田駅のある通路を通るのがお勧めです。

突き当りにある階段が、大阪駅前第4ビルの地下1階と繋がっています。

すぐ脇にある階段を降りると、石垣がある通路が見えてきます。

大阪城に使われた、小豆島の残石で作られたものと説明書きがあります。

この地下街は2層で繋がっており、更にビルの間ではディアモール大阪が交錯しています。

梅田ダンジョンの中でも最難関と言って良いと思います。

石垣は地下2階と覚えておきましょう。

4ビルの地下2階を南に進みます。

地下2階は、飲食店が多いフロアです。

各ビルの間は、地下の渡廊下のような形状で繋がれています。

ちょうどこのあたりだったと思いますが、「梅田壱番湯」という小さな銭湯がありました。

調べてみると、懐かしんでいる人も多く、1990年代の前半に廃業したようです。

私が予備校の時に行ったことは覚えているので1989年には確実にありました。

もう一度くらい行っておけば良かったと、やや悔いが残ります。

3ビルの地下2階は、特に飲食街が多い感じがします。

人気店も多く、ハンバーグの「ぶどう亭」、うどんの「うどん棒」は常に行列。

3ビルから2ビル間には、ディアモール大阪と交錯している景色が見れます。

地下2階で行き来できるのですが、地下1階からは見下ろせるようになっています。

西に繋がる2ビルは、地下にも関わらず、吹き抜けを備えています。

かなり贅沢な空間になっているのです。

3ビルの地下1階に戻ってきました。

シャッターに張り紙がしてあるのが「めん次郎」です。

元は4ビルの地下1階にあったのですが、ここに移転したのを知ったのは2019年でした。

一緒に働いていたお母様が(お母様とは知らなかったのですが)体調をくずされ、現在休業中とありました。

お客さんからの寄せ書きも貼られていたので、私も少しコメントしてきました。

こちらのうどんは本当に美味しいので、お母様の回復と、営業再会を心からお祈りします。

地上に上がると、正面に見えるのが、最北の4ビル、南に3ビルです。

ちょうどこの下に「梅田壱番湯」があったことになります。

振り返って西を見ると、1ビルの向かいにある大阪マルビルの解体が始まっていました。

1976年の完成なので、1970年頃の大阪を象徴する高層ビルだけに、正直寂しいものです。

同窓会でも、会場としてずっと使ってきましたが、これだけユニークな高層ビルはどこにもないと思うからです。返す返すも残念。

1970年から1981年にせかせかと建った大阪駅前ビルと、地下街の美味しい飲食店。これぞ大阪だとおもいます。

梅田ダンジョン最難関エリアにどうぞ遊びに来て下さい。

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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全身全霊匍匐前進‐1941‐

「大阪梅田」は阪急電車の起点となる駅です。

観光客に分かりやすくという配慮で、2019年に「梅田」⇒「大阪梅田」と駅名が変更されました。

中学・高校と、阪急京都線で「高槻市」まで通学していたので、やはり「梅田」のほうがしっくりきます。

好きすぎて、ここでも「阪急梅田駅の歴史」「続・阪急梅田駅の歴史」と2度に渡って語らせてもらいました。

今でも、阪急マルーン色の外観と、ゴールデンオリーブのフカフカしたシートが、私鉄の中では一番のお気に入りです。

ただ、入学してすぐの頃は、地下鉄「南森町」で乗り換え、「淡路」経由で通学していました。

阪急千里線は「柴島」の手前で淀川を渡ります。

柴島浄水場の北側に、京都線の「崇禅寺」が見えています。

「淡路」で京都線と千里線が交差するのですが、2028年度には高架によって立体交差が完成するそうです。

長い間工事をしているなと思っていたのですが、2008年に工事が始まっていました。

20年に及ぶ大工事です。

駅周辺では、その姿がかなり見てとれるようになりました。

運行を続けながらの工事で、余計に時間が掛かるでしょう。

小さな会社を経営する私からすれば、20年先のことなど、全く想像もつきませんが。

ある朝のジョギング中。街路樹の下で、モゾモゾと何か動いているのが見えました。

風で飛ばされたのでしょうか、小さな青虫でした。

目が見えるのか、見えないのかも分かりませんが、全身を使って必死で前進しています。

徒手空拳で仕事を始めた私としては、その姿が全く他人事とは思えなかったのです。

20年に及ぶ工事も、勿論のこと日々の積み重ねです。

何の本だったか忘れましたが、こんなことが書いてありました。

必ず迷路を脱出する方法はある。片側の壁に沿って、出口が見つけるまで進み続けることだ。

なかなか先が見通し難い時もありますが、いくらハンドルを切っても車が動いていなければ位置は変わりません。

青虫君を見習って、全身で匍匐前進あるのみです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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赤の緑の季節‐1859‐

「あの森のOhana」の現場も、内装工事が本格的に始まりました。

エントランスの扉が取りつき、かなり雰囲気がでてきました。

2階スタジオもいい感じです。

緑地帯の植込みが真っ赤に紅葉していました。ドウダンツツジでしょうか。

周辺環境にかなり恵まれているのです。
梅田阪急のコンコースも年末の装いです。

エントランス上も。

ショーウィンドウのディスプレイも。

年末に向けて活気がでてきました。

月曜日に公開された『ESSEonline』コラムですが、Yahoo!ニュースに上がっていると編集の方がURLを送ってくれました。

SmartNewsにもこんな感じでUPされたそうです。少しでも沢山の人に読んで貰えると嬉しいのですが。

現在、第2弾を書いていますが、今回は玄関周りの収納についてです。

こういった場所はなかなか写真がなく……

ということで、無理をお願いして「The Longing House」へ写真を撮りに行ってきました。

玄関、廊下と並行に、シューズクローク、クローゼットがあります。

引戸を開けるとこんな感じ。

とても使い勝手は良いのですが、こういった空間を写真で抑えるのは結構難しいもの。

昼過ぎに伺いましたが、あっという間に3時間が過ぎました。

撮影後にお茶を煎れて下さり、近況報告をして帰ってきました。

玄関先には、すでにクリスマスの飾りつけも。

クリスマスが年末にあるのは、日がどんどん短くなり、落ち込みがちな気持ちを盛り上げるためだとも言われています。

元気が出る「赤」と、それを引き立てる補色の「緑」が町にあふれるのも同じ理由かもしれません。

赤の緑の季節、それが12月です。

■■■ 12月6日『ESSEonline』にコラム連載を開始
第1弾は「キッチン・パントリー」■■■

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■

■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

一発合格したければ‐1765‐

 「大阪のど真ん中」と言われれば、思い浮かべる場所はそれぞれだと思います。

  私にとっては「阪急前」「阪神前」あたりでしょうか。

 阪神百貨店前にある「梅田換気塔」は、大阪が誇る建築家、村野藤吾の代表作のひとつ。1963年の完成です。

 ラビリンスと言われる、梅田地下街のシュノーケルのようなもの。有機的なデザインを得意とした村野の真骨頂と言えるでしょう。

 建築設計を仕事とするなら、必要になるのが建築士資格です。2010年以前なら一度取得すれば一生使える資格でした。

 しかし2004年に起こった構造計算偽装問題から信頼が失墜。ということで3年に一度、定期講習を受けなさいとなったのです。

 そのお勉強と終了考査を受けに梅田にやってきました。

 左手にHEPナビオを見ながら、扇町通を東へ向かいます。

 東隣にあるOSビルも、同じように舳先のようなフォルムが特徴です。

 東通商店街の入口と言えば分かり易いかもしれません。

 東へ歩いていると、歩道を仕切り、ゴンドラに作業員が乗り込んでいるところでした。

 見上げると遙かかなたに、ゴンドラを吊るすアームが見えます。

 2010年完成の富国生命ビルは、フランスの建築家、ドミニク・ペローの設計です。
 
 最新の技術が投入されたインテリジェンスビルでも、やはり人力に頼るところは頼るしかないよう。高所が大嫌いな私は、見ているだけで身震いしていました。

 お初天神通りを右手に見ながら更に東へ。

 新御堂筋と交差するところで横断歩道が途切れており、地下に降りました。

 泉の広場から泉が消えたのはいつだったか。

 正直、以前の方が雰囲気があったかなと思います。色々な意味で……

 オフィスビルの8階が会場でしたが、こういった講習は資格試験予備校が請け負っていることが殆どです。

 建築士資格用の教室らしく、様々な貼り紙が見えます。

 勝ちたいという思いが強いほうが勝つ!!

 「絶対合格」という強い気持ちを!!

 初志貫徹  言いわけ無用

 こちらは、プロとアマの違いを書いたロングバージョン。

 成功し続ける

 変化がなければ人生なにも変わらない

 撮り忘れてしまいましたが、1日1%成長し続ければ1年で37倍成長できるというものもありました。

 予備校ですから、モチベート、アジテートしてくれる場所と言ってよいでしょう。そういう意味では、これらの貼り紙を見るのはかなり楽しかったのです。

 昨年、コロナの影響もあって、初めて建築士試験の監理員を務めました。
 
 広い意味では後輩のようにも感じるので、スターバックスの元CEO、ハワード・シュルツ言葉「耳に痛い意見にヒントがある」を紹介したのです。

 もう少し踏み込んで、勉強と仕事の違いも書いてみたいと思います。

 正解があるのが勉強。答えはないのが仕事。

 これが私の持論です。「答えがない」というのは、これをしておけば間違いないという、絶対的な正解がないという意味です。評価はクライアントが下すものなので、パーソナリティ、環境、時間軸によっても変わって当然です。

 答えのない答えを模索していくことこそが、仕事の醍醐味と言って良いのかもしれません。

 また、本気の目的を持っていれば、他人にモチベートして貰う必要も、アジテートして貰う必要も全くありません。イチロー選手は現役時代「モチベーションが落ちることはない」とはっきり言っていました。

 「世界で一番多くのヒットを打ちたい」が目的なら、モチベーションが落ちることがないのは当たり前です。

 あとは自分に相談せず、他人に左右されず覚悟を決めるだけです。

 今年の受験者がこの日記を読んでいる可能性は低いと思いますが、一発合格したければ、間違っても「一級建築士試験は難しい」などという言葉は使わないことです。

 その声は一番近くで、自分の脳が聞いているからです。

 これは私が通ったから言う訳ではありません。私の登録番号は、確か27万番代だったと思います。
 
 何年掛けての番号かは知りませんが、難しい資格に何十万人も通る訳はありませんから。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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梅田墓地と高井田横穴群‐1737‐

 大阪梅田は電車時代が来るまで、のどかな田園風景が広がっていたようです。

 諸説あるとは言え、沼地を埋め立てて田んぼにしたので「埋田(うめだ)」というのですから、かなり辺鄙なところだったでしょう。

 しかし現在の大阪の顔。

 1874年(明治7年)に初代大阪駅ができて全てが変わり始めたのです。

 近年においては、阪急グループが牽引してきた部分も大きいと思います。

 阪急系列の建物は、概ね竹中工務店の設計施工ですが、HEP FIVEも同じで1998年の完成です。

 真っ赤な観覧車が一体となり、ランドマークとなっています。

 昨年秋には、ヨドバシカメラ北側にリンクスウメダが開業。

 西隣のグランフロントは2013年の開業です。

 以前、建築関係のショールームは本町が主でしたが、ここに多くのメーカーが移転してきました。

 グランフロントのタワーAは38階建てですが、ここにも住宅機器メーカーのショールームが入っています。

 コロナ下の世の中になり、打合せも控えていたのですが久し振りにやってきました。

 このショールームは眺めが良く、楽しみにしていたことがありました。

 今年の8月、大坂七墓のひとつ「梅田墓地」発掘調査の発表がありました。

1,500体を超える埋葬人骨が見つかったことなどが、大阪市のwebサイトに詳しく載っています。

 写真をいくつか拝借してみます。

 「うめきた」2期区域の南東端がそのエリアで、タワーAから良く見えるのです。

 明治時代の地図と重ねると、梅田墓地の北東角に掛かっているのが良く分かります。

 大阪市のサイトにはよりアップの写真もあります。

 小さな穴が無数にあり、多くの人骨が埋葬されていました。

 江戸時代の終わりから明治20年代まで営まれたこの墓地に、埋葬されているのは大坂城下町周辺に居住してい庶民だとありました。

 平均が30代と若く、さらに病変が認められる個体が多いことから流行病で亡くなったのではと考えられているようです。

 大阪市は調査は公開しないと発表していました。

 しかし梅田で江戸を感じることなど滅多にないと思い、何とかこの目で見ておきたいと思っていたのです。

 ショールームでいつもアテンドをお願いする女性に、到着早々に「梅田墓地は?」と訊ねました。

 すると「私も興味津々で見ていたのですが、数日前にあの建物が建ってしまいました」と。

 落胆する私に「でも、調査が始まったらすぐにシートを掛けてしまったんですよ」とも。

 すでに建物が建っているので、もう一生見ることは叶いません。

 「大阪市は一体何をするんだ!」と、二人でちょっと真面目に憤っていたのです。

こちらは、先日訪れた柏原市の高井田横穴群です。

 大和川が大阪平野に流れ込んできてすぐの丘陵地中腹。

 小高い丘には無数の横穴古墳が残っているのですが、現在は公園として整備されているのです。

 柵はあるものの、実際にのぞけるところが殆ど。

 こちらは公開横穴とありました。

 壁画が残っているのですが、ガラス越しに見ることができるのです。しかもライトアップまで。

 6世紀~7世紀に描かれたもので、同じような服装をした人物が複数描かれています。

 1300年前の飛鳥時代と言えば、聖徳太子が生きた頃。

 ここに埋葬されて人が描かれていると考えられており、これらはいわば遺影。

 心ときめくと言うと不遜かもしれませんが、その時代の生をひしひしと感じるのです。

 すこし見辛いので、解説の写真も載せておきます。

 右上には船に乗った人物が槍のようなものを掲げ、左右の小さな人物は、イカリとオールを手にしています。

 相応の身分に居た人達なのでしょう。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。私は人の過去にふれてみたくなる。

 はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。

 -山本隆司- エディター

 ターザン山本こと山本隆司さんは、週刊プロレスの伝説的編集長です。

 私が読者だった頃、彼のロマンティックな言葉を見るのが大好きでした。

 もし大阪都になったなら、各区長さんには過去だけは大切にして欲しいと思います。

 あの孔子もそう言っているのですから、これはもう絶対です。

 でなければ、柏原市に引っ越します。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載

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【News】
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載

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■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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賢者の選択‐1171‐ 

 セブンドリーマーズの社長、阪根が「賢者の選択 Leaders」という番組に出演していました。

 何度か書きましたが、彼とは中学校からの付き合いです。

 一昨日、webサイトにも放送回がUPされました。

 セブンドリーマーズ社は現時点で、カーボンゴルフシャフト部門、ヘルスケア部門などを持ちます。

 当事務所はカーボンゴルフシャフト部門の、直営3店舗をデザインしました。

01

 2014年2月オープンの「芝公園ラボ」。

 番組内でもフィッティングの様子が紹介されていました。

00

 そして、2015年4月2日にグランドオープンした「梅田ラボ」。ようやく竣工写真が上がってきました。

 「梅田ラボ」は、過去2店舗の黒を基調としたデザインとは趣を異にし、より広い層に足を運んだ貰うという目的がありました。

08

 店舗面積は過去最大で、試打エリアも2打席になりました。

11

 1人1人のスイングデータを取り、完全オリジナルのゴルフシャフトをつくるのはどの店舗も同じです。

15

 ラウンジエリアには、ル・コルビュジエ、イサム・ノグチの名作が並んでいます。

 黒いダイヤモンドをモチーフにしたディスプレイと共に、この店舗の位置づけを表しているのです。

17

 番組では、彼の半生とセブンドリーマズ創設までの道のりを、非常に分りやすく、面白く語っていました。

 コミュニケーション能力の高さは昔からですが、更に貫禄がついたな、というのが素直な感想です。

 母体となっているCFRPのトップ企業、スーパーレジン工業の高い技術力があるとは言え、やはりリーダーの選択が会社の行く末を決めるのです。

 売り上げ3500億が目標という数字を聞くと、多くの社員を率いるその重責が伝わってきます。

17 - コピー

 つい先程まで、建築家・槙文彦の講演を聞いていました。

 現在86歳。

 東大の丹下健三研究室出身で、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞をはじめ、全てのものを手に入れたと言ってよい、生きるレジェンドです。

19

 9・11テロの跡地に建つ、4つのスカイスクレパーの1つが4WTC(4ワールドトレードセンター)。

 これも2013年の彼の作品です。

 しかし語られた言葉は穏やかなものでした。

 「街に、ささやかな核をつくるのが建築家の役割」

 「ニーチェは、孤独は最高のホームと言った。百貨店のトイレ前のソファーでなく、街にも独りを楽しめるような空間が必要です」

 目の前にいるのは、86歳の老人です。しかし、まぎれもない、世界最高峰の建築家。

 役割が、人を無限に成長させるのでしょう。

 若い女性は弱くとも、母となれば強いのです。いや、強くならざるえないのです。

 規模は違えど、私もリーダーであり建築家。常に世界一の頂を目指し、登り続けるだけです。 

梅田のこれから、これからの買い物

 先週の木曜日は10月25日。現場の帰りに梅田を通りました。

 長らく工事中だった阪急のコンコースが、ようやく開かれていたのです。

 少しのぞくと、阪急百貨店も結構賑わっている感じです。

 広角カメラを持っていたので、写真を数枚撮りました。

 このコンコースは、初代、阪急梅田駅のホームだったところです。

 映画「ブラック・レイン」では、松田優作がバイクで登場しました。

 梅田の発展と共に、変遷を遂げて来た場所なのです。

 今回の工事に入った時に、その歴史をまとめてみました。興味のある方は2005年10月31日の記事を。この風景が、梅田の、大阪の顔となりえるのか。また7年経ってから、何か書いてみたいと思います。
 
 翌日、新聞を読んでいると、百貨店のリニューアルオープン初日だったと知りました。

 記事には、朝早くから多くの人が列を作り、かなりの混雑だったとあります。しかし、私が通った夕方は、そこまでの特別感はありませんでした。

 JR大阪駅界隈は、百貨店のオープンが相次ぎ、人出は増えましたが、実際の消費は目で見てとれる程、冷え込んでいると感じます。

 人口が減り、高齢化社会が進み、安い労働力を求め企業が海外移転を進める中、以前のような消費型社会に戻る可能性はないはずです。では、日本はどこへ向かうのか。

 作家、曽野綾子が新聞に以下のような発言をしていました。

 自立の気構えが全ての基本。自分達にかかる費用は払い続ける。シルバー割引を使わない。健康保険も使わない。

 ここまで出来る人が、何パーセント居るかは別にして、その考え方には惹かれるところがあります。彼女の考えは、高齢者をイメージしての事だと思いますが、これまでの「買う」に対しての警鐘とも言えます。

 相応の対価を、納得して払う。得をするから、今買わないと損をするから、ではない。

 そんな事だと感じるのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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