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日本の景色、日本の唄‐2077‐

先週木曜日は、初詣へ行った信貴山寺のことを書きました。

本堂からの景色も素晴らしかったのですが、折角なのでと600m上と表示のあった、信貴山城跡まで登りました。

急こう配の石段を30分程。

かなり息が切れました。

標高437mから奈良盆地を望みます。

信貴山は河内の大和を結ぶ要衝地で、何度か築城されているようです。

戦国時代には松永久秀が入城していますが、1577年に織田信長に攻められて落城。その後は廃城となりました。

この後、仕事を兼ねて奈良盆地を対角に横切り奈良公園あたりまで行ってきました。

写真で言えば左端あたりになりますが、手頃な大きさも奈良盆地の魅力のひとつです。

西名阪の天理ICで降りて北上します。

途中、歩道橋の残骸?がありました。

高度経済成長期、車からの安全を守るために多く作られた 歩道橋 ですが、維持費もかさみ、国も推進するバリアフリー化とは逆行するものです。

最近メディアを賑わしている芸能界のモラルもそうですが、常識とされるものが大きく変わっていく一例と言って良いでしょう。

ナビを見ていると、169号線の東に並行して走る県道を見つけました。

奈良盆地の西端を走る山麓線もそうですが、こういった立地の道路は景色が良いもの。

県道高畑山線も、想像通り大好きなタイプの道でした。

奈良公園の南、旧志賀直哉邸近くに車を止めて所要を済ませます。

その後、春日大社へも参ってきました。

下の禰宜(ねぎ)道を通って参詣。

禰宜は役職名ですから、言わば通勤路ということです。

私の通勤路とは趣が段違いです。

滅茶苦茶に男前なシカがいました。

参道の入口あたりは、まだシカものんびりムード。

しかし本殿手前からは、もの凄い人出。

こうでなければ、正月気分は盛り上がりませんが。

ご神木も、その歴史を十分に感じさせてくれました。

丁度昼時になったので、旧志賀直哉邸隣の「ギャラリー喫茶 高畑」でランチをしました。

子供達はカルボナーラ。

私たち夫婦はやみつきカレーのランチセットを頼みました。

どちらも美味しく、正月の観光地で1300円はかなり良心的。

観光地の食事で、がっかりするケースは良くありますが、こちらはお勧めです。

「人よりやや沢山歩く」が大事だと思います。

信貴山寺、春日大社と、寺社両方というかなり厚かましい初詣でしたが、これぞ日本という景色を堪能して帰ってきました。

昨日、八代亜紀さんがお亡くなりになったというニュースが報じられました。

デビューは1971年。

「舟唄」のヒットが1979年、「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞したのが1980年でした。


1970年生まれの私は、9歳、10歳の頃、リアルタイムで聴いていたのですが、テレビで演歌が普通に流れていた時代です。

私のiTunesにも、6000曲のうち10曲くらい演歌が入っています。

その中でも普段聴くプレイリストに入っているのは、八代亜紀さんの 「舟唄」 だけ。

昨年からファンになったチバユウスケさんもそうですが、ハスキーで歌の上手いシンガーが大好きなのです。

とても難しい曲ですが、カラオケで歌うことがあるくらい好きなのです。

子供達と車に乗っている時、何度か聴かせてみましたが、残念ながら賛同は得られませんでしたが。

歌と唄の違いは、ざっくり言えば、新旧の違いにあるようです。

ロックも、ポップも、ジャズも聴きますが、古都に似合う歌ではないでしょう。

できればそんな唄も残って欲しいと思います。

今晩は、「舟唄」を聴きながらしみじみ飲みたいと思います。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

言葉とは、尽きることのない魔法の源‐1296‐

 日曜日は大和郡山と天王寺へ行ったと書きました。

 丁度その間は、春日大社あたりを散策していました。

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 春日大社は20年に一度の、式年造替(しきねんぞうたい)が行われている真っ最中でした。

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 檜皮葺きの屋根は、1300年に渡ってのこの儀式が続けられてきた賜物です。

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 その式年造替だからか、奥の社でお参り出来るとのことでした。

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 日本の様式美は、連続によって成り立っているものが多々あります。

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 社の下にある空間は、真っ暗な中釣り灯篭に明かりが灯り、幻想的な空間になっていました。

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 「下の禰宜道(ねぎみち)」は、かつての禰宜(神官)の通勤路です。

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 この小路を春日大社から南へ下ること5分。

 高畑(たかばたけ)という社家町に出ます。古くは神官の居住地でした。

 その高畑は、大正から昭和にかけて、自然豊かで文化人あこがれの街でした。

 現在も、白樺派の志賀直哉邸が残っています。「暗夜行路」はここで書き上げた作品です。

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 志賀直哉本人が設計し、京都の大工に建てさせたというこの住宅。

 20年振りくらいに訪れましたが、本当に良い家です。

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 2階にある客間は庭を見下ろし、窓は北と東に向いています。

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 茶室は南に開口がありますが、深い軒が庭の景色をくっきりと切り取ります。

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 ディティールも、小説家の設計と言われると、本業としては困ってしまうのです。

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 特に、北側に面した書斎が素晴らしい。

 彼は、「書斎は北に限る」と言っていたそうです。

 開口の取り方が的確なのです。

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 基本は数寄屋建築ですが、食堂横には洋風のサロンがあります。

 ここに多くの文人、画家などが集ったのです。

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 この時代にこれだけの天窓は、あまり見たことがありません。

 自邸だからこそ出来たのかもしれませんが、娘はその下で熱心にアンケートを書いていました。

 この日は、一日娘と行動しました。金魚もゴッホも志賀直哉も、全て私の興味です。

 娘の主張は一貫しており、大体いつも「枚方パーク」か「USJ」。

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 娘をあれやこれやと誘っていると「鹿」でヒットしました。

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 「鹿にせんべいをあげれるなら行く」という話しになったのです。

 動機も大体こんな感じで、どこに連れていくのも詐欺みたいなものです。

 ハリーポッターの最終回で、アルバス・タンブルドアがこう言いました。

 ことばとは、言わせて貰うなら、尽きることのない魔法の源じゃ 

 魔法を駆使して、あちらこちらへと連れ出すのです。

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