昨日、現場を回るルートを考えていると、真ん丸の古墳があるのをみつけました。
アップでみると「雄略天皇陵」とあります。
ちらと立ち寄ってきました。
埼玉県稲荷山古墳で出土した鉄剣の銘にある「ワカタケル大王」は雄略天皇を指すとされます。
『古事記』『日本書紀』ともに、その御陵が羽曳野の高鷲にあるとされているのです。
日経新聞を読んでいる方は気付いたと思いますが、朝刊の連載小説「ワカタケル」の主人公その人です。
5世紀から6世紀に築かれたものとされ、諸説あるようですが、雄略天皇丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)として治定されています。
案内の看板には空撮がありました。
その特異な形状がよく分かります。
住宅地に突然大きなお濠が現れ、その真ん中に円墳が浮かぶ姿は壮観です。
現在の都は東京ですが、この地が間違いなく日本の中心だったことが分かります。
案内にはこうも記されていました。
『日本書紀』には「雄略天皇に仕えていた隼人が、悲しみのあまり物も食べずに泣き続け、7日目についに死んでしまったので、その墓を御陵の北に造って葬った」という物語が記されています。
マップに「隼人塚古墳」とでていたので、北の住宅街を探します。
これがなかなか見つけられずで……
近所の人に教えて貰い、ようやくたどり着きました。
最後の路地は幅90cmくらいでした。
住宅地にかこまれた小さな墳丘の上に石碑がみえます。
「忠臣隼人之墓」と読み取れます。
雄略天皇は強大な権力を持った君主だったとされます。
その人と比べるのがおかしいのですが、私が亡くなったとして、せめて1日でも泣いてくれる人などいるのかなと思ったりもします。
人は亡くなった時に本当の価値が分かるとも言います。
しかし、亡くなった時にはこの世に居ませんから、真の価値を知ることはありません。
ほっとしたのか、残念なのか……
寒かった昨日までとはうってかわって、今日は20度くらいあったでしょうか。
お濠をつがいの鴨が泳いでいました。
浅瀬の鯉もつがい。
春は恋の季節でもあります。
鳥にも、魚にも、人にも。素晴らしい出会いがあるに違いありません。
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