今日は天満橋から京阪電車の乗り、打合せに行っていました。
大川沿いの桜が、真っ赤に色づいていましたが、この季節の京都は、凄い人出でしょう。
現在、京都で設計しているオフィスがあります。
鉄骨3階建ての面白い建物なので、また時期がくれば紹介したいと思いますが、これまで京都では5件ほど仕事をしました。
実施図面が完成し、さあ競争見積をスタートというタイミングで、2~4の建築会社に声を掛けます。
競争見積とは言え、私達は仕事を紹介する立場とも言えます。
しかし京都の場合、初めて連絡をした際は、断りベースの会社が多いのです。
祇園で言えば、一見さんお断り、といったところでしょうか。
それでも長く仕事をしてきたので、パートナーと思っている会社が、京都、滋賀にも何社か出来ました。
中でも、一番多く仕事をしてきたのは、京都ではかなり大きな建築会社です。
2000年に完成した「紫竹の家」を設計していた頃、同級生が就職していたという縁だけで電話を掛け、まず見積を引き受けて貰いました。
この見積を担当してくれたのが当時60歳くらいの方で、工事部長の肩書だったでしょうか。
私は設計という立場だったので、常に柔和な笑顔を向けてくれましたが、仕事に厳しい、また、部下にも厳しい顔をもったプロだと感じていました。
「紫竹の家」は私にとっては4作目。まだまだ分からないことだらけで、随分助けて貰ったのです。
私のクライアントには失礼な言い方ですが、それほど規模の大きくないマンションのリフォームや、その建築会社では安さのあまり伝説になっているという、1千万円台前半の超ローコスト住宅まで。
色々な仕事を引き受けてくれました。
最後に仕事をしたのが、2008年の「切妻と中庭の家」。
その後も何度か見積りを依頼しましたが、金額が合わずなどで、以降仕事は遠のいていました。
この建築会社は、本来はかなり大きなマンションや公共建築を施工する規模の会社です。
マンションの施工だけでは、現場監督の力が付かないという思いもあったのだと思います。
また、若かった私を応援してくれていたのだと今は思っています。
今回も営業部長に見積を依頼すると、「人手不足で辞退させて頂きたいです」との返事でした。
当社までお詫びに足を運んでくれたので少し話をしていると、その幹部の方がこの年末で勇退するとのことでした。それもあっての辞退だったようです。
私の嘆き節は2パターンで、「友達が居ない」「先輩に可愛がって貰えない」です。
友達はほぼ居ませんが、ライバルは沢山いますし、先輩に可愛がって貰った記憶はありませんが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんのような、尊敬する師を持つことは出来ました。
しかし考えてみれば、今年で勇退されるこの方のように、それこそ「仕事の鬼」というような大先輩には、結構可愛がって貰ったのかもしれません。
この方が現役の間に、京都でもう一件くらいは一緒に仕事をし「いや~先生、この建物は素晴らしいですねえ」と言わせたかったと言うのが今の気持ちです。
人も社会も変化こそが常。また初心に戻り、新たな出会いを求めて行動を起こさなければなりません。
「今忙しいので」と、軽~く断った建築会社の人達には、そちらの仕事が無い時に、頭を下げに来て貰うイメージです。
言っていることが小さいかもしれませんが、反骨精神も、私のモチベーションの1つではあります。