タグ別アーカイブ: 廃墟

八尾空港への引込路線でもあった阪和貨物線跡 ③杉本町駅~行基大橋‐2069‐

阪和貨物線跡をめぐる旅。

初回は大和路線の加美絵駅からスタートしました。


最終回は、終点の杉本町からさかのぼってみたいと思います。

阪和線の杉本町駅は、改札が北側にあります。

東には大阪公立大学の広大な敷地がありますが、その間を、分岐した阪和貨物線は通っていました。

紅葉した木の立っているあたりです。

東西を走る、府道住吉八尾線を横切って北に向います。

そこまで廃棄物が多いところは少なかったですが、ここは結構多いエリアでした。

北東に向かって伸びた線路跡は、緩やかに東向きに進路を変えます。

東へ向きを変えるのに、大阪公立大学から結構離れているのが分かります。

杉本町で降りたのも初めてで、大学構内も少しのぞいてきました。

大阪市立大学と大阪府立大学が統合され、大阪公立大学になったのが2019年。

公立大学はやはり敷地がゆったりした印象で、私学出身者からすると羨ましい限り。

駅前の食堂は、おかわり自由。

このあたりは私学も公立も同じですが。

住宅街、工場街を縫うように東へ進みます。

南北に走るあびこ筋と交差。

徐々に大和川に近づいてきました。

長居公園東筋と交差する行基大橋。

このあたりで完全に土手に沿うようになります。

唯一私鉄と交差するのが、近鉄南大阪線。

東住吉区矢田付近で、現役線路と廃線が交差します。

近鉄南大阪線の下を、阪和貨物線がくぐるトンネルが残っていました。

ごみ焼却場が見えてきたら、前回の終点、高野大橋はもうすぐです。

15時頃に出発しましたが、すっかり夕暮れになってしまいました。

そして、昔遊んだ高野大橋脇の土手に到着。

このあたりから、再び大和川と線路跡の間に、住宅などが立ち並び始めます。

阪和貨物線の前身は、戦時中に八尾空港へ物資を運ぶ引込路線だったようです。

それで、「戦時中は地図に載っていなかった」という記述を見たことがあった気がするのですが、その裏付けはとれずじまいでした。

私はいわゆる「鉄オタ」ではありませんが、他の交通機関と違う魅力があるのは分かる気がします。

土地に密着してできるものなので、安定感があるというか、物語りが濃いというか……

話が長くなってしまったので、省きましたが、杉本町付近の線路跡が、大和川からかなり離れているのには、大和川の生立ちとも関係しています。

もしかすると「鉄オタ」となれる才能があるのかもしれません。

私としてはかなり楽しく、よく運動できたので、また廃線を歩いてみたいと思っています。

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10月27日『houzz』の特集記事
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遊び場だった阪和貨物線跡 ②出戸駅~高野大橋‐2068‐

大谷選手のドジャース行きが決定しました。

選手としてのピークを迎えていることを考えると、実際にロサンゼルスへ観戦に行くか、そうでなければ観戦できる方法を考えなければなりません。

先日のサッカー日本代表の中継問題ではありませんが、最高レベルのスポーツが無料で観れる時代は終わったようです。

さて、どこと契約するか……

大谷選手は年に100億円を得る契約で、こちらは年に1、2万円を払う契約問題ですが。

前回、阪和貨物線は大和路線の加美駅と、阪和線の杉本町を結んでいた貨物線と書きました。

2004年に閉鎖されましたが、実際には大和路線の八尾駅が起点だったようです。失礼しました。

前回に続いて、平野川あたりから更に南に下ってみます。

このあたりは住宅街の中を通り、草に覆われているところが大半です。

ただ、中には駐車場などに利用されている所もあります。

購入できるのか、賃貸なのか分かりませんが、これだけの土地なので、JR西日本も何かしら利用したいところでしょう。

長吉出戸公園は、線路跡に対して駅のような位置関係にあります。

何か付帯施設があったのかもしれません。

もう少し南の長吉出戸2丁目あたり。

踏み切り跡のレールは撤去されていますが、10年くらい前まではレールも残っていました。

線路跡は南にまっすぐ伸びていますが、地下鉄の出戸駅上で長居公園通りと交差します。

その線路跡と道路の間にある、わずかな隙間に建てられたマンション。

間口は2mちょっと。

このマンション、以前も紹介してことがありますが本当に逞しい建物です。

南北に交差する長居公園通りが、高架になっているのは阪和貨物線を越すためです。

自転車も越えられるよう、巨大な歩道橋があるのですが、現在は閉鎖されています。

ということは、この高架も現在は無用の長物になってしまいました。

高架を通過した阪和貨物線は、ここから大和川沿いまで、更に真っすぐ南へ進みます。

柵の跡だったり、電気設備を置く基礎のような物も残っていました。

進行方向右手、西側に大阪市内最大の霊園、瓜破霊園が見えてきました。

瓜破霊園の外周に沿うように、緩やかに西に向きを変えて行きます。

そして、生駒山麓から流れてくる大和川に沿うように、土手の北側を大阪湾に向って進んで行くのです。

中高野街道と大和側が交差する、高野大橋までやってきました。

西を見ると少し先に、阪神高速松原線が見えています。

この辺りは、幼少期の遊び場圏内でした。

4つくらい上に近所の悪ガキを束ねるリーダーがいました。

小学6年生から小学1年生まで、10人くらいが集まり、いつも一緒に遊んでいました。

列車の通らない時を狙って、この土手で段ボールの草ソリをしていたことを覚えています。

いま考えると、かなり恐ろしいですが。

この悪ガキリーダー、ちょっと悪いことが大好きです。

阪和貨物のレールの上に釘を置き、ぺちゃんこにして手裏剣のようなものを作っていました。

もう完全に犯罪ですが、子供のころはそういったタイプが人気者なのです。

特に評判が良い訳でも、悪い訳でもない、阪和貨物線跡をめぐる旅の2回目。

ロサンゼルスから、超大阪ローカルの話で失礼しました。

折角めぐって来たので、もう1回だけお付き合いください。

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お召し列車も通った阪和貨物線跡 ①加美駅~加美鞍作‐2067‐

朝のジョギングコースは、気分次第でコースを変えます。

平野川を通るコースもお気に入りですが、上に線路が通っていることに初めて気づきました。

単線で柵もないので、あまり存在感が無く、気づいていなかったようです。

何より、電車が通っていないのが一番の理由でしょうが。

阪和貨物線跡でした。

平野川から500m程北上してきました。

大和路線とおおさか東線が交わるあたりに、加美駅と新加美駅があります。

阪和貨物線は大和路線の加美と、阪和線の杉本町を結ぶ貨物線です。

緑の電車が通過している方が大和路線で、高架がおおさか東線。

白いビルの手前に踏み切り跡がありました。

まだ信号が残っています。

2004年頃に廃止となったようですが、私が小さい頃は結構電車が走っていました。

それから20年経つので、線路が残っているところはかなり珍しいのです。

加美駅から西に進み、緩やかに進行方向を南に変えます。

南に進むにしたがって、少しずつ高さを稼いでいきますが、このあたりはまだ2.2m。

国道25号線と交差するため、3.8mまでの高さを上げます。

それもあって、かなり廃墟感が強いのです。

ただ緑豊かで、市街地において、一服の清涼剤ともなっています。

線路横のマンションは、結構お得かもしれません。

古びた鉄橋。

くすんだコンクリートの柱脚を、愛おしく感じるのはなぜでしょう。

それ程ゴミが多くないのは、JR西日本が管理、清掃しているからかもしれません。

加美鞍作あたりまで南下してきました。

ここで国道25線を越えるのですが、橋梁部は撤去されています。

更に30m程下れば、冒頭に紹介した所に戻ります。

この辺りは、平野区の中に八尾市が切れ込んでいるエリア。

何か理由があるのだと思いますが、それはまた今度調べてみます。

見上げると枕木に何か番号が振られていました。

25号線の北あたりで、人の良さそうな女性に「この辺りが開けているのは、駅か何かあったんですか?」と聞いてみました。

「昔は賑やかやったけどねエ。駅は無かったよ。

ただ、天皇陛下さんのお召し列車が通ったこともあるのよ」

と、ちょっと誇らしげに教えてくれました。

近所なので、阪和線の存在は勿論知っていました。

いつかここで、しっかり書こうと思っていたのですが、いざ写真を撮りだすと何度も足を運んでしまいました。

今回の写真は、3日分を集めたものです。

折角なので、何回かに分けてレポートしてみたいと思います。

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恰好をつけてやれることはひとつもない‐1315‐

 今日は体育の日。

 10月10日が体育の日なのはいつ以来でしょうか。

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 その名にふさわしく、秋晴れの朝になりました。

 隣の倉庫の解体工事も今日は休み。

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 現在は屋根の解体が終わったところですが、建物の中に光が指す様は、いつも鮮烈です。

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 アルミテープが貼ってあるところは、父がゴルフの練習をしていて穴をあけた所。

 解体が始まり、バラックから廃墟の趣きとなってきました。

 最近、廃墟マニアという言葉を聞くようになりました。確かに廃墟にはダイナミズムがあります。

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 昨年訪れた、長崎の軍艦島などもこの類でしょう。

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 雨露を凌ぐため、建築に屋根は必須ですが、それらがない状態にある種の刺激を感じるのでしょう。

 影があるから、光をより感じるのです。

 この連休はなりふり構わず、図面を描いています。設計図面は、大きく分けると基本図面と実施図面に分かれます。

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 基本図面の縮尺は1/100程度で、チラシに入っている間取り図程度と言えば伝わるでしょうか。

 一方、実施図面は、構造体、仕上材などの構成が、全て分かるように描かれている図面です。

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 現在の私の仕事は、全てのプロジェクトを統括することで、2007年以来実施図面は描いていませんでした。

 しかし、年末にマルコが辞めることになり、また、新しい社員がまだ決まっていないなか、9年振りに実施図面を描いています。

 この職人仕事を楽しみ、苦しむのも、建築設計の醍醐味です。

 また、これらに多くの時間を費やしてくれる社員に対して、改めて感謝の気持ちも沸いてくるものです。

 この仕事をしていたなら、夜明けに急かされ、変な汗をかきながら、半べそで図面を焼いた経験が何度もあるはずなのです。

本当に大切なことで、恰好をつけてやれることはひとつもない

- ノーマン・メイラー -アメリカの小説家

 仕事時間が長いのは「悪」のような時代です。

 よって無理強いはしませんし、もうそんな時代ではないと思います。

 社員が遅くまで働いていたら、「出来るだけ早く帰りなさい」とは言います。しかし、それ以上は言いません。

 互いの人生が良くなる方向だけを見れば良いと思っているので、ブレーキを掛けることはしたくないのです。

 それが、経営者のエゴがどうかは、私も正直分かりません。

 いずれにしても、私が結果を出さなければ誰もついてきてくれません。半べそをかかなくてよいよう、今日も一日なりふり構わずで。