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養老の滝‐1592‐

 昨日は、朝一番の近鉄特急に乗って、養老へ。

 桑名まで2時間程。ここで養老鉄道に乗り換えます。

 ローカル線のひとり旅は、何より贅沢な時間。

 のんびりと本でも読みながら……

 と思っていると、縦揺れがかなり凄いのです。

 検札に来た車掌に聞くと「いやあ、赤字路線なので済みませんねえ」と。

 線路の下に敷く砂利は、定期的に突き固めればしっかりするが、その予算がないとのこと。

 また線路幅が狭いのもその理由だそうです。

 もとは近鉄電車の一部だったのが、10年前くらいに切り離されたとも言っていました。何とも微妙な感じもするのですが。

 それでも、のんびりした風景を眺めながら45分程で養老駅に到着しました。

 駅のホームにも瓢箪。

 店先にも瓢箪でしたが、その理由は後で触れてみます。

 一番の目的は、養老天命反転地

 一説によると日本一危険とも言われるこのがこの公園です。

 荒川修作+マドリン・ギンズの作品ですが、プリツカー賞を受賞した磯崎新との共作、奈義美術館は紹介しました。

 案内にはこうあります。

 荒川修作+マドリン・ギンズは現在の世界の絶望的な状況を希望有る未来へ転換させるようとしています。
  
 そのためには「死」を前提とした消極的な生き方を改め、古い常識を覆すことが必要だと言っています。この死へいたる「宿命(天命)」を反転することを使命として荒川+ギンズは活動を続けてきたのです。

 現在が絶望的で、死を前提とした生き方が消極的かは置いておいたとして、「身体感覚の変革により意識の変革が可能だと考えた」という論理には納得できます。

 水平垂直を極力排除し、人のもつ平衡感覚や遠近感に揺さぶりを掛けるという目的は、完全に達成されていました。

 団体で来ていた一行のリーダーが「皆が歩けるルートを探さないと……」と困っていました。

 しかしよくこの大胆な試みが実現したなと思います。

 子連れの若い夫妻は、子供を制するのに懸命でした。

 それはよく分かります。大人の私が、正直、身の危険を感じるくらいの斜面でしたから。

 すりばち状の園の底にあるのは「宿命の家」。

 床のガラス部をのぞくとイスがありました。

 そしてこれは「もののあわれ変容器」。

 正直、何が何だかさっぱり分かりませんが、平衡感覚が乱れるのは事実だし、転んでしまう人が続出という記事も読んだこともあります。

 なかなか機会がなかったので、訪れておいて良かったと思います。

 できれば晴天で写真を撮ってみたかったという悔いはありますが。

 こちらは天命反転地の手前にある「極限で似るものの家」。

 立体迷路になっています。

 エントランスに最も近い位置にあるのが「養老天命反転地記念館」。

 一番初めに入った時は、面白いなあと思いましたが、それが序の口だったと後で分かったのです。

 ここの面白さを、写真と文章で伝えるのはかなり難しいので、気になる人は是非訪れてみて下さい。

 小学校くらいのお子さんが居る家庭には、かなりお勧めします。

 「養老の滝」と聞けば、私の世代なら「養老乃瀧」を思い出すと思います。

 私が18歳の頃、初めて行った居酒屋は「養老乃瀧」十三店だったと思います。

 もしかすると京都の「百番」だったかもしれませんが、あまり自慢できた話ではないので、このくらいでスルーさせて下さい。

 なぜ「養老の滝」からその屋号を取ってきたのか、行ってから知りました。

 源丞内(げんじょうない)という貧しい若者が山で薪を拾い、それを売って目の悪い老父に米や酒を買っていました。

 ある時苔むした岩から滑り落ち、気が付くと酒の香りが。泉から酒が湧いているようです。

 これを瓢箪に入れて持ち帰り、父に飲ませると目が見えるようになりました。

 717年、この話が時の天皇の耳に入り、天が親孝行な若者を助けたのだろうと褒めたたえたというのが、養老の滝、孝子伝説です。

 現在も名水百選に選ばれている菊水泉。養老神社脇にあります。

 大変美味しかったのですが、少し持って帰り、視力が落ち気味の娘に飲ませれば良かったと思いましたが後の祭りでした。

 源丞内が瓢箪に入れて持ち帰ったことから、この地のシンボルとなったようです。

 大量に消費されるペットボトル問題の解決法がここにありました。

 まさか、今の時代に簡単に瓢箪に戻れるとは思いませんが、方法としては「無し」ではないかもしれません。

 「瓢箪から駒」のことわざ通り、何かコミカルで可愛げです。

 人ごととしてでなく、ちょっと奮発して瓢箪を買い、菊水泉を詰めて持って帰るくらいのユーモアと余裕を持たねばと思ったのです。

 帰りに寄った桑名編はまた次回に。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』4月7日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

白川郷でみた「結」の本質‐1362‐

 昨日は、岐阜の荘川高原スキー場に行っていました。

 東海北陸道の高鷲インターを過ぎ、ひるがの高原サービスエリアの次のインターチェンジが荘川。

 かなりローカルな感じのスキー場ですが、ここにしたのには理由があります。

 ひとつは、久し振りにスノーボードをするためです。

 長男に水をあけられたボードですが、私の練習のため、広く、すいているところがよかったのです。

 まだ時々こけますが、娘のボーゲンにはついていけるようになりました。

 ようやく長男と同じくらいまできたでしょうか。

 なんとも昭和の匂いがするレストハウス。

 このほうが落ち着くのは昭和45年生まれなので当り前か。

 席の確保に苦心する必要もなしで、気楽に午後2時まで滑りました。

 ただ「シニア券(50歳以上)」の表記にたじろいでしまいました。

 もう数年で、ついにシニアなるというのが現実なのです。

 荘川まで北上してきたもうひとつの理由は、白川郷に寄るためです。

 前回白川郷に来たのは2008年の秋。娘が生まれて半年くらいでした。

 家族で47都道府県制覇を掲げていますが、いずれも4人で回るのが前提です。

 今年の夏休みには達成できそうですが、その次は日本の世界遺産制覇にしようと思っています。

 私は満足しているけれど、子供には記憶がない。

 これでは目的を果たしていないので、記憶にないところは、再訪しなければと思っているのです。

 夕方3時半に着きましたが、この時間でも続々と観光客が訪れます。

 私達もそのひとりですが。

 2008年にも訪れた、明善寺の庫裡に入ってきました。

 1階には囲炉裏があります。

 電気やガスなど無い時代、寒い冬は炉を中心とした暮らしがありました。

 内部は5層構造になっており、中央はすのこ状の床になっています。

 囲炉裏の暖気が登ってきて、茅葺屋根の内部を燻します。

 それらは、虫を駆除する役目もはたしているのです。

 また、茅葺屋根なので、窓は妻面(屋根のかかっていない側面)にしかありません。

 光はより貴重なものだったでしょう。

 2~4階はカイコを養殖する空間です。

 長い冬、大きな屋根裏を養蚕工場として活用されていたのです。

 1階にあるこの囲炉裏は暖をとるだけのものではなく、全ての中心でした。

 茅の葺き替えは、片面だけで1千万円以上かかるそうです。

 また、100人から200人の人手も必要になってきます。

 その膨大な人出は、「結(ゆい)」という労働交換によってまかなわれます。

 豪雪地帯である白川村は、長く他の地域と隔離されるため、それぞれの家庭だけで生きていくことは不可能でした。

 互いが助けあうことが、どうしても必要だったのです。

 「結」は日本各地にありました。沖縄では「ゆいま~る」です。

 「結」という思想は、農業国であった日本の原風景といえるのです。

 彼岸をむかえ、茅葺きの屋根からは雪解け水が茅の1本1本からしみ出し、滴となってしたたり落ちます。

 村内に張り巡らされた水路の流れは、春の訪れをしめすよう。

 本格的な春を迎える彼岸は、現代とは比べられない程、待ち遠しいものだったのではと思います。

 現代社会が失ったものを、簡単に断ずることはできません。

 しかし、若者の「まずは自分の権利があってこそ」という姿をみて、果たしてそれでよいのだろうかと思います。

 その時間そこにいれば、今度の葺き替えの時に手伝って貰える訳ではありません。

 役にたってこそ、屋根を葺いてこそなのです。

 もし手伝って貰えなければ、その先にあるものはたったひとつなのですから。

美濃に燃ゆ、信長の野望‐1322‐ 

 11月に入り、今年も残すところ2ヵ月となりました。

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 今日、文化の日は朝一番の新幹線で岐阜羽島へ。

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 車では通過するものの、本格的に岐阜に来たのは学生時代以来でしょうか。

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 赤い車両の名鉄に乗り、岐阜の中心へ向かいます。

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 まずはアクア・トト ぎふへ。

 世界最大級の淡水水族館です。

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 淡水ゆえ、派手さはありません。

 しかし、それはそれでのんびりした雰囲気も悪くありませんでした。

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見せ場はやはり世界最大の淡水魚ピラルクー。

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 その深いシワは老人のようでもあり、なかなかの迫力。

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 エサやりタイムは更に迫力がありました。

 魚の切り身を食べる姿は、まさに獰猛なワニそのもの。

 肉食魚で、作家・開高健はルアーで釣り上げていましたが、これは引くでしょう。

 アクア・トト ぎふは、かなり良い評判を聞いていたので、正直言えばもっと期待していました。

もうひと押しを期待したいところです。
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 ここからは私の趣味に娘に付き合ってもらいます。

 長良川沿いに建つ、長良川国際会議場。 安藤忠雄の設計で、1995年の完成です。

 安藤の提案していたアーバンエッグは鹿児島大学だけで実現したのだと思っていました。

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 外観はモザイクタイルが貼られていましたが、これは竣工当時のままなのか。

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 鹿児島大学の稲盛会館のように卵型の空間があるのかは確認出来ませんでした。

 それはやや残念でしたが、存在感は圧倒的でした。

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 そこから長良川を挟んで見上げる金華山。

 その頂上に見えるのが岐阜城です。

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 ロープウェイで登れるのですが、標高329mにまさにそびえたっています。

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 山頂駅を降りてからも険しい階段が続き、こんなところを、攻め落とせる訳がない気がしてきます。

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 1567年、信長はこの城を攻め落とし、美濃を制定しました。

 そして「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始めます。

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 地名も「岐阜」と変え、武力で天下統一を果たすという意思を世に示したのです。

 長良川と濃尾平野を見下ろす景色は、まさに天下統一を目の前に、信長が見た景色でした。

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 司馬遼太郎の「国盗り物語」は、一介の油売りから身を起こした斎藤道三が、美濃の国を盗み取るのが前半。

 後半は、娘婿となった信長が、天下統一への道をひた走るという歴史小説です。

 司馬遼太郎作品の中でもベスト3に入る面白さだと思っていますが、岐阜は間違いなく日本の中心だったのです。

 一日岐阜を回り、本当に美しい、豊かな町だと感じました。

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 見渡す限りの広大な平野に、突然緑深い山が現れます。

 その間を縫うように、長良川が流れる景色は、由緒正しき日本と言えます。

 広く、美しく、水が美しい。

 海運だけがウィークポイントでしょうか。

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 金華山はもとは青葉山と呼ばれていました。

 燃えるような夕日を浴びた姿をみて、金華山と改めたそうです。

 私なりに、美濃に燃え立つ、信長の野望を感じた旅でした。

 名古屋にしろ、岐阜にしろ、なんとも魅力的な街でした。東海地方もなかなか面白い。

白川郷

 先週末訪れていた、白川郷について書いてみます。

 岐阜県の中央あたりに位置し、日本有数の豪雪地帯にある飛騨白川郷。

 合掌づくりの建築が評価され、1995年ユネスコ世界遺産に登録されました。

 いくつかの建物は、中を見学出来ます。

 山深くに住んだことは無いのに、窓からの景色に郷愁を感じるのは何故でしょう。

 合掌づくりの集落はいくつかありますが、一番大きいのが萩町。普通の生活を営む家も多くあります。

 街外れに納屋がありました。これも茅葺。「カヤ」とはスゲやススキの総称だそうです。

 何か凄みを感じます。

 屋根が茅ですから、草木も生えます。現代に、この暮らしを続けるのは大変でしょう。

 しかし、自然淘汰され残ってきたのですから、非常に強い建築の種と言えます。

 それを維持するのが、お金、人手とも大変なのですから難しいものです。

 陸の孤島と呼ばれ、独自の発達を遂げた白川郷ですが、今年の7月には東海北陸道が全線開通しました。

 白川郷は名古屋、金沢、富山と高速道路で結ばれます。

 それにともない、観光客が増加。インターチェンジから10分の所が3時間との予想もありました。

 それで、朝一番に萩町へ入ったのですが、お昼前後は凄い人出でした。

 この後、白山を超え、福井に向かいました。山頂付近から見下ろすと、確かに陸の孤島。

 その孤島に人が押し寄せるのですから、時代とは不思議なものです。私もその一人ですが。

 しかし自然界に存在する材だけで作られる家に、郷愁と安らぎを感じるのはごく自然な事かもしれません。

白川、白山、勝山

 一昨日から岐阜、福井を旅行しています。土曜日は合掌造りの岐阜県の白川郷。

 日曜は恐竜発掘日本一の福井県の勝山市に。

 白川郷からは白山スーパー林道で日本海側に抜けました。

 標高800mから1100mあたりが紅葉していました。

 今日は寄り道しながらゆっくり帰ります。